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第1章 彼女の言葉はわからない
思考の基軸 4
しおりを挟む「え? なんで?」
坑道に入って半日ほどが過ぎている。
ぼんやりとした明かりの中、外を歩くより遅いペースで進んでいた。
暗視効果もあり、視界は悪くないものの、なにせ足元が悪い。
森や湿地帯ではフィッツに「抱っこ」されていたが、坑道では自分の足で歩いている。
今は、一時休憩中。
壁を背にして、カサンドラは座っていた。
そこに、アイシャが突然、平伏してきたのだ。
ここからは別行動をとる、と言われている。
(どうしたんだろ? まさかフィッツに足手まといって言われた?)
起きている間に、そういう話は聞いていない。
だが、彼女が眠っている間も、2人は眠らずにいると知っていた。
その際、アイシャがフィッツに「なにか」言われた可能性はある。
(ちょっといい感じになってきてたとこなのに……)
とはいえ、どうしても考えずにはいられない。
フィッツが最優先させるのは、カサンドラの命だ。
少しでも、アイシャが「足手まといになる」と判断すれば、言葉を選びはしないだろう。
「ここから先は、それほど分岐が多くありません。そのほとんども、行き止まりとなっておりますので、奇襲の恐れもないと思われます。ですが、ここまでの道には採掘用の坑道と繋がっているものもあり、敵の侵入があるかもしれません」
「ここに残って見張りをするってこと?」
「さようにございます」
カサンドラは、どうしたものかと、視線をフィッツに投げてみた。
1人でここに残るのは、危険なのではなかろうか。
さりとて、カサンドラと一緒にいるのも危険なのだ。
「尊き我が心の主に、直接、お仕えすることを許していただけたこと、なによりの喜びにございました。アイシャ・エガルベ、御身のお呼びかけがございましたら、いついかなる時でも馳せ参じます」
フィッツが、カサンドラに「こくり」とうなずいてみせる。
どうやらアイシャの意思を尊重するのが、フィッツにとっても最善らしい。
ならば、反対する理由はなかった。
こういう状況での判断能力値が最も低いのは、自分なのだから。
「アイシャ、わかってるよね?」
「命を懸けはいたしません。肝に銘じております」
「なら、いいよ」
わずかな間だが、フィッツのいない時に、女同士の話をしたりもした。
ちょっと仰々しくはあっても、同性と気軽に話せたのは初めてだったのだ。
フィッツが視聴覚情報で「すべて」見ていたと知った時の、アイシャの顔を思い出して、少し笑った。
「アイシャは優秀で、すごく役に立ってくれた。アイシャがいてくれたおかげで、助かったことも、たくさんある」
いったん、言葉を切る。
言おうかどうしようか、迷った。
平伏し、顔を上げない姿は、出会った時と同じ。
じっと見つめてから、口を開く。
「顔を上げてくれる?」
イチゴジュースのような薄赤い髪と琥珀色の瞳をした綺麗な女性。
なのに、守護騎士として危険を顧みず、時には命を懸けてカサンドラを守ろうとした女性。
こんなことは、性根の悪い自分の性分ではないのだけれども。
「アイシャ・エガルベ、守護騎士として、私を助けてくれて感謝してる」
はたはたはたっと、アイシャの瞳から涙がこぼれ落ちた。
身を震わせ、カサンドラを見つめている。
どうしたって、大仰だと思わずにはいられなかった。
彼女からすれば、アイシャに助けられたのは事実なのだ。
「ま、真に……真に……も、もったいなき……お言葉……」
自分にとっては、なんでもないような言葉が、相手にとっては違うこともある。
とくに、ラーザの民が、ヴェスキルの継承者をどれだけ敬っているかは、嫌でも実感させられていた。
とはいえ、慣れる気はしない。
「姫様、そろそろ行きましょう」
「あ、うん。じゃあね、アイシャ」
アイシャが腕で涙をぬぐいながら、立ち上がる。
手を振って、歩き出した。
(普通は、寂しいって思うとこなんだろうなぁ)
自嘲気味に、そう思う。
彼女は、あえて、アイシャに「また会おう」とは言わなかった。
会いたくないからではない。
会わないほうがいいと思うからだ。
ラーザの女王としての自覚はないし、君臨するつもりもない。
自分のことに、人を巻き込むのも嫌だった。
すでに巻き込んでいるとわかっているので、ここで留めておきたかったのだ。
関わる人数が増えるほどに、負担が増える。
大勢の人の命に責任なんて持てやしないのだから。
振り返らず、前だけを見て進んだ。
やがてアイシャの気配を感じなくなる。
少しだけ、息をついた。
「お疲れなら、私が……」
「いいよ。ちゃんと歩ける。昨日は1日しっかり休んだしね」
足場が悪いので、フィッツに「抱っこ」してもらえれば楽はできる。
けれど、恥ずかしいという以上に、気になっていることがあった。
万が一、追っ手に追いつかれた時、両手が塞がっていれば、いくらフィッツでもやりにくいだろう。
抱きかかえたカサンドラを放り出すわけにもいかないだろうし。
それに、必要があれば、フィッツは自らの判断で、カサンドラをかかえて走る。
いちいち訊いたりはしない。
「あとどれくらいでラーザに着く?」
「今日の夕方には坑道を抜けられるでしょう。そこで少し休んだとしても、深夜になる前には、ティニカの隠れ家に着けますよ」
「そっか。ええと、帝国を出てから、8日くらいだっけ?」
「9日です」
「10日もかかってないんだね」
意外と、短時間でラーザに着けるのだと思う。
あのボロ小屋で、フィッツが見せてくれた地図を思い返してみた。
「あ~、なるほどなぁ。直線距離にすると、帝都とラーザって、そんなには離れてないのか」
属国なども含めての帝国領土は、大きな魚のような形をしている。
下半分は、ほとんど帝国本土であり、東にあるリュドサイオは、魚の尾の上半分を占めていた。
そして、ラーザは、下側の尾の先。
リュドサイオを経由せず、帝国本土を突っ切ることができていれば、もっと早く着けていたのだ。
フィッツに地図を見せてもらった時には、隠し通路を基準に見ていたため、迂回しているとの意識がなかった。
「そうですね。皇宮とラーザは、ほとんど方角にズレはありませんが、あの森は、帝国本土で言えば北東になります。ですから、東のリュドサイオに抜けるほうが、距離的には長くなっても、帝国から出るには最短でした」
「どっちみちネセリックには入る必要もあったんでしょ?」
「はい。帝国本土と、リュドサイオ東国境のネセリックは隣接していますからね」
つまり、皇宮から、まっすぐラーザに向かっても、ラーザの手前にネセリックがあるのだ。
結局、1度はリュドサイオの領土に足を踏み入れなければならない。
「それなら、なんで征服戦争の時、ラーザは最後だったんだろ。ネセリックがあるとしても、小さい国だし、簡単に落とせたはずだよね」
「その先にあるラーザが簡単に落とせないとわかっていたからでしょう。皇帝は、西から侵略を始めて、そこにアトゥリノが加わり、間を置かずリュドサイオも帝国につき、その様子を伺っていたデルーニャも当然、追随しました」
「残ってたのは、小さな国ばっかりってこと?」
「結果としては、そうなります」
しかし、皇帝は最後の最後で征服戦争の歩みを止めた。
中規模国家だった3国を従えさえしたのに、皇帝は最後の砦を崩せなかったのだ。
むしろ「落とされた」のは、皇帝自身だったと言える。
(なんか理不尽というか、不条理だよ。ほかの小さい国では死人も出したくせに)
たまたまラーザは後回しになり、たまたま皇帝が女王に恋をした。
もし、ラーザが最初の標的であったなら。
女王に恋をすることがなかったなら。
戦争の規模も死人の数も違っていたはずだ。
皇帝の身勝手さと無責任さが不快に思える。
善人ぶるつもりは、さらさらない。
自分の性根が悪いことやなんかは、わかっている。
(ほかの人からは大事な人を奪っておいてさ。自分は、どうなんだっての。愛する女性を奪われたとかって、無関係な娘や息子を恨んで復讐? 勝手過ぎるよ)
ネルウィスタのしたことは間違っていた。
だが、それだって、原因は皇帝にある。
思って、彼女は顔をしかめた。
皇太子も似たようなものだからだ。
ディオンヌのしたことは間違っていたが、原因はやはり皇太子にある。
だとすれば、皇帝のあの「妄執」も受け継いでいるかもしれない。
「フィッツ、急ごう」
ティニカの隠れ家というのが気になるが、安全なのは確かだ。
足早になりかけたところで、逆にフィッツが足を止める。
カサンドラを庇う、その背中には緊張感が漂っていた。
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