いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

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 かこん。
 
 微かな手ごたえとともに、音もなく空間が現れた。
 さっきと同じくらい細い通路だ。
 
(あの横穴から抜ける時も狭かったよなぁ……フィッツ、私を抱っこしたまま、膝で這って進んでてさ……私の膝より自分の膝の心配しなよって……)
 
 ひとつひとつに、フィッツのことを思い出す。
 壁を造っている装置に近づいているからかもしれない。
 どうしてもラフロとの取引を想起させるのだ。
 そのたびに、フィッツだったらどうするか、フィッツならどう言うかを考える。
 
「キャス、道は覚えておるのでな。今日は、ここまでにしておくか?」
 
 ザイードの声に、意識が、ふっと引き戻された。
 
 確かに、何時間も歩き回って、疲れてはいる。
 とはいえ、キャスは、それほど時間が残されているとは思っていない。
 正直、今にも人が攻めてきそうな焦燥感に苛まれている。
 なので、やれることは、早目にすませておきたかった。
 
「せっかくですから、装置の場所を特定しておいたほうがいいと思います」
 
 言って、狭い道に入る。
 袋に入っていたものの中に暗視の目薬もあり、洞に入る前に使った。
 アイシャが手持ちの物を入れてくれたのか、複数あったので、念のため、持ってきていたのだ。
 
 おそらくミネリネに頼めば、そうした調整もできるのだろうが、そのためだけに呼びつけるのも申し訳ない気がした。
 調整してもらうと、元に戻してもらうにも、ミネリネに頼ることになる。
 言葉の力を使えば呼ぶのは簡単だし、ミネリネも苦にはしないだろう。
 それはわかっているのだが、意識の問題だ。
 
(無駄遣いする気はないけど、必要な時は使わないとだよね。取っておいたって意味ないんだから。それに、向こうが夜に仕掛けて来る可能性は低そうだしさ)
 
 魔物は夜目が効く。
 それは、向こうも知っているに違いない。
 むしろ、夜の戦闘では、人側は不利となる。
 
 魔物は、魔獣を狩るため、夜に動くことも多いのだ。
 視野も広く、遠くまで見渡せる。
 比べると、人間は長く戦闘をしていないし、夜に動くのも慣れていない。
 
(360度の視界を持ってる人なんて、そうそういないからね。私が、あの装置を使いこなせてたらなぁ。正確な位置や動きを伝えられるのに)
 
 またフィッツのことを考えていた。
 そうやって、一緒に生きていると感じる。
 
 なのに、恋しくて恋しくてたまらない。
 
 フィッツに「手を繋いで」と言いたくなる。
 と、同時に「手を繋げない」ことも実感せざるを得なかった。
 
(そう言えば、通信機器はあるのに拡声器はないんだよね。ネセリックの施設にも館内放送みたいなのはなさそうだったっけ。やっぱり身分制度のせいなのかなぁ。上から指図するだけで、聴衆に語りかけるって文化はないのかも)
 
 幻想と現実を、ごちゃ混ぜにして、キャスは気持ちを落ち着かせている。
 そうでもしていないと、すべてのことがどうでもよくなりそうなのだ。
 無意識に、心が崩れそうになるのを食い止めている。
 
「あ……」
 
 辿り着いた場所で、足を止めた。
 隣にザイードがいることに気づく。
 ザイードも驚いているらしい。
 その「装置」を見上げていた。
 
「……大きい、ですね……」
「そうだの……」
 
 それまでの細い通路が信じられないくらいに広い場所。
 設置されている「装置」は見上げるほどに大きい。
 あちこちが点滅しているので、きちんと稼働しているのがわかる。
 2百年以上も前に作られたものだとは思えなかった。
 
 近未来的なのか、時代錯誤な代物なのか。
 
 大型のスーパーコンピューターのような見た目に、圧倒される。
 機械にうといため、さわっていいところといけないところの見分けもつかない。
 壊してしまうのではないかと不安になり、近づくのも怖かった。
 
 もっとも、位置を確認したかっただけなので、近づく必要はないのだ。
 どうせ扱いかたもわからないのだから、眺めるだけにしておく。
 
「ザイードは道がわかってるんですよね?」
「領地内におるのでな。歩き回っても、どこかはわかる」
「じゃあ、ここって、どのあたりになります?」
「ぐるぐる回っておったが、結局、少し戻っておるゆえ……老体らが暮らしておる家の辺りになろう。老体らは、あえて、この上に住んでおるのかもしれぬ」
「有り得ますね」
 
 人ではないものを弾くため、壁は「魔力」を感知していると推測していた。
 しかも、純血種の魔力だ。
 血だけで判定すると、人の体を「借りて」いる聖魔を判別できない。
 その補完をするのに「純血種の魔力」を認識させている。
 
 ガリダの老体たちが、装置の上に住んでいるのが偶然とは思えなかった。
 なにか取り決めがされたのかは不明だが、意味があるのは確実だ。
 年老いたガリダの住処すみかとしておけば、今いる老体たちが死んだあとも、移り住むものは出てくる。
 自分たちの身内に家を譲る老体もいるだろうし。
 
(そうやって、この装置の存在は隠しつつ、壁を維持しようとしたのかも)
 
 この「装置」や「繁殖」については、影響の度合いが大き過ぎるので、現在は、おさにしか知らされていない。
 人との戦いがどうなるかによって、公にするかどうか判断することになっていた。
 その点については、キャスも納得している。
 
 自分は、所詮、よそ者なのだ。
 魔物の国のことは、魔物たちで決めるべきだった。
 人への憎悪が好戦的な感情と結びつくのは、わかりきっている。
 命を賭してもかまわないと考えるものも増えるはずだ。
 
 魔物の気質きしつからすれば、本当は、そのほうがいいのかもしれない。
 
 ノノマの言った「温情が窮地をまねく」との言葉は的を射ている。
 甘さが犠牲を生じさせることもあると、知っていた。
 ぎりぎりまで追い詰められれば、結局のところ、たがが外れる。
 
 自分がそうであったように。
 
 犠牲を出してから、つらい思いを味わってから、自分の甘さに気づいても遅い。
 フィッツを抱きしめ、叫んだ日のことを、キャスは忘れていなかった。
 
 あふれ出る怒りと憎悪、そして途方もない悲しみ。
 どんなにか、自分の甘さを悔やんだことか。
 
 だから、戦うべき相手に対しては、憎しみで甘さを切り捨てたほうがいいのではないかと思ってしまう。
 魔物たちにも、それぞれに大事に想う相手がいる。
 喪ってから悔やむということは、自分を責めることと同義なのだ。
 
(でも、私とザイードたちは考えかたが違うから……同じように感じるとは限らないよね。無理に憎ませる必要もないし……予定通りに行けば、そこまで酷いことにはならずにすむはず……)
 
 今回も含めて、繰り返し、人を退しりぞけ続けなければならない。
 対策されるのは当然なので、同じ手は何度も使えないだろう。
 なので、こちらも常に新しい作戦を考えることになる。
 
 いわゆる「いたちごっこ」だ。
 それでも、魔物側に撤退は有り得ない。
 少なくとも人側が「魔物との戦は簡単ではない」と認識するまでは。
 
 そうなって初めて「交渉」の余地ができる。
 停戦協定や不可侵条約といった条件の提示も可能となるだろう。
 どこまで守られるかは不透明だし、信用しきることもできない。
 が、魔物が、人との交渉相手として対等な存在だと認めさせるのが大事なのだ。
 
「戻りましょうか」
「そうさな。守らねばならぬ場所がわかっておればよいことだ。むやみに近づいて壊しでもしたら大事おおごとになる」
「私も、そう思ってました。仕組みはわかりませんけど、かなり複雑な機械に見えます。精密な機械ほど、ちょっとしたことで壊れますからね」
「キャスよ」
 
 ぽんっと、頭にザイードの手が乗せられている。
 いつものように、暖かかった。
 見上げた先に、細められた金色の瞳孔がある。
 
「皆が、壁により安心を得ておるのも事実。あればあったで頼ることも必要なのかもしれぬ。だが、以前、余が言うたことは、余の本音だ。壁がなくばないなりにやってゆくだけのこと。仮に壁が壊れたとて、そなたは気に病まずともよい」
 
 壁が壊れることに対しても、ザイードは「壊れるべくして壊れた」と、考えるのだと察しはついた。
 ほんの少し羨ましく感じる。
 物事や事象を、魔物は素直に受け止めるのだ。
 
(魔物なのに、なんか悟りを開いたお坊さんみたい)
 
 人は、その境地に至るまで修行を積むそうだが、魔物はそれを普通としている。
 自然から生じた生き物なので、この世界に起きる、あるがままを受け入れ易いのかもしれない。
 そんなふうに生きられる魔物を、羨ましいと感じる。
 
「それでも、みんなが安心できる環境は必要ですよね、今は、まだ……」、
 
 ヨアナも言っていた。
 2百年、平和に暮らして来たのだと。
 その平穏が続いて行くと、誰もが思っていたはずだ。
 
 もちろん、キャスのことは口実に過ぎず、ロキティスは魔物の国を再び「隷属」させようと目論んでいた。
 極端な話、「カサンドラ」という人物が存在していなくても、いずれ起きていた事態だと言えるのだ。
 
 だが、人が壁を越えて来るとの話だけで、魔物たちは衝撃を受けている。
 その上、壁自体が壊れることになれば、大きな混乱をまねくに違いなかった。
 信じていたものが崩れるのだ。
 平静でいられなくなってもしかたがない。
 
「何度か人を撤退させられれば自信もつくはずです。この装置は、壁がなくても戦えるっていう気持ちになれるまでは、必要じゃないですか?」
「そうさな。なにもかもを、急に塗り替えることはできぬ」
「だんだんに必要としなくなりますよ。そうならないと、いけないんです」
 
 ザイードと一緒に、その装置を見上げた。
 それから、あの細い道に戻る。
 今度は、道を覚えているザイードが前を歩いていた。
 
「そなたがついて来ておるのか気にかかるのでな」
 
 ザイードの手が差し出される。
 キャスは黙って、その手を握った。
 ふっという、安堵に似た感覚が広がる。
 それが、自分のものなのか、ザイードのものなのかは、わからなかった。
 
(フィッツの手は、私を守ってくれる手だった。私だけを守ってくれる手……でも、ザイードの手は、そうじゃないといいな。ザイードはガリダの長なんだから)
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