短編集 ~レトロ喫茶 GRAVITY~

高橋晴之介(たかはしせいのすけ)

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霧の夜の月 ~月~

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 夕暮れから街をうっすらと霧が包んでいます。雨が降るのでしょうか?
 テーブル席には人待ち顔で1人の女性が外を眺めています。初めてお見掛けする方です。

 この時間の人の流れは、ほとんどが駅とは反対の方向に向かっています。
 お勤めの方、学生さん、お買い物。皆それぞれに家路を急いでいます。

「マスター、ミルクにほんの少しだけコーヒーを入れたアイスカフェ・ラテとクルミのパイをお願いします」
「かしこまりました」

 私はコーヒー豆を強めに煎って、あまり出番がないエスプレッソマシンで濃いコーヒーを出しました。
 それをアイスミルクにほんの少し、静かに落とします。
 カフェ・オ・レと言われればドリップコーヒーにミルク。割合は1:1。
 カフェ・ラテと言われればエスプレッソにミルク。割合は1:4。だいたいの基本はそんな感じにしておりますがお客様のご要望があれば如何様にも調整しております。
 深煎りの豆で出したエスプレッソはほんの少しでも華やかな香りを運びます。

 お飲み物とお菓子の支度が整ったタイミングで、ミドルが入って来ました。
 カウンターのいつもの席には向かわず窓際のテーブル席に座りました。

「お待たせ」
「まだ来たばかりよ」
「嘘だな。この店でコーヒーを飲みたければ、豆を煎るところから待たなきゃならん。それが出て来るタイミングってことはもう注文してから20分近く経つはずだ。それが例えコーヒー牛乳だとしてもな」
「待つのは嫌いじゃないの。なんでもお分かりなのね?相変わらず」
「ここの桜は散ってしまったけど、つきさんの方はどうなの?さすがにもう雪は溶けたんだろうけど」
「桜、もうすぐ咲くわ」

 どうやら月さんは北国から来たミドルのお友達のようです。
 ほんのり艶がある紅消鼠べにけしねずみのワンピースに長春色オールドローズのネイル。落ち着いた大人の雰囲気の月さんのお姿は霧の夜に咲く八重桜のように見えます。染井吉野とは違い八重桜はこのまま春が続くかのように長い時間、人の目を楽しませてくれるものです。
 そう言えば桜も薔薇の仲間でした。

「最近どう? あんまり元気ないみたいだけど。どうせ働きすぎだろ?」
「そんなところね。だからわざわざここまでコーヒー牛乳飲みに来たのよ。ミドルの顔を見に来たんじゃなくて」
「どこでも飲めるだろ?カフェ・ラテは」
「ここのが一番美味しいって教えてくれたのはあなたよ」
「そ、そうだったな。俺の顔を見たければここに来いって言った覚えはある」

「ねえ、ミドル。桜はどうして毎年咲いて、散っていくの?」
「ずいぶん難しい謎を掛けたもんだな。年が明けてからの最高気温が足し算して600℃になったら咲くんだよってのは模範解答だが、月さんが聞きたいのはそういうことじゃないんだろ?」
「それはニュースでもやっていたわ。ミドルらしい答えが欲しいの」

「そうだな、俺はこっちで桜が開いた時に桜に聞いたんだ」
「お話しできるの?桜と? やっぱりミドルね」
「冬は寒い、だからみんな背中を丸めて下を向いて、つまらない顔して生きてるだろ。そんなことをしてたら肩も凝るし、腰も痛くなる。もちろん気分だって上がってこない」
「そうね、ずっと下を向いてた。雪で滑らないように」
「だけどな、桜が咲いたらみんな一斉に上を向くだろ。たった1輪咲いただけで背伸びして見つめるだろ。それが桜からのメッセージさ。上向け!前向け!背伸びしろ!って。それが春のサインだ」
「確かにそうね。上を向いて花を眺めるってことは私も桜とお話しできているってこと?」
「ああ、もちろんだ」

「じゃあ、どうして散ってしまうの?」
「そりゃ~、いつまでも上を向いていたら首が痛くなるし、人とぶつかったりするし、だいたいほとんどのやつの口が半開きで頭悪そうに見えるからに決まってんじゃん!」

 最後の一言はミドル流の照れ隠しなのでしょう。

 桜が何を想って咲くのかは私たちが知る由もありませんが、それは人に美しいと感じる心を教えるためかもしれません。
 あの日見た桜がこんなに大きくなった。今年も咲いた。

 またあの場所で来年も……という元気を私たちにくれるために咲くのかもしれません。

【国破れて山河あり】
 人々が争い、街が消え失せても桜はまた春を告げ、若葉を伸ばす。
 できるならずっと穏やかな日々が続くようにと幼い人類に伝えるため。

「マスター、ごちそう様。カフェ・ラテもパイも美味しかった」
「ゆっくりしていかないんだ?」
「早く帰らないと、桜が……」
「雪国でももう咲くな、駅まで送るよ。八重桜眺めながら歩こう」

 私もドアの外に出て、お2人の背中が見えなくなるまで見送りました。

 雨の気配はなく、八重桜と赤い月がぼんやり見える素敵な夜でした。


 それはまるで紅消鼠べにけしねずみの空に、長春色ながはるいろ

 風が全くない夜に、私が見たのは幻の月だったのかもしれません。


 本日もご来店ありがとうございました。
 それではまた……、ごきげんよう。
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