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第2章 黒い風と金のいと
とても残念なこと 4
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ユージーンは、ベッドに入り、横になった。
王都が危機に晒された日から、ひと月ほどが経っている。
夜は、とても静かだった。
夢も見ていない。
サイラスが、部屋を訪れることもなくなった。
それでも、ユージーンは公務に明け暮れている。
片づけておかなければならないことが、たくさんあったからだ。
大層に嫌ではあったものの、宰相と話しもしている。
レティシアの父だと思いつつも、寛容になるのは難しかった。
植え付けられた「嫌な奴」だとの印象を、なかなか拭い去れずにいる。
宰相も宰相で、ユージーンに対する態度は変わらない。
変わらず、慇懃無礼。
(宰相に比べれば、口は悪いし、恐ろしいし、いつ俺の口を縫うやもしれん、大公のほうが、まだしも好ましい)
ふんっと、不機嫌に鼻を鳴らした。
ここのところ、ユージーンが宰相に話しているのは、自分が思いついた「制度の見直し」についてだ。
宰相は、いちいち難癖をつけてくる。
しかも、理屈としては、もっともだと思えるのが、なおさら気に食わなかった。
一時的に身に着けた知識がなんになる、とでも思っているに違いない。
(……俺は、なにも知らんのだ……国のことも、民のことも……)
サハシーでのこと、私戦のこと。
知識だけはあるものの、実際的なことを、知らずにいる。
ユージーンにも、もうわかっていた。
王宮の中にいては「世の中」を理解することはできない。
いつまでも、図書館にすら行きつけない自分のままだ。
(正しく学ばねばならんな……宰相は気に食わんが、腕が立つのは確かだ……それに、宰相に認められねば、あれとの仲も進展せぬだろう)
レティシアには、今もって好かれてはいないらしかった。
嫌われてもいないのが、せめてもの慰めではある。
政にも関わりたいし、レティシアにも関わりたい。
今年も残り少なくなりつつあった。
時間は過ぎていき、人は歳を取る。
(子か……黒髪、黒眼でなくともかまわぬから、あれとの子は欲しい。となると、急がねばな。あれとて、いつまでも16歳ではないのだ)
レティシアが聞いていたら、問答無用で引っ叩かれていたかもしれないが、それはともかく。
ユージーンが気にしているのは、母体にかかる負担だ。
仮に、レティシアが子を成した場合に、それが彼女の命を奪うものであってはならないと思っている。
(父は、俺を愛していた……俺は、育ての親であるサイラスを大事に思っていた)
あとは、自分が親になった時に、どう子に接するか。
こればかりは、子ができてみなければ、わからない。
さりとて、好きな女性との子なら、可愛がれるし、愛せる気もした。
どちらに似た風貌になるだろうか、などと想像を膨らませる。
まだウサギのキスしかしたこともないくせに。
(そうだ。俺のことより、ザカリーが先であったな)
サイラスの最後の仕事。
ザカリーのための正妃選びの儀の段取り。
それは、サイラスがいなくなっても、進められていた。
ただ、なるべく早くと思っていたが、予定を後ろに倒す必要が生じている。
ザカリーの好きな女性を、その列に並ばせるためだ。
(ザカリーは、女を口説けるのか?)
気の弱い弟が、好きな女性を前に、話ができるのかすら心配だった。
人の心配をしている場合でもないのだが、ユージーンに自覚はない。
自分は大丈夫だと思っている。
根拠はなくても、ユージーンは諦めることを知らないので。
(会うのは、5日後であったか。よし。俺もついて行くとしよう)
ユージーンは、ある意味、真面目で、実は、過保護なところもあった。
実際、大公という治癒者がいるにもかかわらず、サハシーの湖では、レティシアが、釣り針で怪我をするのではと心配している。
無自覚に、庇護欲を大振りしてしまうのだ。
十数年も会話のなかった、ただ「弟」として認識していたに過ぎない弟。
父も母も弟も、ユージーンにとって「家族」であったことはなかった。
両親については、どうしても割り切れなさがあり、溝は埋まらない。
けれど、弟は、なんの関係もないのだ。
いわば、2人は親の都合に振り回された、同種の存在でもある。
それに、なぜだかは知らないが、ザカリーはユージーンに懐いていた。
最初にあった「非道なかた」の印象も消えたらしい。
何かというと、ユージーンを頼ってくる。
頼られれば、悪い気はしないものだ。
おまけに、ザカリーは、とても素直に育っている。
街に出ていたとはいえ、王宮では閉じこもっての暮らし。
貴族とのつきあいもないため、人の「裏」を、あまり見ずにすんだのだろう。
ユージーンのように、表と裏を見て、人の醜さを知っている者とは違うのだ。
となると、俄然、庇護欲が出てくる。
(ザカリーは、世間知らずなところがある。俺が、導いてやらねば)
2人で迷子になりそうだが、それはともかく。
自分のことは棚に祀り上げて、ユージーンは、弟の「将来」の心配していた。
(うまく理無い仲になれるとよいのだが……)
女性の意思が尊重される、この国では、相手の承諾なしに婚姻はできない。
もちろん体の関係にだってなれないのだ。
ユージーンも、それが建前であるのは知っている。
とくに、ザカリーの想い人は平民だ。
王族である彼らに媚び諂うため、娘が差し出されてもおかしくはなかった。
ローエルハイド公爵家が相手でなければ。
ユージーンは、レティシアのことで手痛い目を見ている。
頭に、構図が浮かんだ。
ザカリー → 娘 → レティシア(無理) → 大公(絶対無理)
娘が拒否すれば、レティシアだけでも、説得するのは不可能に近い。
大公など難攻不落の要塞。
攻め落とすどころか、一瞬で丸焦げにされる。
レティシアが嫌がることを、大公が許すはずがない。
つまり、あの屋敷の者に対しては、強制することはできないのだ、絶対に。
が、しかし。
ユージーンは、とても前向きな性格をしている。
前向き過ぎるといってもいいくらいに、些細なことも「好機」と捉えられた。
(ザカリーと、その娘が婚姻すれば、ガルベリーとローエルハイドは、縁者になる。この際、使用人であっても問題なかろう。あれは、使用人を家族同然に思っているのだからな)
なにもザカリーが「ふられる」とは限らない。
愛し愛される婚姻が成立する可能性もある。
弟のためにも、自分のためにも、惜しまず手を貸すつもりだった。
弟のためには、惜しんだほうがいいのだろうけれども。
(縁者ともなれば、あれの態度も変わってくるのではないか?)
ユージーンは世間知らずではあるが、馬鹿ではない。
そして、レティシアに粘着しているだけあって、彼女の内面の一部を正しく把握している。
理屈と経験からくる感覚で、レティシアの「身内意識」を読み取っているのだ。
いよいよザカリーを助力しなければ、と意気込む。
いい気分で眠りにつこうとした時だった。
小さく物音がする。
ベッドに、なにかが滑り寄ってくるのを感じた。
「……あなたさえ……いなくなれば……」
声に、ユージーンは、強く目をつぶる。
どうして、と思った。
「……私は……戻れる……」
目を開き、バッと体を起こす。
素早く明かりを灯した。
光に浮かび上がった人物を、見上げる。
相手も、ユージーンを見下ろしていた。
「で……殿下……」
なぜ、ユージーンが、ここにいるのか、わからないのだろう。
ザカリーの部屋を移したことは、秘匿されている。
が、そのザカリーとユージーンは、夜毎「換敷」で、部屋を入れ替えていた。
このことは、本人たちしか知らない。
ユージーンが「最悪」を考えて、取っていた措置だ。
ザカリーの部屋にはユージーンの、ユージーンの部屋にはザカリーの「人形」まで置いて。
ユージーンは、顔を歪める。
絶対に、あってほしくない、と考えていたことが起きていた。
「なぜ……来たのだ、サイラス……」
あれは、正真正銘、最後の機会だったのに。
王都が危機に晒された日から、ひと月ほどが経っている。
夜は、とても静かだった。
夢も見ていない。
サイラスが、部屋を訪れることもなくなった。
それでも、ユージーンは公務に明け暮れている。
片づけておかなければならないことが、たくさんあったからだ。
大層に嫌ではあったものの、宰相と話しもしている。
レティシアの父だと思いつつも、寛容になるのは難しかった。
植え付けられた「嫌な奴」だとの印象を、なかなか拭い去れずにいる。
宰相も宰相で、ユージーンに対する態度は変わらない。
変わらず、慇懃無礼。
(宰相に比べれば、口は悪いし、恐ろしいし、いつ俺の口を縫うやもしれん、大公のほうが、まだしも好ましい)
ふんっと、不機嫌に鼻を鳴らした。
ここのところ、ユージーンが宰相に話しているのは、自分が思いついた「制度の見直し」についてだ。
宰相は、いちいち難癖をつけてくる。
しかも、理屈としては、もっともだと思えるのが、なおさら気に食わなかった。
一時的に身に着けた知識がなんになる、とでも思っているに違いない。
(……俺は、なにも知らんのだ……国のことも、民のことも……)
サハシーでのこと、私戦のこと。
知識だけはあるものの、実際的なことを、知らずにいる。
ユージーンにも、もうわかっていた。
王宮の中にいては「世の中」を理解することはできない。
いつまでも、図書館にすら行きつけない自分のままだ。
(正しく学ばねばならんな……宰相は気に食わんが、腕が立つのは確かだ……それに、宰相に認められねば、あれとの仲も進展せぬだろう)
レティシアには、今もって好かれてはいないらしかった。
嫌われてもいないのが、せめてもの慰めではある。
政にも関わりたいし、レティシアにも関わりたい。
今年も残り少なくなりつつあった。
時間は過ぎていき、人は歳を取る。
(子か……黒髪、黒眼でなくともかまわぬから、あれとの子は欲しい。となると、急がねばな。あれとて、いつまでも16歳ではないのだ)
レティシアが聞いていたら、問答無用で引っ叩かれていたかもしれないが、それはともかく。
ユージーンが気にしているのは、母体にかかる負担だ。
仮に、レティシアが子を成した場合に、それが彼女の命を奪うものであってはならないと思っている。
(父は、俺を愛していた……俺は、育ての親であるサイラスを大事に思っていた)
あとは、自分が親になった時に、どう子に接するか。
こればかりは、子ができてみなければ、わからない。
さりとて、好きな女性との子なら、可愛がれるし、愛せる気もした。
どちらに似た風貌になるだろうか、などと想像を膨らませる。
まだウサギのキスしかしたこともないくせに。
(そうだ。俺のことより、ザカリーが先であったな)
サイラスの最後の仕事。
ザカリーのための正妃選びの儀の段取り。
それは、サイラスがいなくなっても、進められていた。
ただ、なるべく早くと思っていたが、予定を後ろに倒す必要が生じている。
ザカリーの好きな女性を、その列に並ばせるためだ。
(ザカリーは、女を口説けるのか?)
気の弱い弟が、好きな女性を前に、話ができるのかすら心配だった。
人の心配をしている場合でもないのだが、ユージーンに自覚はない。
自分は大丈夫だと思っている。
根拠はなくても、ユージーンは諦めることを知らないので。
(会うのは、5日後であったか。よし。俺もついて行くとしよう)
ユージーンは、ある意味、真面目で、実は、過保護なところもあった。
実際、大公という治癒者がいるにもかかわらず、サハシーの湖では、レティシアが、釣り針で怪我をするのではと心配している。
無自覚に、庇護欲を大振りしてしまうのだ。
十数年も会話のなかった、ただ「弟」として認識していたに過ぎない弟。
父も母も弟も、ユージーンにとって「家族」であったことはなかった。
両親については、どうしても割り切れなさがあり、溝は埋まらない。
けれど、弟は、なんの関係もないのだ。
いわば、2人は親の都合に振り回された、同種の存在でもある。
それに、なぜだかは知らないが、ザカリーはユージーンに懐いていた。
最初にあった「非道なかた」の印象も消えたらしい。
何かというと、ユージーンを頼ってくる。
頼られれば、悪い気はしないものだ。
おまけに、ザカリーは、とても素直に育っている。
街に出ていたとはいえ、王宮では閉じこもっての暮らし。
貴族とのつきあいもないため、人の「裏」を、あまり見ずにすんだのだろう。
ユージーンのように、表と裏を見て、人の醜さを知っている者とは違うのだ。
となると、俄然、庇護欲が出てくる。
(ザカリーは、世間知らずなところがある。俺が、導いてやらねば)
2人で迷子になりそうだが、それはともかく。
自分のことは棚に祀り上げて、ユージーンは、弟の「将来」の心配していた。
(うまく理無い仲になれるとよいのだが……)
女性の意思が尊重される、この国では、相手の承諾なしに婚姻はできない。
もちろん体の関係にだってなれないのだ。
ユージーンも、それが建前であるのは知っている。
とくに、ザカリーの想い人は平民だ。
王族である彼らに媚び諂うため、娘が差し出されてもおかしくはなかった。
ローエルハイド公爵家が相手でなければ。
ユージーンは、レティシアのことで手痛い目を見ている。
頭に、構図が浮かんだ。
ザカリー → 娘 → レティシア(無理) → 大公(絶対無理)
娘が拒否すれば、レティシアだけでも、説得するのは不可能に近い。
大公など難攻不落の要塞。
攻め落とすどころか、一瞬で丸焦げにされる。
レティシアが嫌がることを、大公が許すはずがない。
つまり、あの屋敷の者に対しては、強制することはできないのだ、絶対に。
が、しかし。
ユージーンは、とても前向きな性格をしている。
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(ザカリーと、その娘が婚姻すれば、ガルベリーとローエルハイドは、縁者になる。この際、使用人であっても問題なかろう。あれは、使用人を家族同然に思っているのだからな)
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弟のためにも、自分のためにも、惜しまず手を貸すつもりだった。
弟のためには、惜しんだほうがいいのだろうけれども。
(縁者ともなれば、あれの態度も変わってくるのではないか?)
ユージーンは世間知らずではあるが、馬鹿ではない。
そして、レティシアに粘着しているだけあって、彼女の内面の一部を正しく把握している。
理屈と経験からくる感覚で、レティシアの「身内意識」を読み取っているのだ。
いよいよザカリーを助力しなければ、と意気込む。
いい気分で眠りにつこうとした時だった。
小さく物音がする。
ベッドに、なにかが滑り寄ってくるのを感じた。
「……あなたさえ……いなくなれば……」
声に、ユージーンは、強く目をつぶる。
どうして、と思った。
「……私は……戻れる……」
目を開き、バッと体を起こす。
素早く明かりを灯した。
光に浮かび上がった人物を、見上げる。
相手も、ユージーンを見下ろしていた。
「で……殿下……」
なぜ、ユージーンが、ここにいるのか、わからないのだろう。
ザカリーの部屋を移したことは、秘匿されている。
が、そのザカリーとユージーンは、夜毎「換敷」で、部屋を入れ替えていた。
このことは、本人たちしか知らない。
ユージーンが「最悪」を考えて、取っていた措置だ。
ザカリーの部屋にはユージーンの、ユージーンの部屋にはザカリーの「人形」まで置いて。
ユージーンは、顔を歪める。
絶対に、あってほしくない、と考えていたことが起きていた。
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あれは、正真正銘、最後の機会だったのに。
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