嘘つきは秘めごとのはじまり

茜色

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青葉の頃

 配属初日の新入社員たちは分譲住宅課と注文住宅課の二手に分かれ、ほぼ丸一日それぞれの課長と会議室に缶詰めになって実務に関する説明を受けていた。当然私が陸と個人的に会話を交わせる時間などまったくなかった。

 初日の昼食は、部長が新人たちにご馳走するのが毎年の恒例だ。部長の後ろにくっついて一行がフロアを横切る際、陸は私の方へこっそりと視線を向けてきた。
 どういう表情で彼を迎え入れるべきなのか混乱したまま、私はとりあえず歓迎する気持ちを込めて微笑みを返した。ぎこちない笑みだったかもしれないけれど、陸は私の顔を見てホッとしたように表情を緩めた。
 陸もまた、私と顔を合わせることに彼なりの不安を感じていたのだろう。陸もあの時のことを忘れていない。それが伝わってきて、苦しいような、でもどこかで喜ぶような複雑な気持ちが込み上げてきた。


 陸ときちんと言葉を交わしたのは、その翌日だった。
 配属2日目の金曜日、陸たちは午後にはさっそく先輩社員に連れられて現在販売中の分譲地に行く予定になっていた。おそらく定時まで週末の売り出しの準備を手伝わされ、土日は現地販売センターで雑用にこき使われるはずだ。
 陸自身もチャンスは今日の午前しかないと思ったのだろうか。朝、私が更衣室から自分の席に向かう途中、給湯室の陰から不意に声を掛けられた。

「雛子先生」
 懐かしい響きに胸がキュッと締めつけられる。私は周りに人気ひとけがないのを確認してから、振り向いて陸の顔を見上げた。
「・・・もう先生じゃないよ」
 そう言って、少し笑って見せる。陸もはにかむような笑みを浮かべ、緊張を吐き出すように小さく息をついた。

 思ったより気まずい空気にはならなかった。近い距離でこうして顔をあわせると、5年も縁が切れていたのが嘘のような不思議な気持ちになる。
「じゃあ・・・何て呼ぼう。雛子さん?」
「香坂さん、でしょ?普通は」
 私がそう言ってクスッと笑うと、陸は安堵した表情になって「今さら香坂さんなんて呼べないよ」と悪戯っぽい口調で笑い返してきた。
 笑い顔は、あの頃と何も変わっていなかった。この瞳を見つめながら、他愛ない話をして笑いあった夏の日の記憶がふと蘇る。

「昨日はすごく驚いた。うちの会社に入ったのね」
「うん。・・・雛子さんが『ヤマトホームズ』の事務職で内定もらったって昔聞いてたから」
 追いかけてきたんだ、と陸は冗談を言った。
「年上をからかわないで」とたしなめたら、「本当のこと言ってるんだよ」と真顔になった。
「逢えたらいいなって思ってたけど、まさか同じ課になれるなんてね。・・・すごい偶然」
 そう言って、射抜くような眼で私を見つめてくる。

「時間なくて、今ゆっくり話せないけど・・・。その、俺がここに来て迷惑かもしれないけど、これから後輩としてよろしくお願いします」
 陸は改まった様子で私に頭を下げた。そのままの姿勢で「あの時のこと、ちゃんと謝りたくて」と小さな声で続けたので、私は思わず息を深く吸い込んだ。

「・・・陸くん、いいの。そのことは、言わないで。それに、迷惑なんて全然思ってない。また逢えて嬉しいよ。これからよろしくね」
 私はできるだけサッパリした明るい声で言った。救われたような顔で身を起こした陸に、にこりと微笑みかける。すっかり社会人生活が板についた、先輩社員らしい態度で。

 本当は、胸がせつなく痛んで仕方なかった。
 陸の顔を見るだけで、この5年の間に消化したくてもできなかった想いがあふれてきそうになる。けれども今はこうして陸と再会し、素直に向き合えた奇跡に心から感謝したいと思った。

 陸はまだ何か言いたそうな顔で、私をじっと見ている。ほんの数秒なのに、見つめあう時間が果てしなく長く感じられて胸がドキドキしてきた。黙ってお互いの顔を見つめていると、どうしたってあの日の出来事が蘇ってきそうになる。

「陸くん、すごく大人っぽくなったね。スーツ、似合ってる」
 本当によく似合っていた。もちろん初々しさはあるのだけれど、陸の場合、青年の匂い立つような清々しい色気の方がはるかに勝っている。
「そう?・・・就活でもさんざん着たのに、未だに慣れてないよ。スーツって肩凝るね」
 陸は照れくさそうに笑ってから、また真面目な顔になった。

「雛子さんは、前よりもっと綺麗になったね」
「え・・・。そんなことないよ。・・・陸くん、大人になってお世辞も上手になったのね」
 思わず恥ずかしくなって視線を逸らすと、「お世辞じゃないよ」と陸が呟いた。
「髪型、前と少し違うね。大人の女の人っぽい」
 私の髪の長さは昔と変わらぬセミロングだけれど、今は毛先に緩いウェーブを施してある。
「一応、これでも大人ですから」
 少しふざけて答えると、陸が「うん、綺麗。ドキドキする」と素直すぎる口調で微笑んだ。

 胸がざわめいて、適当な言葉が浮かんでこない。もっと陸と一緒にいたい、話がしたい気持ちが膨れ上がってきて自分に戸惑った。陸もまた、その場から動こうとしない。

「・・・ね、陸くん。もう行った方が良くない?これからレクチャー受けて、午後現場でしょ?」
「あ、うん。そうだね。引き止めてごめんなさい」
「ううん、話せて良かった。・・・ありがとう」
 心からそう伝えると、陸は本心から嬉しそうな顔になった。

 私と陸が給湯室を出て分譲課フロアに入って行くと、デスクの向こうから視線が飛んできた気がして一瞬ビクリとした。
 中山主任がまっすぐにこちらを見つめている。あっと思った瞬間、別の方向から久保田課長がつかつかとこちらに向かって歩いてきた。朝から疲れた顔をしている課長は、「おーい、新人!」と陸に向かって手招きしている。
「レクチャーが始まるぞ。早くしろ」
「はい、すみません。すぐ行きます・・・!」
 陸が小走りに会議室に向かう背中を見送り、私は少し胸が浮き立つようなくすぐったい気持ちで自分の席に着いた。
 腰を下ろした途端、持っていたスマートフォンが振動した。見ると、中山主任からのメッセージだった。

『新人と何話してたの?ナンパでもされた?大丈夫?』
 見張られているような気がして、なんとなく息苦しさを感じた。私が携帯の画面を見ているのを、中山主任は向こうの席からじっと観察している。
 陸とは知り合いだと早めに言っておいた方が良いのかもしれないが、何故か中山主任には秘密にしておきたい気がした。
『別に何もないですよ。私が荷物を落としたので、拾ってもらって挨拶しただけです』
 そう返信し、私は主任に視線を向けないままパソコンの電源を入れた。


 平凡だった会社生活が、陸の入社によって急に特別な色合いを見せ始めた。
 分譲課に来てからの陸は、上司や先輩にくっついて仕事の基礎を覚えるのに必死だった。私は私で、退職した先輩から引き継いだ仕事にまだ慣れていなくて残業になることが多い毎日を送っていた。
 お互いに多忙で、ゆっくりふたりきりで話す時間はなかなか訪れなかった。それでも、陸がワイシャツ姿で広告の詰まった段ボールを運んで何往復もしている姿を見かけたりすると、まるで夢でも見ているような不思議な気持ちになった。
 かつて自分から縁を切るようなことをしておきながら、今の私は陸との再会に明らかに心を躍らせていた。自分の身勝手さに困惑すると同時に、ときめきにも似た高揚感が胸を満たすのを否定できずにいる。そしてそれと同時に、中山主任への罪悪感がじわじわと胸に広がっていった。

 
 土日祝日になると、営業マンは現地販売センターや住宅展示場に赴いてひたすら接客と商談に明け暮れる。
 私のような内勤の社員たちは、土日は営業マンが不在な分いつもより静かなオフィスで事務仕事をする。けれども現地でイベントがある時などは、人手が足りなくて内勤スタッフも手伝いに駆り出されることも珍しくなかった。

 ゴールデンウイークの週末、分譲地ではファミリー向けの大掛かりなイベントが開催された。
 景品が当たる福引き大会や、鉢植えの展示即売会、子供向けのゲームなど、会場はいつになく賑やかになる。私は福引きのスタッフとして動員され、同僚の絵梨と一緒に粗品を渡す係を担当した。
 5月のやや強い日差しと爽やかな風にさらされながら、私はイベントスタッフの仕事をいつも以上に楽しんだ。
 朝から普段よりはしゃいでいる自分に気づいていた。その理由が、丸一日陸の存在を近くに感じられるからなのは明らかだった。
 時折遠目にパチッと眼が合う。すると陸はちょっと眩しげな笑みを浮かべる。それだけで胸が弾むような気持ちになり、まるで自分が中学生に逆戻りしたみたいでちょっと恥ずかしかった。

 イベントは好評で来場も多く、夕方には心地良い疲労感でくたくたになった。
 私は絵梨と一緒に残った粗品を片付けながら、丸一日大忙しだった陸の姿をチラリと横目で確かめた。
 朝はヘリウムガスで風船を膨らませて子供たちに配る係、昼時は焼きそばの屋台の助手、そして午後からはモデルハウスを見学するお客様の案内係と、陸は人一倍奮闘していた。
 まだ住宅については素人に近い新入社員でも、営業マンが足りなければ普通に接客させられる。陸はお客様からの鋭い質問に四苦八苦していたけれど、頭の回転の良さと人を惹きつける独特の魅力のおかげか、年配のご夫婦にかなり気に入られたようだった。
「うち帰って、ちょっと考えるわ。お願いする時は、あんたに電話するからさ」
 60代のご主人に笑顔でそう言われ、陸は「ありがとうございます!お待ちしています」と深々と頭を下げていた。

 なんとなく、陸はいい営業マンになるような予感がした。
 相手に合わせられるノリの良さと呑み込みの早さ、そして根底にある意外に生真面目な熱心さ。
 10代特有の罪のない傲慢さが滲む昔の陸も魅力的だったけれど、ひたむきに貪欲に仕事を覚えようとしている今の陸はもっと輝いて見えて仕方がなかった。


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