いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

理不尽さはとめどなく 4

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 ほんの少し混乱している。
 ゼノクルが、まだ立っているからだ。
 口の端には血がついている。
 まったく効果がなかったわけではないが、無力化できていない。
 
 アトゥリノの兵のように「壊れ」なかった。
 
 フィッツでさえ、ほんの少しの「言葉」で膝をついたのだ。
 ゼノクルがフィッツ以上の演算能力を持っているとは思えない。
 だが、理由は、あとで考えることにする。
 ぐずぐずしている暇はなかった。
 
 正直、ショックが大き過ぎて、逃げ出したくなっている。
 本気で、死にたかった。
 死んで、現実から逃げたかったのだ。
 
 けれど、それもできない。
 
 シャノンの後ろにいたのは、ゼノクル・リュドサイオ。
 そうではないかと思っていたが、これで、はっきりした。
 ロキティスと懇意だったので、中間種を手に入れることができたのだ。
 親衛隊長のセウテルは弟であり、ティトーヴァに近い位置にいる。
 
「お、セウテルか? ちゃんと聞こえてるよな? 聞こえてる? そうか」
 
 考えを読んだかのように、ゼノクルが耳に手をあてていた。
 きっと秘匿回線で、皇宮と連絡を取っている。
 状況は最悪だ。
 どちらかと言えば、魔物たちは防戦一方となっている。
 
 騎士たちの狂気じみた突撃に気圧されているのだ。
 もちろん魔物たちも必死になっている。
 必死で、戦っている。
 だとしても、心に戸惑いがあるのは否めない。
 
 人の「狂気」が、わからないのだ。
 
 魔物は、自然の摂理として「死」は受け入れる。
 死ぬ時は死ぬものだ、と思っている。
 だが「死にたい」とは、けして思わない。
 病や怪我、戦などの結果として「死」があるだけだ。
 
 ところが、人は、そうではない。
 あたかも「死」を目指すかのような動きをすることがある。
 死ぬかもしれないが、ではなく。
 死んだとしても、なのだ。
 
 突撃している騎士たちは、全員「死の覚悟」でもって亀裂を飛び越えている。
 
 そんな意識を、魔物たちが理解できるはずはない。
 わけがわからないと、戸惑い、混乱しているだろう。
 ダイスの焦った声からも、それはわかる。
 そのせいで、押され気味になっているのだ。
 
 騎士たちは狂気に汚染され、突撃することの意味など考えない。
 魔物を殺すことしか考えていない。
 対して、魔物たちは「どうして」を考えてしまう。
 そこに、大きな差が出るのだ、戦では。
 
「あのよぉ、ちっとまずいことになっちまってよ。お前に頼みがあんだけど? あ、そう? 準備できてる? さすが、俺の弟。兄想いで助かるぜ」
 
 軽い口調で、ゼノクルが話している。
 自分の力に対して、ゼノクルは耐性があるようだ。
 とはいえ、まったく無力というわけでもない。
 
(薬を使って治療したみたいだけど……何回も繰り返せば……)
 
 いずれは壊れる。
 壊れなくとも、大量出血で死ぬだろう。
 
 ゼノクルは、ここで仕留めておくべきだ。
 ロキティスも、やっぱり「駒」だった。
 ザイードの言っていた「盤面を動かす者」は、ゼノクルで間違いない。
 
「へえ。俺の場所もわかってんだな? 後ろにお前がいると心強ぇや」
 
 ゼノクルが、耳から手を離す。
 そして、キャスに視線を向けた。
 にやにやしている。
 嫌な感じだ。
 
「俺の弟、セウテルのことは知ってるだろ? あいつ、なんでだか、俺のことが好きみてぇでさ。後方支援をかって出てくれたんだよなぁ」
「後方支援……ほかにも部隊が来るってこと?」
 
 これ以上の軍勢に攻められると、いよいよまずい。
 冬だというのに、キャスの額から汗が流れた。
 
「そこは安心していいぜ? 無人だからな」
「無人? 人は乗ってないの?」
「そっちは、聖魔封じの装置がないもんでね」
 
 装置は、全部で5つ。
 ゼノクルの話からすると、ラーザの犠牲者は3百人にのぼる。
 その中には、アイシャの父と祖父もいた。
 きりっと歯が軋んだ。
 
「けど、武器を搭載してねぇわけじゃねぇぞ」
 
 人が、個々で使う武器は剣や銃だった。
 それらには、まだ対処のしようがある。
 ルーポは素早いので簡単には当たらないし、ガリダには硬い鱗があった。
 コルコなら熱を読み、銃の動力源を暴発させることもできる。
 
「とりあえず、自動小銃で、その後ろにいる奴らを皆殺しにすっか」
 
 ハッとなって、周りを見回した。
 ミネリネを筆頭に、ファニが、キャスを守るように取り囲んでいる。
 
 ファニたちは実体化していた。
 この状態でなければ「癒し」がほどこせない。
 けれど、この状態だと「攻撃を受ける」のだ。
 
(ファニがいないと、みんなの治療が……助かる命も助からなくなる……)
 
 とはいえ、キャスが力を使うと、否応なくファニが寄ってくる。
 これはファニの本能に近いので、抑制はできない。
 つまり、ファニを逃がすことは簡単だが、その後、キャスは力が使えなくなる、ということ。
 
「……ミネリネ……すぐに、みんなのところに戻ってください……治療が必要なものも大勢いるはずですから」
「でも、キャス……」
「ここにいたら、ミネリネたちも殺されてしまうんです」
 
 キャスはミネリネの手を握り、じっと水色の瞳を見つめた。
 その中の濃い青をした瞳孔が、スと狭まる。
 わかってくれたのだろう。
 小さく、うなずいてみせた。
 
「おやおやぁ、いいのかねえ。小娘、1人になっちまっても?」
「あんたに気遣ってもらう必要ないから」
 
 瞬間、キャスは目を伏せる。
 ぱあっと、辺り一帯に光があふれた。
 朝から始まった戦闘は長引いていて、夕日が真後ろまで降りてきている。
 
「……っ……のやろ……っ……目が……っ……」
 
 ゼノクルが腕で目を覆っていた。
 
 ファニは、光の調節ができるのだ。
 言葉にはしなかったが、ミネリネには伝わったらしい。
 キャスは夕日を背に、ゼノクルは正面にいた。
 その2人に向かって、ファニたちが一斉に光を歪めたのだ。
 
「ここにいると危険っていうのは変わってないので、早く!」
「キャス、あなたは、私たちをすぐに呼べるのだから、遠慮はなしよ?」
「ありがとうございます……みんなを、お願いしますね」
 
 しゅっと、ミネリネたちが消える。
 それぞれに、傷ついたものたちの元に向かったに違いない。
 キャスは、すぐにゼノクルに視線を戻した。
 まだ目は見えていないようだ。
 
 キャスは体を折り、地面に落ちていたものを掴む。
 即座に、引っ張った。
 ぎゃんっと声がする。
 
「シャノン! おい、小娘! そいつは俺のだって言っただろうが!」
「あんた、ロキティスより、まともだね。シャノンも捨て駒にしてるって思ってたけど、可愛がってるみたいじゃん」
 
 鎖を引っ張り、シャノンを引きずり寄せた。
 シャノンも、目をやられている。
 見えていないためか、やたらに耳を動かしていた。
 ゼノクルの声を頼りにしようとしているのだろう。
 
 キャスは、浴衣のような服にも装備ができる工夫をしていた。
 浴衣風の服にポケットも不似合いだったが、ノノマと服の改造をしたのだ。
 
 服の裾をはだけ、足に巻いた小型のナイフを取り出す。
 腰を締めているスカーフ風の布も、中に針金のようなものを入れていた。
 イホラにある強度の高い植物の蔓だ。
 これで拘束すれば、簡単には解けない。
 
「すぐにセウテルに連絡して」
「支援はいらねぇってか?」
「そうだよ。退いてくれるんなら、シャノンは解放する」
「ご、ご主人様……っ……駄目! 駄目、です……っ…」
「だとよ。俺の可愛いシャノンが、駄目って言ってんだぜ? 無理無理」
 
 ゼノクルの軽い口調に、怒りがわいてくる。
 ロキティスのしたことも許せない。
 ロキティスが「カサンドラ」を殺そうとしなければ、フィッツが死ぬようなことにはならなかったからだ。
 だが、そこでもゼノクルは動いていたに違いない。
 
 すべての元凶は、ゼノクル・リュドサイオ。
 
 にもかかわらず、ゼノクルには一片の罪の意識もないようだった。
 軽い口調に、にやにや笑い。
 楽しそうですらある。
 
 『お前のやることは? ご主人様を……楽しませること……』
 
 ダイスを通して、ゼノクルとシャノンがしていたやりとりだ。
 キャスは、確信する。
 
 ゼノクルは面白がっているのだ。
 
 彼女が帝国内を逃げ回っていたことも、その過程でフィッツが死んだことも。
 魔物の国を狙っていたロキティスが「聖魔封じ」にラーザの民を使ったことも。
 魔物たち、いや、騎士たちもが、戦場で死んでいることも。
 
 ゼノクルは、楽しんでいる。
 
 怒りが全身を纏っていた。
 殺すだけでは飽き足りない、とすら思う。
 
「そう……だったら、あんたに、もっと楽しんでもらえるようにしないとだね」
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