上 下
111 / 164
後編

さよならをする前に 3

しおりを挟む
 
 サマンサは、ベッドに座っている。
 リスを膝に抱きかかえていた。
 レジーは、外に出ている。
 部屋には、リスと2人きりだ。
 
「リス……もうすぐ……」
 
 言葉が詰まって、声が出ない。
 リスを手放さなければならないのが、寂しくてたまらなかった。
 そして、悲しい。
 
「ん……サムと……お別れ、でしょ……?」
 
 見上げてくる瞳に、胸が詰まる。
 思わず、リスを抱き締めていた。
 
「あなたのことが大好きよ、リス」
「……知ってる……サムからは……見捨てられて、ない……」
「そうよ。でも、私のそばにいると、危ないから……」
 
 少し体を離し、リスの頬を両手でつつんだ。
 こうしてふれていられるのも、あと少し。
 
「……サムは……死なない……?」
「死なないわ。私は、大丈夫。レジーも守ってくれる」
 
 こくりと、リスがうなずく。
 それから、きゅっと抱きついてきた。
 すりすりと、顔をサマンサに摺り寄せてくる。
 
「サムは、大好きって……言ってくれた。頭も撫でてくれて……口づけも……してくれて……サムみたいな人……いるんだね……」
「ほかにも、いるわよ。リスを大事に思ってくれる人が、きっといる」
 
 まだ、ひと月にもならない。
 なのに、リスが、とても愛おしかった。
 自分の手を離れて行くのだと思うと、つらくなる。
 
 迎えは、明日には来るのだ。
 
 正式な連絡が、レジーに入ったと聞かされている。
 せめて、リスに「さよなら」ができるのを喜ぶべきだと思った。
 
 ひた。
 
 リスが、サマンサの頬に手をあててくる。
 少し心配そうな表情をしていた。
 だが、それはリス自身に対する「心配」ではない。
 サマンサが寝込んでいた時と似た顔つきだったので、わかる。
 
 リスは、サマンサの心配をしているのだ。
 気づいて、サマンサは、微笑んでみせる。
 自分が寂しがれば、リスにも伝播するに違いない。
 
「サム……」
 
 小さな手が頬から離れ、サマンサの髪を掴む。
 ほんのわずかに、引っ張られた。
 痛くともなんともない程度の力だった。
 以前、サマンサが言ったことを覚えていたようだ。
 
「大好きよ、リス」
 
 こくりと、リスがうなずく。
 それから、顔を上げ、サマンサに言った。
 
「……いい子は……もう、いい?」
「ええ。いい子をやらなくてもいいのよ」
 
 もちろん悪い子になれ、とは思っていない。
 だが、無理に「いい子」でいようとしなくてもいいのだ。
 リスに必要なのは愛情であって、役割ではない。
 
(キースリーの分家に、そういう人がいればいいけれど)
 
 仮に、手に負えなくなったら、レジーが引き取ると言っていた。
 サマンサも、本音を言えば、リスに戻って来てほしい。
 3人で暮らせればいいのに、と思い続けている。
 だとしても、それがリスにとっていいことだとは、言い切れずにいた。
 
 リスは、ウィリュアートンの後継者だ。
 これから、苦しいことやつらいことも、たくさんあるだろう。
 それを、乗り越えていかなければならない。
 庇うことは簡単だ。
 居心地のいい暮らしだけを与えることも、できなくはないだろう。
 
(だけど、それでは、リスから、自分を守る力をつける機会を奪ってしまう)
 
 サマンサは知っている。
 記憶はないが、体が覚えているのだ。
 彼女は、自分の心が弱くないとの自覚がある。
 だからこそ、まだ人を信じられた。
 前を向くこともできた。
 
「逃げたくなったら、ここに来ればいいわ。でもね、あなたと本当に仲良くなろうとする人を探してほしいの。必ず、いるはずよ」
 
 リスがなにをしても「悪い子」であっても、許してくれる人。
 大事に思ってくれる人。
 
 そういう人がいれば、リスは、今よりずっと強くなる。
 したたかに、前向きに生きていけるはずだ。
 相手の心を読み過ぎて、自分の心を傷つけてしまうほどの頭の良さも、いずれ武器になる。
 
「少なくとも、ここに1人いるってことを、忘れないでね」
「……わかった……頑張って、みる……」
 
 本来的には、リスに愛情をそそぐのは両親が望ましい。
 無償の愛というのは、家族から与えられるべきものだ。
 とはいえ、絶対そうでなければならないものでもなかった。
 実際、リスの両親は、リスを愛さずにいる。
 
 レジーは理由を知っていたようだが、サマンサは聞いていない。
 同情なんてしたくもなかったし、理解だってしたくはなかったからだ。
 どういう理由があったとしても、幼いリスを傷つけていることを許容できない。
 親の事情を子供にかぶせるのは、理不尽に過ぎる。
 
 必死で、サマンサにしがみついてきたリスを思い出した。
 必要とされるため、一生懸命になっている姿に、胸を打たれたのだ。
 
 その姿は、ひどく痛々しくて、健気で、愛おしかった。
 
 サマンサは、リスの頬に口づけを落とす。
 それから、ゆっくりと、繰り返し頭を撫でた。
 
「本当のことを話すわ」
「……本当のこと……」
「そうよ。本当はね。あなたに私が必要だったのじゃなくて、私に、あなたが必要だったの。リスがいてくれて、私は心強かったわ。独りじゃないって思えた」
「ひとり……サムは、ひとりだった?」
「わからないの。でも、そういう気持ちだったのよ。でも、リスがいてくれたから、私は強くいられた。明日も、楽しい日が来るって信じられたわ」
 
 目が覚めた時、リスが大泣きする理由が、サマンサには、わかる気がしていた。
 周りには誰もいなくて、ぽつんと自分だけがベッドにいる。
 
 独りぼっち。
 
 置いて行かれたと、見捨てられたという感覚に、なぜか覚えがあった。
 役立たずな厄介者であり、誰からも振り返ってもらえない。
 そんな気持ちになる。
 
 リスが、きゅっと、サマンサに抱きついてきた。
 サマンサも抱きしめ返す。
 
「……サムが……着替えを、手伝ってくれるから……じゃない……」
「え……?」
「サムが……サムだから……」
 
 顔を上げ、リスは、サマンサに、にっこりしてきた。
 見たこともない、明るい笑顔だ。
 
「サムが、大好きなんだよ」
 
 瞳が潤むのを感じる。
 リスと離れて暮らすことになっても、絶対に忘れることはない。
 リスの笑顔も、くれた言葉も。
 
「私も……リスがリスだから、大好きよ」
 
 リスが膝立ちになり、小さな手で、サマンサの頬をつつむ。
 そして、額に口づけてきた。
 涙が、ぱたぱたっとこぼれ落ちる。
 寂しいのか、嬉しいのか、判然としなかった。
 
 おそらく。
 
 サマンサは、ぎゅっと、強くリスを抱き締める。
 そのぬくもりに顔をうずめた。
 
(……きっと、リスは……大丈夫ね……)
 
 もうリスと会うことはない。
 そう思った。
 
 新しい環境に馴染むためには、自分がいてはいけないのだ。
 忘れられるのであれば、忘れてしまったほうがいい。
 嫌な記憶、つらい経験と一緒に。
 
「……サム……?」
 
 サマンサは、涙を抑える。
 引きめてはいけないと、感じた。
 リスも「新しい自分」になる必要がある。
 
「ねえ、リス。少し外に出ましょうか。ずっと家の中にいると退屈だものね」
 
 こくっと、リスがうなずいた。
 新しい自分を手に入れたリスは、どんなふうに成長するだろう。
 今は、たどたどしい口調だけれど、意外に口達者になるかもしれない。
 頭のいいリスのことだから、相手をやりこめるなんて造作もなくなるだろう。
 
 ベッドから降りて、リスの手を引く。
 残された時間を、笑顔で過ごすのだ。
 いつか忘れられるとしても、泣き顔で終わらせたくはなかった。
 せっかく、リスが、とてもいい笑顔を見せてくれたのだから。
 
 部屋から出ると、ソファに座っていたレジーが振り返る。
 目で「大丈夫」と伝えた。
 レジーも、小さくうなずく。
 
「ちょっとだけ外に出てもいいかしら?」
「おー、ずっと籠り切りじゃ気が滅入る。気晴らしもしねぇとな」
 
 レジーが立ち上がった。
 3人で家を出る。
 大気は冷たく、空は濁っていた。
 だが、サマンサは、リスと顔を合わせ、にっこりと微笑み合う。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

Close to you 可愛い女の子達は海斗を求めた

青春 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:6

離婚、しますか

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:3

体質系?異世界召喚者、また召喚され、怒る

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:272

チートな親から生まれたのは「規格外」でした

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:773pt お気に入り:521

花の香りに誘われて

BL / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:461

私も、大好きだよ。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:6

僕とあなたの地獄-しあわせ-

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:250

処理中です...