いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

即時の転換 1

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 ゼノクル、もといクヴァットは睡眠を必要としない。
 が、ゼノクルという「借り物」の体は睡眠を必要とする。
 そのため、ある程度は健康的な生活を心掛けていた。
 人の国で遊ぶための貴重な体を、無駄遣いすることはできないからだ。
 
 聖魔にとって、体はあまり重要ではない。
 けれど、壁がある限り、人の国に入るためには「人の体」がいる。
  精神に干渉するのは簡単でも、体を「借りる」のは難しいのだ。
 なにしろ3つの条件を満たさなければならない。
 
 まず、人として「純血種」ではないこと。
  ゼノクルに、わずかであれ、魔人の血が混じっているように「人ではない」血が必要だった。
 
 次に、意思が弱い、もしくは自らの意思を持たないこと。
 ゼノクルがクヴァットに体を「貸した」のは、十歳の時だ。
 幼かったため意思が弱かったし、なによりゼノクルはうとまれ者だったため、自己肯定感が薄かった。
 
 最後に、当人が壁を越えており、聖魔が接触できる状態にあること。
 当時のゼノクルは、自分が「人」なのかどうかを確認したがっていた。
 だから、壁を越えて来たのだ。
 人は壁を越えられないから。
 
 結果、壁を越えたことで、ゼノクルは、いよいよ自己否定せざるを得なくなってしまった。
 人は壁を越えられないので。
 
 その心の隙をつき、クヴァットはゼノクルの体を借り受けた。
 以降、20年、ゼノクルをやっている。
 暮らしぶりや性格は、ほとんどクヴァットが作り上げたものだ。
 というわけで、今夜も眠りにつこうとしていたのだけれども。
 
「お! やっと来たか!」
 
 首に下げていた「鍵」が反応していることに気づき、跳ね起きる。
 ロキティス相手とは違い、予測していなかった連絡に、気持ちが高揚した。
 
「そっちはどうだ、シャノン。虐められたりしてねぇか?」
「だ、大丈夫です……ご主人様……」
「そりゃあ、なによりだ。ちゃんとメシも食わせてもらってんだな?」
「は、はい……ご主人様のくださった食事よりは……美味しくないですが……」
 
 ゼノクルは、ははっと軽く笑う。
 ひどく楽しい気分になっていた。
 物事が動く時は、魔人特有の「娯楽好き」の血が騒ぐのだ。
 
 ロキティスは、シャノンに首輪をつけていた。
 つけていた、というより、体に埋め込んでいた。
 見ても、首に傷跡があることしかわからない。
 
 だが、それにより居場所は常に把握され、今のように通信回線も開けるようになっている。
 当然だが、ロキティスは用心深いので、腕輪と同じく秘匿回線の仕様だ。

 ゼノクルは、シャノンを「贈らせる」際に、そのことも示唆していた。
 ロキティスがシャノンに「鎖」をつけていないはずはなかったし、それを手放したがらないともわかっていたからだ。
 
(ま、シャノンに逃げられて困るのは、ロッシーなんだが)
 
 ロキティスは、中間種を飼っている証拠の「鍵」を渡し、万が一、逃げられた時には、罪の一切をゼノクルに押しつける気でいる。
 もちろん、そう思うように誘導したのはゼノクルだが、それはともかく。
 
「帰ったら、とびきり美味いもの食わせてやるから、少しだけ我慢しな」
「……か、帰れるの、ですか……?」
「なに言ってんだ、シャノン。当然だろ。お前は、俺のものなんだからよ」
「は、早く……帰れるように……努力します……」
 
 ロキティスに言ったことの中には、真実も含まれている。
 ゼノクルは、シャノンの従順で狡猾さのないところを気に入っていた。
 獣くさいのを除けば、実に「可愛い」奴なのだ。
 
「それで? なにかあったのか?」
「お、王女が、魔物と……そちらに向かったようです……」
「へえ。そいつはまた……」
 
 ゼノクルの唇に、自然と笑みが浮かぶ。
 楽しいことになってきた、と思っていた。
 
「今日の昼……ガリダの女が……王女とどういう関係か、訊きに来ました……黙っていたら、言葉を使ってきて……その時に……人の国に帰るなら、私と帰ればいい……ガリダのおさを巻き込むなと……」
「その女に虐められたか? 殴られたりしてねぇだろうな」
「は、はい……こ、言葉だけで……」
 
 ふんっと、ゼノクルは鼻を鳴らす。
 
 シャノンを「まとも」にするのに、どれだけ労力をかけたことか。
 また傷だらけにされてはかなわない。
 魔物たちが、シャノンに暴力を振るうとは思っていなかったが、少しばかり気にはかけていた。
 
(奴らは同胞に対して寛容だ。少しでも同胞らしいと感じれば、様子を見ようって話になるのは、わかってたけどよ)
 
 中には、強硬な手段を取ろうとするものがいるかもしれない。
 それも考えていた。
 どっちつかずなら殺してしまえ、という理屈だ。
 だが、結局は「穏健」な意見に流れたのだろう。
 
「シャノン」
「は、はい、ご主人様」
「殺されそうだと少しでも感じたら、すぐ逃げろ。俺は、ロッシーじゃねぇんだ。命懸けで、やり遂げろなんざ言わねえ。いいか、俺は楽しいことが好きだってのを忘れんじゃねぇぞ。お前が死んじまったら、つまらねぇだろ」
「……わ、わかり、ました……ご、ご主人様が楽しめるように……頑張ります」
 
 いくつかシャノンに指示はしている。
 ただ、失敗しても、それはそれで良かった。
 ロキティスのように予定通りに事を進めるのを、ゼノクルは好んでいない。
 行き当たりばったりのほうが好きだし、思った通りにならないからこそ面白いと感じる。
 
(こいつが死んじまったら、国に連れ帰って、聖魔の奴らをギャーギャー言わせるって楽しみがなくなっちまうしな)
 
 それは、ゼノクルが考えている、もうひとつの「娯楽」だった。
 どの道、いつまでもは、人の国にはいられない。
 長持ちはしているが、そう遠くないうちに、体が壊れる日は来る。
 聖魔の国に帰る時には、手土産も必要だ。
 
「ご、ご主人様……たぶん王女はアトゥリノのほうに……向かったと思います」
「なんで、そう思った?」
「ガリダの女が、夜には着いてしまうと……ですが、ここの魔物の長は朝には……いなくなっていて……」
「ああ、リュドサイオに向かったんなら、もっと早く着くってことか」
「はい……ここの魔物は、とても……速く走れます……」
 
 シャノンの言葉に、考えを巡らせる。
 
 すでに危険地域となっているラーザをけるのは、理解できた。
 実際、現皇帝はラーザ探索をやめていない。
 カサンドラの手がかりや、ラーザの技術が残されているかもしれないと、大勢を動員して、あちこちを掘り返している。
 
「てことは、上手くいったわけだ」
「お、おそらく……」
「よくやった。帰ったら、抱っこして頭を撫でてやる」
「あ、ありがとう……ございます……」
 
 シャノンには、魔物の国に着いた際、言うべきことを伝えておいた。
 必ず「ロキティス」の名を出すようにというのも、そのひとつだ。
 
 カサンドラが聞けば、どう反応するか。
 
 きっとロキティスが、以前から「壁越え」を考えていたと察するに違いない。
 そうなれば、どうなるか。
 これはカサンドラ次第なので、明確に「こうなる」と予測はしていなかった。
 
「存外、魔物思いじゃねぇの、王女サマは」
「ま、魔物たちも……王女を……受け入れて、いました……」
「あいつらにゃ、妙な習性があるからな。助けた命を投げ出したりはしねぇさ」
 
 受け入れられない相手なら、魔獣に襲われていても見捨てていたはずだ。
 わざわざ助けたりはしない。
 聖魔の国で、ラフロが見せた光景を思い出す。
 カサンドラを連れ帰っていた魔物、あれが「ガリダの長」なのだろう。
 
「結構、大物が釣れたじゃねぇか」
「ガ、ガリダの長……が……?」
変化へんげってのは、実は、相当、難しいんだ。お前だってわかるだろ?」
「耳と尾……隠すほうが……難しいみたい、です」
「そうなんだよ。お前の場合は、魔物の部分が、それしか残ってねぇから簡単かもしれねぇが、純血種の魔物は全身だからな。象徴的な部分を隠すのは本能に逆らうようなもんだって、聞いたことがある。そいつは、かなり難しい」
 
 ラフロからの受け売りの知識をひけらかしつつ、にやにやする。
 人間が、魔力が感知できることは、カサンドラも知っているはずだ。
 それでもなお「ガリダの長」を同行させた。
 つまり、その「ガリダの長」は、魔力すらも抑制できるということになる。
 
(そんな話はラフロからも聞いたことがねえ。全身の変化だけでも、力のある魔物だってのはわかるが、そのうえ、魔力抑制だと? とんでもねぇ奴だな)
 
 そんな「とんでもない奴」を連れて、カサンドラは、人の国に戻る気なのだ。
 けれど、カサンドラに「とんでもない奴」だという意識はないだろう。
 そんな状況が、ゼノクルにとって楽しくないわけがない。
 
「ロキティスのしてることを調べるために、アトゥリノに向かったんだろうぜ」
「ご、ご主人様……あの……あの……」
「シャノン。お前が、俺に話しちゃいけねぇことなんざねぇって、言ったろ?」
 
 ロキティスに、酷い目に合わされていたせいで、シャノンは、いつもびくびくと怯えていた。
 日常的に、殴られたり蹴られたり、鞭打たりしてきたためだ。
 
 ゼノクルは、この精神的な「後遺症」を癒すためにも時間と労力をかけている。
 まだ完全に癒せてはいないが、少なくともゼノクルを恐れなくはなっていた。
 口調が、たどたどしいのと、遠慮がちなところは、今後のんびりと癒していけばいいと思っている。
 
「……ろ、ロキティスに見つからずに、入国するのは……難しく、ないですか?」
「シャノン、やればできるじゃねぇかよ。俺の言ったこと、実践できて偉いぞ」
 
 シャノンは恐怖から、ロキティスの名を呼ぶことができずにいた。
 きっと「ご主人様」と呼ぶことを「躾」られていたのだ。
 
 ロキティスの「美しい」の範疇に、中間種は入っていない。
 そのため、名を呼ばせることなど、絶対にしていないと断言できる。
 シャノンを褒めたあと、ゼノクルは、ククッと笑った。
 
「あの戦車試合で感じた妙な空気。あれは、そういうことだったんだな」
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