いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

歩み寄れないものばかり1

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 物陰に身を潜めながら、ザイードと走った。
 壁までは、少し遠い。
 来た時の逆方向を目指している。
 リュドサイオ側ではなく、アトゥリノのデルカム方面だ。
 
(こんなに早く見つかるなんて……っ……でも、なんでリュドサイオなわけ?)
 
 シャノンが連絡を取ったのは間違いない。
 だが、相手はロキティスのはずだ。
 それなのに、動いたのはアトゥリノではなく、リュドサイオ。
 自兵を動かせば気づかれると思い、リュドサイオに要請をしたのか。
 
(皇帝命令ってことっ?……リュドサイオは皇帝の勅命でしか動かないんだから)
 
 細かい状況は、わからない。
 ただシャノンが連絡をして、ロキティスからティトーヴァに話が伝わった。
 結果、リュドサイオが動いたのだろう。
 自分の不用意さに腹が立つ。
 
 シャノンに対して不信感はあった。
 なのに、徹底した「尋問」をせずにいた。
 同情はしないとしつつも、震えて体を縮こまらせている姿に、どこか手を緩めていたのかもしれない。
 
(……拷問してでも吐かせようなんて発想……ないからさ……)
 
 平和な日本で、ただ漫然と生きていたので、痛めつけて情報を得るという考えが思い浮かばなかったのだ。
 そういう手段があると知っていても、実行されるのはテレビや小説の中だけだ。
 甘い考えは捨てると思っていようが、発想がないものは実行にも至らない。
 
(やっぱり……私は甘いんだ……あんなことがあっても、まだ……)
 
 いつでもシャノンを殺すことはできた。
 人の国に戻ると決めた時、懸念材料は払拭しておくべきだったのだ。
 この世界で「推定無罪」は有り得ない。
 自分だけならともかく、周りを危険にさらすことになる。
 
「待て、キャス」
 
 ザッと、ザイードが足を止めた。
 
 周囲は真っ暗だっだが、隠し通路を抜ける前に、アイシャに例の目薬をもらってさしている。
 暗視の効くようになる馴染み深い目薬だ。
 おかげで、ザイードの表情も、はっきりと見えた。
 
 視線を外し、壁を探す。
 景色が見えず、灰色に揺らいでいるのが、視界に入った。
 とはいえ、まだ遠い。
 
 ぞくりと体が震える。
 
 背筋が冷たく、凍えるようだった。
 周囲には、ほとんど家がない。
 壁の近くには、人が寄りつかないからだ。
 
 あの時と、似ている。
 
 すぐそこに壁が見えていて、あと少し走れば越えられるところまで来ていて。
 けれど、足を止めざるを得ない状態で。
 
「カサンドラ王女様、ですね」
 
 びくっと、体が反応した。
 聞き覚えのない声だ。
 だが、見覚えは、ある。
 暗視できるせいで、姿も鮮明に見えてしまう。
 
 フード姿の男女。
 
 ネセリックの坑道内には男しかいなかったが、あの時、外には女もいたのかもしれない。
 ディオンヌと一緒に、カサンドラを殺しに来た者たちだ。
 顔を合わせるのは、ほとんど1年振りと言えた。
 
(こいつらは、絶対にロキティスの手下だ……もしかして、シャノンと同じ中間種……? あいつは、ロキティスが中間種を使ってるって知ってんの? ロキティスが私を殺そうとしてる? でも、なんで? ロキティスには関わったことないのに……だったら、坑道の時も……フィッツが目的じゃなくて……私? 私を殺そうとして……)
 
 頭の中が、混乱している。
 気づけば、周囲はフード姿の者たちに囲まれていた。
 
 ちらっと、視線を壁のほうに向ける。
 そっちもフード姿が並んで立っていた。
 こっちと合わせれば、20人くらいになるだろうか。
 
(……どうしよう……力、使う? 人間相手ほどダイレクトに影響しなさそうだけど……)
 
 キャスは、フィッツのように、華麗に相手をあしらうことはできない。
 ザイードは腕輪の力で魔力を隠蔽しているので、魔物だと気づかれてはいないだけなのだ。
 外せば、たちまち魔物だと知れる。
 知れれば、監視室に見つかるのは間違いない。
 
 中間種で、人の純血種でないキャスは監視室に「感知」されずにすむ。
 が、ザイードは、魔物の純血種であるがゆえに引っ掛かかってしまう。
 おまけに壁だ。
 
 壁は、聖魔と魔物の判別をしてはくれない。
 
 ザイードが戦うために魔力を使えば、壁がどう反応するかわからなかった。
 そもそも壁は魔力を持つものを「人の国」に入ってくるのを防ぐためのものだ。
 同時に「人である者」を外に出さないためのものでもある。
 
(入る時は、ザイードが完全に魔力を抑制してて、人じゃないから無視されたんだろうけど……すでに中にいるって状態で壁が魔力に気づいたら……)
 
 少なくとも、来た時と同じようには壁を抜けられないだろう。
 問答無用で弾き出される可能性もあるが、その際、無事でいられる保証はない。
 肩が、大きく上下する。
 苦しいくらいに、心臓が鼓動を打っていた。
 
 どうする? どうすればいい?
 
 考えようとしているのに、頭には、なにも浮かばなかった。
 動かないキャスの前へと、フード姿が歩み寄って来る。
 その姿に、体が震え、後ずさりしそうになった。
 逃げ出したくなるのを、必死で我慢する。
 
「ザイード……私が囮になりますから、なるべく壁に近づいて……その間に、壁を……ザイードは、壁を越えて帰って……」
「そなたを置いてか?」
「私は……私も、後で帰ります……どうにかして、帰りますよ。でも、今は……ここを切り抜けることだけ考えないと……」
 
 『そなたを囮か人質にし、逃げに転ずるだけのこと』
 
 ザイードの同行を拒否したキャスに、ザイードが言った言葉を思い出していた。
 それが本心でなかったとしても、それしか手立てがない。
 彼らの目的は「カサンドラ」なのだ。
 というより「カサンドラを殺すこと」だ。
 
 だから、自分を追うのを優先し、ザイードのことは深追いしない。
 わかっている。
 
 きゅっと、お腹の辺りを手で掴んだ。
 落としたりなくしたりするのが嫌で、けれど、置いて行くのも嫌で、キャスは、あの薄金色のひし形を、服の内側に作ったポケットに入れている。
 ポケットはひし形を入れたあと縫い合わせたので、落とす心配はなかった。
 
「行ってください、ザイード。その袋の中身は……人語を解せる老体もいますし、時間があれば、理解できると思います。人は聖魔の精神干渉を遮断する技術を持ってません。まだ時間はあります」
 
 たとえ壁の外に出られても、人は聖魔の精神干渉から身を守る必要がある。
 だが、その技術が完成していないので、壁の外に出られずにいるのだ。
 魔力を感知することはできても、魔物と聖魔を区別することはできずにいる。
 壁ができたあと、魔力を持つものを皆殺しにした理由が、そこにあった。
 
(魔物は脅威じゃないけど聖魔は脅威。でも、見分けがつかないから、殺したんだ)
 
 おそらく、今も魔力を見分ける技術はできていない。
 
 カサンドラが産まれた約20年前でさえ、ラーザの技術をもってしても、魔力を隠蔽するにとどまっている。
 細かな設定はできなかったという証拠だ。
 ラーザでも無理だったことが、帝国で簡単に成せるとは思えない。

「ザイード、行って……私は、私で逃げますから」
 
 袋の中身を、ザッと見たが、図解が細かくされているものも多くあった。
 ザイードを始め、みんなで知恵を集めれば、理解できるようになる。
 同じ悲劇を繰り返したくないと、魔物たちだって必死なのだから。
 
「では、そなたは、あちらに向かって走るがよい」
「わかりました」
 
 フード姿の男女が作る輪に、少しだけ間隔の広い場所があった。
 キャスは、そこを目指し、一気に駆け出す。
 
 ザイードが魔力を使えないのと同じで、フード姿だって大きな魔力は使えないはずだ。
 シャノンのような中間種ばかりで構成された隊だと予測はついていた。
 こういう「汚れ仕事」を、ロキティスは中間種にやらせていたに違いない。
 
 捨て駒。
 
 フード姿たちは、それを知っているのだろうか。
 知っていても、従うしかないのだろうけれども。
 
「追え! 逃がすな!」
 
 ざぁっと、フード姿たちが、キャスのほうに集まって来る。
 どんな武器を使っても、痕跡は残るはずだ。
 あとから見分されれば、ロキティスの身が危うくなる可能性もある。
 きっと「誰か」に罪をかぶせる準備も整えているに違いない。
 
(ほんっと、腹黒……っ……あいつも、ロキティスの口車に乗せられて……っ)
 
 馬鹿野郎だ、と思った。
 
 カサンドラに、ティトーヴァの話を聞いた時から、彼女は「絶対に許さない」と決めており、それは今も変わっていない。
 自分に謝罪されても意味がないし、当事者にはもう詫びることもできないのだ。
 カサンドラが死んでしまった以上、ティトーヴァを赦せる者はいない。
 
(カサンドラに執着してるくせに、敵と味方の区別もついてないじゃんっ!)
 
 全力で走っていたキャスの前に、フード姿が、パッと現れる。
 急停止したところに、後ろを囲まれた。
 それぞれ、フードの袖口に手を入れている。
 なにかしらの武器を出そうとしているのだろう。
 
(……力、使えるのも一瞬だな……いっぺんに倒せなかったら……撃たれる)
 
 できるだけのことをしようとは、した。
 自分なりの精一杯だ。
 
 機械に強いわけでも、武器の扱いに長けているわけでも、博識でもない中、それでも、できることはやっている、と思う。
 キャスは、ぎゅっと、ひし形を両手で抱きしめた。
 
 バリバリッ! ボワッ!
 
 急に響いた大きな音に驚く。
 フード姿たちが、武器を手に倒れていた。
 ちりちりと金色の光が纏わりついている者、赤い炎に包まれている者とがいる。
 
「あ……っ……?」
 
 ひょいっと腰をかかえられていた。
 見上げれば、ザイードの、しれっとした顔があった。
 壁がザイードの魔力を無視したのか、ザイードの使った魔力がそれほど大きくなかったのか。
 キャスにはわからない。
 
「な、なんで……?」
「そなたを囮にした。奴らは余を侮っておったようだの。なに、殺してはおらぬ。ルーポとコルコが混じっておったのでな。効きの悪い、雷と炎の攻撃で、足止めをしたに過ぎぬ」
「ま、魔力を使ったら……」
「今、余の体に支障がないのは壁に悟られておらぬ証。ならば、また抑すればすむ。このまま壁を越えるゆえ……」
 
 言葉を止めたザイードに不穏なものを感じ、キャスは荷物のように抱えられたまま、周囲を見回した。
 
「カサンドラ!!」
 
 さっき罵ったばかりの「馬鹿野郎」が、ホバーレに乗って近づいて来ている。
 現皇帝ティトーヴァ・ヴァルキアの姿と、騎士たちだ。
 フード姿たちに囲まれるよりは、少しマシな状況になったと、キャスは思った。

「あれが帝国の皇帝だよ、ザイード。あいつとは、まだ話ができるはず」
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