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ドラマチックハッピーエンド
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金曜日はいつもより三十分ほど早く登校する。たった、三十分。それだけで校内の雰囲気はがらりと変わり、普段のにぎやかさは影も形もない。ほんのり夏の気配が漂い始めた朝の空気にはどこか土の匂いがして、そんな静かな世界を通り抜け千草は足早に教室へ向かった。扉を開ける前からそこに誰がいるのか知っている。金曜日の、この時間。
「のーどーかー」
そう呼びかけながら中を覗けば予想通り、今朝も和がひとりで座っていた。机の上にノートを広げて何やら黙々と書き込んでいる。
「おはよ。今回はどう?」
「……おはよ」
この言い方でわかる。どうもうまくいっていないらしい。千草は自分の席に鞄をおろすと、和の向かいへ移動し椅子を引いた。
「一応は書いたんだよね?」
「ん」
千草の問いかけに対し、和は返事のかわりノートを差し出した。表紙には文芸部と書かれている。ノートを渡すと和は机に突っ伏してしまったので、千草は黙って付箋のついたページを開いた。
和の所属している文芸部はそれほど大人数ではないものの熱心に活動しており、毎週金曜日に各自が部員の前で作品を発表することになっている。作品の題材は基本的に自由で、形式も短編小説から脚本までなんでもありだ。とにかくオリジナルの物語を綴って持ち寄り、互いに意見を交換するというのを主な活動内容としていた。ちなみに一週間で新作を書ききることができなくても問題はない。たとえば途中までのものを部員に読んでもらって先の展開を一緒に考えることもあれば、次回のテーマを皆で決めることもある。とにかく物語をつくりあげる、ということを活動の目的としていた。
千草が受け取った新たな物語は幼馴染の女の子ふたりが主人公で、彼女たちが友情を深めてゆく描写が丁寧に書かれていたのだが、原稿は途中でぷっつり途切れていた。
「あれ? これ、途中じゃない?」
「そうなの。ラストが決まらないんだよね」
そう言いながらもまだ体を起こそうとしない和を見て、千草は珍しいと思った。珍しい。こんなことは今までになかったはずだ。だって和はいつも必ず物語を書き上げてこの時間に読ませてくれていたのだから。
ふたりが仲良くなったきっかけは中学一年のときの図書委員だった。彼女たちの通っていた学校の図書委員は、委員会の仕事として週に一度お昼休みに図書室の受付をせねばならず、休み時間が奪われるということで煙たがられていたものだ。それをでも、和と千草は率先して引き受けた。ふたりとも本が大好きだったことに加え、賑やかなのがあまり得意ではなかったというのがいちばんの理由だ。
この図書委員をきっかけにふたりは急激に仲良くなった。まず、なによりもふたりは小説が好きだった。一緒にいる間はとくに話すでもなくひたすら本を読んで過ごすだけでとても居心地が良かったし、同じ本を読んだときは感想を言い合うことだってできた。和が小説にとどまらずエッセイなども好んで読む一方、千草は映画が好きで色々と見ているようだった。だからそうした自分のふだん触れない分野を互いに教えてもらったりすることもできた。
それ以来、進級してクラスが別々になってもふたりは図書委員を選び、週に一度の当番も同じ曜日を指定して三年間を過ごすこととなった。毎週金曜日の、お昼休み。たぶんあの時間の安らぎはずっと記憶から消えることなんてないのだろう。古い本特有の甘い匂いやあの静けさ。それから淡く降り注いでいた午後の日差しなんかも。
そうしたふたりの友情は高校に進学してからもつづいている。とくに進学先について話すでもなく、彼女たちは同じ高校を志望した。それを知ったのは受験当日で、割り当てられた教室で鉢合わせて思わず笑ってしまったほどである。どこまで気が合うんだろうね、だとか、運命かもね、なんて話しているうちに受験の緊張もほぐれたものだ。そして高校進学を機に和は文芸部に所属することを決めた。もともと大好きだった小説を、自分でも書いてみたくなったからだ。千草はアルバイトがしたいからと部活には入らなかったけれど、毎週金曜日のこの時間に和の最初の読者になっている。
「まあ決まらなかったら放課後みんなに読んでもらえば?」
千草はそう言いながらノートを置いた。みんなとは文芸部の部員たちのことだ。
「それは、そうだけど……」
和はひとつため息をついた。そこでようやく体を起こすも、気だるそうな目をしている。
「やっぱり」
「やっぱり?」
「私の気持ちって伝わらないのかなあ」
そうしてもう一度ため息をついた。
「和の気持ち? 登場人物の心理描写だったらきれいにされてると思うけど」
「そうじゃなくてぇ」
いつになく元気のない和に千草は不安になってきた。なんと言っても和が小説を完成させられないなど初めてのことなのだから。
「ねえ、私がさあ、金曜日までに書けなかったことってあった?」
「なかったよね」
だから心配なんだけど、と言えば和がまた机に突っ伏した。
「なんでいつもちゃんと書いてたと思う?」
そうくぐもった声でたずねてくる。
「なんでって、えー、やっぱり完成したのをみんなに読んでもらいたいから?」
「千草に最初の読者になってほしいからだよ」
「……そういうこと言うの?」
千草は急に表情を曇らせ、下を向いたままの和に手を伸ばした。肩にかかるかかからないかの長さをした、柔らかな髪。するりと指を通して掬い上げる。
「千草って思わせぶりって言われない?」
髪を撫でられながら、和がそんなことを口にする。
「なんのこと」
「べつにぃ」
「で、どう悩んでるの?」
千草は和の髪から手を離すと頬杖をつきながらそうたずねた。これまでだって和から小説の展開に関して相談を持ち掛けられたことはあったし、中学の頃は図書委員の時間によくふたりで小説の感想を話し合ったものだ。そうしたときに、例えばラストはこうなってくれた方がよりよかっただとか、そんなことも話していた。だから千草はあの頃のような気持ちで和にたずねる。
千草の手が離れるのを合図に和はふたたび体を起こした。両手を膝に置き、スカートをきゅっと握る。
「簡単に言うと、ハッピーエンドにするかバッドエンドにするかで悩んでる。っていうかハッピーエンドにしたいんだけど」
「じゃあすれば?」
そこまで決まっているのに書かないのがますます珍しい。和は自分の物語の芯みたいなものを持っているタイプだ。
「なんかさあ、しっくりこないんだよね」
「ハッピーエンドが? でも読んだ感じだとそうなっても違和感なかったけど」
物語はふたりの主人公がお互いに対して抱いている想いに気が付き始めるところで途切れていた。それが友情なのかそれよりも深い愛情なのか、なんて葛藤を予感させる途切れ方だ。
「ありがと。そこが伝わってて嬉しい。でもね」
和は手元にあったノートをぱらぱらとめくった。特に開きたいページがあるわけではなく、ただただ手持ち無沙汰だっただけだ。
「あっさりハッピーエンドな小説ってつまらなくない?」
「まあ多少はドラマチックな方が? 起承転結ってやつだよね」
「そう、そこなんだよね」
「どこ?」
急に身を乗り出した和に、千草はすこしだけ驚く。
「なんで起承転結って必要なんだろ」
「なんで? なんでって……」
そう言われるとなかなかに難しい。でもそれがないと物語はいつまでもだらだらとつづいてしまって、始まりや終わりといった枠組みがなくなってしまうからだろうか。
そんなことを千草が言えば、和も「だよねえ」と言った。
「だよねえ。わかってるんだよね、わかってるんだけどぉ」
「どうしたの」
「でも私はそこに納得できないの」
「ん?」
「だってさ、考えてもみてよ。物語であっさりハッピーエンドになったらつまらないって、でも現実でそれが起こったらすごくない? 奇跡じゃない?」
「あー、まあ……そう、かな?」
和から言われたことを、千草は反芻してみる。でもその思考を邪魔するかのように何人かの生徒が教室に入ってきた。そろそろ登校時間のピークである。先ほどまであたりを包んでいた静けさは遠のき、周囲が次第にざわめき始めた。それに引っ張られるようにして千草の集中力は徐々にほどけていってしまう。
そんな千草とは反対に、和はむかしからこの感覚が好きだと思った。だってまるで、自分が匿名化されてゆく気がする。匿名化。いっそ本当にそうなれたらいいのに。そうしたらたとえ平坦でつまらない物語だと言われても、私は望むハッピーエンドを書けるのに──そう思いながら、和はでも、自分の書いたものとして千草の手に渡るうちは絶対にできないと言い聞かせてもいる。
「和はさ」しばらくしてから千草はそう言って和のノートを手にとった。先ほど見せてもらった新作のページを開き、目でたどってゆく。「なんか悩みでもあるわけ?」
「え?」
「現実であっさりハッピーエンドになったらすごいことだって。そうなってほしい何かでもあるのかなって」
目の前に広がる和の書いた物語。仲の良い幼馴染の女の子たち。すこしずつ、友情以上の想いを抱き始めるふたり。
「……ある」
「なに? なんでも聞くよ?」
「あの、ね」
和の声はほとんど消え入りそうだ。教室にはさらに人が集まっており、そのざわめきのせいで顔を近づけなければ聞き取ることができない。千草はすこし乗り出すようにした。そこへ和が口を寄せる。
「新しい小説、モデルがいるんだ」
モデル? 声には出さず、千草は目だけで聞き返す。先を促すが和は口を開かない。ただそっと千草の手をとった。
「え、待ってよ。私たちってこと?」
和は下を向いたまま小さく頷く。
「あー……」
千草は天井を仰いだ。周囲のざわめきがうるさくて全然考えがまとまらない。ああでも、ひとつだけわかることがあるかもしれない。
「確かに和の言う通りかもね」
「え?」
和はおそるおそる顔を上げた。勢いに任せてとんでもないことを言ってしまったと後悔しているような表情である。
「現実であっさりハッピーエンドになったらすごいことだわ」
「千草?」
「和の新しい小説、私たちがモデルならハッピーエンドにしなきゃ」
そう言って千草は自分の手を掴んでいた和の手に指を絡めた。じわりとどちらのものかわからない熱が伝わる。
「……なんてこった」
かろうじてそうつぶやく和は惚けた顔をしていて、それを見て千草は小さく笑った。
「まぬけ面してる」
「嫌いになった?」
「ううん、可愛い」
目と目が合う。教室のざわめきが遠のいてゆく。今はもう、聞こえているのはお互いの声だけだった。
「のーどーかー」
そう呼びかけながら中を覗けば予想通り、今朝も和がひとりで座っていた。机の上にノートを広げて何やら黙々と書き込んでいる。
「おはよ。今回はどう?」
「……おはよ」
この言い方でわかる。どうもうまくいっていないらしい。千草は自分の席に鞄をおろすと、和の向かいへ移動し椅子を引いた。
「一応は書いたんだよね?」
「ん」
千草の問いかけに対し、和は返事のかわりノートを差し出した。表紙には文芸部と書かれている。ノートを渡すと和は机に突っ伏してしまったので、千草は黙って付箋のついたページを開いた。
和の所属している文芸部はそれほど大人数ではないものの熱心に活動しており、毎週金曜日に各自が部員の前で作品を発表することになっている。作品の題材は基本的に自由で、形式も短編小説から脚本までなんでもありだ。とにかくオリジナルの物語を綴って持ち寄り、互いに意見を交換するというのを主な活動内容としていた。ちなみに一週間で新作を書ききることができなくても問題はない。たとえば途中までのものを部員に読んでもらって先の展開を一緒に考えることもあれば、次回のテーマを皆で決めることもある。とにかく物語をつくりあげる、ということを活動の目的としていた。
千草が受け取った新たな物語は幼馴染の女の子ふたりが主人公で、彼女たちが友情を深めてゆく描写が丁寧に書かれていたのだが、原稿は途中でぷっつり途切れていた。
「あれ? これ、途中じゃない?」
「そうなの。ラストが決まらないんだよね」
そう言いながらもまだ体を起こそうとしない和を見て、千草は珍しいと思った。珍しい。こんなことは今までになかったはずだ。だって和はいつも必ず物語を書き上げてこの時間に読ませてくれていたのだから。
ふたりが仲良くなったきっかけは中学一年のときの図書委員だった。彼女たちの通っていた学校の図書委員は、委員会の仕事として週に一度お昼休みに図書室の受付をせねばならず、休み時間が奪われるということで煙たがられていたものだ。それをでも、和と千草は率先して引き受けた。ふたりとも本が大好きだったことに加え、賑やかなのがあまり得意ではなかったというのがいちばんの理由だ。
この図書委員をきっかけにふたりは急激に仲良くなった。まず、なによりもふたりは小説が好きだった。一緒にいる間はとくに話すでもなくひたすら本を読んで過ごすだけでとても居心地が良かったし、同じ本を読んだときは感想を言い合うことだってできた。和が小説にとどまらずエッセイなども好んで読む一方、千草は映画が好きで色々と見ているようだった。だからそうした自分のふだん触れない分野を互いに教えてもらったりすることもできた。
それ以来、進級してクラスが別々になってもふたりは図書委員を選び、週に一度の当番も同じ曜日を指定して三年間を過ごすこととなった。毎週金曜日の、お昼休み。たぶんあの時間の安らぎはずっと記憶から消えることなんてないのだろう。古い本特有の甘い匂いやあの静けさ。それから淡く降り注いでいた午後の日差しなんかも。
そうしたふたりの友情は高校に進学してからもつづいている。とくに進学先について話すでもなく、彼女たちは同じ高校を志望した。それを知ったのは受験当日で、割り当てられた教室で鉢合わせて思わず笑ってしまったほどである。どこまで気が合うんだろうね、だとか、運命かもね、なんて話しているうちに受験の緊張もほぐれたものだ。そして高校進学を機に和は文芸部に所属することを決めた。もともと大好きだった小説を、自分でも書いてみたくなったからだ。千草はアルバイトがしたいからと部活には入らなかったけれど、毎週金曜日のこの時間に和の最初の読者になっている。
「まあ決まらなかったら放課後みんなに読んでもらえば?」
千草はそう言いながらノートを置いた。みんなとは文芸部の部員たちのことだ。
「それは、そうだけど……」
和はひとつため息をついた。そこでようやく体を起こすも、気だるそうな目をしている。
「やっぱり」
「やっぱり?」
「私の気持ちって伝わらないのかなあ」
そうしてもう一度ため息をついた。
「和の気持ち? 登場人物の心理描写だったらきれいにされてると思うけど」
「そうじゃなくてぇ」
いつになく元気のない和に千草は不安になってきた。なんと言っても和が小説を完成させられないなど初めてのことなのだから。
「ねえ、私がさあ、金曜日までに書けなかったことってあった?」
「なかったよね」
だから心配なんだけど、と言えば和がまた机に突っ伏した。
「なんでいつもちゃんと書いてたと思う?」
そうくぐもった声でたずねてくる。
「なんでって、えー、やっぱり完成したのをみんなに読んでもらいたいから?」
「千草に最初の読者になってほしいからだよ」
「……そういうこと言うの?」
千草は急に表情を曇らせ、下を向いたままの和に手を伸ばした。肩にかかるかかからないかの長さをした、柔らかな髪。するりと指を通して掬い上げる。
「千草って思わせぶりって言われない?」
髪を撫でられながら、和がそんなことを口にする。
「なんのこと」
「べつにぃ」
「で、どう悩んでるの?」
千草は和の髪から手を離すと頬杖をつきながらそうたずねた。これまでだって和から小説の展開に関して相談を持ち掛けられたことはあったし、中学の頃は図書委員の時間によくふたりで小説の感想を話し合ったものだ。そうしたときに、例えばラストはこうなってくれた方がよりよかっただとか、そんなことも話していた。だから千草はあの頃のような気持ちで和にたずねる。
千草の手が離れるのを合図に和はふたたび体を起こした。両手を膝に置き、スカートをきゅっと握る。
「簡単に言うと、ハッピーエンドにするかバッドエンドにするかで悩んでる。っていうかハッピーエンドにしたいんだけど」
「じゃあすれば?」
そこまで決まっているのに書かないのがますます珍しい。和は自分の物語の芯みたいなものを持っているタイプだ。
「なんかさあ、しっくりこないんだよね」
「ハッピーエンドが? でも読んだ感じだとそうなっても違和感なかったけど」
物語はふたりの主人公がお互いに対して抱いている想いに気が付き始めるところで途切れていた。それが友情なのかそれよりも深い愛情なのか、なんて葛藤を予感させる途切れ方だ。
「ありがと。そこが伝わってて嬉しい。でもね」
和は手元にあったノートをぱらぱらとめくった。特に開きたいページがあるわけではなく、ただただ手持ち無沙汰だっただけだ。
「あっさりハッピーエンドな小説ってつまらなくない?」
「まあ多少はドラマチックな方が? 起承転結ってやつだよね」
「そう、そこなんだよね」
「どこ?」
急に身を乗り出した和に、千草はすこしだけ驚く。
「なんで起承転結って必要なんだろ」
「なんで? なんでって……」
そう言われるとなかなかに難しい。でもそれがないと物語はいつまでもだらだらとつづいてしまって、始まりや終わりといった枠組みがなくなってしまうからだろうか。
そんなことを千草が言えば、和も「だよねえ」と言った。
「だよねえ。わかってるんだよね、わかってるんだけどぉ」
「どうしたの」
「でも私はそこに納得できないの」
「ん?」
「だってさ、考えてもみてよ。物語であっさりハッピーエンドになったらつまらないって、でも現実でそれが起こったらすごくない? 奇跡じゃない?」
「あー、まあ……そう、かな?」
和から言われたことを、千草は反芻してみる。でもその思考を邪魔するかのように何人かの生徒が教室に入ってきた。そろそろ登校時間のピークである。先ほどまであたりを包んでいた静けさは遠のき、周囲が次第にざわめき始めた。それに引っ張られるようにして千草の集中力は徐々にほどけていってしまう。
そんな千草とは反対に、和はむかしからこの感覚が好きだと思った。だってまるで、自分が匿名化されてゆく気がする。匿名化。いっそ本当にそうなれたらいいのに。そうしたらたとえ平坦でつまらない物語だと言われても、私は望むハッピーエンドを書けるのに──そう思いながら、和はでも、自分の書いたものとして千草の手に渡るうちは絶対にできないと言い聞かせてもいる。
「和はさ」しばらくしてから千草はそう言って和のノートを手にとった。先ほど見せてもらった新作のページを開き、目でたどってゆく。「なんか悩みでもあるわけ?」
「え?」
「現実であっさりハッピーエンドになったらすごいことだって。そうなってほしい何かでもあるのかなって」
目の前に広がる和の書いた物語。仲の良い幼馴染の女の子たち。すこしずつ、友情以上の想いを抱き始めるふたり。
「……ある」
「なに? なんでも聞くよ?」
「あの、ね」
和の声はほとんど消え入りそうだ。教室にはさらに人が集まっており、そのざわめきのせいで顔を近づけなければ聞き取ることができない。千草はすこし乗り出すようにした。そこへ和が口を寄せる。
「新しい小説、モデルがいるんだ」
モデル? 声には出さず、千草は目だけで聞き返す。先を促すが和は口を開かない。ただそっと千草の手をとった。
「え、待ってよ。私たちってこと?」
和は下を向いたまま小さく頷く。
「あー……」
千草は天井を仰いだ。周囲のざわめきがうるさくて全然考えがまとまらない。ああでも、ひとつだけわかることがあるかもしれない。
「確かに和の言う通りかもね」
「え?」
和はおそるおそる顔を上げた。勢いに任せてとんでもないことを言ってしまったと後悔しているような表情である。
「現実であっさりハッピーエンドになったらすごいことだわ」
「千草?」
「和の新しい小説、私たちがモデルならハッピーエンドにしなきゃ」
そう言って千草は自分の手を掴んでいた和の手に指を絡めた。じわりとどちらのものかわからない熱が伝わる。
「……なんてこった」
かろうじてそうつぶやく和は惚けた顔をしていて、それを見て千草は小さく笑った。
「まぬけ面してる」
「嫌いになった?」
「ううん、可愛い」
目と目が合う。教室のざわめきが遠のいてゆく。今はもう、聞こえているのはお互いの声だけだった。
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