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21.煙草
特段理由はないが、俺は駅前の喫煙所で煙草を吸っていた。肌を突き刺すような寒空の下、誰かを待っているわけでもない。一服したいような衝動に駆られた訳でもないが、なぜか時間を持て余した俺は誰もいない喫煙所に足を運んでいた。大学の講義も終わり、バイトも誰かとの用事もない俺は時間を持て余していた。
一分も経ってないだろうが、ふと痛烈な虚無感が襲ってきたため、火がついている癖に異様に長い煙草を灰皿に押し付けた。
「まだ全然吸ってないじゃん、勿体無いなぁ」
俺しかいない喫煙所に懐かしい声が響く。
「なんでお前...」
「久しぶりだね。びっくりした?」
俺の目の前に姿を現したのは元カノの高梨青葉だった。
「って、私もびっくりしてるんだけどね、あはは」
「何してるんだこんなところで」
「こんなところでって、地元なんだからいてもおかしくないでしょ。晴翔も講義終わり?」
「そうだよ。講義も終わって何もないからこうやって喫煙所で煙草吸ってたんだよ」
「その割には全然吸ってなかったけどね」
「気分が乗らなかっただけだ」
「気分屋なところ変わらないね、って言いたいけど、それ嘘でしょ」
「嘘?なんでこんなことで嘘をつく必要がある」
「晴翔、改札出てから私と目合ったよね?すごい驚いた顔してたよ?」
「気のせいだろ」
「私と会うのがバツが悪いから喫煙所に逃げ込んだなー?」
「...ああ、そうだよ。お前のこと見たら嫌な思い出が蘇ってきたからな」
...嘘だ。実際に蘇ってきたのは彼女と過ごした幸せな日常だった。
「酷いなぁ。私は晴翔との楽しい思い出を浮かべていたのに」
ニヤニヤと彼女は笑う。
「用事がないならどっか行ってくれ」
「流石、私を捨てた男は言う台詞が違うね」
俺は首筋にナイフを当てられた気分になった。
「って冗談だよ。別れたのは私たち2人が未熟だったから。捨てられたなんてのはちょっとしか思ってないよ」
「ちょっとは思ってんじゃねえか」
「そりゃね。やっぱり悲しいもんは悲しいよ」
2人の間に沈黙が流れる。
「...じゃあ俺、そろそろ行くから」
俺はその空間から早く逃げたかった。罪悪感が湧き上がるのもそうだが、それ以上に彼女を見ていると浮つく心が許せなくなったからだ。
「待ってよ。...そうだな、じゃあ煙草一本分だけ時間頂戴。全然吸えてないでしょ?」
「...わかったよ。一本だけな」
「私にも一本くれる?」
「お前吸うようになったのか」
「冗談。煙草は嫌いだからね」
じゃあなんで喫煙所にいるんだよ、とは聞かなかった。聞いたら駄目な気がした。
俺は煙草に火をつけた。
「そのライター、まだ使ってるんだ」
俺が使っているのは彼女から貰ったジッポライターだ。
「これだけは、捨てられなかったんだ」
これは煙草を吸うようになった俺に彼女がくれた最後のプレゼントだった。煙草が嫌いなくせに、わざわざこれをくれた時は笑ってしまったが、ありがたく使わせてもらっている。
「嬉しいな。まだ私があげたもの使ってくれているの」
「勘違いすんな、あくまで俺は良いものを使いたいってだけだ」
「本当に素直じゃないんだから」
彼女はいたずらに笑って見せた。
それから俺らは煙草の日が消えるまで話した。別れてからの間何をしていたのやら、就活の進捗具合など、様々なことを話した。それは夢のような時間でもあり、もう取り返しのつかない幸福という虚しさも孕んでいた時間だった。
「それじゃ、晴翔。またいつか」
「じゃあな」
煙草の火が消えると、言っていた通り彼女は喫煙所を出て帰っていった。そのことを惜しむ自分もいたが、せめてもの抵抗で再会を願う言葉は吐かなかった。
火の消えた煙草を見てみると、俺はいつもよりずっと短くなった吸い殻を握っていた。
22.自堕落
変化を恐れることが老いることだと私は思う。自身が作り上げてきた固定観念を信じること、即ち経験に即して物事を判断することを悪とは言わない。しかし、経験だけを頼りにして変化を嫌うことは悪だとはっきり言いたい。
私は生きるということは変わり続けることだと思っている。変わるというのは劇的なものでなくてもいい。例えば、恋愛小説を読んだらセンセーショナルな心を読後に抱くのは一時的な変化であるし、心を揺さぶるバラードを聴いて感傷的な価値観をその時に発揮するのも変化である。
私が言いたいのは自分の見聞を深めるような事を毎日何かしら行うべきではないかという事だ。勉強をすることも自分の知識の幅を増やすことにつながるため変化と言えるだろう。
私はまだ若い。だからこそ日々成長していきたいと思っているし、変化を恐れない若い感性で生きていきたいと思っている。
なぜこんなことを書いているかというと、私が今日マジで何もしてないからだ。朝早く起きて溜まっていたアニメを消化して、寝る。起きてご飯を作って食べて机の整理をして寝る。起きて推しの配信のアーカイブをチェックしてからまた寝る。起きて今夜ご飯を作って食べ終わったところだ。流石に自堕落が過ぎているので、悔恨の念を捧げながら自戒としてこの文を書くことにした。
23.tokyo
彼女に会う為に東京に来るのは何度目だろうか。僕の住む街には広がる緑以外には何もないので、遊ぶ時は毎回彼女の住む街に赴いている。
彼女の住む街は東京。欲望渦巻く眠らない街だ(諸説あり)。僕は大学に通う為に千葉の穏やかで平和すぎるような街から大体2時間かけて大学に行っている。一人暮らしをしたかったが、妹の高校進学と被り経済的な余裕がない為僕の城は築かれることはなかった。
大学も東京の郊外付近にある為、最初に行った時はイメージしてた東京とは違って少し安心した。東京も郊外はこんなものなんだなと。
講義が終わると僕はすぐに地元へと帰る。アルバイトをする為だ。なので友達とどこか遊びに行ったりすることがなかった。しかし、入学から3ヶ月した7月の夏、僕は仲良くしていた女の子と付き合うことになった。講義が多く被っていて、互いに気が合う点も多かった為自然と言えば自然だ。
彼女の名前は三浦陽奈。髪色を茶色に染めた、まあ普通の女子大生といった感じの子だ。その子は東京生まれ東京育ちのtheシティーガールである。付き合った次の日に陽奈に連れられて渋谷に行ったのだが僕は目ん玉を見開くほど驚いた。とにかく人が多く、一人一人の個性が強くてアメリカのお貸しみたいな色をしていた。僕は根っからの田舎っ子な為本当に呆然と立ち尽くしてしまった。陽奈はそんな僕をみて笑っていた。
そんな彼女と過ごしていれば隣にいる僕も東京に染まってしまうのではないかと思う人は多いだろう。しかし、僕は東京に染まることはなかった。いまだに方言は出るし髪の色は黒、奇抜なファッションやイかれた食べ物を口にしたりすることはない(イかれた食べ物=訳わからんくらい高いかき氷など)。何故なら根っからの田舎っ子だからだ!
陽奈も滅茶苦茶に派手派手というわけではなく、曰く標準な東京人らしい。標準な東京人とはと言いたくはなったが、陽奈がイかれた個性を発揮するような人ではないことはわかっているので納得はした。
今は夏休みに入り週に一度は東京で彼女と遊んでいる。今日もまた、陽奈は僕が知らなかった世界を鮮やかに見せてくれる。彼女に黙って髪を染めたのはそれから数ヶ月後のことだが、それを話す必要は今はないだろう。
24.花火
今日は花火大会。夜空を彩る火炎に多くの人が心を奪わられる日だ。
そんな僕も今日は花火大会を恋人と見る予定だ。夜6時に駅前で待ち合わせをしている。
昼は照りつける日差しがうざったいほどに晴れていた。しかし、文字通り雲行きが怪しくなったのはちょうど6時ごろだった。夕立が連れてきた神の悪戯は、人々の心を打ちつけた。以前から花火大会の日は天気が怪しいことはわかっていた。僕は改めてウェザーニュースを確認した。どうやら今日は通り雨が降るとか降らないとかという予報で、今降っている雨も一時的には止むらしい。
しかし問題は花火大会の行方だ。その時まで晴れていたとしても意味はない。
彼女と会った時、雨はぽつりと降っていた。1時間後には晴れてほしいと切に願いながら、僕らは花火が見える場所まで歩いていく。
もしも花火が見えなかったら。そんな場合を想定して僕は一つ考えがあった。それは土砂降りの中でびしょ濡れになりながら踊りを踊るというものだ。一見何をいっているかわからないと思うが、花火の中止よりもインパクトのあるもので上書きしようと考えた時、思いついたのがそれだった。考えてみてほしい。自分の恋人が雨の中踊っていたらどう思うだろうか。おそらく大半のカップルはドン引きするだろうが、信頼さえあれば笑ってくれるはずだ。というか笑ってくれないと困る。
というわけで花火まであと10分。今は雨も止み花火大会は結構できるが、今からまた降り始めたら終わりだ。正直僕は天気予報に信頼を置いているので、濡れる準備と踊る準備はすでに終えている。
彼女と花火が見える橋の付近で話していると、ヒューという夏を感じさせる風流な音が空気を切り裂いた。瞬く間に夜空に広がる美しい火花と数秒遅れて聴こえる爆発音が、その場にいる人間全ての視線を上に向けた。
結果として花火大会は無事決行された。今回は覚悟の決め損であったが、もしも誰かとのイベントの約束が雨などで断念されようとした時は、ぜひ踊ってみてほしい。
25.河辺の人魚
「現実は小説より奇なりとかいうじゃん?」
「まあ言うな」
「今ってまさにその奇だったりする?」
「可能性としてはデカいな」
そういう俺らの目の前には半分人間半分魚の生命体が横たわっていた。ちなみにここは海ではなく川だ。なぜ俺らが川にいるかというと、横にいる馬鹿がザリガニを捕まえまくって躾けたいとか言い始めたからだ本当に馬鹿め。
「というか人魚って川にいるんだな」
「そもそも人魚がいることに驚くべきじゃないか?」
「淡水魚の人魚って珍しい気がする」
「話を聞けよ。まず人魚自体が異次元に珍しいだろ」
「いやでも小説とか歌だとよく出てくるだろ」
「それは小説とか歌の中だからだ」
「あの、いいですかね」
俺らが話していると、淡水人魚は声を発して」
「今喋ったか?」
「馬鹿かお前は。人魚なんだから話すに決まってるだろ」
「そうとは限らないだろ。魚色が強くて人語を解さない可能性だって...」
「あの、本当にいいですか?」
淡魚はイライラしながら俺らの会話を静止する。
「私人魚なんですよ」
「見ての通りっすね」
「私人魚なんですよ?」
「はい。見ればわかります」
「私、人魚なんですよ!?」
「だからわかってますって」
「もうちょい驚きません?」
「いやそんなこと言われても...なあ?」
「人魚は人魚だし...」
「いやいやいやいや。普通現実世界に人魚がいたらもっと驚くでしょ?」
「驚いてはいますよ?なあ?」
「うんうん。川にいる人魚なんて珍しい」
「あなたさっき人魚自体が珍しいって言ってましたよね?なら人魚自体にもっと驚いてくださいよ」
「胸でかいっすね」
「そこじゃねえよ死ね」
目の前の淡魚は美しくはあるが、心は溝川のように汚いらしい。
「あとその淡魚ってのやめろ。それだとただの川魚だから」
「なんで心読めるんだよ」
「人魚だからだよ」
「人魚すげえな」
とまあアホみたいな会話の末、人魚を食べることにした。もちろん、食欲を満たすためだ。
「いやちょまてまてまてまて!本当に待って!?」
「なんですか?」
「なんで食べる流れになってんの!?あとその携帯用のナイフ!なんで持ってんの!?」
「そりゃお前魚捌くならナイフは必要だろ?魚初めてか?」
「私が聞いてるのはなんでナイフを持ってるかってってことよ!別に目的を聞いてるわけじゃないの!」
「うるさい人魚だな。黙って食われろ」
「いやあり得なくない?私半分は確かに魚だけどさ、半分は人だし、なんなら人成分多めの人魚だよ?」
「おう、だから下半身だけ食う」
「イヤーーー!」
「安心しろ。俺は神経締めとかに関しては天才レベルだ」
「どこに安心するってのよ!食べないでよ!」
「どうする?食べないでおく?」
「ここまで日本語で懇願されたら食べにくいな」
「よし、わかった。お前は食わないでおく」
「本当に?ありがとう」
「その代わりさ」
「うん!」
俺らは口を揃えてその言葉を言った。
「おっぱい揉ませてくんね?」
「死ね」
男って本当サイテー!
26.虚
この薄灰色の世界で唯一愛した君だけが僕の前からいなくなった。
涙を洗い流す雨は、虹の前兆だと信じたいが、僕はもうこの世界を鮮やかに楽しめないと思う。単に恋と表すのには無理があるほど、僕は彼女を愛していた。
何度口に出したか、何度行動で表したわからない愛してるはどこか水に流されてしまった。僕にはもう彼女を愛した痕跡すら残されていない。
映画や小説の中なら、僕は彼女が遺した何かを胸に、前へ進んで行くのだろう。だけど彼女は、何の前ぶりもなく残酷な運命にその命を奪われてしまった。神様ってのも不平等だ。やっと人生というキャンバスに絵の具を塗り始められたというのに、僕にはもう描くための筆を握る力すらない。
僕の人生は間も無くエンドロールを迎える。というのも死ぬわけじゃない。いや、死んだ人間のように生きるのは間違いないのだが。ベタな結末のように底なしの幸せを享受できたら、どれだけ幸せだったのだろうか。僕は彼女との様々な幻想を頭の中で浮かべようとしては、底知れない虚無に襲われて現実に戻る。
彼女は僕の時間を止めてしまった。彼女を初めて見た時は美しさのあまり1秒間は止まったかもしれないが、今はその時の比ではない。彼女は僕から健全に生きられる時間を奪った。だからといって僕が彼女を恨むわけがない。むしろ彼女と過ごしてきた時間に囚われながら歩いていけるなら、他の誰かに邪魔をされるよりは心地がいいと思えてしまう。
僕が僕の時間を止めたまま生きていくのは正しくない選択肢なのかもしれない。いや、実際正しくないのだろう。人間というのは前を向いて、弱々しい一歩だとしてもその足を踏み出し続けるべきなのだ。
忘れかけていた愛してるを虚空に向けて言い放つ。当然のようにその音は何も連れてくることなく消えていった。
27.部屋
この世界のどこかに君が居ると思うと、君と過ごしたこの小さな部屋で、過去の残像を追いかけてしまう。
同棲していた彼女と別れた。結婚も視野に入れていたが、僕は彼女に相応しくなかった。とっくにわかっていた、彼女はすでに僕のものではないってこと。わかっていたはずなのに、いざ独りになると止めどない悲しみが波を打つ。
付き合ったばかりのことを思い出す。少しづつ縮まっていく距離に胸を弾ませた。そばにいられるだけで充分だった。ずるい君は僕の気持ちに気が付きながら、悪戯に微笑むだけだった。思わせぶりな態度で甘えるその姿を、憎らしい程愛していた。
君の心が僕ではない誰かに向いていることに気がついたのは少し前のことだった。それに気がついてからは、縮まったはずの距離も、隣にいる君の体温すらも辛く感じた。
僕は臆病だから核心に迫る一言を最後の最後まで言い出せなかった。その一言を無理やり飲み込むのが一番辛かった。眩しさの中にある暗闇を、見えているはずの絶望から目を背け続けるのが、本当に苦しかった。それ以上は無意味で空っぽな時間だというのに。
知りたくもない感情を知るくらいなら、僕は最初から恋などしていなかった。それでも、彼女と過ごした夢のような時間はどこまでも現実で、幸福をこれでもかと味わえた最高の時間だった。それを実感するとまた感情が溢れ出す。女々しいことはわかっているが、彼女が僕と一緒に堕ちてくれたなら、この悲しみを分かち合えたなら、どれだけ僕は幸せだったことか。
最後にもっと女々しいことを吐いて、眠ることにしよう。愛しの彼女よ、僕じゃ駄目だったんですか?
28.人間アレルギー
君の違和感を容易く感じられるほど、僕は君の事を理解しているつもりだった。瞬きの数、視線の行先、呼吸の乱れ、腕の組み方、貧乏ゆすり...君が怪,不快を感じる瞬間を僕は見逃さなかった。
人の心というのは本当に厄介だ。そして、理解者面をしていて悦に浸っていた自分は、どれだけ醜い命の塊なのだろう。僕は最後まで君の曖昧なサインに気がつけなかった。奥底で救いを求める君の手を取ることができなかった。
僕はその喪失以降、心を閉ざした。きっと病気なのだろう。病名を何と呼ぶかはわからないが、とにかく僕は人の心に怯えるようになってしまった。誰も知り得ない深海のようなものに恐怖を抱くようになった。
心を数字で測ることは決してできない。仮にできたとしたのならば、僕はこの小刻みに震える心臓を落ち着かせられただろう。あの人が笑った顔を数値化できれば、冗談に聞こえる自虐を数字として脳に読み込みさすことができたならば、僕は君を救うことができた。
僕はいつしか自分のことすら霞のように朧気になっていった。自分の本当の感情が行方不明となり、僕はこの広すぎる世界で母親を求めて彷徨う子供のようになった。数々の不明瞭なものが僕から安寧を奪っていく。
僕は自分を含めた人間を愛せなくなった。人生は後悔に塗れた青い薔薇のようだ。
かつての青い薔薇の花言葉は不可解だった。しかし今の花言葉は夢が叶う、らしい。僕の今の夢はなんだろうか。強いていうなら、苦しみを味わうことなく、緩やかに死ぬことくらいだろうか。
29.この砂浜で君を待つ
耳をすませば潮風の香りと共に君の声が聞こえてくるような気がする。この果てしなく広がる海の向こうで、君は元気にしているだろうか。
夜も近くなり、深いオレンジを反射する水面は目に染みる。無力な僕は君と一緒に行くことはできなかった。君の才能は国内で燻らせるには勿体無いものだから、広い世界で活躍する為に留学に行ったのは当然だ。僕はまだ大人になれていない学生の身分だから、こうやって思い出深い砂浜にまで来て、君の事を想うことしかできない。連絡を取る手段は勿論あるが、忙しいだろう君に負担をかけたくないから、僕から君に連絡することはない。
季節は夏になり、今日から8月だ。君が留学に行ったのが5月に入ったぐらいの頃だから、大体3ヶ月が経ったことになる。別れを告げた春風は孤独を打ち付ける雨となり、今は現実を突きつけられたかのような日差しが僕を照りつけている。少し肌寒かったこの場所も、季節相応の気温となった。
君が帰ってくるのは次の春だ。それまで僕は幻想に想いを馳せるような紅葉も、人肌恋しくなる雪空も1人で享受しなければならない。これは誤魔化すまでもなくとても寂しい。
それでも僕は希望に満ちた桜が咲くまで君を待つ。この砂浜で君の事を忘れないように君の事を想い続ける。
呆然と立ち尽くしていたら時間は瞬く間に過ぎていき、空には果てしない闇が広がっていた。そんな闇の中にぽつりと浮かんでいる月は、水面でゆらゆらと揺れていた。
30.青を思ふ
「今日って金曜日なのか、6月かと思ってたわ」
「どういうこっちゃねん」
意味のわからない発言をする友人にツッコミを入れつつ、僕らはだらりと過ごしていた。
「俺らって元々運動部だったわけじゃん?」
「まあそうだな」
「あの時はエネルギーが有り余ってたか知らんけど、今となったら冷房で冷やされた部屋に篭ってダラダラすること以外考えられないよな」
「全くもって同意、運動は春にしよう」
「冬は寒いし、秋は何もやる気出ないからな」
「人によるけどね」
僕らは高校からの仲で、今でもこうして偶に友人宅に来て漫画などを読んでいる。ちなみに今読んでる漫画は3周目だ。
「何でもっと漫画のレパートリー増やさないの?僕これ見るの3回目なんだけど」
「いや俺すげえ買ってるからな。お前がラブコメ読まないだけで」
「ラブコメ見てると悲しくなるからNG」
「お前そこそこモテてたじゃん」
「ブスにモテても嬉しくねえよ」
「あー全然ダメ全然ダメ」
今度は僕が友人からのツッコミをもらう。ツッコミってよりかは静止だったが。
「今はさ僕ら大学いってるじゃん?」
「夏休み期間だけどそうだな」
「大学にある色々な価値観に触れるのもまあまあ面白いけどさ」
「うん」
「結局中高の奴らとクソくだらない話してるのが一番面白いよな」
「わかる」
大学にいる派手な友人と話すのもつまらないことはない。だがやはり、3年間を同じ教室で共にした友人と話す方が趣深い。
「僕、高校生に戻りたいな」
「流石に懐かしむの早くないか?」
「この前駅で青春風吹かせてる男女グループ見たけど、普通に泣きそうになった」
「リア充だから?」
「それはそうのそぼろ丼なんだけど。そうじゃなくって。制服来て部活の話とかテストの話して騒がしく帰った放課後とか思い出すとどうしてもね」
「あの時は良かった、ってやつか?懐古厨じゃん」
「そうだね、懐古厨なのかもしれない」
「まったくもって最近の若いもんは」
「僕らまだ酒すら飲めないけどな」
「来年から飲もう。みんな誘ってこの部屋で」
「お前はいい加減ウチ来るのやめろや」
耳にタコができるほど聞いたその言葉を無視して、僕は展開の分かりきった漫画のページを捲る。
「あ」
「ん?」
「すまん、お茶こぼした、まじでごめん」
「殺す」
冷房の効いた部屋で僕が冷たい遺体となったのは、言うまでもないだろう。
そうだ、今年の夏休みは中高の奴らに会いに行こう。くるぶしくらいまでには積もる話もあるし、よく行ってたラーメン屋にでも行くことにしよう。
僕は般若のようになった友人からの暴言を受けながら何食わぬ顔でそんなことを思っていた。
特段理由はないが、俺は駅前の喫煙所で煙草を吸っていた。肌を突き刺すような寒空の下、誰かを待っているわけでもない。一服したいような衝動に駆られた訳でもないが、なぜか時間を持て余した俺は誰もいない喫煙所に足を運んでいた。大学の講義も終わり、バイトも誰かとの用事もない俺は時間を持て余していた。
一分も経ってないだろうが、ふと痛烈な虚無感が襲ってきたため、火がついている癖に異様に長い煙草を灰皿に押し付けた。
「まだ全然吸ってないじゃん、勿体無いなぁ」
俺しかいない喫煙所に懐かしい声が響く。
「なんでお前...」
「久しぶりだね。びっくりした?」
俺の目の前に姿を現したのは元カノの高梨青葉だった。
「って、私もびっくりしてるんだけどね、あはは」
「何してるんだこんなところで」
「こんなところでって、地元なんだからいてもおかしくないでしょ。晴翔も講義終わり?」
「そうだよ。講義も終わって何もないからこうやって喫煙所で煙草吸ってたんだよ」
「その割には全然吸ってなかったけどね」
「気分が乗らなかっただけだ」
「気分屋なところ変わらないね、って言いたいけど、それ嘘でしょ」
「嘘?なんでこんなことで嘘をつく必要がある」
「晴翔、改札出てから私と目合ったよね?すごい驚いた顔してたよ?」
「気のせいだろ」
「私と会うのがバツが悪いから喫煙所に逃げ込んだなー?」
「...ああ、そうだよ。お前のこと見たら嫌な思い出が蘇ってきたからな」
...嘘だ。実際に蘇ってきたのは彼女と過ごした幸せな日常だった。
「酷いなぁ。私は晴翔との楽しい思い出を浮かべていたのに」
ニヤニヤと彼女は笑う。
「用事がないならどっか行ってくれ」
「流石、私を捨てた男は言う台詞が違うね」
俺は首筋にナイフを当てられた気分になった。
「って冗談だよ。別れたのは私たち2人が未熟だったから。捨てられたなんてのはちょっとしか思ってないよ」
「ちょっとは思ってんじゃねえか」
「そりゃね。やっぱり悲しいもんは悲しいよ」
2人の間に沈黙が流れる。
「...じゃあ俺、そろそろ行くから」
俺はその空間から早く逃げたかった。罪悪感が湧き上がるのもそうだが、それ以上に彼女を見ていると浮つく心が許せなくなったからだ。
「待ってよ。...そうだな、じゃあ煙草一本分だけ時間頂戴。全然吸えてないでしょ?」
「...わかったよ。一本だけな」
「私にも一本くれる?」
「お前吸うようになったのか」
「冗談。煙草は嫌いだからね」
じゃあなんで喫煙所にいるんだよ、とは聞かなかった。聞いたら駄目な気がした。
俺は煙草に火をつけた。
「そのライター、まだ使ってるんだ」
俺が使っているのは彼女から貰ったジッポライターだ。
「これだけは、捨てられなかったんだ」
これは煙草を吸うようになった俺に彼女がくれた最後のプレゼントだった。煙草が嫌いなくせに、わざわざこれをくれた時は笑ってしまったが、ありがたく使わせてもらっている。
「嬉しいな。まだ私があげたもの使ってくれているの」
「勘違いすんな、あくまで俺は良いものを使いたいってだけだ」
「本当に素直じゃないんだから」
彼女はいたずらに笑って見せた。
それから俺らは煙草の日が消えるまで話した。別れてからの間何をしていたのやら、就活の進捗具合など、様々なことを話した。それは夢のような時間でもあり、もう取り返しのつかない幸福という虚しさも孕んでいた時間だった。
「それじゃ、晴翔。またいつか」
「じゃあな」
煙草の火が消えると、言っていた通り彼女は喫煙所を出て帰っていった。そのことを惜しむ自分もいたが、せめてもの抵抗で再会を願う言葉は吐かなかった。
火の消えた煙草を見てみると、俺はいつもよりずっと短くなった吸い殻を握っていた。
22.自堕落
変化を恐れることが老いることだと私は思う。自身が作り上げてきた固定観念を信じること、即ち経験に即して物事を判断することを悪とは言わない。しかし、経験だけを頼りにして変化を嫌うことは悪だとはっきり言いたい。
私は生きるということは変わり続けることだと思っている。変わるというのは劇的なものでなくてもいい。例えば、恋愛小説を読んだらセンセーショナルな心を読後に抱くのは一時的な変化であるし、心を揺さぶるバラードを聴いて感傷的な価値観をその時に発揮するのも変化である。
私が言いたいのは自分の見聞を深めるような事を毎日何かしら行うべきではないかという事だ。勉強をすることも自分の知識の幅を増やすことにつながるため変化と言えるだろう。
私はまだ若い。だからこそ日々成長していきたいと思っているし、変化を恐れない若い感性で生きていきたいと思っている。
なぜこんなことを書いているかというと、私が今日マジで何もしてないからだ。朝早く起きて溜まっていたアニメを消化して、寝る。起きてご飯を作って食べて机の整理をして寝る。起きて推しの配信のアーカイブをチェックしてからまた寝る。起きて今夜ご飯を作って食べ終わったところだ。流石に自堕落が過ぎているので、悔恨の念を捧げながら自戒としてこの文を書くことにした。
23.tokyo
彼女に会う為に東京に来るのは何度目だろうか。僕の住む街には広がる緑以外には何もないので、遊ぶ時は毎回彼女の住む街に赴いている。
彼女の住む街は東京。欲望渦巻く眠らない街だ(諸説あり)。僕は大学に通う為に千葉の穏やかで平和すぎるような街から大体2時間かけて大学に行っている。一人暮らしをしたかったが、妹の高校進学と被り経済的な余裕がない為僕の城は築かれることはなかった。
大学も東京の郊外付近にある為、最初に行った時はイメージしてた東京とは違って少し安心した。東京も郊外はこんなものなんだなと。
講義が終わると僕はすぐに地元へと帰る。アルバイトをする為だ。なので友達とどこか遊びに行ったりすることがなかった。しかし、入学から3ヶ月した7月の夏、僕は仲良くしていた女の子と付き合うことになった。講義が多く被っていて、互いに気が合う点も多かった為自然と言えば自然だ。
彼女の名前は三浦陽奈。髪色を茶色に染めた、まあ普通の女子大生といった感じの子だ。その子は東京生まれ東京育ちのtheシティーガールである。付き合った次の日に陽奈に連れられて渋谷に行ったのだが僕は目ん玉を見開くほど驚いた。とにかく人が多く、一人一人の個性が強くてアメリカのお貸しみたいな色をしていた。僕は根っからの田舎っ子な為本当に呆然と立ち尽くしてしまった。陽奈はそんな僕をみて笑っていた。
そんな彼女と過ごしていれば隣にいる僕も東京に染まってしまうのではないかと思う人は多いだろう。しかし、僕は東京に染まることはなかった。いまだに方言は出るし髪の色は黒、奇抜なファッションやイかれた食べ物を口にしたりすることはない(イかれた食べ物=訳わからんくらい高いかき氷など)。何故なら根っからの田舎っ子だからだ!
陽奈も滅茶苦茶に派手派手というわけではなく、曰く標準な東京人らしい。標準な東京人とはと言いたくはなったが、陽奈がイかれた個性を発揮するような人ではないことはわかっているので納得はした。
今は夏休みに入り週に一度は東京で彼女と遊んでいる。今日もまた、陽奈は僕が知らなかった世界を鮮やかに見せてくれる。彼女に黙って髪を染めたのはそれから数ヶ月後のことだが、それを話す必要は今はないだろう。
24.花火
今日は花火大会。夜空を彩る火炎に多くの人が心を奪わられる日だ。
そんな僕も今日は花火大会を恋人と見る予定だ。夜6時に駅前で待ち合わせをしている。
昼は照りつける日差しがうざったいほどに晴れていた。しかし、文字通り雲行きが怪しくなったのはちょうど6時ごろだった。夕立が連れてきた神の悪戯は、人々の心を打ちつけた。以前から花火大会の日は天気が怪しいことはわかっていた。僕は改めてウェザーニュースを確認した。どうやら今日は通り雨が降るとか降らないとかという予報で、今降っている雨も一時的には止むらしい。
しかし問題は花火大会の行方だ。その時まで晴れていたとしても意味はない。
彼女と会った時、雨はぽつりと降っていた。1時間後には晴れてほしいと切に願いながら、僕らは花火が見える場所まで歩いていく。
もしも花火が見えなかったら。そんな場合を想定して僕は一つ考えがあった。それは土砂降りの中でびしょ濡れになりながら踊りを踊るというものだ。一見何をいっているかわからないと思うが、花火の中止よりもインパクトのあるもので上書きしようと考えた時、思いついたのがそれだった。考えてみてほしい。自分の恋人が雨の中踊っていたらどう思うだろうか。おそらく大半のカップルはドン引きするだろうが、信頼さえあれば笑ってくれるはずだ。というか笑ってくれないと困る。
というわけで花火まであと10分。今は雨も止み花火大会は結構できるが、今からまた降り始めたら終わりだ。正直僕は天気予報に信頼を置いているので、濡れる準備と踊る準備はすでに終えている。
彼女と花火が見える橋の付近で話していると、ヒューという夏を感じさせる風流な音が空気を切り裂いた。瞬く間に夜空に広がる美しい火花と数秒遅れて聴こえる爆発音が、その場にいる人間全ての視線を上に向けた。
結果として花火大会は無事決行された。今回は覚悟の決め損であったが、もしも誰かとのイベントの約束が雨などで断念されようとした時は、ぜひ踊ってみてほしい。
25.河辺の人魚
「現実は小説より奇なりとかいうじゃん?」
「まあ言うな」
「今ってまさにその奇だったりする?」
「可能性としてはデカいな」
そういう俺らの目の前には半分人間半分魚の生命体が横たわっていた。ちなみにここは海ではなく川だ。なぜ俺らが川にいるかというと、横にいる馬鹿がザリガニを捕まえまくって躾けたいとか言い始めたからだ本当に馬鹿め。
「というか人魚って川にいるんだな」
「そもそも人魚がいることに驚くべきじゃないか?」
「淡水魚の人魚って珍しい気がする」
「話を聞けよ。まず人魚自体が異次元に珍しいだろ」
「いやでも小説とか歌だとよく出てくるだろ」
「それは小説とか歌の中だからだ」
「あの、いいですかね」
俺らが話していると、淡水人魚は声を発して」
「今喋ったか?」
「馬鹿かお前は。人魚なんだから話すに決まってるだろ」
「そうとは限らないだろ。魚色が強くて人語を解さない可能性だって...」
「あの、本当にいいですか?」
淡魚はイライラしながら俺らの会話を静止する。
「私人魚なんですよ」
「見ての通りっすね」
「私人魚なんですよ?」
「はい。見ればわかります」
「私、人魚なんですよ!?」
「だからわかってますって」
「もうちょい驚きません?」
「いやそんなこと言われても...なあ?」
「人魚は人魚だし...」
「いやいやいやいや。普通現実世界に人魚がいたらもっと驚くでしょ?」
「驚いてはいますよ?なあ?」
「うんうん。川にいる人魚なんて珍しい」
「あなたさっき人魚自体が珍しいって言ってましたよね?なら人魚自体にもっと驚いてくださいよ」
「胸でかいっすね」
「そこじゃねえよ死ね」
目の前の淡魚は美しくはあるが、心は溝川のように汚いらしい。
「あとその淡魚ってのやめろ。それだとただの川魚だから」
「なんで心読めるんだよ」
「人魚だからだよ」
「人魚すげえな」
とまあアホみたいな会話の末、人魚を食べることにした。もちろん、食欲を満たすためだ。
「いやちょまてまてまてまて!本当に待って!?」
「なんですか?」
「なんで食べる流れになってんの!?あとその携帯用のナイフ!なんで持ってんの!?」
「そりゃお前魚捌くならナイフは必要だろ?魚初めてか?」
「私が聞いてるのはなんでナイフを持ってるかってってことよ!別に目的を聞いてるわけじゃないの!」
「うるさい人魚だな。黙って食われろ」
「いやあり得なくない?私半分は確かに魚だけどさ、半分は人だし、なんなら人成分多めの人魚だよ?」
「おう、だから下半身だけ食う」
「イヤーーー!」
「安心しろ。俺は神経締めとかに関しては天才レベルだ」
「どこに安心するってのよ!食べないでよ!」
「どうする?食べないでおく?」
「ここまで日本語で懇願されたら食べにくいな」
「よし、わかった。お前は食わないでおく」
「本当に?ありがとう」
「その代わりさ」
「うん!」
俺らは口を揃えてその言葉を言った。
「おっぱい揉ませてくんね?」
「死ね」
男って本当サイテー!
26.虚
この薄灰色の世界で唯一愛した君だけが僕の前からいなくなった。
涙を洗い流す雨は、虹の前兆だと信じたいが、僕はもうこの世界を鮮やかに楽しめないと思う。単に恋と表すのには無理があるほど、僕は彼女を愛していた。
何度口に出したか、何度行動で表したわからない愛してるはどこか水に流されてしまった。僕にはもう彼女を愛した痕跡すら残されていない。
映画や小説の中なら、僕は彼女が遺した何かを胸に、前へ進んで行くのだろう。だけど彼女は、何の前ぶりもなく残酷な運命にその命を奪われてしまった。神様ってのも不平等だ。やっと人生というキャンバスに絵の具を塗り始められたというのに、僕にはもう描くための筆を握る力すらない。
僕の人生は間も無くエンドロールを迎える。というのも死ぬわけじゃない。いや、死んだ人間のように生きるのは間違いないのだが。ベタな結末のように底なしの幸せを享受できたら、どれだけ幸せだったのだろうか。僕は彼女との様々な幻想を頭の中で浮かべようとしては、底知れない虚無に襲われて現実に戻る。
彼女は僕の時間を止めてしまった。彼女を初めて見た時は美しさのあまり1秒間は止まったかもしれないが、今はその時の比ではない。彼女は僕から健全に生きられる時間を奪った。だからといって僕が彼女を恨むわけがない。むしろ彼女と過ごしてきた時間に囚われながら歩いていけるなら、他の誰かに邪魔をされるよりは心地がいいと思えてしまう。
僕が僕の時間を止めたまま生きていくのは正しくない選択肢なのかもしれない。いや、実際正しくないのだろう。人間というのは前を向いて、弱々しい一歩だとしてもその足を踏み出し続けるべきなのだ。
忘れかけていた愛してるを虚空に向けて言い放つ。当然のようにその音は何も連れてくることなく消えていった。
27.部屋
この世界のどこかに君が居ると思うと、君と過ごしたこの小さな部屋で、過去の残像を追いかけてしまう。
同棲していた彼女と別れた。結婚も視野に入れていたが、僕は彼女に相応しくなかった。とっくにわかっていた、彼女はすでに僕のものではないってこと。わかっていたはずなのに、いざ独りになると止めどない悲しみが波を打つ。
付き合ったばかりのことを思い出す。少しづつ縮まっていく距離に胸を弾ませた。そばにいられるだけで充分だった。ずるい君は僕の気持ちに気が付きながら、悪戯に微笑むだけだった。思わせぶりな態度で甘えるその姿を、憎らしい程愛していた。
君の心が僕ではない誰かに向いていることに気がついたのは少し前のことだった。それに気がついてからは、縮まったはずの距離も、隣にいる君の体温すらも辛く感じた。
僕は臆病だから核心に迫る一言を最後の最後まで言い出せなかった。その一言を無理やり飲み込むのが一番辛かった。眩しさの中にある暗闇を、見えているはずの絶望から目を背け続けるのが、本当に苦しかった。それ以上は無意味で空っぽな時間だというのに。
知りたくもない感情を知るくらいなら、僕は最初から恋などしていなかった。それでも、彼女と過ごした夢のような時間はどこまでも現実で、幸福をこれでもかと味わえた最高の時間だった。それを実感するとまた感情が溢れ出す。女々しいことはわかっているが、彼女が僕と一緒に堕ちてくれたなら、この悲しみを分かち合えたなら、どれだけ僕は幸せだったことか。
最後にもっと女々しいことを吐いて、眠ることにしよう。愛しの彼女よ、僕じゃ駄目だったんですか?
28.人間アレルギー
君の違和感を容易く感じられるほど、僕は君の事を理解しているつもりだった。瞬きの数、視線の行先、呼吸の乱れ、腕の組み方、貧乏ゆすり...君が怪,不快を感じる瞬間を僕は見逃さなかった。
人の心というのは本当に厄介だ。そして、理解者面をしていて悦に浸っていた自分は、どれだけ醜い命の塊なのだろう。僕は最後まで君の曖昧なサインに気がつけなかった。奥底で救いを求める君の手を取ることができなかった。
僕はその喪失以降、心を閉ざした。きっと病気なのだろう。病名を何と呼ぶかはわからないが、とにかく僕は人の心に怯えるようになってしまった。誰も知り得ない深海のようなものに恐怖を抱くようになった。
心を数字で測ることは決してできない。仮にできたとしたのならば、僕はこの小刻みに震える心臓を落ち着かせられただろう。あの人が笑った顔を数値化できれば、冗談に聞こえる自虐を数字として脳に読み込みさすことができたならば、僕は君を救うことができた。
僕はいつしか自分のことすら霞のように朧気になっていった。自分の本当の感情が行方不明となり、僕はこの広すぎる世界で母親を求めて彷徨う子供のようになった。数々の不明瞭なものが僕から安寧を奪っていく。
僕は自分を含めた人間を愛せなくなった。人生は後悔に塗れた青い薔薇のようだ。
かつての青い薔薇の花言葉は不可解だった。しかし今の花言葉は夢が叶う、らしい。僕の今の夢はなんだろうか。強いていうなら、苦しみを味わうことなく、緩やかに死ぬことくらいだろうか。
29.この砂浜で君を待つ
耳をすませば潮風の香りと共に君の声が聞こえてくるような気がする。この果てしなく広がる海の向こうで、君は元気にしているだろうか。
夜も近くなり、深いオレンジを反射する水面は目に染みる。無力な僕は君と一緒に行くことはできなかった。君の才能は国内で燻らせるには勿体無いものだから、広い世界で活躍する為に留学に行ったのは当然だ。僕はまだ大人になれていない学生の身分だから、こうやって思い出深い砂浜にまで来て、君の事を想うことしかできない。連絡を取る手段は勿論あるが、忙しいだろう君に負担をかけたくないから、僕から君に連絡することはない。
季節は夏になり、今日から8月だ。君が留学に行ったのが5月に入ったぐらいの頃だから、大体3ヶ月が経ったことになる。別れを告げた春風は孤独を打ち付ける雨となり、今は現実を突きつけられたかのような日差しが僕を照りつけている。少し肌寒かったこの場所も、季節相応の気温となった。
君が帰ってくるのは次の春だ。それまで僕は幻想に想いを馳せるような紅葉も、人肌恋しくなる雪空も1人で享受しなければならない。これは誤魔化すまでもなくとても寂しい。
それでも僕は希望に満ちた桜が咲くまで君を待つ。この砂浜で君の事を忘れないように君の事を想い続ける。
呆然と立ち尽くしていたら時間は瞬く間に過ぎていき、空には果てしない闇が広がっていた。そんな闇の中にぽつりと浮かんでいる月は、水面でゆらゆらと揺れていた。
30.青を思ふ
「今日って金曜日なのか、6月かと思ってたわ」
「どういうこっちゃねん」
意味のわからない発言をする友人にツッコミを入れつつ、僕らはだらりと過ごしていた。
「俺らって元々運動部だったわけじゃん?」
「まあそうだな」
「あの時はエネルギーが有り余ってたか知らんけど、今となったら冷房で冷やされた部屋に篭ってダラダラすること以外考えられないよな」
「全くもって同意、運動は春にしよう」
「冬は寒いし、秋は何もやる気出ないからな」
「人によるけどね」
僕らは高校からの仲で、今でもこうして偶に友人宅に来て漫画などを読んでいる。ちなみに今読んでる漫画は3周目だ。
「何でもっと漫画のレパートリー増やさないの?僕これ見るの3回目なんだけど」
「いや俺すげえ買ってるからな。お前がラブコメ読まないだけで」
「ラブコメ見てると悲しくなるからNG」
「お前そこそこモテてたじゃん」
「ブスにモテても嬉しくねえよ」
「あー全然ダメ全然ダメ」
今度は僕が友人からのツッコミをもらう。ツッコミってよりかは静止だったが。
「今はさ僕ら大学いってるじゃん?」
「夏休み期間だけどそうだな」
「大学にある色々な価値観に触れるのもまあまあ面白いけどさ」
「うん」
「結局中高の奴らとクソくだらない話してるのが一番面白いよな」
「わかる」
大学にいる派手な友人と話すのもつまらないことはない。だがやはり、3年間を同じ教室で共にした友人と話す方が趣深い。
「僕、高校生に戻りたいな」
「流石に懐かしむの早くないか?」
「この前駅で青春風吹かせてる男女グループ見たけど、普通に泣きそうになった」
「リア充だから?」
「それはそうのそぼろ丼なんだけど。そうじゃなくって。制服来て部活の話とかテストの話して騒がしく帰った放課後とか思い出すとどうしてもね」
「あの時は良かった、ってやつか?懐古厨じゃん」
「そうだね、懐古厨なのかもしれない」
「まったくもって最近の若いもんは」
「僕らまだ酒すら飲めないけどな」
「来年から飲もう。みんな誘ってこの部屋で」
「お前はいい加減ウチ来るのやめろや」
耳にタコができるほど聞いたその言葉を無視して、僕は展開の分かりきった漫画のページを捲る。
「あ」
「ん?」
「すまん、お茶こぼした、まじでごめん」
「殺す」
冷房の効いた部屋で僕が冷たい遺体となったのは、言うまでもないだろう。
そうだ、今年の夏休みは中高の奴らに会いに行こう。くるぶしくらいまでには積もる話もあるし、よく行ってたラーメン屋にでも行くことにしよう。
僕は般若のようになった友人からの暴言を受けながら何食わぬ顔でそんなことを思っていた。
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