70 / 304
第1章 暗い闇と蒼い薔薇
王子様の誤算 2
しおりを挟む「いっそ、ここに居を移されたほうがいいのじゃないかしら」
サリーは本気で、そう思っている。
レティシアにとって、王宮に近い公爵家の屋敷よりも安全なのは確かだ。
なにより、ここには大公がいる。
どんな地位にいる者でも、彼を脅かすことはできない。
大公の力は誰もが知っているし、この国にとどまっていてほしいと思ってもいるだろう。
大公なくして国の平和は保たれない。
今まで妻の故郷というのは、大公にとって大きな意味を持つものだった。
が、その想いも変わってきているのではないかと思う。
でなければ、想い出の屋敷に手を加えることを許したりはしなかったはずだ。
大公が、今、最優先に大事にしているのはレティシアに違いない。
「どうしたんだ、突然」
いつものごとく厨房にいる。
けれど、ガドは屋敷に残っており、マルクもすでに寝室に引き上げていた。
ここにいるのは、サリーとグレイの2人だけだ。
芋の皮剥きの際などに使う、簡素なイスに座っていた。
やはり背もたれはない。
それでも、グレイの背筋はピンと伸びている。
対して、サリーは少し前かがみになっていた。
両肘を膝の上に置き、その先で両手を組んでいる。
「ここには大公様もいらっしゃるし、安全じゃない? 殿下がいつ婚姻するかわからない上に、たとえ正妃を迎えたとしても、それでレティシア様を諦めるとは限らないでしょう?」
「それはそうだが……ずっとここで暮らすというのは、どうだろう」
屋敷に、二度と帰らないということではない。
サリーも、レティシアが、屋敷に残っている者たちを気にかけているのは知っている。
時々、大公が「遠眼鏡」を使うくらいだ。
レティシアは「ウチのみんな」を、使用人だとは思っていない。
それは、身に沁みていた。
「わかっているわよ、グレイ」
ここでの生活をレティシアも楽しんでいる。
ただ、それは「いずれ帰る」ことを前提にしたものだ。
長期ではあれ、旅を満喫しているに過ぎない。
ずっとここで暮らせと言われたら、きっと戸惑う。
不満はなくても、ここはレティシアの「ウチ」ではないのだから。
「心配しているのか?」
「当然でしょう? 私たちは、1度、レティシア様を失いかけているのよ?」
サイラスが怪しげな人物だと知っていた。
なのに、2人きりにさせたのだ。
あげく、サイラスから「しばらく1人にしておけ」と言われ、その言葉に従ってしまった。
その結果、レティシアは命を落としかけている。
あんな失敗は、もうしたくなかった。
さりとて、自分にはなんの力もない。
多少、魔術が使えはするが、それで彼女を守り切れるとは思えずにいる。
サリーの魔力は、王宮魔術師の位に換算すると、中の中程度。
上級魔術師の1人や2人なら足止めくらいはできるだろう。
けれど、それ以上の人数で来られたら、足止めにすらなれない。
「きみの心配はわかる。私だって、あの時のことは悔いているんだ」
グレイが顔をしかめていた。
レティシアからの指示であれ、無理にでも同席すべきだったと思っているのだろう。
その後のことにしても同じだ。
扉をぶち破ってでも、部屋に入るべきだった。
事実、大公は戻るや否や、それをしている。
そして、室内に倒れているレティシアを見つけたのだ。
自分たちが、もたもたしている間に、レティシアの命の灯は消えかけていた。
「それなら、わかってよ。私は……レティシア様には安全なところで生活をしていただきたいの。もう危ない目にはあってほしくない」
「サリー……」
彼女が笑うと、周りがパッと明るくなる。
身分や常識など気にもせず、いつも笑い飛ばしてくれた。
サリーには、さらに強い後悔の念と罪悪感がある。
マリエッタとパットのことだ。
屋敷内の全員が知っていて、レティシアだけが知らなかった事実。
この「全員」の中には、彼女の両親も含まれている。
2人をグレイに紹介したのは大公だったので、大公も当然に知っていた。
知らなかったのは、本当にレティシアだけだったのだ。
彼女に話さなかったのは、言えば解雇されるとわかっていたからだ。
以前の彼女であれば、間違いなく2人を屋敷から追い出していた。
「私たちは、使用人……だけど、レティシア様は、家族同然だと言ってくれて……ちゃんと“人”として見てくださってる」
たった2ヶ月ほどで、彼女に対する評価が変わった理由でもある。
十年だ。
十年も彼女は傍若無人に振る舞ってきた。
普通なら、自分たちが評価を変えることはなかっただろうし、むしろ冷たくあしらっていてもおかしくはない。
彼女のしてきたことを思えば、信頼なんて鼻で笑ってしまうところだ。
が、今の彼女は信頼に足ると思える。
彼女は、1人1人を名前で呼び、けして間違わない。
朝当番、昼当番を通じて知った屋敷の者の仕事ぶりや嗜好などをちゃんと把握していて、混同したこともなかった。
それを苦も無く「フツー」にやっている。
彼女の目に映っているのは使用人ではなく、いつも1人の人間なのだ。
「……私は、彼女を失いたくない」
サリーは、両手をぎゅっと握りしめる。
貴族同士でも上下があり、家の中でも上下はあった。
そういうものを、レティシアは簡単に打ち破ってくる。
あんな「姫さま」は、どこを探してもいないのだ。
巡り合えたことを幸運だと感じている。
「サリー……私もレティシア様を、失いたくはない。ここにいれば安全だとも思っている。私に……彼女を守り切るだけの力がないことも、わかっているよ」
サリーは、いつしかうつむいていた顔を上げた。
グレイの眼鏡の奥にある瞳を、じっと見つめる。
大公とは違う、感情の見える静けさを持つ瞳だ。
暗い色をしていても、その奥には揺らぐ彼の心が映されている。
「……私たちが間違えたのは2度目だ、サリー」
「2度目……」
「ガドの言葉を覚えているだろう?」
言われて、ハッとなった。
レティシアが、己の血の特別さに気づいていないという話をしていた時だ。
ガドは「教えるべき」だと言ったのに、残りの3人は同意しなかった。
その際に、ガドは言った。
『……それは……俺たちの都合、だ』
正論であり、正解でもある。
ガドの言うように、ちゃんと教えていればよかった。
仮にそれで彼女が以前の彼女に戻ってしまう可能性があったとしても。
「レティシア様に無事でいてほしい、失いたくない、と思うのは……俺たちの都合なんじゃないか?」
きゅっと、サリーは唇を引き結んだ。
そうかもしれない。
たぶん、そうなのだろう。
これは身勝手な自分の想い。
「レティシア様がどうなさりたいか。私は、その手助けをしたい」
ここで暮らせば安全は確保できる。
けれど、それをレティシアが望むかと言えば、おそらく違うのだ。
彼女は「いずれウチ帰る」と無邪気に信じているのだから。
サリーは、大きく息を吐き出す。
ガドは正しかった。
そして、グレイも正しい。
「彼女を失いたくなくて……私が安心したいだけだったみたいね……」
自分の心の平和のために、レティシアの気持ちを無視しようとしていた。
どんな危険があるとしても、たとえ守り切る力が持たないとしても、やれることはある。
レティシアの意思を尊重することだ。
その上で、自分にできる最善を尽くす。
いや、最善以上を。
「ところで、きみがそんなことを言いだすなんて、なにかあったのか?」
へたれな男ではあるが、さすがは有能執事。
サリーのことも、よく知っている。
執事として、支え合ってきた同志として、サリーはグレイを信じていた。
たいしたことではないのかもしれないが、気にしていることがある。
「ここ2日、レティシア様は、お昼寝をなさるでしょう?」
「体調を崩しておられると?」
サリーは首を横に振った。
レティシアは元気で、体調には何も問題はない。
その問題がないことが、問題なのだ。
「様子を見に行ったのだけど、レティシア様は、お部屋にいらっしゃらなかったの。たぶん……お部屋を抜け出されて、どこかに行っておられるのだわ」
0
あなたにおすすめの小説
0歳児に戻った私。今度は少し口を出したいと思います。
アズやっこ
恋愛
❈ 追記 長編に変更します。
16歳の時、私は第一王子と婚姻した。
いとこの第一王子の事は好き。でもこの好きはお兄様を思う好きと同じ。だから第二王子の事も好き。
私の好きは家族愛として。
第一王子と婚約し婚姻し家族愛とはいえ愛はある。だから何とかなる、そう思った。
でも人の心は何とかならなかった。
この国はもう終わる…
兄弟の対立、公爵の裏切り、まるでボタンの掛け違い。
だから歪み取り返しのつかない事になった。
そして私は暗殺され…
次に目が覚めた時0歳児に戻っていた。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。こういう設定だとご了承頂けると幸いです。
治療係ですが、公爵令息様がものすごく懐いて困る~私、男装しているだけで、女性です!~
百門一新
恋愛
男装姿で旅をしていたエリザは、長期滞在してしまった異国の王都で【赤い魔法使い(男)】と呼ばれることに。職業は完全に誤解なのだが、そのせいで女性恐怖症の公爵令息の治療係に……!?「待って。私、女なんですけども」しかも公爵令息の騎士様、なぜかものすごい懐いてきて…!?
男装の魔法使い(職業誤解)×女性が大の苦手のはずなのに、ロックオンして攻めに転じたらぐいぐいいく騎士様!?
※小説家になろう様、ベリーズカフェ様、カクヨム様にも掲載しています。
異世界転移した私と極光竜(オーロラドラゴン)の秘宝
饕餮
恋愛
その日、体調を崩して会社を早退した私は、病院から帰ってくると自宅マンションで父と兄に遭遇した。
話があるというので中へと通し、彼らの話を聞いていた時だった。建物が揺れ、室内が突然光ったのだ。
混乱しているうちに身体が浮かびあがり、気づいたときには森の中にいて……。
そこで出会った人たちに保護されたけれど、彼が大事にしていた髪飾りが飛んできて私の髪にくっつくとなぜかそれが溶けて髪の色が変わっちゃったからさあ大変!
どうなっちゃうの?!
異世界トリップしたヒロインと彼女を拾ったヒーローの恋愛と、彼女の父と兄との家族再生のお話。
★掲載しているファンアートは黒杉くろん様からいただいたもので、くろんさんの許可を得て掲載しています。
★サブタイトルの後ろに★がついているものは、いただいたファンアートをページの最後に載せています。
★カクヨム、ツギクルにも掲載しています。
【完結】恋につける薬は、なし
ちよのまつこ
恋愛
異世界の田舎の村に転移して五年、十八歳のエマは王都へ行くことに。
着いた王都は春の大祭前、庶民も参加できる城の催しでの出来事がきっかけで出会った青年貴族にエマはいきなり嫌悪を向けられ…
公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる
夏菜しの
恋愛
十七歳の時、生涯初めての恋をした。
燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。
しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。
あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。
気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。
コンコン。
今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。
さてと、どうしようかしら?
※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。
【完結】小公爵様、死亡フラグが立っています。
曽根原ツタ
恋愛
ロベリア・アヴリーヌは前世で日本人だった。恋愛小説『瑠璃色の妃』の世界に転生し、物語には登場しない公爵令嬢として二度目の人生を生きていた。
ロベリアには、小説のエピソードの中で気がかりな点があった。それは、主人公ナターシャの幼馴染で、尚且つ彼女に恋心を寄せる当て馬ポジションのユーリ・ローズブレイドについて。彼は、物語の途中でナターシャの双子の妹に刺殺されるという数奇な運命を迎える。その未来を知るのは──ロベリアただひとり。
お人好しの彼女は、虐げられ主人公も、殺害される当て馬も、ざまぁ予定の悪役も全員救うため、一念発起する。
「ユーリ様。あなたにはナターシャに──愛の告白をしていただきますわ!」
「…………は?」
弾丸令嬢のストーリー改変が始まる──。
-----------------
小説家になろう様でも更新しております。
(完結保証)
目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜
楠ノ木雫
恋愛
病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。
病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。
元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!
でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?
※他の投稿サイトにも掲載しています。
ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~
紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。
毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる