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第2章 彼女の話は通じない
行きつ戻りつ 3
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ザイードは、しばし黙り込む。
キャスの言いたいことは理解していた。
だからと言って、簡単にうなずくことはできない。
彼女が危険に晒されるとわかっていた。
とはいえ、キャスも容易には説得に応じはしない。
それも、わかっている。
魔物の側に立ちながらも、どこかに属するのを拒絶していると感じていた。
人の国にも、魔物の国にも、そして、ガリダにも。
「では、余も同行いたす」
キャスが、目を丸くして驚いている。
すぐに、正気に戻ったように、険しい目つきになった。
その目を、まっすぐに見つめ返す。
ザイードは、この考えを翻す気はない。
「なに言ってんの?」
「同行すると言うたのだ」
「捕まりに行くようなものじゃん! 変化もできないくせに!」
キャスは気づいていないらしいが、言葉遣いが乱れていた。
いつもは色を失ったような瞳にも、光が宿っている。
それは、怒りに近い。
キャスの望みは「1人で片をつけること」だからだ。
「変化なぞ覚える気があれば、すぐに習得できる」
「でも、魔力は隠せないでしょ?! 魔力を感知する技術が……」
「隠せる」
「え……? だけど……」
「変化より難しいのは確かだが、余は魔力を完全に抑え込める」
ザイードは日頃から魔力を抑え込むようにしている。
でなければ、魔力が大き過ぎて周りを委縮させてしまうのだ。
これは魔物の特性で、大きな魔力を感じると否応なく反応する。
なので、周りを威圧しない程度に抑えていた。
日々の抑制が鍛錬になったのか、今では完全に抑えこめるようになっている。
「いや、でも、やっぱり駄目だよ」
「なぜだ?」
「もうさ、何回も言ってる気がするんだけど、私の問題に巻き込みたくないって。ザイードになにかあったらどうするんだよ? 私のせいでガリダの長が殺されたなんて言われたくない」
ふう…と、ザイードは大きく息をついた。
これが、キャスのかかえている大きな「問題」だと思う。
瞳孔を細めて、少し厳しい眼差しを向けた。
「そなたがどうであれ、人は来る。そうであろう?」
キャスのことは、口実に過ぎない。
さっき、キャス自身が示したことだ。
「これはもう、そなただけの問題ではない。己1人で片がつけられると思うのは不遜に過ぎるぞ。そなた1人で、なにができる。どこまでできるという」
ぐっと、キャスが言葉を詰まらせる。
きつい言いかたをしている自覚はあった。
けれど、こうでも言わなければ、キャスが「折れない」とわかっている。
「そなたは我らの情報源であり、武器でもある。仮に、そなたが、なにも成し得ず人の国で命を落とせば、こちらはどうなる? 知り得たはずの情報もなく、そなたという武器も失い、なすすべなく蹂躙されよと言うか」
キャスの瞳に迷いが見えた。
ザイードの身を危険に晒すことを気にしているのだろう。
キャスには、こういうところがある。
自らのことは省みないのに、誰かを巻き込むのを極端に嫌がるのだ。
(個を好むものはおるが、キャスは孤独であろうとしておる)
不信感や無関心から、周囲と関わりを持とうとしないものはいる。
相手との関り自体を億劫に感じて避けるものもいる。
だが、生きていくなかで、完全な孤独に身を置くことは困難なのだ。
いくら本人が孤独であろうとしたとしても。
(暮らしていくうえで必要なものがなければ調達せねばならぬ。調達できねば、命を削ることになる)
完全な孤独は「生」の中にはない。
死に向かう途中の「命の過程」に過ぎないのだ。
それを、キャスからは感じる。
死ぬまでの、いっときの「生」を使い潰しているかのような。
きっとキャスには迷惑がられるに違いない。
わかっているのだが「いらぬ世話」を焼きたくなる。
キャスを見ていると、ザイードの胸は痛むのだ。
声もなく泣いている姿が忘れられなかった。
「余は、そなたを守るために同行するのではない。もし、そう思うておるのなら、自惚れもたいがいにいたせ。確かに、余は、そなたを助けたが、己が身を捨ててまで助けようとは思うておらぬ。心得違いをされては迷惑ぞ」
「……私のためじゃないなら、なんで?」
「そのほうが人の国に入り易かろうし、確実な情報も手に入る。伝聞よりも、己で確かめたきこともある」
「……魔物だってバレたら?」
「そなたを囮か人質にし、逃げに転ずるだけのこと」
もちろん本気ではないが、そうとは悟られないよう感情を制御する。
ザイードは魔物だが、瞳孔や尾の動きを制御することに長けていた。
これも、周囲との協調のためだ。
ザイードは、いつも「のんびり」しているように見せている。
「…………わかった」
「足手まといにはなら……」
言いかけて、やめた。
サッと、一瞬で、キャスの顔色が変わったからだ。
連れ帰った時のように蒼褪めている。
その言葉は、キャスの心に強い影響を与えるらしい。
「余が変化を習得するのに、5日ばかりかかる。それまでは1人で動くでないぞ」
キャスが小さくうなずいた。
厳しい言葉には、キャスは、怒りを交えつつも抵抗をしている。
なのに、ひとつの言葉により打ちのめされてしまったようだ。
激しい罪悪感に、今後「足手まとい」との言葉は封印することにする。
説得したかった気持ちはあっても、傷つけるつもりはなかった。
「では、準備をしてまいる」
言って、立ち上がる。
独りにするのもしのびないが、1人になりたいだろうと思ったのだ。
そっと家を出てから、溜め息をつく。
キャスは、また泣いているだろうか。
命を助けた時から、ザイードはキャスを同胞だと捉えていた。
もっと自分を頼ってほしいし、信じてほしいと思う。
けれど、それは自分の身勝手な想いでしかないのだ。
キャスには、彼女なりの事情がある。
(わかっておるのだがな……余は、寂しくてたまらぬ……)
魔物だ、人だという以前に、キャスは、誰も心に踏み込ませようとしない。
そう感じて、たまらなく寂しかった。
ごくわずかでもいいから、心の裡を見せてほしいのだ。
(喪うた相手には……キャスは……その心をあずけておったのか)
さっきの「足手まとい」との言葉に強く反応したのは、そのせいかもしれない。
キャスが足手まといになったのか、相手がそうであったのかはともかく。
ザイードは腕組みをしてうつむき、とぼとぼと歩き出す。
同行することを「強要」する形になったのを、後悔はしていない。
あのままキャスを行かせたら、今生の別れになる気がしたからだ。
それだけは、どうしても避けたかった。
キャスを失うのが魔物の国にとって痛手になるというのは嘘ではない。
だが、ザイード自身が、嫌だと思っている。
2度と会えなくなる可能性を考えただけで、胸が、きゅっと痛むのだ。
自分でも理由はわからないが、キャスにはここにいてもらいたいと感じている。
なので、できる限りの手は尽くすつもりだった。
「……老体のところで、変化の修練をせねばな」
ザイードは、ガリダの姿に誇りを持っている。
長になる前からだ。
そのため「変化」を覚えることを拒んできた。
今も自尊心はあるが、それよりも大事なものを選ぶことにしたのだ。
(今夜は、食事に顔を出さぬほうが良いかもしれぬ……)
肩を落として歩く姿は、いかにも「しょんぼり」といったふうなのだが、本人は気づいていない。
道々にいるガリダのものたちが、そんなザイードに視線をチラチラと投げていることにも、気づいていなかった。
いつもザイードは、どことは決めず領地をぶらぶらと歩いている。
そして、相談事があるものから声をかけられれば応じていた。
が、今は誰も声をかけてこない。
日頃、じゃれついてくる子供たちすら、ザイードに視線を向けるだけで大人しくしている。
これがルーポ族なら、ドーンと体当たりでもかまして「どうした」と聞いてくるだろうが、ガリダは好奇心に身を任せる種族ではないのだ。
ザイードを気にしつつも、ひそひそ話をするに留めている。
しばし歩いたのち、老体たちが好む湿地帯に着いた。
そこに立ち並ぶ家のひとつの戸を叩く。
老体たちは静かに余生をおくっていた。
過去のことを思い出すのが嫌だったり、引きずっていたりするためだ。
なので、ザイードも用がなければ、訪れないようにしている。
「いかがした? なんぞ厄介なことか?」
戸が開かれ、老いて体の小さくなったガリダが出て来た。
ゆうに3百歳を越えていて、数少ない人語を解する老体だ。
子を身ごもっていた妻を逃がすため、人と戦い、捕まったのだと聞いている。
その時の子が、ヨアナの父だった。
「余に変化を、ご教示いただきたく」
「なんと……そうかそうか……ようやく、お主も……」
老体が笑みを浮かべたので、なにか勘違いされていることに気づく。
が、ひとまず変化の習得を優先されることにした。
人の国に行くためだと言えば、教えてもらえなくなるかもしれない。
老体たちは、人の国に対し、恐怖と悪感情しか持っていないのだ。
(いずれ話すことにはなろうが……反対されても、余はキャスに同行せねばならぬ)
キャスの言いたいことは理解していた。
だからと言って、簡単にうなずくことはできない。
彼女が危険に晒されるとわかっていた。
とはいえ、キャスも容易には説得に応じはしない。
それも、わかっている。
魔物の側に立ちながらも、どこかに属するのを拒絶していると感じていた。
人の国にも、魔物の国にも、そして、ガリダにも。
「では、余も同行いたす」
キャスが、目を丸くして驚いている。
すぐに、正気に戻ったように、険しい目つきになった。
その目を、まっすぐに見つめ返す。
ザイードは、この考えを翻す気はない。
「なに言ってんの?」
「同行すると言うたのだ」
「捕まりに行くようなものじゃん! 変化もできないくせに!」
キャスは気づいていないらしいが、言葉遣いが乱れていた。
いつもは色を失ったような瞳にも、光が宿っている。
それは、怒りに近い。
キャスの望みは「1人で片をつけること」だからだ。
「変化なぞ覚える気があれば、すぐに習得できる」
「でも、魔力は隠せないでしょ?! 魔力を感知する技術が……」
「隠せる」
「え……? だけど……」
「変化より難しいのは確かだが、余は魔力を完全に抑え込める」
ザイードは日頃から魔力を抑え込むようにしている。
でなければ、魔力が大き過ぎて周りを委縮させてしまうのだ。
これは魔物の特性で、大きな魔力を感じると否応なく反応する。
なので、周りを威圧しない程度に抑えていた。
日々の抑制が鍛錬になったのか、今では完全に抑えこめるようになっている。
「いや、でも、やっぱり駄目だよ」
「なぜだ?」
「もうさ、何回も言ってる気がするんだけど、私の問題に巻き込みたくないって。ザイードになにかあったらどうするんだよ? 私のせいでガリダの長が殺されたなんて言われたくない」
ふう…と、ザイードは大きく息をついた。
これが、キャスのかかえている大きな「問題」だと思う。
瞳孔を細めて、少し厳しい眼差しを向けた。
「そなたがどうであれ、人は来る。そうであろう?」
キャスのことは、口実に過ぎない。
さっき、キャス自身が示したことだ。
「これはもう、そなただけの問題ではない。己1人で片がつけられると思うのは不遜に過ぎるぞ。そなた1人で、なにができる。どこまでできるという」
ぐっと、キャスが言葉を詰まらせる。
きつい言いかたをしている自覚はあった。
けれど、こうでも言わなければ、キャスが「折れない」とわかっている。
「そなたは我らの情報源であり、武器でもある。仮に、そなたが、なにも成し得ず人の国で命を落とせば、こちらはどうなる? 知り得たはずの情報もなく、そなたという武器も失い、なすすべなく蹂躙されよと言うか」
キャスの瞳に迷いが見えた。
ザイードの身を危険に晒すことを気にしているのだろう。
キャスには、こういうところがある。
自らのことは省みないのに、誰かを巻き込むのを極端に嫌がるのだ。
(個を好むものはおるが、キャスは孤独であろうとしておる)
不信感や無関心から、周囲と関わりを持とうとしないものはいる。
相手との関り自体を億劫に感じて避けるものもいる。
だが、生きていくなかで、完全な孤独に身を置くことは困難なのだ。
いくら本人が孤独であろうとしたとしても。
(暮らしていくうえで必要なものがなければ調達せねばならぬ。調達できねば、命を削ることになる)
完全な孤独は「生」の中にはない。
死に向かう途中の「命の過程」に過ぎないのだ。
それを、キャスからは感じる。
死ぬまでの、いっときの「生」を使い潰しているかのような。
きっとキャスには迷惑がられるに違いない。
わかっているのだが「いらぬ世話」を焼きたくなる。
キャスを見ていると、ザイードの胸は痛むのだ。
声もなく泣いている姿が忘れられなかった。
「余は、そなたを守るために同行するのではない。もし、そう思うておるのなら、自惚れもたいがいにいたせ。確かに、余は、そなたを助けたが、己が身を捨ててまで助けようとは思うておらぬ。心得違いをされては迷惑ぞ」
「……私のためじゃないなら、なんで?」
「そのほうが人の国に入り易かろうし、確実な情報も手に入る。伝聞よりも、己で確かめたきこともある」
「……魔物だってバレたら?」
「そなたを囮か人質にし、逃げに転ずるだけのこと」
もちろん本気ではないが、そうとは悟られないよう感情を制御する。
ザイードは魔物だが、瞳孔や尾の動きを制御することに長けていた。
これも、周囲との協調のためだ。
ザイードは、いつも「のんびり」しているように見せている。
「…………わかった」
「足手まといにはなら……」
言いかけて、やめた。
サッと、一瞬で、キャスの顔色が変わったからだ。
連れ帰った時のように蒼褪めている。
その言葉は、キャスの心に強い影響を与えるらしい。
「余が変化を習得するのに、5日ばかりかかる。それまでは1人で動くでないぞ」
キャスが小さくうなずいた。
厳しい言葉には、キャスは、怒りを交えつつも抵抗をしている。
なのに、ひとつの言葉により打ちのめされてしまったようだ。
激しい罪悪感に、今後「足手まとい」との言葉は封印することにする。
説得したかった気持ちはあっても、傷つけるつもりはなかった。
「では、準備をしてまいる」
言って、立ち上がる。
独りにするのもしのびないが、1人になりたいだろうと思ったのだ。
そっと家を出てから、溜め息をつく。
キャスは、また泣いているだろうか。
命を助けた時から、ザイードはキャスを同胞だと捉えていた。
もっと自分を頼ってほしいし、信じてほしいと思う。
けれど、それは自分の身勝手な想いでしかないのだ。
キャスには、彼女なりの事情がある。
(わかっておるのだがな……余は、寂しくてたまらぬ……)
魔物だ、人だという以前に、キャスは、誰も心に踏み込ませようとしない。
そう感じて、たまらなく寂しかった。
ごくわずかでもいいから、心の裡を見せてほしいのだ。
(喪うた相手には……キャスは……その心をあずけておったのか)
さっきの「足手まとい」との言葉に強く反応したのは、そのせいかもしれない。
キャスが足手まといになったのか、相手がそうであったのかはともかく。
ザイードは腕組みをしてうつむき、とぼとぼと歩き出す。
同行することを「強要」する形になったのを、後悔はしていない。
あのままキャスを行かせたら、今生の別れになる気がしたからだ。
それだけは、どうしても避けたかった。
キャスを失うのが魔物の国にとって痛手になるというのは嘘ではない。
だが、ザイード自身が、嫌だと思っている。
2度と会えなくなる可能性を考えただけで、胸が、きゅっと痛むのだ。
自分でも理由はわからないが、キャスにはここにいてもらいたいと感じている。
なので、できる限りの手は尽くすつもりだった。
「……老体のところで、変化の修練をせねばな」
ザイードは、ガリダの姿に誇りを持っている。
長になる前からだ。
そのため「変化」を覚えることを拒んできた。
今も自尊心はあるが、それよりも大事なものを選ぶことにしたのだ。
(今夜は、食事に顔を出さぬほうが良いかもしれぬ……)
肩を落として歩く姿は、いかにも「しょんぼり」といったふうなのだが、本人は気づいていない。
道々にいるガリダのものたちが、そんなザイードに視線をチラチラと投げていることにも、気づいていなかった。
いつもザイードは、どことは決めず領地をぶらぶらと歩いている。
そして、相談事があるものから声をかけられれば応じていた。
が、今は誰も声をかけてこない。
日頃、じゃれついてくる子供たちすら、ザイードに視線を向けるだけで大人しくしている。
これがルーポ族なら、ドーンと体当たりでもかまして「どうした」と聞いてくるだろうが、ガリダは好奇心に身を任せる種族ではないのだ。
ザイードを気にしつつも、ひそひそ話をするに留めている。
しばし歩いたのち、老体たちが好む湿地帯に着いた。
そこに立ち並ぶ家のひとつの戸を叩く。
老体たちは静かに余生をおくっていた。
過去のことを思い出すのが嫌だったり、引きずっていたりするためだ。
なので、ザイードも用がなければ、訪れないようにしている。
「いかがした? なんぞ厄介なことか?」
戸が開かれ、老いて体の小さくなったガリダが出て来た。
ゆうに3百歳を越えていて、数少ない人語を解する老体だ。
子を身ごもっていた妻を逃がすため、人と戦い、捕まったのだと聞いている。
その時の子が、ヨアナの父だった。
「余に変化を、ご教示いただきたく」
「なんと……そうかそうか……ようやく、お主も……」
老体が笑みを浮かべたので、なにか勘違いされていることに気づく。
が、ひとまず変化の習得を優先されることにした。
人の国に行くためだと言えば、教えてもらえなくなるかもしれない。
老体たちは、人の国に対し、恐怖と悪感情しか持っていないのだ。
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