モラトリアムの雨が降る

霧嶋めぐる

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『じゃーん!! どう?』

『うお、めっちゃすごいじゃん兄ちゃん!! これ、メッシュってやつだろ』

『そうそう。楓には青が似合うと思って、ブルーアッシュのメッシュを入れてみました』

『流石は美容師の息子。だけど、資格持ってないのに髪とか染めて大丈夫なん?』

『大丈夫だろ。楓の頭だし』

『なんだよそれ!!』

『あはは。ま、腕は確かだから心配すんなって。

 資格取ったら、お前には特別に割増価格でカットしてやるよ』

『高くなってんじゃんか!!』


 兄の影響で、髪にメッシュを入れるようになった。


『楓くん、どうかな?』

『うん。すげえ美味い!! 料理の才能あるよお前。

 ところでこれ、隠し味とか入れた? なんかいつもと味が違うな』

『うん。はちみつをちょっと入れてみたんだけど気づいた?』

『なんか違うなって思ったけど、それ以外はちょっと……でもとにかく美味い! マジで美味いよ!』

『おかわりもあるからたくさん食べてね』

『ありがとな!!』

 高校の時の彼女の影響で、自分でも料理を作るようになった。


『これ、お前にやるよ』

『ピアス?……ってこれ、軟骨のやつじゃん』

『開けろよ、絶対似合うって』

『……お前が開けてくれるなら、つける』

『これでお揃いだな』

『お揃いって嬉しい?』

『嬉しいよ。お前が俺のものになったような感覚になれる』

『……ふーん。そうなんだ』


 彼氏の影響で、ピアスを開けた。お揃いを覚えた。


『なぁ、今からウチ来る? ゲームの新作手に入れたんだけど。

 お前、このゲームやってみたいって言ってただろ?』

『悪い、楓。これから彼女と映画見に行く約束があるんだよ』

『……そっか。なら仕方ないな』

『楓も一緒に来るか? あいつも会いたがってたし、多分喜ぶぞ』

『付き合いたてで気まずいからってオレを利用すんなよ』

『なんだよその言い方。楓が寂しそうな顔してたから誘ってやったのによ』

『ばーか。デートの邪魔をするほどオレも鈍感じゃないって……楽しんでこいよ』


……友達は、恋人には勝てないみたいだ。


『楓、もう別れよう』

『……え、なんで? 何か悪いことした?』

『楓が悪いんじゃないよ。どっちかって言うと、私が悪いのかな。

 楓が私を好きになってくれるのを待つのが疲れちゃったの。どれだけ待っても、楓との未来が想像できなかったの。

 だから、ごめんね』

『……』

『付き合ってくれて、夢を見させてくれて、ありがとう、楓。

 本当に好きになれる相手と、幸せになってね』


 誰かと関わるほどに、「好き」が増えていく。

 楓に「好き」を与えてくれた人は、楓がその「好き」を返すより前に、どこかへと去ってしまう。


『よ、楓。また振られたんだって?』

『可哀想にねぇ』

『言うなよ、これでも傷ついてんだから』

『それにしても、お前ってなんでこうも運に恵まれないんだろうな。見た目も性格も別に悪くはないのに』

『それがいけないんじゃない?

 不本意だけど、楓ってモテるじゃん。だからこそ付き合う相手はハードルが高くなるっていうか、自分が楓の恋人に相応しいのかって悩んじゃうんじゃないの?』

『そんな……別にそんなこと気にしないのに。ただ、一緒に楽しい時間を過ごせれば良いって思ってるのに』

『でも、それは友達となんら変わりないじゃん』

『え?』

『付き合う前と後で全く態度が変わらないとさ、向こうも自分に魅力がないんじゃないかって不安になるんじゃないの? 

 もっと、恋人らしいことしてみたら? それこそセックスとか。まさか、童貞ってわけじゃないんでしょ』

『……』

『え、まさかかよ』

『で、でも。キスくらいはしたことあるよ、ちゃんと!』

『それもどうせ、向こうから誘われてやったとかなんだろ。

 お前、変なところで臆病だからな』

『確かにこんな態度じゃ、振られても仕方ないかもねぇ』

『良いよな。モテる奴はどんなに素っ気ない対応してても、次から次へと相手がやってくるんだから』

『お前も男なら、ちゃんと態度で愛を示してやれよ。

 そういうのって別れた後も結構尾を引くんだからさ。

 恋の悩みってのは、同じ恋でしか解決できないもんなんだよ』


 今まで付き合ってきた恋人達は決して「楓が悪い」とは言わなかった。

 だけど、別れを切り出す時、彼等は皆傷ついたような顔をして楓に微笑みかけるから。

 それが余計に、楓の罪悪感を煽る。

 自分には何かが欠けているのではないか。こんな態度を続けていたら、この先周りには誰もいなくなってしまうのではないか。

 自分がもう少し器用だったら、臆病でなかったら、みんなを傷つけることはなかったのに。

 別れた数が増えるほどに、不安は大きくなっていく。

 だけど、「誰も好きになったことがない」だなんて悩みを打ち明けてみたところで、冗談だと笑い飛ばされるか「自慢か」と羨ましがられるだけだろう。


『楓ってそんな見た目してるのに、タバコ吸ったことないの?』

『良いじゃんか別に……だって健康に悪そうじゃん』

『健康だって。かわいいこと言うなぁ、お前。見た目はいかついのに』

『ちょっ、可愛いだなんて。照れるじゃん』

『いや、褒めたつもりはないんだけど。せっかくだし吸ってみれば? 1本あげるよ』


 悩みを抱えながら吸ったタバコは、「好き」になれなかった。




 土砂降りの音を聞きながら眠った日。夜が明けると、昨晩の雨が嘘のように、空は晴れ渡っていた。

「今日は泊めてもらってありがとうござっした!!」

「相変わらず声おっきいなぁ、お前」

 晴の手が楓の頭に伸ばされる。楓は少し屈んで頭を差し出す。

 乱暴だけれど優しさを感じる指の感触は、長らく会っていない兄を思い出す。

「またな、楓」

「はい、今度また遊びに来ます」


 青空に悠然と揺蕩う雲を眺め、白い息を吐く。

 ベランダでタバコを吸ったあの日、本当はタバコを吸ったことがあるのだと思い出したのは、「好き」になりたかったからかもしれない。

 晴と一緒ならば、タバコを好きになれるような気がしたのだ。

 そう思ったことを打ち明ければ、きっと晴は笑うだろう。

 ぎこちなく笑みを作り、楓の頭を撫でながら「好きになる必要はないよ」と言うだろう。
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