いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
110 / 300
第2章 彼女の話は通じない

備え前には憂いあり 2

しおりを挟む
 話を切り出すべきかどうか、ザイードは考えている。
 魔物の国にある「人の国」の情報は少なく、早いに越したことはない。
 だが、まだ体も心も、キャスの傷は癒えていないのだ。
 
 紫紺の髪のかかる肩には、3日も目覚められなかったほどの深い傷がある。
 加えて、人の国のことを根掘り葉掘り聞くのは、精神的な負担も大きい。

「私に訊きたいことがあるんじゃないですか?」
 
 急に話題を変えたのはキャスのほうだった。
 ザイードは紫紅の瞳を見つめる。
 助けた当初より、いくぶんか落ち着いてはいても、悲しみが薄らいでいないのが見て取れた。
 
「あるにはある。だが、無理にとは言わぬ」
「私も考えてたんですよ。もしかすると……人が、私を追って来るかもしれないって……」
「可能性がないとは言えぬのでな」
「でも、それは私が帰るか、投降すればすむ話ですよね」
 
 ザイードは目を細めて、キャスを見る。
 アヴィオの言った「捨てて来い」というのと、同じ理屈だ。
 戦いをけるのであれば、キャスを魔物の国から出せばいい。
 もっと言えば、人の国に引き渡せばよかった。
 
「ガリダは1度かかえたものを見捨てはせぬ。ゆえに、そなたも考えるでない」
 
 キャスは、少しだけ眉をひそめる。
 困っているように見えたが、すぐに、その表情は消えてしまった。
 
「それなら、話せることは話します。ここを荒らされるのは、私にとっても本意じゃないので……ただ、私の知っていることは、非常に限られてるんですよ。役に立たないかもしれないし、あまり期待しないでください」
 
 長い間、魔物は人を「略奪者」だと認識している。
 壁ができる前だって、わざわざ人の国に出向くことはなかった。
 そして、壁ができてからは、一切、関わらずにいる。
 すでに2百年以上が経ち、今の「人の国」が、どういう状態になっているのか、まるきり知らない。
 
「現状、どうなっておるのかを知るだけでも、益となろう。我らは人を知らなさ過ぎるゆえ、新しい情報であれば、どのようなものでも欲しいのだ」
 
 キャスが、小さくうなずいた。
 魔力があるので、キャスは「人」ではない。
 とはいえ、厳密に言えば「魔物」でもない。
 それでも、キャスが「魔物側」に立とうとしているのを感じる。
 
「あの防御障壁ができて爆発的に人口が増えたことで、人の国には中小の国ができたんです。その後、そういう国々を支配する大きな国ができました。それが帝国と呼ばれてます」
「帝国、とな」
「ヴァルキアス帝国という名で知られ、今は、ほとんどの国を支配してます」
「なぜ支配なぞする? 人という同じ種ではないか」
 
 たとえば、魔物は人ではない。
 別の種だ。
 理不尽ではあるが、種そのものが違うのだから、支配しようとするのは理解できなくもなかった。
 
 たとえば、魔物とて魔獣を殺す。
 場合によっては、連れて来て、労働力として使ったりもする。
 だが、それは魔獣が魔物とは異なる「種」だからであり、同じ種であるコルコやルーポに対して支配しようなどとは思わない。
 
「人の数が多いこともあって、同じ種という認識が薄いんじゃないかと思います。助け合える許容量を越えてるっていうか……豊かな土地もあれば貧しい土地もありますからね」
「食糧の奪い合いをしておるのだな」
「最初は、それに近いものだったはずです。でも、お腹がふくれても、人は様々なことで不満を持ち、欲をいだきます。それが人の性質なのかはわかりませんが」
 
 キャスは淡々と話している。
 その口調には棘も感じられない。
 なのに「人」を突き放しているように思えた。
 
(キャスの……大事なものを奪ったのは、人か……しかし……)
 
 それだけではないような気がする。
 人に大事な相手を奪われたものは、魔物の国にも大勢いた。
 それが今もなお「人」というものに対しての忌避感や憎悪に繋がっている。
 けれど、キャスからは、そういうものが、あまり伝わってこない。
 
「ただ、良くも悪くも帝国が支配をするようになって以降、人の国が平和になったのは間違いありません。国同士の小競り合いはなくなって、治安も良くなったようですからね。生活という意味では、上向いたと言えます」
「1度、大きな犠牲をはらわせることで、先々に生じ得る小さな犠牲をなくしたのであろう。それで支配か……」
 
 キャスの話では、人の国は、中小の国に分かれていた。
 国同士の小競り合いが繰り返し起きれば、そのたびに犠牲が出る。
 だが、帝国の「支配」の元、秩序が保たれることで、そうした小競り合いは繰り返されなくなったのだろう。
 
 その過程で「大きな犠牲」を伴うのは必然だ。
 支配をするには、相手を屈服させる必要がある。
 抗がう者が殺されたのは、想像に容易い。
 ザイードには「人は平気で命を奪う生き物」だという刷り込みもあった。
 
 魔物同士であれば、言うことを聞かないものがいたとしても殺しはしない。
 罪を犯した場合でも、その場で殺すことはなかった。
 他種族のものがした行いであれば、その種族に引き渡し、裁かせる。
 
 たいていは、罪を犯したものを閉じ込める場所に放り込んでいた。
 水も食糧も与えないため、死ねと言っているも同然だ。
 だが、殺すという意味で、直接には手をくだしていない。
 
「では、その帝国は、人の国の中で強大な力を持っておるはずだ。ゆえに、抗いたくとも抗えぬ。人の平和とは、寂しきものよな」
 
 キャスの言った「人の数が多い」のが、原因なのだ。
 魔物にも個体による、考えかたの相違はある。
 たった5種族の長で「話し合い」をしていてすら、意見は噛み合わない。
 
 多くの考えが集まれば、必然的に軋轢が生じる。
 それを抑えつけるためには「力」が必要だ。
 
 帝国という強大な力が、人の平和を支えている。
 
 その力が、ほかの小競り合いを「抑止」しているからこそ、平穏な暮らしが成り立っているのだ。
 理屈はわかる。
 だが、寂しいとも思う。
 
(力で頭を押さえつけておかねば、保てぬ平和か。同じ種だというに、仲良うはできぬのだな。我らは、それほど数が多くない。まだ助け合える範疇におることを感謝せねばならぬ)
 
 ほかの種族が困っているのなら、自分たちの食べる量を減らしても支援する。
 同様に自分たちが困っている時は、ほかの種族が助けてくれるからだ。
 なにか取り決めをしているのではないが、それが当然とされている。
 あの関りの薄いファニ族でさえ、同胞意識を持って行動していた。
 
「人は抑えつけられていないと、欲を捨てられない生き物なんですよ。でも……それが、悪いことばかりじゃないから……困るわけですけど……」
「良き面もあるのか?」
「たとえば、1日に1個しか採れない果物があったら、どうします?」
「どうすると言うても、採れぬのであれば、しかたなかろう?」
「木には果物がたくさん実っていて、お腹は1個じゃ満たされないのに?」
「採れるのが日に1個であるなら、我慢する。翌日に、また採ればよい」
 
 キャスが、うなずく。
 それが「正解」だとでも言うように。
 
「ですが、人は違うんです。どうすれば、1日に、たくさん採れるかを考えます。それは、自分のためであったり、家族のためであったりもします」
 
 ふむ…と、ザイードは、尾を小さく揺らした。
 自分だけであれば、我慢もしかたないと思える。
 だが、妻や子がいれば、そういう考えに至るかもしれない。
 
「だから、人は技術を発展させられたんですよね。もっと良い生活ができるように、もっと快適に暮らせるようにって」
「自分のためだけでなく、ほかのものにとっても、ということか」
「そうです。武器も……殺すためだけじゃくて……守るためでもあって……」
 
 キャスは感情を昂らせることなく、やはり淡々としている。
 けれど、瞳が、わすがに揺らいでいた。
 つらいことを思い出しているのではなかろうか。
 心配にはなるが、キャスにとって「大事」なものでもあると、わかっている。
 
 忘れるなと言ったのは、ザイードなのだ。
 
 キャスが生き続けるための「痛み」だと、知っている。
 それがなければ、またキャスは命を放り出してしまう。
 生きている「理由」を見つけられなくなる。
 
(今は生きておるだけでよい。こうして話もできるようになった。いずれ……声を上げて泣くこともできよう)
 
 キャスは、喪失を受け入れられてはいない。
 涙を流していても、声が出せないのは、そのせいだ。
 感情に体は引きずられているが、心はとどまったたまま。
 
 喪った相手を探し続けている。
 
「でも、私を追ってくる人たちは……守るために武器を使うわけじゃない。なにもしてなくても、攻撃してくる」
 
 キャスは、布団を、ぎゅっと握りしめていた。
 なにがあったのかは、まだ話せないようだ。
 具体的な部分を飛ばして、結果だけを口にしている。
 
「人の武器は強い。我らの魔力での攻撃では、太刀打ちができぬほどだ」
「どうにかする方法を考えなきゃ、ですね……それでも、どうにもならなければ……」
 
 キャスが、ザイードの目を見つめ返してきた。
 助けた時にはあった、傷つき、すべてを敵だとしているような瞳ではない。
 
「私が、なんとかします」
 
 きっぱりと言いきるキャスが、心配になる。
 どんな手段を使うつもりでいるのかはわからないが、それをすることで、キャス自身も壊れてしまいそうな気がした。
 手を伸ばし、キャスの頭を撫でる。
 
「それは、最後の手といたす。余の許しなく、動いてはならぬぞ。よいな?」
「……わかりました」
 
 いったい、どういう手段なのか。
 使わせることがないようにしたいが、最終的にはどうなるかわからないのだ。
 ザイードは、近いうちに、キャスの持つ「力」を聞いておくことにする。
 たとえ、人を退しりぞけられたとしても、キャスが壊れてしまっては意味がない。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】内緒で死ぬことにした〜いつかは思い出してくださいわたしがここにいた事を、なぜわたしは生まれ変わったの?〜  

たろ
恋愛
この話は 『内緒で死ぬことにした  〜いつかは思い出してくださいわたしがここにいた事を〜』 の続編です。 アイシャが亡くなった後、リサはルビラ王国の公爵の息子であるハイド・レオンバルドと結婚した。 そして、アイシャを産んだ。 父であるカイザも、リサとハイドも、アイシャが前世のそのままの姿で転生して、自分たちの娘として生まれてきたことを知っていた。 ただアイシャには昔の記憶がない。 だからそのことは触れず、新しいアイシャとして慈しみ愛情を与えて育ててきた。 アイシャが家族に似ていない、自分は一体誰の子供なのだろうと悩んでいることも知らない。 親戚にあたる王子や妹に、意地悪を言われていることも両親は気が付いていない。 アイシャの心は、少しずつ壊れていくことに…… 明るく振る舞っているとは知らずに可愛いアイシャを心から愛している両親と祖父。 アイシャを助け出して心を救ってくれるのは誰? ◆ ◆ ◆ 今回もまた辛く悲しい話しが出てきます。 無理!またなんで! と思われるかもしれませんが、アイシャは必ず幸せになります。 もし読んでもいいなと思う方のみ、読んで頂けたら嬉しいです。 多分かなりイライラします。 すみません、よろしくお願いします ★内緒で死ぬことにした の最終話 キリアン君15歳から14歳 アイシャ11歳から10歳 に変更しました。 申し訳ありません。

処理中です...