いつかの空を見る日まで

たつみ

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最終章 彼女の会話はとめどない

いくつも道があったとて 3

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 ティトーヴァは、心底、頭にきている。
 たった1人の男のせいで、交渉が台無しになったからだ。
 
 頭を下げることになったのは、気にしていない。
 だが、条件を「吹っかけられた」ことは、腹に据えかねている。
 せっかくの切り札が、ほとんど失われたと言えた。
 
 魔物が、成体より子を優先するのは、わかりきっていたのだ。
 解放する気など、さらさらなかった。
 命の保証をし、様子を見せてやるだけでも、交渉の条件としては十分だったと考えている。
 
 なのに。
 
 思い出しただけで、はらわたが煮えくり返った。
 ティトーヴァは、せめてもと、時間稼ぎを優先するほかなくなったのだ。
 魔物に交渉を蹴らせないため、想定以上の譲歩をしている。
 それが腹立たしくてならない。
 
「その男は、どうやって近衛騎士の服を調達したのでしょうか」
「それが、わからんのだ、ベンジー」
 
 ティトーヴァは、サレス公爵家で療養中の、ベンジャミンの元を訪れている。
 交渉に出かけている間に、ベンジャミンは医療管理室を出ていた。
 歩けるようになったので、家のほうが療養し易いとの理由からだ。
 どこまで回復できるかはわからないが、努力するつもりだと、言われている。
 
 ベンジャミンは、私室のベッドに横になっていた。
 立ち上がろうとしたのを、ティトーヴァが止めたのだ。
 代わりに、上半身を起こし、ティトーヴァと話している。
 ティトーヴァは、使用人が持って来た、不必要に豪奢なイスに座っていた。
 
 ベンジャミンに無理をさせる気はない。
 だが、戻って来てほしいとの気持ちが消せずにいた。
 セウテルの立場も慮らなくてはならないので、側近にすることはできなくても、専任の護衛として側に置くことはできる。
 
 今しがた、どうにも怒りが抑えきれず、ベンジャミンに内心を吐露した。
 それだけでも、ティトーヴァは落ち着きを取り戻せるのだ。
 セウテルとの距離も縮まってはいる。
 だが、やはり付き合いの長いベンジャミン以上の相手はいなかった。
 
「その男は、帝国に着いて間もなく死んだ」
「死んだ? 自害したのですか?」
「いや……おそらく毒だと思う」
「調べさせても、わからなかったという……?」
 
 ティトーヴァは、憂鬱になりながら、うなずく。
 そう、あの男は死んでしまった。
 なので、事の全容が明らかにできないのだ。
 騎士服の調達先さえ探し出せていない。
 
「しかし、なぜ毒だとわかったのですか?」
「気づいたら死んでいた。見張りの騎士は、眠っていると思っていたらしい」
「では、自然死ということもありえるでしょう?」
「遺体を見分したところ、体に異変がまったく見られなかったのだ」
「そういう死にかたもあると聞いたことがあります。体に不調のなかった者が、突然、死んでいたと……それとも異なるのでしょうか」
 
 ティトーヴァも散々に調べさせた。
 
 交渉については、秘匿中の秘匿事項だ。
 誰でもが知っていたわけではない。
 そして、近衛騎士隊に与えられる服のこともある。
 あの男だけで成せたとは、とても思えなかった。
 
「遺体には、1箇所、不審な点があった」
 
 後ろで操っていた者がいると、ティトーヴァは確信している。
 そのため、遺体も徹底して調査させた。
 繰り返し同じ報告しか上がって来ないことに苛立ち、最後にはティトーヴァ自身が見分しに行ったのだ。
 
「遺体検案室の奴らを、全員、罰しようかと思ったぞ」
「陛下、彼らは一般的な遺体しか見分したことがないのです。通り一遍のことをしただけで、役目を果たしたと思っていたのでしょう」
「それが不愉快なのだ。素人の俺が気づくようなことに、なぜ気づかんのだ」
 
 ベンジャミンが、小さく笑った。
 まだ弱々しい雰囲気はあるが、表情があることに安心する。
 まばたきもせずベッドに横になっていた姿を見てきたせいだ。
 あの時から比べると、ずっと良くなっている。
 
「陛下は、なんでもよく気づかれるではないですか。比較するのは酷ですよ」
「そうかもしれない。まぁ、そういうわけで、遺体に小さな赤い点があるのを、俺は見つけた。調べさせたら、発疹のようなものだとわかってな」
「発疹、ですか?」
「体質に合わないものを食べた時などに出るらしい」
「帝国に帰る前に食べたものが原因だったのなら、交渉の場に赴いた騎士の中に、首謀者もしくは手先がいたことになります」
 
 ベンジャミンが、そう考えるのもわかる。
 引き渡されてからは、帝国側が最低限の食べ物と水を与えていたからだ。
 食事など与える必要はないと言う者もいたが、情報を引き出すため生かすことを優先させた。
 
「陛下、魔物の国で、おかしなものを口にしたということは……」
 
 ティトーヴァは、首を横に振る。
 同じ理由で、騎士たちの疑いが晴れていた。
 
 というのも、その男が最後に食事をしたのは、交渉日の3日も前。
 引き渡された時、男はからの水筒を持っていたので、魔物の国では水も口にしていなかったとわかる。
 そして、結局、与えられた食事に手をつける前に死んでしまったのだ。
 
「つまり……なにもわからん、ということだ、ベンジー」
 
 実のところ、この結果には、腹立ちとともに、かなり落胆していた。
 その男は、絶対に誰かに操られていたのだ。
 金で雇われていた可能性もある。
 にもかかわらず、髪の毛の先ほどの手かがりもない。
 
「身元も不明なのですか?」
「わかるようなものを、なにも持っていなかったからな。いや……待て……」
 
 ベンジャミンと話していて、情報の整理がついた。
 それにより、思い出したことがあったのだ。
 
「これだから、お前と話すのは有意義なのさ」
「どういう意味でしょう? 私は、なにもしていませんが?」
「俺にとっては違う。お前がいてくれるだけで気が楽になり、それが良いほうに向かう。早速、動かなければならん」
 
 ティトーヴァは立ち上がり、ベンジャミンの肩に手を置く。
 緑色の瞳に、笑いかけた。
 
「養生しろと言いながら、お前に頼ってばかりですまんな」
「まだ私が役に立てるのであれば、なんなりと」
「ベンジー……すぐでなくてもいい。だが……必ず戻って来い」
「……陛下……感謝いたします……」
「感謝などいらん。お前は、俺の、たった1人の友なのだ」
 
 いつも、ベンジャミンだけが、ティトーヴァの心に寄り添ってくれた。
 父から母のしたことを聞かされ、カサンドラに去られ、絶望していた時、本意でないと言いつつもベンジャミンはティトーヴァを鼓舞してくれている。
 
 その上、ティトーヴァのカサンドラへの想いを汲み、1人でラーザに向かった。
 帝位を継ぐことに専念できるように、との思いを残して。
 
「いつまでも待っているからな、ベンジー」
「わかりました、陛下。早く戻れるように努力しますよ」
 
 うなずいて、肩から手を離す。
 また来ると言い、ベンジャミンの私室を出た。
 
 すぐにセウテルと連絡を取る。
 もちろんサレス邸の別部屋にいるので合流はすぐできるのだが、一刻も早く手を打ちたかったのだ。
 
「魔物の国に使者を出せ。すぐにだ」
「かしこまりました。中間種の管理は、主にルティエ卿がしておりますので、彼に連絡を……」
「親衛隊でなんとかならんのか?」
「可能ですが……」
「このことはアルフォンソには話すな。ただでさえベンジーと会えていないのだ。帝国から出れば、よけいにサレスから遠ざけられてしまうだろ」
 
 近いうちに、サレス公爵家に圧力をかけるつもりでいた。
 
 アルフォンソが、再三、訪問を申し入れているにもかかわらず、いっこうに承諾してもらえずにいるらしい。
 アルフォンソの出自とサレスの醜聞など、2人には関係ないことだ。
 弟が兄に会うのに、どんな許可が必要か、と思う。
 
「かしこまりました。話を聞けばルティエ卿も気が引けるでしょうし、この件は親衛隊のみで動きます」
「そうしろ」
 
 別部屋から出て来たセウテルと合流し、サレス邸を出た。
 ティトーヴァが思い出したのは、最も基本的なことだ。
 
 男は、魔物の国を襲った。
 
 交渉の場で、魔物が狙撃されている映像を、ティトーヴァは目にしている。
 炎により魔物は身を守っていたので、傷ひとつ負ってはいない。
 それでも、攻撃は攻撃だ。
 あまりに当然に過ぎて、頭から抜け落ちていた。
 
「施設について、変更されることがおありでしょうか?」
 
 魔物の出した2つ目の条件。
 そのために、ラーザのあった辺りに、魔物の居住施設を作る予定にしている。
 簡易なものでもかまわないと言われていた。
 
 立派な施設より速度重視ということだろう。
 なにしろ、設置までの期限は、1ヶ月。
 堅固な施設を作ることは、とても無理だ。
 監視をしにくくする目的もあるに違いない。
 
「いや、建設は予定通り進めろ。それとは別件だ」
 
 男を操っていた者の手がかりを掴む。
 それが、今回の使者の目的だった。
 魔物側がどう判断するかはわからないが、断る理由もないはずだ。
 交渉を決裂させたかもしれない者の調査なのだから。
 
「中間種と親衛隊の騎士何名かを、魔物の国に向かわせます」
「いや……中間種だけを送れ」
「かしこまりました」
 
 人間がついて行けば警戒される。
 最初の使者と同じく、中間種だけのほうが受け入れられ易い。
 
(魔物は中間種を同胞とは見做みなしていない。だが、使者であれば殺しもしない)
 
 そして、魔物の国にとどまれない以上、中間種は帝国に帰るしかなかった。
 最初の使者は、死にそうになりながらも、帝国に戻ったのだ。
 
 聖魔けになると判断できたため、とりあえず生かしている。
 今度は必ず帰って来させなければならないので、食料を渡すように指示しておくことにした。
 
「とにかく急げ。秘匿通信装置をつけるのを忘れるなよ」
 
 セウテルが忘れるはずはなかったが、念押しをしておく。
 とにかく気がせいていたのだ。
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