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第2章 黒い風と金のいと
副魔術師長の憂い 3
しおりを挟む「お祖父さま、ちょっといいかな?」
レティシアは、ベッドの中、上半身を起こして座っていた。
寝る前、たいてい祖父とグレイ、それにサリーが、部屋までついて来てくれる。
グレイとサリーは、前からそうだったので、そこに祖父が加わった形だ。
現代日本でなら、子供扱いと感じるだろう。
が、ここでは、そういうものだと思っている。
レティシアの言葉に、グレイとサリーが部屋を出た。
いてもらってもかまわなかったのだが、気遣いに感謝する。
2人きりのほうが、祖父は話し易いだろうと思ったのだ。
「それなら、レティのイスを借りるとしよう」
言って、祖父がレティシアのイスを手にする。
そして、持った背もたれ部分を、くるんっと引っくり返した。
座ってから、背もたれに両の腕を乗せる。
その腕の上に軽く顎を乗せ、レティシアを見て微笑んでいた。
(うぐ……イスに座るってだけで、サマになるって……)
真面目な話をしようと思っているのに。
ついつい見惚れる。
どうしても見惚れる。
こればかりは、しかたがない。
祖父は、素敵過ぎるのだ。
「それで? なにかな、私の愛しい孫娘」
にっこりされて、逆に正気に戻る。
レティシアが父と話してから3日。
祖父とも、ちゃんと話しておきたかったのだ。
間が空けば、言い出しにくくなる。
「あのさ……お祖母さまの実家のことなんだけど……」
「セシエヴィル子爵家のことかい?」
「聞いちゃいけないことだった?」
「そんなことはないさ。レティは、私が彼女の実家について話していなかったのを、不思議に思っているのだね?」
こくりと、うなずく。
祖母の話は、祖父から聞いていた。
が、祖母の実家の話は、1度も聞いたことがない。
存在していることにさえ気づかなかったほどだ。
どんな人たちなのかも、知らずにいる。
「彼女は、16歳の頃に両親を亡くしてね。遠縁の家に、身を寄せることになったのだよ」
「お祖父さまと婚姻する時に、爵位をもらった家だよね?」
それは、サリーから聞いていた。
貴族である祖父と釣り合いを取るためだったとか。
未だに、レティシアは、貴族だ平民だ、との考えに馴染めていない。
差別があるのはわかるのだが、なぜそうなるのかが、わからずにいる。
レティシアにとって、そこは大事ではないからだ。
むしろ、身内か、そうでないかのほうが重要だった。
この間の私戦騒ぎの際に、痛感している。
「彼女は、それをとても嫌がっていた」
祖父が、少し苦笑いをもらしていた。
祖父から聞いて、祖母の人となりは、なんとなく感じている。
そのため、やはりなんとなくわかる気がした。
祖母は、穏やかで控えめな人だったというし。
「その遠縁というのは、彼女の祖父の子の子の子で……ほらね、ずいぶんと遠縁だろう? 血の繋がりはないと言ってもいいくらいだね。その家は作物を育てて生活を賄っていたのだが、彼女は、自分で花を育て、花売りをしていた」
祖父は、表情を変えることなく話している。
祖母の実家といっても、懇意にしてはいなかったようだ。
それに、確かに本人から遡って「祖父の子の子の子」というのは遠い。
従兄弟とか、また従姉妹とか、ハトコとか。
いろいろな呼び名を、レティシアは知っている。
それでも、思いつかないくらいには、遠かった。
「豊かとは言えないまでも、貧しいというほどでもない。シシィは、そんな彼らが変わってしまうことを心配していた。貴族になると、働かなくても金が入るからね。で、だ。その心配が現実になってしまったのさ」
宝くじを当てた人は身を持ち崩す。
そんな話を耳にしたことがある。
持ちなれない大金を手にすると、人は変わるのだと。
もちろん幸せになれた人だっているはずだ。
が、一定数、悪いほうに向かった人もいるのだろう。
祖母の遠縁の人たちは、そちら側だったらしい。
「彼らは変わってしまった。そう言って、彼女はセシエヴィルと距離を置くようになったのだよ。だから、私も、彼らとは、つきあいをしていない」
「お祖父さまは、なんとかしようとした?」
答えはわかっていたのに、聞いている。
いわば確認のため、というところだ。
あまりいいこととは言えないが、祖父は答えてくれる。
「いいや。わかっているのだろう、レティ?」
祖父の表情は、いつも通りやわらかい。
レティシアを責める雰囲気は、感じられなかった。
「私と婚姻することで、彼女は身内を遠ざけることになった。それでも、私は彼女の望まないことをする気にはならなかったよ」
口調は同じでも、自嘲する響きをレティシアは捉える。
そうやって、祖父は、またひとつ、祖父自身を嫌いになるのだ。
「ダメだよ、お祖父さま」
初めて、レティシアは祖父にダメ出しをする。
カッコ良くて素敵で洒落ていてそつがなく、優しくて穏やかで。
祖父は、レティシアの理想そのものだ。
なのに。
祖父の顔を、じっと見つめる。
黒い瞳の奥にあるものも、怖くはなかった。
「私は、お祖父さまのことが大好きなんだよ? そのお祖父さまを否定するっていうのは、お祖父さま本人でもダメ」
「そうなのかい?」
「そうだよ」
あえて、少し顔をしかめてみせる。
とたん、祖父が、くすくすと笑った。
「レティに叱られてしまったね」
「私は、お祖父さまのことが怖くないもん」
祖父は、レティシアの望まないことはしない。
それはわかっているし、信じてもいる。
『お前がそう言うのなら、いつでも私は跪いて従うさ』
その言葉は、まんざら冗談でもなかったのだ。
でなければ、父の言葉通り、王太子とサイラスは、とっくに粉々のバラバラ、王宮は吹き飛んでいたかもしれない。
そんなこと、祖父にとっては簡単なことなのだから。
「サイラスが、お祖父さまから私を引き離そうとしたって、無駄なんだよなー。私が、お祖父さまに、くっついてっちゃうからさー」
祖父がイスから立ち上がる。
かがみこんできた祖父に、そっと抱きしめられた。
ぎゅっと抱きしめ返す。
(お祖父さまに、してほしいって思うばっかりじゃいけないよね。そんなの、私、ただのダメな子じゃん)
祖父から与えられる無償の愛。
それは、とてもとても大きくて重い。
たぶんレティシアでは、おっつかないだろう。
が、少なくとも「聞く」ことは、できる。
何を考え、どう思っているのか。
祖父は、きっと答えてくれる。
それが、どんなことであっても。
「そんなことでは、どこにも嫁げやしないよ?」
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「いいや、まったく」
ははっと、レティシアは声をあげて笑った。
祖父も笑っている。
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罪の意識も後悔も、たくさん感じるに違いない。
だとしても。
些細なことで笑い合える。
それが幸せというものなのだ。
目には見えないし、時には見失ってしまうけれど。
「私の愛しい孫娘。お前は、本当に愛らしいね」
祖父が頭を撫でてくれる。
この手を失いたくない。
そう思う心が、自分の本質なのだ、とレティシアは思った。
レティシアの心の天秤は、いつも祖父のほうへと傾いている。
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