いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

即時の転換 4

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 ザイードは、キャスの表情を見て、少し安心している。
 同時に、わずかばかり寂しさも感じていた。
 
(キャスの、あのような顔は、初めて見る。よほど信頼しておるのだな)
 
 同胞なのだから、当然だ。
 ザイードにしても、種の異なる「人間」より魔物といるほうが落ち着く。
 さらに、同じ魔物であっても、ガリダの民といるのが、最も気が楽だった。
 キャスが同胞に気を許すのは、ごく自然なことなのだ。
 
「ロキティスは壁を越えて、魔物の国に来ようとしてるんだと思う。どこまで準備できてるのか、それがわからないんだけどね」
 
 キャスは無意識に魔力を使っている。
 そのため、キャスの言葉は理解できた。
 アイシャは人語なので、どう返答しているのかは不明だ。
 とはいえ、表情が硬くなっているので、おそらく良い感情をいだいてはいない。
 
「わからない。でも、アイシャには……わかるんじゃない……?」
 
 アイシャの顔つきが、ますます暗くなった。
 ロキティスという「壁越え」の首謀者は、ろくな奴ではないのだろう。
 魔物の国に来て、なにをするつもりなのか。
 ある程度は、予測がついている。
 
(壁ができる前と同じく、我らの国を蹂躙しようとしておるのだ)
 
 略奪と殺戮。
 
 さらわれた魔物は、酷い目に合わされるに違いない。
 壁ができた際に「解放」された魔物は、攫われた数に対し、ごくわずかだった。
 
 その時ですら、なぜ人が魔物を「解放」したのかは、わからなかったのだ。
 次に攫われれば「解放」など有り得ない。
 解放する気があるのなら、はなから攫ったりしないだろう。
 
(あの壁は人を聖魔から守るためのものだと、キャスは言うておったが、果たして本当に、そうであろうか)
 
 純血種の「人間」は、壁を越えられない。
 これはおそらく「血」で判断されている。
 魔物や聖魔の血が混ざっていると「人」とはみなされないのだろう。
 そのため、キャスやシャノンのような中間種は壁を越えられる。
 
 そして、純血種の「魔物」と「聖魔」も、壁を越えられない。
 こちらはたぶん「魔力」により判定されているのではなかろうか。
 中間種の持つ中途半端なものではなく、純血種のみが持つ「混じりのない魔力」だ。
 
(質の違い、みたいなものであろうか……確かに老体らは解放されて以来、人の国に入れぬようになったと言うておった……聖魔は、そもそも魔力を抑制しようなぞという考えがない)
 
 内と外との違いはあるが、人間にとっても魔物にとっても「利」があった。
 壁により、人は聖魔から守られ、魔物は人から守られている。
 損をしているのは、自ら魔力を抑制するとの概念がない聖魔だけだ。
 実際、ザイードは完璧な魔力抑制をすることで壁を抜けている。
 
(おそらく、壁を造った者は人も魔物も守ろうとしたのだ。それゆえ、魔物は解放されたのではなかろうか……)
 
 魔物の解放を条件として壁が造られたのだとすれば、納得できる。
 さらに、ザイードは気づいた。
 
(壁を造った者は、我らの国がおびやかされたことに深い責を感じておったのだろう。あの者たちは、先ほど、余に詫びておったという)
 
 つまり、この家にいるキャスの同胞たちは、壁を造った者の流れにある。
 少なくとも、自らの同胞が招いた結果だと認識しているのだ。
 これから対峙しようとしている「人間」たちとは、明らかに種類が違う。
 
(キャスは……この種類の人間のおさであったか)
 
 それは、3人の行動から簡単に推測ができた。
 しかも、魔物の国で言う取りまとめ的な役割の「長」ではなく、まさしく三角の最も上にいる「長」だ。
 
 王族だの貴族だのというのは、正直、よくわからない。
 が、魔物にいくつかの種族がいるように、人にも「種類」があり、そのひとつをキャスは背負っている。
 人と対峙するにしても、自らが背負っている「命」を犠牲にできるはずがない。
 
 このまま、キャスの協力を肯としていいのか、悩む。
 キャスがいようといまいと、その「ロキティス」という者は来るのだ。
 キャスは、自らの存在が魔物の国を巻き込んだ、と言い続けていた。
 だが、それだって、ザイードが、キャスを助けたことから始まっている。
 
 あの時のキャスは、死にたがっていたのだから。
 
 今も、心のうちでは、その思いをいだいていると、わかっていた。
 キャスは、喪った命を生かすために、自らの命を繋いでいるに過ぎない。
 目の前には、やるべきこともある。
 
(そなたは、そなた自身のために生きようとはせぬのだな)
 
 アイシャと真剣な表情で話しているキャスを見て、また胸が痛んだ。
 キャスとは関わりなく人が来るとわかっているのは、ザイードだけではない。
 キャスも、わかっている。
 今となっては、自分がキャスを巻き込んだのだと、ザイードは感じていた。
 
(この者らと、ともに逃げるのが、キャスにとって……)
 
 生きる目的と成り得るのではないか。
 
 腕輪のはめられた自分の手を見つめる。
 何度か、キャスと繋いだ手だった。
 ぬくもりが伝わり合っていると感じたことを覚えている。
 ザイードは、それで安心できたのだ。
 
 まだキャスは、自分と一緒にいてくれるのだと。
 
 助けた時から、キャスは「ガリダの民」だった。
 けれど、人の国に戻るとしたキャスに同行すると決めた時から、ザイードの中に不安が生じ始めている。
 
 人の国には、キャス本来の「暮らし」があるのだ。
 魔物の国には帰らないと言われても、ザイードには引きめるすべがなかった。
 だから、独りで帰ることになる可能性を考えてしまう。
 この手が、キャスの、あの小さな手を握る機会は訪れないのかもしれない。
 
 当然、魔物の国は苦戦することになる。
 だとしても、選択はキャス自身に委ねるべきだと考えていた。
 ここで手に入れられた情報だけでも、十分、役に立つはずだ。
 キャスが残りたいと言うのなら、無理強いはできない。
 
(キャスがおらぬようになるのは、寂しい……とてもとても寂しいことよな……)
 
 思って、溜め息をついた時だった。
 扉が、乱暴に開け放たれる。
 入ってきたのは、アイシャの祖父と父だという男2人。
 いくつかの大きな袋を持ち込んでいた。
 
 老いた男のほうが、なにやら早口でまくし立てている。
 もう1人の男も焦っているようだ。
 アイシャも顔色を変えていた。
 
「敵に露見したのだな」
「そうです! でも、早過ぎる……っ……」
「あやつの仕業だの」
「あやつって……シャノン? そうか! なんで気づかなかったんだろ! 私の中にも装置が埋め込まれてたのに……っ……シャノンのは通信具だったんだ!」
 
 シャノンの身に着けていたものは、ひと通り確認をしたが、武器のようなものは持っていなかった。
 体のあちこちに傷が残っていたと聞いてはいたが、人が魔物を虐げるのは、魔物からすれば「当然」であり、驚きもしない。
 シャノンが「逃げて来た」のも道理だと、納得さえしていた。
 
「とにかく、すぐに逃げないと……ザイード、壁に向かいましょう!」
「荷は、余が持つ」
「私より、そっちのほうが大事ですからね! 絶対に持ち帰ってください!」
 
 でなければ、戻ってきた意味がなくなる。
 キャスは、そう言いたいのだ。
 
「たった4ヶ月で戻って来て……それで、今度は、1日も経たずに、出発しなきゃならなくなるなんてね。けど、直前の情報まであるのは大きい。それに、ラーザの装備品があれば、心強いしさ。みんな、ありがとう。ゆっくり話せなくて、ごめん」
 
 ザイードは、男2人が持ってきた大きな袋を、肩に2つずつ引っ掛ける。
 普段、魔獣を背負ってもいるので、これくらいは、どうということもない。
 
「動いているのはリュドサイオの国境警備と近衛隊っ?! アトゥリノじゃないなんて……そんな……囲まれるのも時間の問題?……あなたたちは、どうする気? 討ち死にとか、絶対に許さないからね!」
 
 3人が、口々に、なにかを言っている。
 焦りを口調に出していたキャスだが、3人の言葉に、少しは落ち着いたらしい。
 
「……わかった。地下に潜ろうがどうしようが、生き延びてくれればいいから……こっちのことは気にしないで、自分たちが生き残ることだけを考えるんだよ」
 
 アイシャは、心残りなのだろう。
 瞳が揺らいでいる。
 きっと、キャスを守り、無事に壁の外へと送り出したいのだ。
 とはいえ、それをキャスが許すとは思えなかった。
 
「行きましょう、ザイード」
「しかし、元の場所から壁を越えるのは、危険であろうよ」
「リュドサイオが動いてるんなら、待ち伏せされてるかもしれませんね」
 
 老齢の男が、キャスの手を取ってひざまずき、なにかを言う。
 
「でも、それじゃあ、あなたたちが……ずっと、ここで暮らしてきたんでしょ?」
 
 もう1人の男も同じく跪いて、キャスに語りかけていた。
 時間がない中、キャスを説得しようとしているのが、わかる。
 2人とも、額に汗が浮かんでいた。
 暑いからではなく、キャスを逃がそうと必死なのだ。
 
「そうだね……ラーザの技術は残して行けない……もうバレスタンには戻れなくなるんだよ? いいんだね?」
 
 2人は立ち上がり、確信に満ちた表情で、うなずく。
 キャスが、ようやくザイードの元に走り寄って来た。
 
「この家は、吹き飛ばすことになりました。街の中でも……小規模な爆発が起きる予定です。その混乱に乗じて、壁を越えましょう」
「承知した」
「離れた場所に出られる隠し通路が家の中にあそうです。入り口まではアイシャが案内してくれます」
 
 ザイードは、男2人に、頭を下げる。
 魔物だとわかっても冷遇するどころか、謝罪までしてくれたキャスの同胞だ。
 アイシャにも、あとで感謝を伝えるつもりだった。
 
「アイシャ、お願い」
 
 キャスが、ザイードの手を握って来る。
 ここに残したほうが、との思いが、ザイードの中から消えていた。
 キャスは、魔物の国に帰ることを選んだのだ。
 アイシャの後ろを走るキャスの背を見つめながら、ザイードも走る。
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