いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
上 下
71 / 300
第1章 彼女の言葉はわからない

思考の基軸 3

しおりを挟む
 結局、カサンドラが眠ったのは、深夜になってからだった。
 用意された部屋は、宿泊施設内では最も広い部屋だという。
 精一杯に飾りつけられ、ベッドにも真新しいシーツや上掛けが揃えられていた。
 冬場であるにもかかわらず、花も置かれている。
 
 あのボロ小屋より、ずっといい。
 
 当初、フィッツも、あのボロ小屋を、なんとかしようとした。
 が、カサンドラに「必要ない」と言われ、諦めたのだ。
 それでも、怪我をする恐れがあったため、床やテーブルは磨きに磨き抜いた。
 華やかさは、ひと欠片もなかったけれども。
 
 心地良さげに眠っているカサンドラのそばに、フィッツは控えている。
 ベッドの脇に、イスを置いて座っているのだ。
 湯につかったり、就寝前の着替えだったりは、アイシャに任せた。
 その間、どんな誰も近づけさせてはいない。
 
 ほかの男にカサンドラの裸身を見せてはならないと、いつも以上に厳しい表情で、浴室や部屋の前に立っていた。
 ラーザの民に限って、カサンドラに邪な視線を向ける者はいないはずだ。
 だとしても、カサンドラ自身が嫌がっている。
 
 とくに、男は。
 
 カサンドラの就寝時刻が遅れたのは、ラーザの民が入れ代わり立ち代わり挨拶に来たからだ。
 湯につかっている時も、挨拶のため訪ねて来た者もいる。
 もちろん、にべもなく追いはらったが、それはともかく。
 
「アイシャ、姫様はお疲れだと言ったのではなかったのか?」
「言ったのですが……生きている内に、ヴェスキルの継承者に、お会いできる機会などございませんから、ひと目ご尊顔をと思わずにはいられなかったのでしょう」
 
 ラーザが国として繁栄していた頃から、それは変わらない。
 ヴェスキル王族は、人生の大半を、宮殿の中で暮らす。
 滅多なことでは、外には出ないのだ。
 そのため、ティニカや守護騎士の家門はともかく、それ以外の民は、女王陛下の姿を写真でしか見られない。
 
 ましてや、声をかけてもらえることなど有り得なかった。
 生身のヴェスキル王族を知らないまま、人生を終える。
 それが、ラーザでは「普通」だったのだ。
 
「それにしても、我が尊き御方は、なんと慈悲深いことかと、感激いたしました」
 
 カサンドラは、挨拶に来た者たち1人1人に、声をかけていた。
 短くはあっても、ちゃんと相手に合わせた言葉を選んでいたように思う。
 感涙に、むせび泣く者も大勢いた。
 その気持ちは、フィッツにも、わからなくはない。
 
「姫様は……ヴェスキル王族の中でも特別だ。宮殿の外で暮らさざるを得なかったことで、苦労されている」
「おいたわしいことにございます……誰よりも高貴な御血筋であられるのに……」
 
 アイシャは、イスに座っているフィッツの足元に片膝をつき、ひざまずいている。
 視線は、カサンドラだけに向けられていた。
 目の縁に、わずかな光が見える。
 カサンドラの境遇を思い、涙を滲ませているのだ。
 
「今後は、姫様の望まれた暮らしができるように尽くすのみ」
「もちろん、我々も……」
「アイシャ」
 
 フィッツは、アイシャに視線は向けず、言葉を遮った。
 アイシャの忠誠心は疑っていない。
 ラーザの民にしても同じだ。
 疑ってはいないが、言っておくべきことがある。
 
「この坑道の先で、お前とは行動を別とする」
「それは……私が足手まといだから……でしょうか」
「違う」
 
 カサンドラに言われたことを、考えてみた。
 アイシャがいれば、フィッツは、カサンドラの傍にいられる。
 フィッツのやるべきことを任せられるからだ。
 人手があるのは、確かに助かる。
 
「姫様の身の回りのお世話は、お前がやったほうがいいのだろうしな」
「では、なぜ……」
 
 カサンドラが、どう思うかはわからない。
 いずれアイシャとは離れる日が来る、と話したことはあった。
 だが、それについての明確な返事は聞けずにいる。
 アイシャの同行を、今後もカサンドラが望んでいるのかどうか、判断できているとは言い難い。
 
「お前には、お前の役割があるからだ」
 
 フィッツは、アイシャのほうへと顔を向ける。
 じっと、琥珀色をした瞳を見つめた。
 
 アイシャが同行することで、有利になることはある。
 それは、フィッツも認めるところだ。
 わかっていても、この決断を覆す気はなかった。
 
「姫様を、お守りするのが、私の使命だと知っているな? アイシャ・エガルベ」
 
 アイシャの瞳が、ゆらりと揺れる。
 しばしの間のあと、なにかを悟ったような表情に変わった。
 
「ひとつ、お訊きしてもよろしいでしょうか?」
 
 真剣な眼差しに、小さくうなずいてみせる。
 逃亡先がどこかは、アイシャも含め、全員がわかっているはずだ。
 
 いつか「来るべき時」に、彼らは備えてきた。
 リュドサイオの者に気づかれないよう、坑道は複雑な造りになっている。
 あえて、そのように造られた。
 
 正しく道を選べば、ラーザに抜けられるようにと。
 
 十数年掛かりで、彼らは、それを成し遂げ、管理し続けて来たのだ。
 カサンドラが皇太子との婚姻を受け入れていれば、すべてが無意味。
 
 そうでなくとも、ここに来るかどうかは不明。
 永遠に使われることはなかったかもしれない。
 けれど、それが「ラーザの民」なのだ。
 
 ラーザは領土に非ず、民自身である。
 
 女王の残した言葉通りだった。
 ヴェスキル王族のために、なにができるのかを考えることが、日々の生活の軸であり、心の支えとなっている。
 領土を離れても、思想は変わらない。
 
「ラーザに戻られたあとは、どうなさるのでしょうか?」
 
 仮に、カサンドラが「ラーザに戻れ」と呼びかければ、今の生活を捨て、全員がラーザに戻って来る。
 それは、一斉蜂起を意味しており、帝国と敵対するということだ。
 フィッツは、それでもかまわないと思っている。
 とはいえ、カサンドラが望まないことをする気はなかった。
 
「ティニカの隠れ家に行く。そのあとは……」
 
 カサンドラの望みは、ヴェスキル王族の復権でもラーザの再興でもない。
 彼女は、ただ穏やかに過ごしたいだけなのだ。
 皇宮での駆け引きや、皇太子との婚姻話がなければ、あのボロ小屋で暮らしてもいいとさえ思っていたかもしれない。
 
「姫様が快適と思う暮らしができるように、お世話をする」
「かしこまりました」
 
 アイシャは、それ以上、なにも言わなかった。
 10日にも満たない短い期間ではあったが、カサンドラと一緒に過ごす中、思うところもあったのだろう。
 フィッツも感じている。
 恐れてもいることだ。
 
 彼女は、自らの生死に無頓着に過ぎる。
 
 周りの者には「死ぬな」と言うのに、自分自身が死ぬことには無関心なのだ。
 どちらでもかまわないと思っている節がある。
 
(逃亡中の身でありながら姫様は怯えていない。もちろん、それだけの力を持っているからだとも言えるが……)
 
 カサンドラは、力を使おうとはしていなかった。
 使う気はないと、はっきり言われてもいる。
 なのに、彼女からは恐怖や怯えを感じない。
 楽観的というのとは違い、自らの命を突き放しているかのように思える。
 
 それを、アイシャも、なんとなく察しているのではなかろうか。
 だから、あえて口を閉ざしたのだ。
 カサンドラに穏やかな暮らしを与えたいと考えている。
 
 ラーザの民にしても、ヴェスキルの血の継承にこだわりはあれど、ラーザを、国として再興させるのを悲願とはしていない。
 考えていることは、みんな、同じ。
 
 カサンドラが幸せでありさえすればいい。
 
 結果、ヴェスキルの血が絶えるのなら、それに準じるまでだ。
 仕える相手のいない世界に存在する意味はない。
 消滅するのが自然な流れとなる。
 ヴェスキルの継承者は「個」であるのと同時に「総体」でもあった。
 
 カサンドラは、ラーザそのものなのだ。
 
「フィッツ様、私は私の役目を果たします」
「わかっている。私も私の役目を果たす」
 
 長く、ここにとどまるのは危険だとわかっている。
 だが、カサンドラにとっては、ここまでの道のりは、強行軍だったに違いない。
 1日だけ休息を取り、明後日の朝、出発することにした。
 人が動き出す前に坑道に入る予定だ。
 
 管理人から坑道の構造情報は入っている。
 休憩を取りながら進んでも、1日もあればラーザに出られるだろう。
 管理人が、ほかの者に、その道を教えることはない。
 追っ手は坑道で迷うことになる。
 
(姫様が、ご自身の命を顧みられなくとも、私が、その命をお守りしますよ)
 
 思った時、なぜか胸の奥が、ちくりと痛んだ。
 けれど、やはりフィッツには、その理由が思いつけなかった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【R18】夜夢の夜の短編集

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:213pt お気に入り:133

薬草師リリアの結婚

恋愛 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:105

聖女の兄で、すみません!

BL / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:65

私のバラ色ではない人生

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:96,761pt お気に入り:4,889

異世界日帰りごはん【料理で王国の胃袋を掴みます!】

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:6,817pt お気に入り:2,217

サクラ舞い散るヤヨイの空に

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:938pt お気に入り:17

小5のショタはお兄さんに誘拐されてしまいました

BL / 連載中 24h.ポイント:198pt お気に入り:357

処理中です...