燃えよドワーフ!(エンター・ザ・ドワーフ)

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第八章

三魔将との激突 その4

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 背後から、下草を踏みにじるブーツの靴音が、勝利を宣言するかのように明確に、彼女の耳に響いた。額から脂汗がにじむ。
 コニンの命は、いまや風前の灯であった。
 革鎧の一部を紅くにじませ、手負いのまま逃れる彼女の背を、ンテカトルは軽快な足取りで、ゆうゆうと追いかけている。まるで口笛でも吹き鳴らしそうな調子だ。
 
 ンテカトルはふいに追跡をやめた。
 足をとめ、ゆっくりと、だが慎重に弓を構える。
 コニンはただひたすらまっすぐ、木の壁沿いを逃げている。追いつめられているという心の焦りが、動きを単調にしてしまっているのだろう。
 外す距離ではない。これは簡単な狩りだ。
 にっと笑みをこぼし、矢をきりきりと引きしぼったときであった。
 
「――な、なんだ?」

 鋼魔将の口から驚きの声が漏れた。それも当然であろう。
 もはや息の根を止める寸前まで追い詰めていたコニンの背中が、不意に、忽然と視界から消えたのである。

 コニンには、信念があった。諦めなければ必ず勝機はあると。
 ふりかえってみれば、幼少時代からそうだった。コニンはこうと決めたら、決して諦めない娘だった。
 貧しいながらも貴族の娘として、彼女はさまざまな習い事を強要された。すべては親が勝手に決めた婚姻先、ノラック家に嫁ぐためであった。
 しかし、彼女は頑なだった。自分の道は自分で決める。コニンはおのれの中に天賦の才が眠っていることに気がついていた。それが弓であった。
 大人たちは慌てて、彼女の手から弓を引き剥がそうとした。
「それなら、自分より弓の達者な者を連れてきてみてよ!」彼女はそう高らかに宣言した。
 実際、彼女より弓が達者な者は、ニルフィン家はおろか、ノラック家にもいなかった。近所の腕自慢の子供たちも集められたが、コニンを打ち負かすものなどひとりもいない。
 両家の人々は大いに悲嘆したものだったが、ただひとり、彼女の弓の師匠だけは自慢げに「ま、俺の弟子だから当然だ」と、得意げに胸を反らせていた。
 そうだ、諦めなければ道は開ける。
 コニンは木の壁の先にあるものを見出していた。

「あ、あった――」

 その信念が吉と出た。延々とつづく高い木の壁の一部分――そこに彼女は、横穴らしきものを見いだしていた。敵はもうとっくに、こちらへ矢を向けているはずだ。
 まさにいちかばちか。コニンは奇跡を信じて、そこへ身を投じた。
 運は彼女に味方した。転がり込んだ先は、人が身をかがめずとも通れそうな木製のトンネルになっていたのだ。
 この横倒しになった巨木の壁が通行に邪魔なので、旅人か行商人か、それとも近所の木こりが彫ったのだろうか。木のトンネルの向こう側には、細い山道がつづいている。
 
 コニンは四つんばいの姿勢のまま、必死に暗い木のトンネルの先へと向かった。もはや野ネズミといわれても構わない。恥も外聞も関係なかった。
 トンネルの長さは思ったより短かった。すぐに光が彼女を包んだ。
 這い出るとほぼ同時に背後をふりかえり、弓を構える。

「い、痛った……」
 
 激痛によりこぼれおちそうな悲鳴を、唇を嚙んで、かろうじて呑みこんだ。
 弓を引いた瞬間、矢が刺さった肩が猛烈に痛んだ。 
――だが、弱みを見せては駄目だ。我慢するしかない。
 勝利のチャンスはここしかないのだ。
 痛みに脂汗をながしつつ、ひたすら相手が穴の向こう側に姿を現すのを待つ。
 
 ちらり、と相手のブーツの爪先が見えた。
 すうっ息を吸い、止める。痛みも緊張も、すべて意識外に追いやる。
 コニンの集中力が高まっていく。オレは弓であり、矢だ。
 彼女は自分に暗示をかける。ただ矢を射出するだけの存在と化すべく。
 
 だが、相手はそこから進んでこようとはしなかった。
 その状態のまま、彼女を嘲笑した。

「――なあ。このむこうで、矢を構えているんだろう?」

 見抜かれて、ぎくりとした。つかのま集中が揺らぐ。
 だが、覚悟を決めるしかない。もうこの策に乗ってもらうしか、コニンに勝ちの目はないのだ。
 弓をひきしぼった状態のまま、無言で待った。
 やがて焦れたか、穴の向こうに、相手の姿が現れた。
 こちらが弓を構えているのを見ても、おどろく気配は微塵もない。
 そんなことは先刻ご承知とばかり、余裕の面構えで笑っている。
 
「さて。待ってると知っていて、馬鹿正直に穴をくぐる奴が――」

 言いもおわらぬうちである。コニンは反射的に矢を射った。
 しかし、すでに男の姿は消えていた。
 頭上からンテカトルの声が降ってきた。

「こうして、木の上から越えていけば、何の問題もないんじゃないのか? ン?」

 この横倒しになった壁のような巨木の上を越える。それはコニンの身体能力では不可能だが、ンテカトルの驚異的な跳躍力ならば可能であった。
 笑い声が森に響き渡った。それは勝利を確信した笑いだった。
 見上げるかたちとなったコニンは、矢筒から次の矢を番えなければならない。その動作が完了するより、タイミング的にンテカトルの矢が降ってくるのが先であろう。
 この距離で頭上から射られれば、死ぬしかない。
 
 コニンはただ、待った。みずからの信念に基いて。
 やがて、ぼぐっと何かが抜ける音がした。
 木のトンネルに、上から脚が生えている。

「なっ、なにが起こったというのだ?」

「オレ、最初に触って確認していたんだよね。この木さ、古いから腐って崩れそうだなって思って。だから簡単に穴なんてえぐれたんだろうけど」

「き、貴様、最初からそれを承知で、罠を――」

「うん、跳躍力に自信があるのはわかるけど、軽率だったね。オレは油断しなかったけど、アンタはした。勝敗を分けたのはそこかな」

「まっ、待て。まだ勝負はついておらぬ」

 ンテカトルが、必死に脚を腐った大木から抜き出そうとしている光景を背にして、コニンはゆっくりと巨木のトンネルから距離を取った。
 しっかりと両足を安定した位置にキープする。
 銀色の弓に、矢がするりとセットされる。 

「まいったするなら、今のうちだけど」

 コニンは痛みに内心歯を食いしばりながらも、口元には笑みを形作った。
 ンテカトルは敵意に燃える血走った眼をコニンに向け、

「くっ、こんなはずはない、われが小娘などに負けるはずはない!!!」

「残念だけど、これは現実だよ」

 ひとしずくの木漏れ日が、コニンの弓にぎらりと非情な銀色のきらめきを与えた。
 鏃は正確に、大木に固定された男を視界に捉えている。

「こっ、これはなにかの間違いだァァァ――!!」 

 それがンテカトルという男の、最後の言葉となった。 
 ドローイング。静かなるリリース。
 そして軸のぶれない、安定したフォロースルー。
 風も計算に入れて、しっかりと狙い通りに撃った。
 腐りかけた巨木の上から、紅い液体がしたたった。
 
 緊張が解け、コニンはぐにゃりとその場にうずくまった。
 無理矢理に脳裏から分離させていた肩の痛みがぶりかえしてきたのだ。
 それでも歯を食いしばり、どうにか起つことに成功すると、両目を閉じて、コニンは木のトンネルをくぐった。
 強かったよ、魔族さん。コニンの唇がかすかに言葉を紡いだ。
 森のだいぶ深いところまで来てしまったようだ。
 さて、やってきたのはどの方角からだったか。
 コニンは周囲を見渡すが、痛みで記憶が定かではない。
 一刻もはやく、仲間と合流しなければならない。

「ルカに治療してもらわないと、弓が射れなくなっちゃうよ……」 

 彼女はそうつぶやきながら、よろよろとおぼつかない足取りで、とりあえず歩みはじめた。

 その背後では、巨木に片足を埋めこみ、眉間を矢で射抜かれた無残な屍が、ときおり流れる風の中で静かにたたずんでいた……。

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