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第17話(2章5話)幼き聖女と対の女神。信託の在処
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静まり返る室内に、シュンと肩を落とすその姿は、妙な愛らしさを醸し出していた。それは、聖女だから。というわけでもなく、それ以前に“ひとりの少女”という証でもあった。
そんなアレスティナの向かいに座りながらも、腕を組む姿は腹こそ立っていないものの、いまだ納得しきっていないような顔を見せていた。絶妙な緊張感が部屋を包み込みながらも、アリアナが紅茶を用意する。
「エステル様。ラント様も...」
「はい、アレスティナ様も」
「ありがと。アリアナ......」
「......んぅ」
奇妙な沈黙が4人の間を包む中で、沈黙を破ったのは他ならぬエステルだった。早とちりであったこともあり、ほんのりと頬が染まっていた。
「とりあえず、ラント様には何事もなくて良かったですわ」
「は、はい......」
「そ、それにしても、呪いでその姿になっているとは......」
「あのときは、それどころではありませんでしたし」
「そ、そうですね」
奇妙な沈黙が部屋の中を包み込む中で、ラントとアレスティナ。そして、エステル婦人にメイド服を着ているアリアナと、顔を突き合わせるような状態で奇妙な沈黙が漂ってしまう。
しかし、アリアナも何やら思い当たる節があるようで、チラチラとアレスティナの方に視線を向けたあと、ボソッと口にする。
「アレスティナ様、じっとしてるのが苦手なんです」
「そ、そんなこと無いわよ? こうしてじっとしてるでしょ?」
その場をごまかすようにして取り繕うものの、その姿は全く説得力がなかった。それどころか、むしろ動揺していることがはっきりとわかるほどに、目が泳いでいた。
そんな、彼女の様子はその幼い見た目相応に見え、愛らしさすら感じるもののその服装は見事なまでのローブを纏っているため、幼さと大人びた風格が絶妙なアンバランス感を醸し出していた。
「だって、私が聖女に選ばれたら、みんな変わっちゃうんだもん......」
「楽しく遊んでたはずなのに、みんな拝み始めるし...」
「もぅ、いや......」
両膝を抱え、縮こまる様子は華奢な体が更に小さく見えるほど。怯えて戸惑っていた。いくら姿は聖女であり、女神の代行だとしても、その器はひとりの10代の少女でしかなかった。
それでも、聖女であることに変わりはなく、彼女が“気をつけてね”と言えば、その場所で事故が起こり、耳を傾けていた者は救われたのを皮切りとして、口伝《ひとずて》で伝わるようにして、アレスティナが聖女の信託を得ていることが知られてしまったのだ。
「仕方ないでしょう? それが、聖女様なんですもの...」
「しかたなくないもん! 私はわたしだもん!」
「もぅっ......」
エステル婦人が諭すようにして口にするものの、ぷんっと頬を膨らませて顔を背ける。その愛くるしい姿は、年相応だった。
「確かに、お友達の怪我を治してあげれたときは、嬉しかった」
「うれしかった。でも...」
「拝まれるために、やったわけじゃないのに......」
「それなのに、どうして。みんな...変わっちゃうの?」
「......私は、わたしなのに......」
「......アレスティナ」
感情が爆発するように、大声をあげて思いを打ち明ける。その様子はあまりに聖女としては幼く、聖女。シエラとしては失格のようにも見える。その様子にアリアナは、ラントを誘って部屋をあとにする。
「ラント様、すこし。よろしいですか?」
「......あ、あぁ」
完全に取り乱してしまっている聖女シエラ。
あまりの変わりように、すっかりやられてしまっていたアレスティナは、叫びのような言葉とともにエステル婦人にすがる姿は、ひとりの少女でしかなかった。そんな姿に動揺しつつも、後ろ髪を引かれながらも部屋をあとにする。
立派な設えの邸内を、ハウスメイドの服を着ていたアリアナを横目で見ながらも、その後を続いていく。そのうち、聖女に対しての違和感が込み上げてくる。
『......たしかに、そうだ』
『この年代からしたら、たまったもんじゃない......』
『オレは聖騎士として護衛はしたことがあるが、疑問に感じたことがない......』
アリアナの後ろについて歩いているうち、廊下の突き当りへとたどり着くと、その門扉《もんぴ》はより、重厚な装飾がなされていた。ただ、周囲の壁とは少しだけ違い、より神聖さを感じさせる白壁になっていた。
「ラント様、ここです」
「ここは......」
「はい、邸宅内に設けられた...」
「祈りの場。です......」
「......祈りの場」
そうして、両開きの扉を開かれると、それまでの木目調のデザインとは一変して、ガラリと変わっていた。まるで、そこだけ神殿のような内装となっていて、祈りをするには、最高の場所だった。小上がりの壇上が設けられ、女神像が置かれていて、どこかアレスティナに似ていた。
それに合わせて、対《つい》となるもうひとりの女神像が飾られていたものの、少しだけ離された場所にある。
「ここが......」
「はい、正面が潮騒のエリス様、向かって後方にあるのが...」
「深淵のレーネ様です」
2体の女神像は向かい合うようにして置かれていて、祈りの場所となる場所に立てば、ちょうど後側に位置していた。その石像は対《つい》を成すようにして一段高い場所に設置され部屋を後にするひとを見送るように置かれていた。
数段の小さな階段を上がり、祈りを行う場所にたどり着くと、ちょうどふたりの女神に見守られているような形になる。
「オレは、護衛はしたことがあるけど、こうして改めてはいるのは久しぶり...」
「確かにセントリアにも聖女はふたりいるが......」
「そうですね。セントリアはふたりいますね」
「それじゃ、マリネシアにもふたり......」
そう言ったところだった。うしろの扉が開き入ってくる。
「ひとりしかいないわよ? レーネは不在よ」
「アレスティナ...と、婦人」
「ラント様、娘が取り乱してしまい、すみません」
「ここからは、置かれている状況を説明いたします」
うやうやしく頭を下げる婦人と、頬を真っ赤にしながらも横を向いてしまうアレスティナ。そんな彼女の頭をグイッと下げて、お辞儀をさせる様子はたとえ聖女になったとは言え、婦人にとっては娘でしかないことを感じさせるものだった。
◇◇◇
陰と陽、光と影。
それぞれの国には表と裏の顔があるように、女神信仰も同じだ。支え合う対《つい》の女神は、それぞれ互いを補い合い都市の繁栄《はんえい》と安寧《あんねい》を約束する。冒険者であれば、クエストが順調に進むことを、貿易商であれば商業の安定を、海洋貿易では航海の安全をそれぞれ祈祷することになる。
そこに際して、女神は加護を与えて臣民を守ることとなる。その代行者としての存在が、聖女シエラとレーネの存在。しかし、この国。マリネシアでは状況が違っていたようだ。
「なんでもね? ひとりいればいいじゃん。ってことになったのよ...」
「はぁ? なんで、神官がそういったのか?」
「わからないわよ。伝統かなにかで、そうなってるみたいだし...」
「はぁぁ...」
アレスティナの言葉に頭を抱えるラント。そして、続けて婦人が話すと、更にややこしくなっていく。
「ごほん。ラント様...」
「女神様がふたりおられる、というのは都合が悪いのです」
「どうして、そうなるんですか? ともに支え合うのが普通なのでは?」
「もちろん、その見方もできます」
「なら、なぜ? なぜひとりに......」
「それは、異なる方向を見始めた。つまり......」
「......信仰が相容れないものとなってしまったのです」
その言葉にハッとする。
確かにセントリアでもふたりの聖女は仲良しだ。喧嘩をしたなんて聞いたことがない。口論をしたとしても、すぐに仲直りをする。それが当たり前で普通だ。しかし、マリネシアでは違うようだ。
「恥を忍んでお伝えしますが...」
「ここ、マリネシアはかつて、内戦状態にありまして」
「その争いは長くは続かなかったのですが、その原因となったのが......」
「あぁ、女神信仰と......」
「はい、そうなのです」
よくある話だ。
二神教で寄り添い、手を取り合ううちは仲がよく、都市の繁栄にいい影響を与える。しかし、これが仲違いをしてしまうと事態はややこしい方向へと急転する。互いに争いあい、信者の取り合いに発展してしまう。
思想の違いから、相手を卑下《ひげ》して攻撃するようになる。罵りあい、しまいには武力に打って出ることになる。
「はぁ......」
『そうだ、どうも違和感があるんだ。女神がひとりというのは......』
『そういうことか。だから、アレスティナが嫌と言っていたのは...』
『でも、あの口ぶりは、そこが原因...か?』
頭を抱えながら呆れていたラント。そこに、アレスティナが口を開く。
「ただでさえ、ひとりで大変なのに...」
「お役目を務めてたら、石像になっちゃうなんて、嫌だもん......」
その言葉に驚愕する。
「は? なんで、石化するんだ? 信託でどうにか...」
「ならないわよ? 元々、女神の信託って強すぎるもの...」
「ひとで賄えるわけないじゃない」
「えっ? なら...え?」
後を追うように疑問が浮かぶ。
それでは女神信仰の存在すら危うくなる。それにも関わらず、各国には女神信仰が根付いている。なら、なぜここまで女神信仰が問題視されていないのかが不思議だ。どちらか片方の女神なら、石化し御身体となってしまうというのだ。
「なら、どうしてひとりなんだ?」
「しらないわよ。そう決められてるんだもの...」
「決められてるって......」
『それを、だれもとやかく言わないのか?』
『いや......ちがう......』
頭を抱えてさらに頭を使って考えていくと、ひとつの答えにたどり着く。
『言わないんじゃない......』
『言えない、もしくは......』
『言う必要がないのか!』
そう考えると、全ての辻褄が合っていく。
冒険者が盗賊紛いのことをしていることも、聖女がひとりしかいないことも、そのほうが安定するから。という答えに行き着く。
実際、このことに悶々と考えているラントの様子を心配する姿とともに、聖女がひとり。ということに疑問を持っている様子が感じられなかった。
『どうして? そんなに普通にしているんだ?』
『不安じゃないのか。それが、この国だと普通なのか......』
『なら、嫌で当たり前だ、信託を受けたら未来が定まってしまうのも同然だ...』
『それを、こんな幼い子に背負わせていいのか?』
頭を抱えて悩むラントを心配するように、エステルとアリスティナが寄り添いながら、顔を覗き込む。
「ラント様? しっかり!」
「大丈夫? ラント。癒やしの力を......!」
「あ、あぁ、アリスティナ。いや、聖女。シエラ」
「今は、大丈夫。なんだよな?」
自分の心配よりも逆に心配されてしまうアリスティナは、驚きながらも話を返す。
「いや、私の心配をしている場合?」
「あなた、呪いを受けてるんだから...」
「あぁ、オレは...大丈夫だ」
「もぅ、大丈夫に見えないわよ」
そんな心配する彼女を安心させるために、思考を整理して考えをまとめていく。今はあまりに情報がたりなさすぎた。
『そうだ、今。あれこれ考えても仕方ない......』
『今は、元気そうだし、急ぐことでもないだろう』
「大丈夫?」
心配するアレスティナと、婦人。エステルに導かれながらも、もとの部屋へと招かれていくラント。そうして廊下を歩くうちに、更に疑問が浮かぶ。
『......ん? まて、今。隣にいるのはアレスティナで、聖女シエラだ...』
『なら、もうひとりの聖女はどこにいるんだ?』
『信託が降りてないのは、おかしい......』
潮騒のシエラが表の聖女だとすれば、裏の聖女となる深淵のレーネがどこかにいるはずだ。しかし、ふたりに聞いてみても、一向にその言葉は出てこない。部屋に戻っても、それが当たり前だからの一点張りだった。
「でも、エステル婦人。なにか、そういった資料は......」
「えぇ、邸内に書庫はありますが......」
「すみません! 使わせていただいても?」
「えっ? は、はい。構いませんが?」
「......ん?」
不思議そうに首を傾げるエステルとアレスティナをその場に残し、ラントは邸内にある書庫へと向かう。高鳴る鼓動に裏打ちされながらも、廊下をかけるようにして、周囲を確認しながら書庫へとむかう。案内をするためにアリアナが同伴してくれる。
「こちらです。ラント様」
「ありがとう」
木目調の腰壁に白い壁紙が貼られた廊下をかけ、アリアナとともにむかったラントは、立派な両開きの扉を開けて室内へと入っていく。
吹き抜けのような高い天井、同じくらいにそびえ立つ本棚と所蔵本の多さは、セントリア皇国の国立書庫ほどではないものの、その膨大な本の数々に圧倒されてしまうほどだった。
「すごいでしょ! ラント様」
「エステル様のお屋敷には、こんなにも本が置かれているんですよ?」
「......アリアナ。君が自慢してどうする...」
「あっ、そうでしたね...」
クスクスと楽しげな笑みを浮かべながらも、ラントは本棚へと向かう。それぞれ、その地域の歴史書から国の成り立ちまで、一様の書籍が収められていた。それをひとつずつチェックしていく。
「これと、これだ...」
「ラント様?」
「あぁ、この国の女神信仰について...」
「やっぱり、おかしい。ですよね?」
「ん? なんだ。意味あり気だな? アリアナ......」
数冊の本を手にしていたラントの隣で、にまっと愛らしい笑みを見せるが、その笑みには含みがあった。それにあわせ、色々ときな臭さも感じる。
「......アリアナ。お前、本当は誰の配下なんだ?」
「......ふふっ」
献身的に支え、エステルのメイドもしている。ときには男装をしてラントたちとも同行したことすらある。一介のメイドとしては、疑問符が浮かぶ。
「......どうでしょうね。ラント様のご想像におまかせします♪」
「なんだそれ。まぁ、今はそれどころじゃないな...」
「はい、聖女のことについて調べられるのでしょう?」
「あぁ、手伝ってくれるか?」
「はい。もちろんです。ラント様」
アリアナの真意は定かではないものの、協力してくれるというのだから、手を借りながら、聖女に関する書籍をかき集めることになった。膨大な所蔵本をかき集めることになっていく。
それでも、ふたりで探すにはそれなりに苦労するくらいに広い書庫は、集めるのに数時間を要してしまった。そして、窓際に置かれていたテーブルに腰をかけながら、まとめられている本に目を通す。
「これだ......」
そこにまとめられていたのは、女神信仰の歴史が記されていた。たしかに、騒乱があったことは間違いなく、それがラントたちの国でもあるセントリアとドラクシオン。イラスも巻き込んで拡大した対戦のさなかに起こっていたようだった。
そのため、表の歴史、正史には記されてこそいるものの、その記載が少なく大戦のほうが多く記されたこともあり、その影に埋もれてしまったようだ。
「見つかりましたか? ラント様」
「あぁ、これだ。だいたいは婦人が言っていたことに間違いはないみたい」
「ですね......」
「でも、おかしいんだ」
「えっ? 何がですか?」
「ほら、ここだ......」
そういうと、ラントは歴代の聖女が載せられている部分に指を置く。そこには、聖女として信託を受けたものが並べられていたが、途中から深淵のレーネが信託を与えた者の欄が空欄になっていた。ちょうど、アレスティナの先々代からだった。
そして、信託を受けたものが現れないことと、ともに聖女が石化と、御身体の女神になる現象が発生していた。全てはそこから始まっているようだった。
「ここから、レーネの信託がなくなってる...」
「それは、内戦の後ですね。深淵のレーネを信奉する信者が...」
「やられてしまったんですよね。吸収される形になりましたが...」
「......そういうことか。それで、航海の安全と深海の沈黙をひとりで...」
「そのようです......」
確かにアレスティナひとりでは荷が重すぎる。
海運業で栄えたこの国にとって、貿易は重要だ。それを維持するためにも、女神信仰は欠かせない。にもかかわらず、二神教の軋轢《あつれき》によって、片方だけの聖女になってしまった。
「ふたりいて正常なのに...」
「......これじゃ、片翼の女神だ......」
頭を抱えるほどに、どうして片方だけになったのか。石化し御身体となったかつての聖女たちは、どこにいるのかはその本には書かれていなかった。
「......ここまでか」
『神官たちは、何を隠しているんだ?』
『そもそも、二神教だとして、信仰がどうして曲がる』
『わからないことだらけだ......』
頭を抱えて行き詰まったところに、アリアナが紅茶を持ってくる。ちょうど休憩を入れるのには都合がよく、紅茶の香りが煮詰まった思考を整えてくれた。穏やかな午後の昼下がり、邸内はすこしばかりにぎやかな足音に包まれる。
「ん? なんだ......?」
「あぁ、礼拝の時間ですからね...」
「礼拝? あぁ...」
1日に2度。邸宅に設けられた一室に信者が集まり、聖女シエラと深淵のレーネの女神像にお祈りを捧げる。小上がりのようにお祈りの場所が人でいっぱいになると、その奥にはアレスティナが祈りの象徴としてうやうやしく立つ。
聖女シエラとしてのお勤めをする姿は神々しく、先程まで駄々をこねていた少女の面影は皆無で、その美しさがさらに際立っていた。
「......これは、また」
「綺麗。ですよね? シエラ様。いいえ、アレスティナ様...」
「あぁ、本当に女神だ......」
淡く光を放つその姿は、象徴そのもので聖騎士として護衛を努めたときのことを思い出すほどだった。祈りのひとときを邪魔するわけにはいかないラントは、少しだけ離れた場所でその様子を見守っていた。
聞き耳を立て、心地よい祈りの言葉を耳にするほどに、こちらまで心地よい気分になってくる。そんなときに、ラントの耳に声が届く。
『......面白いことをしてるじゃない』
『そんなに、私に興味があるの?』
「はっ!」
その言葉に慌てて周囲を見回すも、皆。アレスティナが聖歌の音色に酔いしれているようで、誰もこちらに話しかけているようには見えなかった。しかし、ラントの耳には確かに届く。
『あなた。いい器を持っているわね』
『だれだ? オレに直接......』
『ふふっ。私の声が聞こえるのね。なら、あなたには素質があるようね......』
『な、なんのだ。オレに話しかけられても困る。今はそれどころじゃ...』
『レーネのことでしょ? 教えてあげてもいいわよ?』
明らかにおかしい。ラントだけに聞こえるその声は、どんな魔法を使っている痕跡も無ければ、魔力すら感じない。明らかに狙い撃ちで話しかけているようだった。しかもややこしいことに、その声に雑音。というより、もうひとり加わる。
『ちょっと! なに勝手にしてるのよ!』
『今はいいところでしょ?』
『......ようやく現れたんだよ。私の信託に足りる子が...』
『えっ? ようやくなの?』
どうやら、聖歌をふたりの女神が聞いていたらしく、アレスティナの音色に聞き惚れていたようだった。そんな場所にラントがいたことで彼女たちの目に留まったようだ。
『あの、オレ。今、旅の途中で立ち寄っただけで...』
『オレ、他にも色々と...』
『あぁ、それなら大丈夫よ? 私の加護で一時的に打ち消すことができるから』
『完全じゃないけどね~』
『は?』
すべてがラントの意志を無視して、あらぬ方向へと動いていく。
『まてまて、それじゃなにか?』
『オレに信託でも下ろすつもり? この女神たちは......?』
『オレ。そんなつもり無いんだけど......』
そんな考えがよぎる間も、天界では信託を下ろせる人物がいない女神たちがぞろぞろ集まるようで、大騒ぎだ。しかも厄介なことに、耳を塞いだとしても、それらが直接語りかけてくるため、防ぎようがない。
『あの、女神様たち。勝手に器として選ばれても...』
『困るんですが...?』
『まぁ、そのへんはあなたに任せるわ』
『とりあえず、彼女を手助けしてあげて...』
『このままだと、彼女。石化しちゃうから......』
「......はぁぁぁ?」
「っっ!」
その声は、ちょうど聖歌が終わったところの静まり変えったときだったこともあり、ラントの声が響き渡ってしまった。そして、驚いた信者たちが一斉にラントを見る。
「あっ! す、すみません...」
「んぅ、なんだよ...」
「とんだ、信者もいたものね...」
「まったくだ...」
「す、すみません...」
平謝りをしながらも、ペコペコと頭を下げるラント。そして、小言を言いながらも、出口の高い位置にあるもうひとつの、女神像にも頭を下げたあとで部屋を後にしていった。
ラントの様子を心配するアレスティナやエステル婦人。そしてアリアナも不思議そうに首を傾げる。しかし、女神の声はどうやら本当にラントにしか聞こえていないようだった。
『で、どういうことですか? もうすぐ石化って...』
『そのままよ。私達が信託を下ろせるのにも、限界はあるもの...』
『彼女は特に、その器としては小さい方だから、それでも頑張ってるけどね』
『だから、石化しちゃうのよ。それなのに、信者ったら勝手に決めちゃって...』
『もう、呆れるわ......』
矢継ぎ早に告げられる真実の応酬に頭を抱えてしまう。
それもそのはずだ、これまで調べて。ここから答えを探そうと思っていた矢先に、すべてを告げられたのだから。
『まってくれ、ということはなにか?』
『神官たちが勝手に決めたってこと?』
『おいおい、そんなことでいいのかよ......信仰って......』
「はぁぁぁ......」
大きなため息をつくラントに、心配するアリアナたち。
「どうしましたか? ラント様」
「どうされたんです? 体調が...?」
「もう、あなた。強い騎士なんでしょう? そんなことじゃ困るわよ...」
「あ、あぁ......」
これまであれこれとアレスティナと聖女のことについて調べてきたラントだったが、どうやらこの国。マリネシアの神官たちが色々とやらかしていたことがわかってしまった。
『おいおい。どうすればいいんだよ...』
『オレにどうしろと言うんだ。まったく......』
がっくりと肩を落としながらも、目の前にはお勤めを終えたアレスティナが、疲れた様子で母親の肩を借りている。確かに、その姿を見ると体が信託に耐えきれていないことを感じさせる。
『とりあえず、オレがすることは決まった。かな......』
『まったく、神官たちは何をしてんだ...』
頭を抱えながらも、お勤めを終えたアレスティナやエステル婦人。そしてアリアナの後をついていきながらも、今後のことについて考えを巡らせることになった。
◇◇◇
対《つい》の女神の信託。
それは、本来ふたりでひとつのように信仰する象徴だった。しかし、ふたりでひとつとは言っても、二神教であることには変わりない。陰と陽の対となる女神の信託によって成り立っていた社会は、一神教にすることで一定の安寧《あんねい》を得ることになっていた。
しかし、その安寧は仮初めでしかなく、残されたひとりの聖女に負担を強いることになってしまい、結果としてその体は持たずに死を迎え御身体と化してしまうようだ。
『まったく、オレにどうしろって言うんだ...』
『アレスティナももう少しで...』
『まったく! オレは戦いは嫌なんだ! 嫌なのに...どうしてこう...』
『そこかしこで、こうなってるんだ...』
割り当てられた部屋で悶々としながらも、物思いに耽けながら広がるのは悩みばかりだった。そして、エステル婦人に聞いたエリスたちは別棟でしっかりと休んでいることに安心しながらも、ひとり。悶々としていることに腹が立ってしまう。
『まったく、羨ましい!』
『まぁ、なんとかするしか無いよなぁ......』
ベッドに体を横たえながらも、ようやくだいぶ慣れてきた女の体に戸惑いながらも、多くのことがありすぎた1日が終わりを見せたのだった。
そんなアレスティナの向かいに座りながらも、腕を組む姿は腹こそ立っていないものの、いまだ納得しきっていないような顔を見せていた。絶妙な緊張感が部屋を包み込みながらも、アリアナが紅茶を用意する。
「エステル様。ラント様も...」
「はい、アレスティナ様も」
「ありがと。アリアナ......」
「......んぅ」
奇妙な沈黙が4人の間を包む中で、沈黙を破ったのは他ならぬエステルだった。早とちりであったこともあり、ほんのりと頬が染まっていた。
「とりあえず、ラント様には何事もなくて良かったですわ」
「は、はい......」
「そ、それにしても、呪いでその姿になっているとは......」
「あのときは、それどころではありませんでしたし」
「そ、そうですね」
奇妙な沈黙が部屋の中を包み込む中で、ラントとアレスティナ。そして、エステル婦人にメイド服を着ているアリアナと、顔を突き合わせるような状態で奇妙な沈黙が漂ってしまう。
しかし、アリアナも何やら思い当たる節があるようで、チラチラとアレスティナの方に視線を向けたあと、ボソッと口にする。
「アレスティナ様、じっとしてるのが苦手なんです」
「そ、そんなこと無いわよ? こうしてじっとしてるでしょ?」
その場をごまかすようにして取り繕うものの、その姿は全く説得力がなかった。それどころか、むしろ動揺していることがはっきりとわかるほどに、目が泳いでいた。
そんな、彼女の様子はその幼い見た目相応に見え、愛らしさすら感じるもののその服装は見事なまでのローブを纏っているため、幼さと大人びた風格が絶妙なアンバランス感を醸し出していた。
「だって、私が聖女に選ばれたら、みんな変わっちゃうんだもん......」
「楽しく遊んでたはずなのに、みんな拝み始めるし...」
「もぅ、いや......」
両膝を抱え、縮こまる様子は華奢な体が更に小さく見えるほど。怯えて戸惑っていた。いくら姿は聖女であり、女神の代行だとしても、その器はひとりの10代の少女でしかなかった。
それでも、聖女であることに変わりはなく、彼女が“気をつけてね”と言えば、その場所で事故が起こり、耳を傾けていた者は救われたのを皮切りとして、口伝《ひとずて》で伝わるようにして、アレスティナが聖女の信託を得ていることが知られてしまったのだ。
「仕方ないでしょう? それが、聖女様なんですもの...」
「しかたなくないもん! 私はわたしだもん!」
「もぅっ......」
エステル婦人が諭すようにして口にするものの、ぷんっと頬を膨らませて顔を背ける。その愛くるしい姿は、年相応だった。
「確かに、お友達の怪我を治してあげれたときは、嬉しかった」
「うれしかった。でも...」
「拝まれるために、やったわけじゃないのに......」
「それなのに、どうして。みんな...変わっちゃうの?」
「......私は、わたしなのに......」
「......アレスティナ」
感情が爆発するように、大声をあげて思いを打ち明ける。その様子はあまりに聖女としては幼く、聖女。シエラとしては失格のようにも見える。その様子にアリアナは、ラントを誘って部屋をあとにする。
「ラント様、すこし。よろしいですか?」
「......あ、あぁ」
完全に取り乱してしまっている聖女シエラ。
あまりの変わりように、すっかりやられてしまっていたアレスティナは、叫びのような言葉とともにエステル婦人にすがる姿は、ひとりの少女でしかなかった。そんな姿に動揺しつつも、後ろ髪を引かれながらも部屋をあとにする。
立派な設えの邸内を、ハウスメイドの服を着ていたアリアナを横目で見ながらも、その後を続いていく。そのうち、聖女に対しての違和感が込み上げてくる。
『......たしかに、そうだ』
『この年代からしたら、たまったもんじゃない......』
『オレは聖騎士として護衛はしたことがあるが、疑問に感じたことがない......』
アリアナの後ろについて歩いているうち、廊下の突き当りへとたどり着くと、その門扉《もんぴ》はより、重厚な装飾がなされていた。ただ、周囲の壁とは少しだけ違い、より神聖さを感じさせる白壁になっていた。
「ラント様、ここです」
「ここは......」
「はい、邸宅内に設けられた...」
「祈りの場。です......」
「......祈りの場」
そうして、両開きの扉を開かれると、それまでの木目調のデザインとは一変して、ガラリと変わっていた。まるで、そこだけ神殿のような内装となっていて、祈りをするには、最高の場所だった。小上がりの壇上が設けられ、女神像が置かれていて、どこかアレスティナに似ていた。
それに合わせて、対《つい》となるもうひとりの女神像が飾られていたものの、少しだけ離された場所にある。
「ここが......」
「はい、正面が潮騒のエリス様、向かって後方にあるのが...」
「深淵のレーネ様です」
2体の女神像は向かい合うようにして置かれていて、祈りの場所となる場所に立てば、ちょうど後側に位置していた。その石像は対《つい》を成すようにして一段高い場所に設置され部屋を後にするひとを見送るように置かれていた。
数段の小さな階段を上がり、祈りを行う場所にたどり着くと、ちょうどふたりの女神に見守られているような形になる。
「オレは、護衛はしたことがあるけど、こうして改めてはいるのは久しぶり...」
「確かにセントリアにも聖女はふたりいるが......」
「そうですね。セントリアはふたりいますね」
「それじゃ、マリネシアにもふたり......」
そう言ったところだった。うしろの扉が開き入ってくる。
「ひとりしかいないわよ? レーネは不在よ」
「アレスティナ...と、婦人」
「ラント様、娘が取り乱してしまい、すみません」
「ここからは、置かれている状況を説明いたします」
うやうやしく頭を下げる婦人と、頬を真っ赤にしながらも横を向いてしまうアレスティナ。そんな彼女の頭をグイッと下げて、お辞儀をさせる様子はたとえ聖女になったとは言え、婦人にとっては娘でしかないことを感じさせるものだった。
◇◇◇
陰と陽、光と影。
それぞれの国には表と裏の顔があるように、女神信仰も同じだ。支え合う対《つい》の女神は、それぞれ互いを補い合い都市の繁栄《はんえい》と安寧《あんねい》を約束する。冒険者であれば、クエストが順調に進むことを、貿易商であれば商業の安定を、海洋貿易では航海の安全をそれぞれ祈祷することになる。
そこに際して、女神は加護を与えて臣民を守ることとなる。その代行者としての存在が、聖女シエラとレーネの存在。しかし、この国。マリネシアでは状況が違っていたようだ。
「なんでもね? ひとりいればいいじゃん。ってことになったのよ...」
「はぁ? なんで、神官がそういったのか?」
「わからないわよ。伝統かなにかで、そうなってるみたいだし...」
「はぁぁ...」
アレスティナの言葉に頭を抱えるラント。そして、続けて婦人が話すと、更にややこしくなっていく。
「ごほん。ラント様...」
「女神様がふたりおられる、というのは都合が悪いのです」
「どうして、そうなるんですか? ともに支え合うのが普通なのでは?」
「もちろん、その見方もできます」
「なら、なぜ? なぜひとりに......」
「それは、異なる方向を見始めた。つまり......」
「......信仰が相容れないものとなってしまったのです」
その言葉にハッとする。
確かにセントリアでもふたりの聖女は仲良しだ。喧嘩をしたなんて聞いたことがない。口論をしたとしても、すぐに仲直りをする。それが当たり前で普通だ。しかし、マリネシアでは違うようだ。
「恥を忍んでお伝えしますが...」
「ここ、マリネシアはかつて、内戦状態にありまして」
「その争いは長くは続かなかったのですが、その原因となったのが......」
「あぁ、女神信仰と......」
「はい、そうなのです」
よくある話だ。
二神教で寄り添い、手を取り合ううちは仲がよく、都市の繁栄にいい影響を与える。しかし、これが仲違いをしてしまうと事態はややこしい方向へと急転する。互いに争いあい、信者の取り合いに発展してしまう。
思想の違いから、相手を卑下《ひげ》して攻撃するようになる。罵りあい、しまいには武力に打って出ることになる。
「はぁ......」
『そうだ、どうも違和感があるんだ。女神がひとりというのは......』
『そういうことか。だから、アレスティナが嫌と言っていたのは...』
『でも、あの口ぶりは、そこが原因...か?』
頭を抱えながら呆れていたラント。そこに、アレスティナが口を開く。
「ただでさえ、ひとりで大変なのに...」
「お役目を務めてたら、石像になっちゃうなんて、嫌だもん......」
その言葉に驚愕する。
「は? なんで、石化するんだ? 信託でどうにか...」
「ならないわよ? 元々、女神の信託って強すぎるもの...」
「ひとで賄えるわけないじゃない」
「えっ? なら...え?」
後を追うように疑問が浮かぶ。
それでは女神信仰の存在すら危うくなる。それにも関わらず、各国には女神信仰が根付いている。なら、なぜここまで女神信仰が問題視されていないのかが不思議だ。どちらか片方の女神なら、石化し御身体となってしまうというのだ。
「なら、どうしてひとりなんだ?」
「しらないわよ。そう決められてるんだもの...」
「決められてるって......」
『それを、だれもとやかく言わないのか?』
『いや......ちがう......』
頭を抱えてさらに頭を使って考えていくと、ひとつの答えにたどり着く。
『言わないんじゃない......』
『言えない、もしくは......』
『言う必要がないのか!』
そう考えると、全ての辻褄が合っていく。
冒険者が盗賊紛いのことをしていることも、聖女がひとりしかいないことも、そのほうが安定するから。という答えに行き着く。
実際、このことに悶々と考えているラントの様子を心配する姿とともに、聖女がひとり。ということに疑問を持っている様子が感じられなかった。
『どうして? そんなに普通にしているんだ?』
『不安じゃないのか。それが、この国だと普通なのか......』
『なら、嫌で当たり前だ、信託を受けたら未来が定まってしまうのも同然だ...』
『それを、こんな幼い子に背負わせていいのか?』
頭を抱えて悩むラントを心配するように、エステルとアリスティナが寄り添いながら、顔を覗き込む。
「ラント様? しっかり!」
「大丈夫? ラント。癒やしの力を......!」
「あ、あぁ、アリスティナ。いや、聖女。シエラ」
「今は、大丈夫。なんだよな?」
自分の心配よりも逆に心配されてしまうアリスティナは、驚きながらも話を返す。
「いや、私の心配をしている場合?」
「あなた、呪いを受けてるんだから...」
「あぁ、オレは...大丈夫だ」
「もぅ、大丈夫に見えないわよ」
そんな心配する彼女を安心させるために、思考を整理して考えをまとめていく。今はあまりに情報がたりなさすぎた。
『そうだ、今。あれこれ考えても仕方ない......』
『今は、元気そうだし、急ぐことでもないだろう』
「大丈夫?」
心配するアレスティナと、婦人。エステルに導かれながらも、もとの部屋へと招かれていくラント。そうして廊下を歩くうちに、更に疑問が浮かぶ。
『......ん? まて、今。隣にいるのはアレスティナで、聖女シエラだ...』
『なら、もうひとりの聖女はどこにいるんだ?』
『信託が降りてないのは、おかしい......』
潮騒のシエラが表の聖女だとすれば、裏の聖女となる深淵のレーネがどこかにいるはずだ。しかし、ふたりに聞いてみても、一向にその言葉は出てこない。部屋に戻っても、それが当たり前だからの一点張りだった。
「でも、エステル婦人。なにか、そういった資料は......」
「えぇ、邸内に書庫はありますが......」
「すみません! 使わせていただいても?」
「えっ? は、はい。構いませんが?」
「......ん?」
不思議そうに首を傾げるエステルとアレスティナをその場に残し、ラントは邸内にある書庫へと向かう。高鳴る鼓動に裏打ちされながらも、廊下をかけるようにして、周囲を確認しながら書庫へとむかう。案内をするためにアリアナが同伴してくれる。
「こちらです。ラント様」
「ありがとう」
木目調の腰壁に白い壁紙が貼られた廊下をかけ、アリアナとともにむかったラントは、立派な両開きの扉を開けて室内へと入っていく。
吹き抜けのような高い天井、同じくらいにそびえ立つ本棚と所蔵本の多さは、セントリア皇国の国立書庫ほどではないものの、その膨大な本の数々に圧倒されてしまうほどだった。
「すごいでしょ! ラント様」
「エステル様のお屋敷には、こんなにも本が置かれているんですよ?」
「......アリアナ。君が自慢してどうする...」
「あっ、そうでしたね...」
クスクスと楽しげな笑みを浮かべながらも、ラントは本棚へと向かう。それぞれ、その地域の歴史書から国の成り立ちまで、一様の書籍が収められていた。それをひとつずつチェックしていく。
「これと、これだ...」
「ラント様?」
「あぁ、この国の女神信仰について...」
「やっぱり、おかしい。ですよね?」
「ん? なんだ。意味あり気だな? アリアナ......」
数冊の本を手にしていたラントの隣で、にまっと愛らしい笑みを見せるが、その笑みには含みがあった。それにあわせ、色々ときな臭さも感じる。
「......アリアナ。お前、本当は誰の配下なんだ?」
「......ふふっ」
献身的に支え、エステルのメイドもしている。ときには男装をしてラントたちとも同行したことすらある。一介のメイドとしては、疑問符が浮かぶ。
「......どうでしょうね。ラント様のご想像におまかせします♪」
「なんだそれ。まぁ、今はそれどころじゃないな...」
「はい、聖女のことについて調べられるのでしょう?」
「あぁ、手伝ってくれるか?」
「はい。もちろんです。ラント様」
アリアナの真意は定かではないものの、協力してくれるというのだから、手を借りながら、聖女に関する書籍をかき集めることになった。膨大な所蔵本をかき集めることになっていく。
それでも、ふたりで探すにはそれなりに苦労するくらいに広い書庫は、集めるのに数時間を要してしまった。そして、窓際に置かれていたテーブルに腰をかけながら、まとめられている本に目を通す。
「これだ......」
そこにまとめられていたのは、女神信仰の歴史が記されていた。たしかに、騒乱があったことは間違いなく、それがラントたちの国でもあるセントリアとドラクシオン。イラスも巻き込んで拡大した対戦のさなかに起こっていたようだった。
そのため、表の歴史、正史には記されてこそいるものの、その記載が少なく大戦のほうが多く記されたこともあり、その影に埋もれてしまったようだ。
「見つかりましたか? ラント様」
「あぁ、これだ。だいたいは婦人が言っていたことに間違いはないみたい」
「ですね......」
「でも、おかしいんだ」
「えっ? 何がですか?」
「ほら、ここだ......」
そういうと、ラントは歴代の聖女が載せられている部分に指を置く。そこには、聖女として信託を受けたものが並べられていたが、途中から深淵のレーネが信託を与えた者の欄が空欄になっていた。ちょうど、アレスティナの先々代からだった。
そして、信託を受けたものが現れないことと、ともに聖女が石化と、御身体の女神になる現象が発生していた。全てはそこから始まっているようだった。
「ここから、レーネの信託がなくなってる...」
「それは、内戦の後ですね。深淵のレーネを信奉する信者が...」
「やられてしまったんですよね。吸収される形になりましたが...」
「......そういうことか。それで、航海の安全と深海の沈黙をひとりで...」
「そのようです......」
確かにアレスティナひとりでは荷が重すぎる。
海運業で栄えたこの国にとって、貿易は重要だ。それを維持するためにも、女神信仰は欠かせない。にもかかわらず、二神教の軋轢《あつれき》によって、片方だけの聖女になってしまった。
「ふたりいて正常なのに...」
「......これじゃ、片翼の女神だ......」
頭を抱えるほどに、どうして片方だけになったのか。石化し御身体となったかつての聖女たちは、どこにいるのかはその本には書かれていなかった。
「......ここまでか」
『神官たちは、何を隠しているんだ?』
『そもそも、二神教だとして、信仰がどうして曲がる』
『わからないことだらけだ......』
頭を抱えて行き詰まったところに、アリアナが紅茶を持ってくる。ちょうど休憩を入れるのには都合がよく、紅茶の香りが煮詰まった思考を整えてくれた。穏やかな午後の昼下がり、邸内はすこしばかりにぎやかな足音に包まれる。
「ん? なんだ......?」
「あぁ、礼拝の時間ですからね...」
「礼拝? あぁ...」
1日に2度。邸宅に設けられた一室に信者が集まり、聖女シエラと深淵のレーネの女神像にお祈りを捧げる。小上がりのようにお祈りの場所が人でいっぱいになると、その奥にはアレスティナが祈りの象徴としてうやうやしく立つ。
聖女シエラとしてのお勤めをする姿は神々しく、先程まで駄々をこねていた少女の面影は皆無で、その美しさがさらに際立っていた。
「......これは、また」
「綺麗。ですよね? シエラ様。いいえ、アレスティナ様...」
「あぁ、本当に女神だ......」
淡く光を放つその姿は、象徴そのもので聖騎士として護衛を努めたときのことを思い出すほどだった。祈りのひとときを邪魔するわけにはいかないラントは、少しだけ離れた場所でその様子を見守っていた。
聞き耳を立て、心地よい祈りの言葉を耳にするほどに、こちらまで心地よい気分になってくる。そんなときに、ラントの耳に声が届く。
『......面白いことをしてるじゃない』
『そんなに、私に興味があるの?』
「はっ!」
その言葉に慌てて周囲を見回すも、皆。アレスティナが聖歌の音色に酔いしれているようで、誰もこちらに話しかけているようには見えなかった。しかし、ラントの耳には確かに届く。
『あなた。いい器を持っているわね』
『だれだ? オレに直接......』
『ふふっ。私の声が聞こえるのね。なら、あなたには素質があるようね......』
『な、なんのだ。オレに話しかけられても困る。今はそれどころじゃ...』
『レーネのことでしょ? 教えてあげてもいいわよ?』
明らかにおかしい。ラントだけに聞こえるその声は、どんな魔法を使っている痕跡も無ければ、魔力すら感じない。明らかに狙い撃ちで話しかけているようだった。しかもややこしいことに、その声に雑音。というより、もうひとり加わる。
『ちょっと! なに勝手にしてるのよ!』
『今はいいところでしょ?』
『......ようやく現れたんだよ。私の信託に足りる子が...』
『えっ? ようやくなの?』
どうやら、聖歌をふたりの女神が聞いていたらしく、アレスティナの音色に聞き惚れていたようだった。そんな場所にラントがいたことで彼女たちの目に留まったようだ。
『あの、オレ。今、旅の途中で立ち寄っただけで...』
『オレ、他にも色々と...』
『あぁ、それなら大丈夫よ? 私の加護で一時的に打ち消すことができるから』
『完全じゃないけどね~』
『は?』
すべてがラントの意志を無視して、あらぬ方向へと動いていく。
『まてまて、それじゃなにか?』
『オレに信託でも下ろすつもり? この女神たちは......?』
『オレ。そんなつもり無いんだけど......』
そんな考えがよぎる間も、天界では信託を下ろせる人物がいない女神たちがぞろぞろ集まるようで、大騒ぎだ。しかも厄介なことに、耳を塞いだとしても、それらが直接語りかけてくるため、防ぎようがない。
『あの、女神様たち。勝手に器として選ばれても...』
『困るんですが...?』
『まぁ、そのへんはあなたに任せるわ』
『とりあえず、彼女を手助けしてあげて...』
『このままだと、彼女。石化しちゃうから......』
「......はぁぁぁ?」
「っっ!」
その声は、ちょうど聖歌が終わったところの静まり変えったときだったこともあり、ラントの声が響き渡ってしまった。そして、驚いた信者たちが一斉にラントを見る。
「あっ! す、すみません...」
「んぅ、なんだよ...」
「とんだ、信者もいたものね...」
「まったくだ...」
「す、すみません...」
平謝りをしながらも、ペコペコと頭を下げるラント。そして、小言を言いながらも、出口の高い位置にあるもうひとつの、女神像にも頭を下げたあとで部屋を後にしていった。
ラントの様子を心配するアレスティナやエステル婦人。そしてアリアナも不思議そうに首を傾げる。しかし、女神の声はどうやら本当にラントにしか聞こえていないようだった。
『で、どういうことですか? もうすぐ石化って...』
『そのままよ。私達が信託を下ろせるのにも、限界はあるもの...』
『彼女は特に、その器としては小さい方だから、それでも頑張ってるけどね』
『だから、石化しちゃうのよ。それなのに、信者ったら勝手に決めちゃって...』
『もう、呆れるわ......』
矢継ぎ早に告げられる真実の応酬に頭を抱えてしまう。
それもそのはずだ、これまで調べて。ここから答えを探そうと思っていた矢先に、すべてを告げられたのだから。
『まってくれ、ということはなにか?』
『神官たちが勝手に決めたってこと?』
『おいおい、そんなことでいいのかよ......信仰って......』
「はぁぁぁ......」
大きなため息をつくラントに、心配するアリアナたち。
「どうしましたか? ラント様」
「どうされたんです? 体調が...?」
「もう、あなた。強い騎士なんでしょう? そんなことじゃ困るわよ...」
「あ、あぁ......」
これまであれこれとアレスティナと聖女のことについて調べてきたラントだったが、どうやらこの国。マリネシアの神官たちが色々とやらかしていたことがわかってしまった。
『おいおい。どうすればいいんだよ...』
『オレにどうしろと言うんだ。まったく......』
がっくりと肩を落としながらも、目の前にはお勤めを終えたアレスティナが、疲れた様子で母親の肩を借りている。確かに、その姿を見ると体が信託に耐えきれていないことを感じさせる。
『とりあえず、オレがすることは決まった。かな......』
『まったく、神官たちは何をしてんだ...』
頭を抱えながらも、お勤めを終えたアレスティナやエステル婦人。そしてアリアナの後をついていきながらも、今後のことについて考えを巡らせることになった。
◇◇◇
対《つい》の女神の信託。
それは、本来ふたりでひとつのように信仰する象徴だった。しかし、ふたりでひとつとは言っても、二神教であることには変わりない。陰と陽の対となる女神の信託によって成り立っていた社会は、一神教にすることで一定の安寧《あんねい》を得ることになっていた。
しかし、その安寧は仮初めでしかなく、残されたひとりの聖女に負担を強いることになってしまい、結果としてその体は持たずに死を迎え御身体と化してしまうようだ。
『まったく、オレにどうしろって言うんだ...』
『アレスティナももう少しで...』
『まったく! オレは戦いは嫌なんだ! 嫌なのに...どうしてこう...』
『そこかしこで、こうなってるんだ...』
割り当てられた部屋で悶々としながらも、物思いに耽けながら広がるのは悩みばかりだった。そして、エステル婦人に聞いたエリスたちは別棟でしっかりと休んでいることに安心しながらも、ひとり。悶々としていることに腹が立ってしまう。
『まったく、羨ましい!』
『まぁ、なんとかするしか無いよなぁ......』
ベッドに体を横たえながらも、ようやくだいぶ慣れてきた女の体に戸惑いながらも、多くのことがありすぎた1日が終わりを見せたのだった。
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