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第2章 黒い風と金のいと
王子様ご乱心 3
しおりを挟む「ちぃがぁあああうッ!!」
ガバッと、ユージーンは、体を跳ね起こした。
蒸し暑かったはずの室内は、いつも通り、爽やかな空気に満たされている。
が、跳ね起きたことで、動悸が激しい。
息が大きく乱れていた。
それでも、暗い室内を見回す。
人の気配は、感じられなかった。
レティシアの姿も、どこにも見当たらない。
「夢……であったか……」
大きく息をつく。
ひどく落胆した。
なぜ起きてしまったのか、と思う。
いい感じの夢だったのだし、もう少し浸っていたかった。
レティシアとは湖で会って以来、ひと月も顔を見ていない。
私戦の件もあり、心配はしていたのだけれども。
ユージーンは王太子だ。
たびたび「お忍び」のできる身ではなかった。
しかも、サハシーではサイラスに、ひとかたならぬ心配をかけてしまっている。
レティシアが気にかかるからといって、簡単には王宮から出られずにいた。
「……夢……夢、か……」
夢を見るなど、何年ぶりになるだろう。
いや、十何年ぶりか。
最後に夢を見たのは、十歳より前だった気がする。
どんな夢だったかは覚えていない。
ただ、嫌な夢だったとの感覚だけが残っていた。
翌日、サイラスに相談し、こう言われている。
『夢というのは、願望や不安から、自分自身が見せているものなのですよ』
強い心を持って不安さえはらいのけられれば、夢など見ることはない。
望みのほうはサイラスが叶えてくれると、そう言われた。
「俺は……不安なのかもしれん。あれのことは、サイラスに頼むことができぬしな。望みは叶わんと……そう思っているのか……」
自分の不安が、とても嘆かわしく思える。
今までサイラスに、望みを叶えてもらってきた。
そのため、自分で自分の望みを叶えるすべがわからないのだ。
サイラスが考え、ユージーンは、やるべきことをやるだけだったから。
「実際には手に入らぬから、夢で手に入れようとは……情けないことだ……」
レティシアに嫌われてはいない。
されど、好かれてもいない。
好きにさせる方法だって、わからずにいる。
サハシーに行き、つくづくと思い知っていた。
自分1人では何もできないのだ。
図書館にさえ辿りつけなかった。
地図と実際の道が違うように、頭で思い描いたことと、現実とは異なる。
王宮暮らしだけをしていれば、それですんでいたかもしれない。
外のことなど周りに任せておけばよかったのだ。
知らなければ、気にかける必要もなかった。
サイラスは「知っておくことが重要」と言っていたが、それだけでは不十分だったと、気づいている。
「知っているだけではいかんのだ。わかっておらねば、何もできん」
1人で図書館に行くことも、レティシアの心を自分で射止めることも。
知識は、不必要なくらいに持っている。
けれど、それを活用するすべをユージーンは知らない。
考えるということを人任せにしていた結果だ。
ユージーンが考えていた、と思ってきたのは「即位すること」「国王となり国を動かすこと」だけだった。
それだって具体的な策を講じてきたのは、ユージーンではない。
「あげく、このような夢に縋るとは……なんという情けなさか……」
確かに、起きてしまったのが、もったいないくらい良い夢だが、夢は夢だ。
本物ではないのだから、目が覚めれば終わり。
夢で心が満たされる分だけ、起きた際の落胆は大きくなる。
また、大きく溜め息をついた時だ。
ユージーンは、はたと気づく。
「な、なんという……なんたることだ……」
落胆していたせいで気づかずにいた、自分の身の異変。
生まれて初めて、というか、性的な行為が可能な体になって以来、初めて感じるものだった。
女性とベッドをともにしているわけでもないのに、体が「そういう」状態になっている。
情けなくも恥ずかしい。
ユージーンは真面目で、頭も悪いほうではなかった。
各分野において、様々な知識「だけは」持っている。
性的な欲求が満たされないまま溜まると、そういう状況になることも、知ってはいた。
さりとて、自分がそうなるとは思ってもいなかったのだ。
ともあれ、今までにはなかったので。
「……信じられん……俺は、ここまで……落ちぶれたのか……」
ほとほと自分に落胆する。
幸いにと言うべきか、落胆の度合いが深まるにつれ、体の違和感がおさまってきた。
とはいえ、心情的にはズタボロ。
レティシアに会う以前にはあった自信が、大きく損なわれている。
「これ以上、落ちぶれぬよう、あれのことを考えるのはやめだ……いや、それでは何も解決せぬではないか……だが……ひとまず、眠る前に考えるのはやめるようにせねば……」
夢は夢でしかないのだし、このような有り様では、落ち込むだけだ。
とりあえずレティシアのことは、いったん棚上げにする、と決める。
どの道、今は会うこともままならない。
会えなければ、何も進展はしないのだ。
が、会うためには、それなりに魔術を覚える必要がある。
サハシーに行ったのも、元々は、それが目的だった。
まずは、そこから。
ユージーンは、ある意味、真面目で、できないことをできないままにしておくことが、できない。
魔術は、必要がないと思っていたから覚えなかったが、乗馬にしろチェスにしろ剣にしろ、必要があると思えば、できるようになるまで取り組んできた。
少なくとも自分が納得できるくらいには、腕を磨いている。
実のところ、そうしたものが、ユージーンの自信に繋がっていたのだ。
やろうとすればできないことはない、と、そう信じられた。
サハシーに行くまでは、だったけれども。
なまじ、いきなり1人で行動したせいで、裏打ちされていた自信が、粉々にされている。
それは、たまたまユージーンが釣りという娯楽に興味がなく、やろうと思っていなかったから、うまくできなかったに過ぎない。
が、いつもなら、そう言って諭してくれるはずのサイラスには、湖でのことを話していないのだ。
そのせいで、諭してくれる者はおらず、自分の中だけで、すっかり「何もできない」と思いこんでいる。
本人はいたってあたり前に捉えているが、実のところ、ユージーンは努力家でもあった。
レティシア曰くの「粘着」ではあるのかもしれない。
できるようになるまで諦めないのだから。
「明日も公務はある……休んでおかねば……」
ユージーンは、パタンと体を倒して目を伏せる。
頭を空にしてと思うが、うまくいかなかった。
夢で見たレティシアの姿が思い出される。
(しかし……夢というのは不思議なものだ……俺は、あれの体を知らぬのに、あれほど感覚があるとは……本当に、ふれているようであった……)
大きくて黒い瞳。
やわらかくて暖かい体。
赤くてほんのりとした唇。
いや、唇を重ねる前に起きてしまったのだけれど、それはともかく。
なにもかもが「本物」のように感じられた。
考えないようにしようと思ったそばから、薄っすらと頭の隅で「もう1度」などと考えている。
さっき、あれほど落ち込んだにもかかわらず、だ。
ひと月もレティシアに会っていないからだろう。
夢でもかまわないから会いたいと思ってしまう。
(早く魔術を習得し、サハシーに誘うか……む。ならば、釣りの腕も磨いておく必要がある……2度も、あのような無様を晒すことはできん)
王都でも、釣りの娯楽場があったと記憶していた。
出向くことはできないが「持って来させる」ことはできる。
王宮は広いのだ。
湖ほどではなくとも、釣りに適した大きさの池はあった。
そこで釣りの練習ができるよう、娯楽場の者に段取りをさせればいい。
できるなら今度はレティシアと「2人で」楽しみたかった。
大公がいると、常に生死の瀬戸際に追い詰められる。
(次は、俺が、あれの体を支えてやろう)
大公に体を抱き込まれていたレティシア。
それを自分の姿と置き換えて、少しご満悦。
が、しかし。
「なにをしておるのだ、俺は! いかん! あれのことを考えてはいかん!」
これでは眠るどころか、目が冴えてしまう。
仮に眠れたとしても、再び夢を見る可能性もあった。
ユージーンは、バサッと布団をひっかぶる。
そして、頭を空にするため、9999999から7を引き始めた。
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