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後編
さよならをする前に 3
しおりを挟むサマンサは、ベッドに座っている。
リスを膝に抱きかかえていた。
レジーは、外に出ている。
部屋には、リスと2人きりだ。
「リス……もうすぐ……」
言葉が詰まって、声が出ない。
リスを手放さなければならないのが、寂しくてたまらなかった。
そして、悲しい。
「ん……サムと……お別れ、でしょ……?」
見上げてくる瞳に、胸が詰まる。
思わず、リスを抱き締めていた。
「あなたのことが大好きよ、リス」
「……知ってる……サムからは……見捨てられて、ない……」
「そうよ。でも、私の傍にいると、危ないから……」
少し体を離し、リスの頬を両手でつつんだ。
こうしてふれていられるのも、あと少し。
「……サムは……死なない……?」
「死なないわ。私は、大丈夫。レジーも守ってくれる」
こくりと、リスがうなずく。
それから、きゅっと抱きついてきた。
すりすりと、顔をサマンサに摺り寄せてくる。
「サムは、大好きって……言ってくれた。頭も撫でてくれて……口づけも……してくれて……サムみたいな人……いるんだね……」
「ほかにも、いるわよ。リスを大事に思ってくれる人が、きっといる」
まだ、ひと月にもならない。
なのに、リスが、とても愛おしかった。
自分の手を離れて行くのだと思うと、つらくなる。
迎えは、明日には来るのだ。
正式な連絡が、レジーに入ったと聞かされている。
せめて、リスに「さよなら」ができるのを喜ぶべきだと思った。
ひた。
リスが、サマンサの頬に手をあててくる。
少し心配そうな表情をしていた。
だが、それはリス自身に対する「心配」ではない。
サマンサが寝込んでいた時と似た顔つきだったので、わかる。
リスは、サマンサの心配をしているのだ。
気づいて、サマンサは、微笑んでみせる。
自分が寂しがれば、リスにも伝播するに違いない。
「サム……」
小さな手が頬から離れ、サマンサの髪を掴む。
ほんのわずかに、引っ張られた。
痛くともなんともない程度の力だった。
以前、サマンサが言ったことを覚えていたようだ。
「大好きよ、リス」
こくりと、リスがうなずく。
それから、顔を上げ、サマンサに言った。
「……いい子は……もう、いい?」
「ええ。いい子をやらなくてもいいのよ」
もちろん悪い子になれ、とは思っていない。
だが、無理に「いい子」でいようとしなくてもいいのだ。
リスに必要なのは愛情であって、役割ではない。
(キースリーの分家に、そういう人がいればいいけれど)
仮に、手に負えなくなったら、レジーが引き取ると言っていた。
サマンサも、本音を言えば、リスに戻って来てほしい。
3人で暮らせればいいのに、と思い続けている。
だとしても、それがリスにとっていいことだとは、言い切れずにいた。
リスは、ウィリュアートンの後継者だ。
これから、苦しいことやつらいことも、たくさんあるだろう。
それを、乗り越えていかなければならない。
庇うことは簡単だ。
居心地のいい暮らしだけを与えることも、できなくはないだろう。
(だけど、それでは、リスから、自分を守る力をつける機会を奪ってしまう)
サマンサは知っている。
記憶はないが、体が覚えているのだ。
彼女は、自分の心が弱くないとの自覚がある。
だからこそ、まだ人を信じられた。
前を向くこともできた。
「逃げたくなったら、ここに来ればいいわ。でもね、あなたと本当に仲良くなろうとする人を探してほしいの。必ず、いるはずよ」
リスがなにをしても「悪い子」であっても、許してくれる人。
大事に思ってくれる人。
そういう人がいれば、リスは、今よりずっと強くなる。
したたかに、前向きに生きていけるはずだ。
相手の心を読み過ぎて、自分の心を傷つけてしまうほどの頭の良さも、いずれ武器になる。
「少なくとも、ここに1人いるってことを、忘れないでね」
「……わかった……頑張って、みる……」
本来的には、リスに愛情をそそぐのは両親が望ましい。
無償の愛というのは、家族から与えられるべきものだ。
とはいえ、絶対そうでなければならないものでもなかった。
実際、リスの両親は、リスを愛さずにいる。
レジーは理由を知っていたようだが、サマンサは聞いていない。
同情なんてしたくもなかったし、理解だってしたくはなかったからだ。
どういう理由があったとしても、幼いリスを傷つけていることを許容できない。
親の事情を子供にかぶせるのは、理不尽に過ぎる。
必死で、サマンサにしがみついてきたリスを思い出した。
必要とされるため、一生懸命になっている姿に、胸を打たれたのだ。
その姿は、ひどく痛々しくて、健気で、愛おしかった。
サマンサは、リスの頬に口づけを落とす。
それから、ゆっくりと、繰り返し頭を撫でた。
「本当のことを話すわ」
「……本当のこと……」
「そうよ。本当はね。あなたに私が必要だったのじゃなくて、私に、あなたが必要だったの。リスがいてくれて、私は心強かったわ。独りじゃないって思えた」
「ひとり……サムは、ひとりだった?」
「わからないの。でも、そういう気持ちだったのよ。でも、リスがいてくれたから、私は強くいられた。明日も、楽しい日が来るって信じられたわ」
目が覚めた時、リスが大泣きする理由が、サマンサには、わかる気がしていた。
周りには誰もいなくて、ぽつんと自分だけがベッドにいる。
独りぼっち。
置いて行かれたと、見捨てられたという感覚に、なぜか覚えがあった。
役立たずな厄介者であり、誰からも振り返ってもらえない。
そんな気持ちになる。
リスが、きゅっと、サマンサに抱きついてきた。
サマンサも抱きしめ返す。
「……サムが……着替えを、手伝ってくれるから……じゃない……」
「え……?」
「サムが……サムだから……」
顔を上げ、リスは、サマンサに、にっこりしてきた。
見たこともない、明るい笑顔だ。
「サムが、大好きなんだよ」
瞳が潤むのを感じる。
リスと離れて暮らすことになっても、絶対に忘れることはない。
リスの笑顔も、くれた言葉も。
「私も……リスがリスだから、大好きよ」
リスが膝立ちになり、小さな手で、サマンサの頬をつつむ。
そして、額に口づけてきた。
涙が、ぱたぱたっとこぼれ落ちる。
寂しいのか、嬉しいのか、判然としなかった。
おそらく。
サマンサは、ぎゅっと、強くリスを抱き締める。
そのぬくもりに顔をうずめた。
(……きっと、リスは……大丈夫ね……)
もうリスと会うことはない。
そう思った。
新しい環境に馴染むためには、自分がいてはいけないのだ。
忘れられるのであれば、忘れてしまったほうがいい。
嫌な記憶、つらい経験と一緒に。
「……サム……?」
サマンサは、涙を抑える。
引き留めてはいけないと、感じた。
リスも「新しい自分」になる必要がある。
「ねえ、リス。少し外に出ましょうか。ずっと家の中にいると退屈だものね」
こくっと、リスがうなずいた。
新しい自分を手に入れたリスは、どんなふうに成長するだろう。
今は、たどたどしい口調だけれど、意外に口達者になるかもしれない。
頭のいいリスのことだから、相手をやりこめるなんて造作もなくなるだろう。
ベッドから降りて、リスの手を引く。
残された時間を、笑顔で過ごすのだ。
いつか忘れられるとしても、泣き顔で終わらせたくはなかった。
せっかく、リスが、とてもいい笑顔を見せてくれたのだから。
部屋から出ると、ソファに座っていたレジーが振り返る。
目で「大丈夫」と伝えた。
レジーも、小さくうなずく。
「ちょっとだけ外に出てもいいかしら?」
「おー、ずっと籠り切りじゃ気が滅入る。気晴らしもしねぇとな」
レジーが立ち上がった。
3人で家を出る。
大気は冷たく、空は濁っていた。
だが、サマンサは、リスと顔を合わせ、にっこりと微笑み合う。
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