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第2章 黒い風と金のいと
目減りしない愛 4
しおりを挟む「……お祖父さま……っ……」
振り向いたレティシアが、そのまま胸に飛び込んでくる。
それだけで、次に、どんな言葉が投げかけられるかが、わかった。
そのため、彼は、彼の愛しい孫娘を抱きしめ返すことを忘れる。
「お祖父さま……大好き……大好きだよ、お祖父さま……」
体が内側から震えている気がした。
どんな、なにものにも動じないはずの心が、感情に揺さぶられている。
「写真、見たよ……でもね、でも……私は、お祖父さまが大好きだから……」
レティシアが、彼の胸に顔をうずめた。
ぎゅっと強く抱きしめられている。
その強さとぬくもりに、ようやく彼の時間が動き出す。
ゆっくりと、レティシアの体に腕を回した。
愛しい孫娘を壊さないように、それでもぎゅっと抱きしめ返す。
「私も、お前のことが……大好きだよ、レティ……」
わずかではあるけれど、声が震えた。
いつも通り、とはいかなかったのだ。
自分は、こんなにも怯えていたのか、と思う。
人ならざる姿の祖父を、レティシアは恐れるだろう。
きっと怖がって、気味悪がって、近づかなくなるに違いない。
そう予測していた。
彼は、1度、レティシアから激しい拒絶を受けている。
魂は別人でも、人というのはそういうものだ。
理解できない脅威を受け入れることはできない。
グレイが私戦に巻き込まれた時から、サイラスの意図には気づいていた。
狙いは、レティシアを、彼から取り上げること。
愛しい孫娘を、自らの手で遠ざけさせる。
それこそが、サイラスの望む結果だったのだ。
わかっていて、彼はサイラスの策に乗った。
ラペル公爵家を巻き込んだのは、彼を私戦に関わらせないためではない。
私戦になれば、レティシアは、必ずグレイの助命を嘆願する。
そして、彼が「それ」を孫娘の知らないところでやろうとすることも、予測していたに違いない。
だからこそ、わざわざ「祖父は関わらないのだ」と彼の孫娘に思いこませる口実を、彼に与えた。
ある意味では、彼が「それ」をやり易いよう仕向けたのだ。
であるならば、狙いは明白。
彼が「それ」をするところを、レティシアに見せる手はずを、サイラスは整えている。
私戦になった時から、彼にはわかっていた。
人ならざる姿の自分を、レティシアに見せることになると、わかっていたのだ。
彼女の自分に対する思慕を打ち壊し、恐怖を与えることになる。
ほかの誰からレティシアを守れても、自分自身から守ることはできない。
わかっていたけれど、それでも。
たとえレティシアを遠ざけることになろうと、彼は己の基準をまっとうすべきだと考えた。
望んで手にしたわけでもない力が、いつもいつも疎ましかった。
だが、レティシアを守れるのなら、人ならざる力だろうが、使う。
人は守りたいものしか守れないのだ。
彼女自身に、家かグレイかを選ばせたくはなかった。
どちらを選んでも、レティシアは傷つく。
だが、それは己の勝手な想いであり、レティシアのためだとは言えなかった。
愛しい孫娘を守ると誓った。
その誓いをまっとうしただけだ。
レティシアがどう思うかなど、おかまいなしに。
だから、結果も甘んじて受け入れなければならない。
サイラスの思惑通り、自分の手で彼女を遠ざけるのだと、己の愚かさを自嘲してもいた。
レティシアから抱きしめ返してもらえなくても、大好きと言ってもらえなくても、遠くから見守ることはできる。
十年、それでやってきた。
慣れている。
言い聞かせてきたが、それでも、レティシアを失うことに怯えていたのだと、気づかされていた。
彼女との日々が、あまりに喜びに満ちていたからだ。
微笑みかければ微笑みが、手を伸ばせばその手を握ってくれる手がある。
そんな毎日を、彼は慈しんでいる。
彼の生は、レティシアの存在で成り立っていた。
「私……自分のこと、不謹慎だなって、思ってるんだ」
「不謹慎?」
彼の胸に顔をうずめたまま、こくっとレティシアがうなずく。
それから、強く頬を押しつけてきた。
「だってさ、お祖父さま、すごく怖い顔してたし……人が2人も亡くなってるのに……」
レティシアが顔を上げ、困ったように眉をふにゃりと下げる。
「やっぱり……お祖父さまだなって思っちゃったんだもん」
「そうなのかい?」
「うん。私の、一生に一度のお願いを叶えてくれたんだって、わかってるよ」
レティシアは、本当にとても愛らしかった。
彼は彼女に微笑みかけてから、その体をふわりと抱き上げる。
「お祖父さま?」
「お前の顔を見て話したいのでね」
言って、ベッドの端に腰かけた。
そのまま、レティシアを膝に抱く。
レティシアは、怖がるでもなく、嫌がるでもなく、じいっと彼の顔を見つめていた。
真っ黒くて大きな瞳に、恐怖の色はない。
彼に対する信頼と愛情が映し出されている。
(この娘は、私よりも、ずっと強いようだ。どんなことでも乗り越えてくるのだから、驚かされるね)
微笑む彼に、レティシアは瞬き数回。
それから、また眉をへんにょりと下げた。
「あのね……よくあるたとえ話なんだけど……たとえば、お父さまとお母さまのどちらか1人しか助けられないってなったら、どっちを助けるかっていう……私はお母さまを助けると思うんだ。でもさ、それはお父さまが、そうしてほしいだろうなって思うからなんだよね」
「生存という意味ではフラニーを助けるが、気持ちの上ではザックを取る、ということかい?」
「そういうことだと思う」
レティシアが、彼の胸元をぎゅっと掴んできた。
シャツの皺など、もちろん彼は気にしない。
「そんなふうにね、愛情を天秤にかけることってあるんだよ。それでね。愛情って一定量しかなくて、片方に愛情が寄ると、もう片方は目減りしちゃうんだよね。たぶん……誰にだって、そういうとこ、あると思う。なんとか公平にしようって頑張ってるだけでさ」
そう言って、またレティシアが、じいっと彼を見つめてくる。
レティシアの瞳を、彼も見つめ返した。
彼女の瞳に、自分の姿が映っているのが見える。
レティシアには、こんなふうに見えているのかと、思った。
人ならざる者ではない、ジョシュア・ローエルハイドが、そこにいる。
レティシアが、瞬きをしても消えはしない。
それを、嬉しいと感じる。
「でも……お祖父さまの愛情は、目減りしないんでしょ?」
そう、彼の愛は目減りしないのだ。
なにしろ、天秤の持ち合わせがない。
彼の基準は、たったひとつ。
孫娘だけを愛おしんでいる。
それしかないのだから、秤はいらなかった。
愚かで冷酷な彼の本質を、レティシアは優しい言葉に置き換えてくれている。
「恐くはないかい?」
「全然」
レティシアの瞳は、まったく揺らがなかった。
まっすぐに彼を見つめてくる。
(どうも……これは、まいったね……レティを嫁がせられる気がしないよ)
可愛くて愛しくてたまらない孫娘の頭を、ゆるく撫でた。
手は振りはらわれず、彼女は、またまた眉を、ほにゃりと下げる。
「たくさん……感じ悪い態度取って、ごめんね、お祖父さま……私、お祖父さまに甘やかされてることにも、だんだん気づかなくなってきてるんだよね……これはマズいよ……我儘し過ぎだわ、ダメ過ぎだわ……」
「私は、レティも、レティを甘やかすのも大好きなのでね。やめられそうにないのだが、駄目かな?」
ふにゃっと下がった眉に、彼はキスを落とした。
我が孫娘は、本当に愛らしい、と思う。
「う、う~……ダメじゃ、ない……ダメじゃないけど……私がダメだぁ~」
ぎゅっとレティシアが抱き着いてきた。
今度は、すぐに抱きしめ返す。
「もお……私、本当にお祖父さまのことが大好きなんだからね。嫌いになったりしないんだからね。甘えの階段、どんどん昇ってっちゃうからね……」
「どこまで昇れるか、試してみようか?」
くきゅ~という、なんとも言えない声が聞こえた。
レティシアが呻いたようではあるが、独特過ぎて、可愛いとしか思えない。
「そんなこと言って……私、そのうち、お祖父さま、抱っこ~とか言い出すかもしれないよ?」
「望むところだね。それに、今もレティは私に、抱っこされているのではないのかな?」
恥ずかしさを隠すためか、レティシアは、なおさらに彼の胸に顔をうずめる。
耳の縁まで赤くなっていた。
「……知ってた。うん……今、私、抱っこされてる……知ってた……」
ぷっと、彼は吹きだす。
それから、宥めるように、繰り返し、レティシアの頭を撫でた。
「それなら、私からも我儘をさせてくれるかい? もうしばらくは誰にも嫁がず、私の手の中にいておくれ。私の愛しい孫娘」
レティシアは顔をあげずに、こくこくっとうなずく。
小さな声で「嫁ぐ気に、まったくならないんですケド」と言いながら。
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