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第1章 暗い闇と蒼い薔薇
おウチに帰ろう 4
しおりを挟む「…………私……」
隣に座っている孫娘が、深刻そうな顔をしている。
彼は、そんなレティシアを見つめていた。
屋敷に帰ってから3日が経つ。
本来、午後のティータイム時間には、彼はいない。
屋敷はアイザックに譲っており、ここは彼の持ち家ではないからだ。
あの森の山小屋が、彼の居となっている。
片付けを手伝ったあと、帰るつもりだったのだけれど。
『お祖父さま、帰っちゃうのっ?!』
正妃選びの儀の日と同じ台詞に、縋るようなまなざし。
ここのところ、長く一緒にいたからかもしれない。
彼も、離れ難く感じた。
息子の屋敷とはいえ、自分の屋敷でない場所に、足繁く通ったり、入り浸ったりするのは、外聞がいいとは言えないことだ。
が、彼は外聞など気にしない。
ただ、彼の息子は王宮に属しており、その妻は社交の場で「戦って」いる。
周囲には「公爵夫人」を妬んでいる者も多く、嫉妬や羨望から、常に「槍玉に挙げてやろう」と虎視眈々、狙っていた。
だから、この屋敷を訪れるようになってからも、彼は、ここで夜を過ごさずにいる。
息子が、妻を心配する気持ちがわかるからだ。
(悪いね、ザック。私は、レティのお願いを断れないのでね)
あんなふうに愛くるしく縋られたら、にっこりせずにはいられない。
必然的に、首を縦にすることになる。
さりとて、本気で困っているのでもなかった。
息子には、今回のことを話してある。
烈火のごとく怒り、王宮を辞すると息巻いていた。
引き留めようと国王も、さぞ難儀をすることだろう。
屋敷への逗留を報せた時も、まだ怒っていた。
『外聞ッ?! そんなものかまいませんから、父上はレティの傍にいてやってください! 王都でも屋敷でも安心できません! あの娘が攫われたと聞いて、私もフラニーも卒倒しそうになったのですよ!』
即言葉は魔術であり、音の大きさは一定に保たれる。
にもかかわらず、耳元で大声を出されている気分になった。
あの夜会の日とは状況が変わっている。
あれから、レティシアは命を失いかけたり、連れ去られたりと、危険が続いていた。
2人が、外聞などより娘の命を優先させるのも無理はない。
というわけで、彼は森に帰ることなく、ここにいる。
「私、思ったんだけど……」
「なにをだい?」
レティシアが、パッと顔を上げ、彼を見上げてきた。
いたって真剣な表情をしている。
「甘ったれ度、上がってるよね?!」
おそらく「甘えている度合い」を略した言葉だろうと、予想した。
レティシア語の多くは、略式が多いのだ。
「なぜ、そう思うのかな?」
彼とレティシアは1階の「休憩室」にいる。
レティシアからの提案で、いくつかある小ホールのひとつを改装して作った。
誰でも自由に、休みが取れる部屋なのだそうだ。
ソファをいくつかと、テーブルも複数ある。
室内が豪奢であれば、少し小ぶりなサロンにも見えただろう。
が、内装はいたってシンプル。
豪華にし過ぎると「気楽に休めない」と、レティシアは言っていた。
それは彼女のためだけではない。
レティシアは、屋敷の者たちにとっても快適であるようにしたいのだ。
「だって、昨日も一昨日も、昼寝しちゃったよね。そのたびに、お祖父さまに運んでもらってる!」
「それはしかたないだろう? 眠っていたら、断れないのだからね」
「そうだけど……お祖父さまに運んでもらえるってこと、前提にしてるんじゃないかって思うんだよ。だから、お昼になると、スヤァってなるんじゃない? 前は、昼寝なんてしてなかったもん」
レティシアは、魔力の扱い方を知らずにいた。
暴走していない場合の魔力であっても、体の中で対流を起こしている。
そのため体が熱を持つのだ。
暴走すると、さらに激しくなり、体を「壊して」しまう。
そうならないよう、多くの魔力持ちは、顕現後、制御するすべを習得する。
王宮が見逃しているのは、体を壊すほどの量ではない魔力持ちだった。
少なければ、魔力暴走で発熱はしても死にはしない。
それに、いずれ魔力は消える。
だが、レティシアの魔力はとてつもない量だ。
なのに、彼女は制御することなく、平然としている。
その理由が、彼にはわかっていた。
対流している魔力の流れが極端に遅い。
ただ、それがいつもかといえば、それも違う。
地下室で、レスターに怒った時だ。
一時的ではあったが、魔力の流れが速まった。
レティシアの感情に、対流の速度が連動しているのだろう。
それが「空腹」の原因でもあり、睡眠を必要とする理由でもある。
この間の連れ去りのようなことがなく、穏やかに暮らしていられれば、このままでも問題はないのだけれど。
「疲れが出ているだけだよ。それに、私は楽しんでいるのだがね?」
「う、う~ん……そう言われるとなー」
「お前は、私に運ばれるのは嫌かい?」
「嫌じゃない。むしろ、嬉しくなる……って、それが、困るんだよなー。いい歳してさ。子供みたいで恥ずかしいじゃん」
いかにも困ったという顔をするレティシアに、ぷっと笑ってしまう。
いい歳をして、なんて言われても、彼にすれば、いつだって可愛らしくも愛しい孫娘なのだ。
それに、レティシアは無邪気で無防備に過ぎ、子供以上に子供のようなところがある。
「困ることはないさ。私は、レティも、レティに甘えられるのも、大好きなのでね」
ぽんぽんと、孫娘の頭を軽く叩くと、レティシアが両手で顔を覆った。
耳まで赤くなっている。
「そーいうトコ……そーいうトコだからね、お祖父さま……反則過ぎる……」
小さく笑いながら、レティシアの頭を撫でていた時だ。
扉を叩く音が室内に響く。
レティシアも、そちらに気が向いたのか、顔を上げて扉を見ていた。
誰だかはわかっていたので、入るように促す。
グレイが、すぐに姿を現した。
「大公様、レティシア様。お客様が、いらっしゃっております」
表情は変えていないものの、グレイの口調にわずかな苛立ちがあるのを、彼は感じとっている。
(あまり良いお客ではない、ということだろうね)
レティシアの言うように、グレイは「クール」でないところもあるのだ。
彼や彼の孫娘が関わることになると、とくに。
3年間の執事修行では足らなかったのかもしれない。
グレイは、おおむね優秀ではあるが、騎士としての心の在り様が微細な粗を作っていた。
執事として優先させるべきことと、騎士として優先させるべきことは、当然に違う。
どちらかを選択しなければならない際、グレイは、時々、騎士を選ぶのだ。
あの地下室でのこととか、今とか。
それを悪いとは思っていないため、彼はグレイを「強くは」叱らずにいた。
「誰? 私の知らない人? まさか……王子様じゃないよね?」
レティシアも、グレイの声音を正しく聞き取っている。
彼女の場合、体感的なものであり、意識しているわけではないだろうけれど。
いつもと違う、そんなふうに感じているに違いない。
だから、少しばかり警戒した様子でグレイに聞き返している。
そんな、ちょっとずつ足を踏み出す、といった雰囲気も、彼にとっては愛らしく映る。
「王太子ではございません。女性のお客様にございます」
「女性? 女の人……誰? お母さまのお客様じゃないの?」
彼に助けを求めるような視線を、グレイが投げてきた。
フランチェスカの客ならば王宮に出向くだろうが、レティシアは貴族の習わしを理解していないので、気づかないのだろう。
さりとて、理解してほしいとも思っていない。
必要があれば覚えればいいだけの話だと、彼は考えている。
なにしろ貴族の風習というのは無意味かつ面倒なものが多いので。
そして、彼はグレイの視線を、軽く無視した。
ここは公爵家であり、実際はともかく彼はこの屋敷の住人ではない。
屋敷の主を代行するのはレティシアの役目なのだ。
というのは、建前だった。
あれこれ考えているのか、表情を変えている彼女が可愛らしくて、口を挟む気にならないだけだ。
しばし彼に視線をそそいでいたグレイだったが、諦めをつけたらしい。
レティシアに視線を向けて、客の名を告げる。
「ラウズワース公爵家のご令嬢、イヴリン姫様がいらっしゃっておられます」
「イブリン姫さま? 聞いたことないなぁ。お祖父さま、知ってる?」
「どうだったかな」
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そういう意味では「どうだったかな」が正解なのだ。
(レティとの時間を邪魔されるのは、とても不愉快なのだがね)
客に対して彼が思ったのは、それだけだった。
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