理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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第1章 暗い闇と蒼い薔薇

話相手はウサちゃん 3

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 昨日は、ひどい目に合った。
 散々だった。
 レティシアを見つけられたのは、上々の滑り出しだったのかもしれないが。
 
 昨夜は小さな穴に身を潜めて過ごしている。
 彼女の言った「他の動物に食べられる」は、ユージーンも危惧していたことだからだ。
 
 今のユージーンは、魔力を持たず魔術も使えない。
 覚えのあった剣の腕も、ふるうための腕がない。
 はっきり言って、最弱状態なのだ。
 彼女の腕から逃れることさえできかねたのだから。
 
(あの娘……俺をなんだと……いや、ウサギではあるが……それにしても……)
 
 あんなふうに、何度も頬をすりつけられてはかなわない。
 レティシアの心を諦めると決断したユージーンからすれば地獄だ。
 つい、うっかり、そのことを忘れそうになる。
 
 レティシアが頬ずりをしたのは、あくまでもウサギ。
 自分に対してではない。
 
 いくら言い聞かせても、相手は好きな女性。
 冷静さを保つことなどできなかった。
 
(散々やめろと言ったのだが……少しも通じんとは……この体は不自由だ)
 
 怒鳴ってみても、鼻がピスピスいうばかり。
 まったく伝わらないどころか、勝手な解釈までされる始末だ。
 ユージーンはニンジンが大嫌いなのに。
 
(まさか……本気で持って来る気ではなかろうな……俺が反論できぬのをいいことに……)
 
 非常に嫌な予感がする。
 
 もちろんユージーンも、ちゃんと料理されたものであれば食べなくもない。
 しかし、彼女は「野菜」と言った。
 その上、今、自分はウサギだ。
 しかも、彼女が差し出すものを拒否できる自信もない。
 
(……おのれ……もし俺に人参を食わすようなことがあれば……正妃にしたあと、俺の嫌いなものを何から何まで覚えさせてやる……)
 
 彼女が、あれを約束だと思っているかはともかく。
 
 ユージーンは昨日と同じ場所に来ていた。
 レティシアの座った石の周りを、ウロウロと歩き回っている。
 いつ来るのか、というより来るのかどうかさえわからないのだが、ここで待つしか出来ることがない。
 大公はもとより執事も元魔術騎士だという。
 もし一緒に来るようなことがあれば、身を隠すつもりでいた。
 
(これで、どうやって連れ出せというのだ……あまり時間はないのだぞ)
 
 数日間が、2日なのか3日なのか、はたまた5日なのか、判然としない。
 薬が切れることはないにしても、魔力が戻ったら一巻の終わりだ。
 他の動物に食べられる以前、大公に黒焦げにされるだろう。
 
 自分の果たすべき役割はわかっていた。
 それに、これはすべて己のためなのだ。
 レティシアを正妃とし、王位を継ぐためにユージーンはここにいる。
 さりとて、彼女を領域内から連れ出す名案は浮かんで来ない。
 
(しかし、連れ出さねば既成事実も作れん……サイラスは準備をして俺を待っているのだろうしな)
 
 せっかくのお膳立てを、また台無しにすることになる。
 そして、彼女を手にいれる機会も永遠に失うのだ。
 
 きゅっと胸が痛む。
 すでに、それはユージーンにとって馴染みのある痛みとなっていた。
 彼女を失うと思うたび、感じてきた感覚だからだ。
 
「あ! ウサちゃんっ!」
 
 びくっとして、声のほうを見る。
 執事を伴っていたら一目散で逃げるつもりでいた。
 が、彼女は1人のようだ。
 
 ユージーンには、それが信じられない。
 ここから連れ出そうとしているにもかかわらず、あまりにも無防備過ぎるのではないかと眉をひそめる。
 もっとも今のユージーンはウサギなので、ひそめる眉はないのだけれど。
 
「この辺りに巣があるのかな? ほら、おいで、おいで~」
 
 むむぅと、なにやら釈然としない気分にはなるが、しかたがない。
 しゃがみこんだ彼女の足元に、ゆっくりと近づいた。
 また抱き上げられてはかなわないと、距離を取るつもりだったのに。
 サッと距離を詰めてきたレティシアに、あっさり抱き上げられる。
 
(なぜ、そうやってすぐに……わざわざ抱き上げずとも話はできるだろう!)
 
 ウサギは話などできない。
 
 だが、ウサギのナリはしていても、中身は違う。
 まるで自分が小さくなって、いや、実際に小さいのだけれど、子供のように抱き上げられている気分になるのが嫌だった。
 正直に言えば、嫌というより恥ずかしいのだ。
 
 王太子人生22年の中で、抱き上げられた記憶は、ほとんどない。
 3歳より前の記憶はうすぼんやりしていたし、サイラスが抱き上げてくれたのも最初の内だけだった。
 体調が戻ってからは、いつもそれなりに距離があったように思う。
 いくら子供でも、王太子と側近という間柄なので、当然のことだ。
 今だってサイラスは、けしてイスに座ろうとはしない。
 
「いやぁ、会えてよかったよー! 今日も、ふっさふさだねー」
(だから、よせと言っている! 俺に頬ずりをするな!)
 
 ぴすぴすぴす。
 
 いくら鼻を鳴らしたところで、レティシアにユージーンの意思が伝わるはずはなかった。
 彼女は、完全にユージーンをウサギだと思っている。
 誰かが変化へんげした姿かもしれないなどと疑ってもいないのだ。
 ともも連れず、森を歩き回るなんて危険だとは思わないのだろうか、と連れ出そうとしている本人ですら思ってしまう。
 
「今日は、いいもの持ってきたんだー」
 
 ぎくり。
 
 ユージーンは、レティシアの腕の中で、そうっと顔をそむけた。
 嫌な予感ほど、よく当たる。
 レティシアが嬉しそうにポケットから橙色のものを取り出した。
 
「じゃーん! ウサちゃんには、やっぱりコレだよねー」
(ぐ……ぐ、ぐ……やはり持ってきおったか、この……)
 
 口元に差し出されたのは、目にも鮮やかな橙色のニンジン。
 ユージーンの最も嫌いな野菜ナンバーワン。
 王太子として好き嫌いは許されないが、大人になればそれなりの偏食も隠せるようになっていた。
 好き嫌いではなく、「上手うまい」「不味まずい」との言い換えで。
 
「ん? 今日はあんまりお腹減ってない?」
 
 ちょっぴりがっかりしたような声に、覚悟を決める。
 体が、ふるっと震えた。
 料理されたものではないにしろ、彼女が自分のために用意したものであるのには違いない。
 しかも、そんなふうにがっかりした声を出されたのでは、拒否もできなかった。
 
(食べればいいのだろう、食べれば! 今回だけだ! 俺は人参なんぞ、二度と食べぬからな! 覚えていろ!)
 
 ぴすぴすと鼻を鳴らしたあと、ガジっと人参に食いつく。
 涙を流せる目があったら、泣いていたかもしれない。
 なんという不味さだろう。
 生まれてこのかた、こんなに不味いものは食べたことがない。
 やたらに土くさいし、固いし、変に甘いし。
 
「採れたてだからね。美味しいでしょー?」
(ものすごく不味い! こんなものをお前は食べているのかっ?!)
 
 採れたてだかなんだか知らないが、不味いこと、この上もなかった。
 驚きの不味さだ。
 
 それでも、必死に齧り、飲み込んでいく。
 本当は、変化中には食事の必要なんてない。
 必要もないのに、ユージーンは大嫌いな野菜を食べていた。
 彼女を喜ばせるためだけに。
 
「もっと持ってくればよかったかも」
(……ふざけるな。これ以上、食わされてたまるか……)
 
 ぴす…と、不満から鼻を鳴らした時だ。
 体が、ふわりと持ち上げられた。
 なんだ?と思う間にも、彼女の顔が間近にあることに気づく。
 
 うちゅ。
 
 かちーん、とユージーンの体が固まった。
 あろうことか、レティシアが唇をくっつけてきたのだ。
 
(な……っ……なに、なにをするかっ?!)
 
 こと口づけに関して言えば、ユージーンはする側であって、される側ではない。
 だいたい貴族令嬢なるものは自ら口づけなどしない。
 
(ゆ、許しも得ず、このような……っ……ちょ……おい……っ……?!)
 
 悲しいかなユージーンはウサギだった。
 レティシアを止めるには力不足に過ぎる。
 
 ちゅ、ちゅ、ちゅ。
(馬鹿者ッ! は、はしたないぞッ!……お、女がそのような……っ)
 ちゅっ、ちゅっ、ちゅー。
(………………)
 
 ぴたん、と耳が後ろに寝ていた。
 もうなんでもいいか、という気分になってくる。
 ユージーンはウサギだが、彼女は彼女なのだ。
 初めて好きになった女性との口づけには違いない。
 
 王太子としての自尊心も尊厳も、木っ端微塵にされていた。
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