いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
101 / 300
第2章 彼女の話は通じない

景色が見えない日々ばかり 1

しおりを挟む
 目が覚めてから、何日が経ったのか。
 正直、よくわからない状態だ。
 ぼんやりしていて、頭が少しも回っていない。
 ほとんど言葉も発していないし、思考も途切れ途切れ。
 
 考えるのが嫌だった。
 
 天井の板張りの隙間から光が射し、目を覚ます。
 与えられた食事に、少しだけ口をつける。
 明かりが灯されると夜になったのだと思う。
 
 毎日は、それの繰り返しに過ぎない。
 生きている自分を、遠くから眺めている。
 
 カサンドラ・ヴェスキル。
 
 それが、この世界で、彼女に与えられた名だ。
 彼女は、別の次元で生き、そして、死んでいる。
 その際、この世界の「カサンドラ」と出会った。
 
 カサンドラは、やり直しの人生を望まず、彼女の魂に体と命を与えている。
 カサンドラの語った人生を聞き、わすかばかり共感はしたものの、彼女だって、やり直しの人生など望んではいなかった。
 
 だから、腹を立てていた。
 
 ある意味では、彼女はカサンドラに自分の「死」を奪われたのだ。
 とはいえ、苦痛を伴ってまで自死するほど、死に執着もない。
 生きるも死ぬも、成り行き任せ。
 それが、彼女の生きかただった。
 
 カサンドラの人生をなぞるつもりはなかったし、復讐するような義理もない。
 もとより「くれ」と頼んだ「生」でもない。
 この世界に飛ばされて、与えられた人生を進まなければならなくても、彼女は、彼女の好きにするだけだった。

 その中で、皇太子との婚姻は、彼女にとっては有り得ない選択。
 カサンドラは、人の国の中枢を担うヴァルキアス帝国皇帝の命による、皇太子の婚約者だったのだ。
 だが、この世界と彼女は無関係で、どうでもいいことの範疇にあった。
 
 そもそも、皇太子は「本物」のカサンドラを冤罪で裁いた人物だ。
 やり直しの人生の上で、どれほど皇太子が変わろうと彼女の認識は変わらない。
 絶対に許さないと決めていた。
 
 結果、彼女は皇宮から逃げたのだ。
 その過程で、大事な人を喪っている。
 人と関わるのを好まなかった彼女が、初めて関わりたいと思えた人だった。
 恋に興味がなかった彼女が、初めて恋をした相手でもある。
 
 キャス。
 
 この世界にいた「本物」のカサンドラが、母と暮らしていた頃に使っていた愛称だけが、耳に残っている。
 初めて、彼女を、そう呼んでくれた人は、もういない。
 最初で最後の1回になってしまった。
 
 自分のせいだ。
 
 もうずっと、そう思い続けている。
 大人しく身を潜めていれば、あんなことにはならなかった。
 もしくは、イチかゼロかの線引きを明確にしていれば良かったのだ。
 どちらも選ばなかったがために、あんなことになってしまった。
 
(……なのに……喉が渇いたり……ちょっとは、お腹が空いたり、する……)
 
 そんな自分に腹が立つ。
 生きようとする体が煩わしかった。
 生きたいのか、死にたいのかも、もうよくわからない。
 自分が死ねばよかったのに、とは思っているのだけれども。
 
 今の彼女には、なにもない。
 世界は、また遠くなり、現実感さえ薄れている。
 残っているのは、キャスという名だけだ。
 
「体を起こすぞ、キャス」
 
 上半身が持ち上げられる。
 今は、昼だろうか。
 1日の大半を、彼女は横になっていた。
 だが、こうして世話をするものがいる。
 
 ガリダ族のおさ、ザイード。
 
 オオトカゲのような顔に、それに見合った鱗のある体。
 ここは、魔物の国なのだ。
 
 この世界は、人、魔物、聖魔という3つの種の国に分かれている。
 防御障壁を越え、人の国を出たあと、魔獣に襲われた。
 そこを、魔物の国のザイードに助けられたようだ。
 
 目覚めた時、名を問われ、彼女は「キャス」と答えている。
 この先も「カサンドラ」をやり続けるのが嫌だったのだ。
 
 元々、カサンドラに人生を押しつけられたあと、人の国を出るつもりでいた。
 魔物の国に行くと決めていたわけではない。
 
 ただ、人と、ほかの2つの種の国とを隔てているという防御障壁を抜けるのが、その頃の漠然とした最終目的だったのだ。
 抜けたらどうなるのかなんて考えてもいなかった。
 
 生きるも死ぬも、どっちでもいい。
 どうせ元の自分は死んでいる。
 やり直しの人生だって望んではいない。
 そんな気持ちの中、ほんのわずか、興味があった。
 
 別の次元の世界、人が越えられないという防御障壁。
 
 抜けた先に、なにがあるのかを見てみたかったのだ。
 たとえ、そこに死が待っていたとしても、命に未練はなかった。
 それが、自分の死であるならば。
 
「キャス、口を開けよ。そうだ、少しで良い」
 
 口に、液状のものが流し込まれる。
 体が勝手に、それを喉の奥に流し込んだ。
 そうやって命を繋いでいる。
 なんのためかは知らないけれど。
 
「怪我も癒えてきておるぞ。なに、もう少しすれば動けるようになる」
 
 本当なら、感謝すべきなのだろう。
 そんなことは、わかっている。
 わかっているのに、心が動かない。
 キャスの望んでいる相手ではないからだ。
 
 肩に負った怪我は、魔獣に襲われた時のものだった。
 死にたいのなら、ここを出て、野垂れ死ねばいい。
 外には魔獣がいて、人を襲うのだから。
 
 なのに、体を動かす気にもなれずにいた。
 ひたすら、ぼんやりしている。
 いろんなことが、どうでもいいことのように思えた。
 
 キャスは、右手に薄金色のひし形をした宝石のようなものを握っている。
 起きている時も、寝ている時も手放したことはない。
 無意識に握りしめている。
 
(……ッツが……)
 
 いない。
 
 いない者の名を呼ぶことはできなかった。
 胸が押し潰されそうになるほど苦しくなる。
 
「……キャス……また泣いておるのか? 飲んだ水の分だけ涙を流しては、意味がなかろう?」
 
 意味があるのか、ないのか。
 
 キャスに、ザイードの言葉はとどかない。
 
 顔を布で拭われているのはわかる。
 が、なぜ、ザイードが、せっせと自分の世話をするのかは、わからなかった。
 大きい手の指には、短いが鋭い爪がある。
 人など簡単に殺せるはずだ。
 
「体が良うなれば、自然と心も良うなる。ゆえに、早う怪我を治さねばな」
 
 ザイードは、人を殺せそうな手で、キャスの頭を撫でる。
 小さな子供にするような仕草だ。
 毎日、彼女の世話をしながら、頭を撫でながら、ザイードは話しかけてきた。
 キャスは、なにも話さないのに。
 
 ここで過ごしてはいても、生きたいのか、死にたいのかわからないような意識の中で、さまよっている。
 なにをする気力もない。
 見えていても、認識しているとは言えない状態だ。
 泣いていることさえも、無意識だった。
 
「そら、もう横になれ」
 
 上半身が、ゆっくりと倒される。
 開いていた目に、水かきのついた大きな手が乗せられた。
 その手は「なぜか」暖かい。
 自然と、目が閉じていく。
 
 周りは、とても静かだった。
 このまま2度と目を覚ましたくない。
 けれど、目を覚ますことを頭の片隅で察している。
 
 自分は生きているのだ、と。
 
「ゆっくり眠れ、キャス。そのうち良うなる。必ず、良うなる」
 
 深い眠りに落ちながら、彼女は明日が来ないことを願う。
 良くなる、というザイードの言葉は、やはりキャスにはとどかない。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

処理中です...