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第十七話 雨
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「おいのさんは、寅次のことをどう思っているんですか」
つい聞いてしまったが、そこまでおかしな質問でもないだろう。そう考えていると、おいのの表情が曇った。
「寅次さん、ですか。とても仕事ができる方だと伺っています。でも……少し気性が荒くて揉め事が多いと、以前の善太郎さんから聞いております。私の方からは、それくらいしか知らなくて。岩喜屋に来ていた時も、私とはあまり話していませんでした」
「……そうか。分かりました」
あまり接点はないということだが、寅次は本当においのの事を苦手に思っているのだろうか。こちらが勝手にそう思っているかもしれないし、帰ったら話を聞いてみよう。
おいのは甘酒をすすり、団子を一口食べている。
蒼介は、ふと、帯に挟んだ子犬の形をした根付に目がいった。巾着袋がぶら下がっている。善右衛門から渡された、善太郎の形見ともいえる大事なものだ。
雨粒が付いている事に気がついて袖で拭うと、その様子をおいのが見ていることに気が付いて声をかける。
「こんなことを聞くのは何ですが、俺は誰かに恨まれたりしていませんでしたか? 記憶がなくなる前はとんだ無礼者だった、なんてことは――」
「まさか。とても優しいお方でしたから、誰かに恨まれるなんて考えられません」
善太郎という男は相当に人が良かったのだろう。お店のものたちからも慕われていたようだし……そう考えてから、不仲だったという兄の事を思い出した。
「兄さんは?」
そう言うとおいのは肩をぴくりと震わせた後、悲し気に眉を下げた。
「そうですね……あまり仲は良くなかったと聞いています。あの人は……」
そこまで言うと、歯切れが悪くなる。善一郎は女好きなようだし、まさか何かされたのかと心配していると、おいのは「いいえ、私が言う事でもありませんね。もしかしたら、これからは仲良くできるかもしれないですよ」と笑顔を浮かべた。気を遣わせたのだろうか。
「いや、すまなかった。最後に聞きたいんだが、行方不明になる前に、俺と最後に会った時の様子を覚えているか? もしも無礼なことをしていたら申し訳がない」
「最後なんですか? もう二度とお話はしてくれないの?」
「いや、そういう意味ではなく」
またもや潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。本心を言うともう会いたくはない。騙していることに引け目を感じる上に、好意を感じるからだ。本気なら困るし、演技だったら恐ろしい。
「ごめんなさい。ふふ、最後に会った時に私たちは約束をしたんですよ」
「そう言えば、そんなことを言っていたな。すまない、まだ思い出せないんだ」
「いいんですよ。思い出したら教えて下さいね」
「分かった」
そう言われては、頷くしかない。
「たくさん教えてくれてありがとう。雨のせいで冷えますね。もう帰りましょう。岩喜屋まで送ります」
礼を言い、立ち上がった。連れたって店を出る。ボロが出てしまっては困るし、もう帰った方が良いだろう。
雪太郎はこの娘の事を「なんだか勘が良さそうだ」と言っていた。確かにそう見えるところもある。
「あの、もう少し良いですか? 私、行きたい所があって」
おいのが悲し気な表情で言う。雨の音がひどく大きく聞こえた。
「どこですか?」
付き合わなければいけない流れになっているが、訊ねることにした。すると、「薬研堀不動院に」と控えめな声で答える。
心底驚いた。
江戸三大不動のひとつである薬研堀不動院だが、こんな雨の中に参拝に行きたいのだろうか。
絶え間なく雨粒が落ちてくる。横殴りの雨で傘を差しても容赦なく着物が濡れた。
「おいのさん、雨で身体が冷えます。体調を崩したら大変だ。やはり、今日は帰りましょう」
「お願い……」
蒼介の着物の袖をつかみ、おいのが懇願してきた。
「善太郎さんは病み上がりなのに、ごめんなさい。でも、今日お別れしたら、あなたにお会い出来るのが、最後になってしまう気がするの」
心の内を暴かれたような気がして、蒼介は黙り込んだ。
「ああは言ったのだけれど、本当は……あの約束を少しで良いから思い出して欲しい。だって――」
「分かりました。行きましょう」
ひょっとしたら、また聞きたいことが出てくるかもしれない。ここで嫌われる事もないだろう。
蒼介が頷くと、おいのの表情が明るくなった。「嬉しい」と言って身を寄せてくる。心底困ってゆっくりと身を離すと、おいのは軽い足取りで先へ進んだ。
「この雨で、辺りには誰もいないですね。ふふ、私と善太郎さんだけ」
そう言うと、おいのは蛇の目傘をくるくると回している。はしゃいでいるようにも見えた。濡れた着物を気にする事もなく、子供っぽい笑顔をむける。
薬研堀は雨のせいで水量が増している。やはり辺りには誰もいない。ここに来る途中の小物屋や料理屋も店じまいをしていた。
もう少し進めば、薬研堀不動院が見えて来るだろう。
この雨でも行きたいとは、よほどの理由があるのかもしれない。善太郎とした約束とは何だったのだろうかと蒼介は気になった。もしかしたら、善太郎が居なくなった事に関係が無いとも言い切れない。
「おいのさん、約束とは――」
蒼介が意を決して、口を開いた時だった。
雨音にまじり数人の男の足音が聞こえたかと思うと、あれと言う間に蒼介とおいのを取り囲んだ。
つい聞いてしまったが、そこまでおかしな質問でもないだろう。そう考えていると、おいのの表情が曇った。
「寅次さん、ですか。とても仕事ができる方だと伺っています。でも……少し気性が荒くて揉め事が多いと、以前の善太郎さんから聞いております。私の方からは、それくらいしか知らなくて。岩喜屋に来ていた時も、私とはあまり話していませんでした」
「……そうか。分かりました」
あまり接点はないということだが、寅次は本当においのの事を苦手に思っているのだろうか。こちらが勝手にそう思っているかもしれないし、帰ったら話を聞いてみよう。
おいのは甘酒をすすり、団子を一口食べている。
蒼介は、ふと、帯に挟んだ子犬の形をした根付に目がいった。巾着袋がぶら下がっている。善右衛門から渡された、善太郎の形見ともいえる大事なものだ。
雨粒が付いている事に気がついて袖で拭うと、その様子をおいのが見ていることに気が付いて声をかける。
「こんなことを聞くのは何ですが、俺は誰かに恨まれたりしていませんでしたか? 記憶がなくなる前はとんだ無礼者だった、なんてことは――」
「まさか。とても優しいお方でしたから、誰かに恨まれるなんて考えられません」
善太郎という男は相当に人が良かったのだろう。お店のものたちからも慕われていたようだし……そう考えてから、不仲だったという兄の事を思い出した。
「兄さんは?」
そう言うとおいのは肩をぴくりと震わせた後、悲し気に眉を下げた。
「そうですね……あまり仲は良くなかったと聞いています。あの人は……」
そこまで言うと、歯切れが悪くなる。善一郎は女好きなようだし、まさか何かされたのかと心配していると、おいのは「いいえ、私が言う事でもありませんね。もしかしたら、これからは仲良くできるかもしれないですよ」と笑顔を浮かべた。気を遣わせたのだろうか。
「いや、すまなかった。最後に聞きたいんだが、行方不明になる前に、俺と最後に会った時の様子を覚えているか? もしも無礼なことをしていたら申し訳がない」
「最後なんですか? もう二度とお話はしてくれないの?」
「いや、そういう意味ではなく」
またもや潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。本心を言うともう会いたくはない。騙していることに引け目を感じる上に、好意を感じるからだ。本気なら困るし、演技だったら恐ろしい。
「ごめんなさい。ふふ、最後に会った時に私たちは約束をしたんですよ」
「そう言えば、そんなことを言っていたな。すまない、まだ思い出せないんだ」
「いいんですよ。思い出したら教えて下さいね」
「分かった」
そう言われては、頷くしかない。
「たくさん教えてくれてありがとう。雨のせいで冷えますね。もう帰りましょう。岩喜屋まで送ります」
礼を言い、立ち上がった。連れたって店を出る。ボロが出てしまっては困るし、もう帰った方が良いだろう。
雪太郎はこの娘の事を「なんだか勘が良さそうだ」と言っていた。確かにそう見えるところもある。
「あの、もう少し良いですか? 私、行きたい所があって」
おいのが悲し気な表情で言う。雨の音がひどく大きく聞こえた。
「どこですか?」
付き合わなければいけない流れになっているが、訊ねることにした。すると、「薬研堀不動院に」と控えめな声で答える。
心底驚いた。
江戸三大不動のひとつである薬研堀不動院だが、こんな雨の中に参拝に行きたいのだろうか。
絶え間なく雨粒が落ちてくる。横殴りの雨で傘を差しても容赦なく着物が濡れた。
「おいのさん、雨で身体が冷えます。体調を崩したら大変だ。やはり、今日は帰りましょう」
「お願い……」
蒼介の着物の袖をつかみ、おいのが懇願してきた。
「善太郎さんは病み上がりなのに、ごめんなさい。でも、今日お別れしたら、あなたにお会い出来るのが、最後になってしまう気がするの」
心の内を暴かれたような気がして、蒼介は黙り込んだ。
「ああは言ったのだけれど、本当は……あの約束を少しで良いから思い出して欲しい。だって――」
「分かりました。行きましょう」
ひょっとしたら、また聞きたいことが出てくるかもしれない。ここで嫌われる事もないだろう。
蒼介が頷くと、おいのの表情が明るくなった。「嬉しい」と言って身を寄せてくる。心底困ってゆっくりと身を離すと、おいのは軽い足取りで先へ進んだ。
「この雨で、辺りには誰もいないですね。ふふ、私と善太郎さんだけ」
そう言うと、おいのは蛇の目傘をくるくると回している。はしゃいでいるようにも見えた。濡れた着物を気にする事もなく、子供っぽい笑顔をむける。
薬研堀は雨のせいで水量が増している。やはり辺りには誰もいない。ここに来る途中の小物屋や料理屋も店じまいをしていた。
もう少し進めば、薬研堀不動院が見えて来るだろう。
この雨でも行きたいとは、よほどの理由があるのかもしれない。善太郎とした約束とは何だったのだろうかと蒼介は気になった。もしかしたら、善太郎が居なくなった事に関係が無いとも言い切れない。
「おいのさん、約束とは――」
蒼介が意を決して、口を開いた時だった。
雨音にまじり数人の男の足音が聞こえたかと思うと、あれと言う間に蒼介とおいのを取り囲んだ。
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