ガラスのくつ ~アイドル残酷物語~

ニセ梶原康弘

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第9話 汚辱

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 偶然見つけたサイトのコラムに姫咲莉莉亞が記した「頑張ろう」を見つけ、口端を歪めたのは、自称インフルエンサー『青騎士アーロン』だった。

「クズが……」

 憎しみのこもった目でモニターを見る。

 姫咲莉莉亞。
 姫咲莉莉亞。

 かつて、自分が推したラ・クロワの歌姫。自分のように容姿に恵まれぬ者達にとって彼女は恋人に等しい存在だった。
 彼女の評判や人気を高める為に持っていた金をすべて溶かした。汗も流した。センターで歌うポジションを彼女に授けようと人気投票の時は山のようにCDを買い込み、眠気をこらえ夜更けまで投票ハガキを書き続けた。ネット上でもドン引きされるくらい推しまくり、片っ端から布教した。夢を叶えた開票日、壇上でトロフィーを受け取った彼女が涙を流しながら何度も感謝の言葉を告げる姿に感激し、一生この人を推して行こうと思った。

 週刊文秋のスクープで、彼女の裏切りを知った「あの日」までは……

 血が出るまで壁を殴った。腐れ女、卑怯者、淫売、ゴミ……思いつく限りの悪罵を叫んで泣いた。どんなに罵っても足りなかった。その後、プロダクションが彼女を除名処分にしたが、そんなことが何の慰めになっただろう。
 一年前のあの日から生まれた憎しみは、今なお消えていない。

(こいつをのうのうと生かしておくものか)
(徹底的に潰してやる)

 サイトを一巡する。莉莉亞のラ・クロワ復帰を支援するためにファン有志が立ち上げたもので、平瀬敦志というファンが代表として名前を出していた。支援を求める彼のメッセージを読んだが、熱意だけ先走った頭の弱そうな奴という印象だった。理論武装などしていない。莉莉亞にも後ろ盾となるスポンサーはいない。

(待ってろ。莉莉亞共々、お前らファンも潰してやる)

 彼は叩きつけるようにキーボードを打ち始めた。SNSのメックスにまずはサイトを晒してつぶやく。

『姫咲莉莉亞、ラ・クロワに戻ってまた歌いたいとか厚顔無恥にも程がある。どのツラ下げてホザいてるのやら』

 ものの一分も経たないうちにコメントやリポストが付き始めた。
 理不尽が横行する社会にイラつき、不快な奴を見つければ牙を剥く連中がメックスの中でいつも目を光らせている。炎上次第によっては政治家を落選させ、企業を閉業に追い込むこともあった。
 SNSは今やそれほどの社会的な影響力を持っているのだ。
 ましてや、彼の言動を見ているフォロワー数は二〇万人もいた。

『誰かと思ったら美槌烈音の肉便器じゃねぇかw』
『コイツなにがしたいんだか。再起の芽などないのに金欲しさ?』
『とっくにAV女優に転向してたと思ってたわ』
『こんなのに未だに貢ぐ哀れなドルオタもまだいるんだなぁ』

 辛辣なコメントの数々にアーロンは、ほくそ笑んだ。自分と同じように姫咲莉莉亞に悪意を持っている連中は大勢いる。これを見て黙っているはずがないと彼は踏んでいたのだ。
 莉莉亞のファンサイトと「がんばろう」は、枯野に火が燃え広がるように拡散していった。過去のスキャンダル記事を引用して解説する者、嘲笑する者、煽り立てる者……
 莉莉亞へ応援メッセージを送れるサイトのメールフォームからは『ようクズ、はよ死ねや』『搾取養分のおかわりが欲しいのか?』『生きた汚物はさっさと焼却炉で処分されて下さい』といった誹謗中傷が山のように送られる。
 サイトを管理しているアツシのスマホは突然、ひっきりなしにメール通知音が鳴り響き、止まらなくなった。

「一体何が……」

 もしやとスマホでメックスを開いた彼の目に飛び込んできたのは、トレンドワード『姫咲莉莉亞』だった。
 これが彼女のラ・クロワ復帰に賛同する声であればどれほど嬉しかったか。
 だが、タグが付けられたポストに莉莉亞を応援するものはひとつもなかった。どれもこれも、彼女の過ちを蒸し返し、非難したものばかり。
 ファンサイトのメッセージフォームを慌てて閉じたが、メックスの炎上は一向に沈静化しない。
 莉莉亞が一夜を共にした男性アイドルの美槌烈音にも言及する発言も現れ始めたが、これには彼の所属するプロダクションからすぐさま警告が出された。

 「弊社に所属している美槌烈音を名指した発言が急に増えましたが、悪質な誹謗には法的に対処する場合があります」

 要するに「姫咲莉莉亞を叩くだけなら知ったことではないが、美槌烈音に飛び火したら許さない」という訳である。潮が引くように彼等の発言から烈音の名前は消えていった。

(オラトリオ・アソシエイツも同じように対応してくれないだろうか……)

 アツシは祈るような思いで対応を待ったが、ラ・クロワの公式アカウントはずっと無関心を決め込んでいた。定期的なイベントや新曲情報の告知ばかり。
 除名した歌姫が炎上しようが関係ない、という態度だった。

(誰も莉莉亞の味方になってくれない)

 とうとう我慢できなくなったアツシは、自分のアカウントから莉莉亞を懸命に擁護した。

「莉莉亞はあの日のことを悔いています。さんざん傷ついて苦しんできた。許してくれませんか。もう一度歌いたいって懸命な今の莉莉亞を応援してくれませんか」

 だが、莉莉亞を蔑む連中にとって、それは格好の燃料でしかなかった。
 どんなに丁寧な言い方をされようが彼等に許すつもりなど毛頭ない。発言を引用した辛辣なコメントが次々とあがり、ネットを賑わせる。

『今さら終コンを応援する奴いるかよ。現実を見ろバーカ』
『炎上したら被害者面かよ』
『ゴミの歌聴きたい奴なんかいないって。あきらメロン』
『庇ったらご褒美にヤらせてくれるんじゃないかって思ってだろお前』

 心をえぐるような悪罵に、アツシは悔しさをこらえきれなかった。
 小さな女の子の境遇に自分を重ね合わせ、莉莉亞が「頑張ろう」と懸命に前を向こうとしているのに、どこまでも足蹴にして唾を吐く。

『お前ら、再起しようと懸命に頑張ってる莉莉亞をそうやってバカにして楽しいか』

 怒りを込めて彼は書かずにいられなかった。
 それは彼等を更に煽るだけだった。アツシの願いや莉莉亞の気持ちなど、誰も斟酌しない。

『楽しいね。幾らでもザマァって言ってやるよ』
『バカにしてんのは莉莉亞だろ。お前何言ってんだ?』
『あのな、ラ・クロワを追い出された理由が何だったか胸に手当ててよーく思い出せ』

 そして、火付人の青騎士アーロンが、皆の怒りを代弁するかのようにアツシの反論を切り捨てた。

『ファンを裏切った奴が何を頑張るんだ。また誰かを裏切るのを頑張るのか?』

 莉莉亞もこのとき、騒動に気づいてスマホでやり取りを見ていたが、「ファンを裏切った奴が」という言葉に、グサリと胸を突かれた。

(ごめんなさい)
(でも裏切るつもりなんかなかったの。本当なの)

 いっそ、自分のそんな想いを書き込んで訴えたかった。
 だが、そんなことをしようものなら炎上に輪をかけるだけである。彼女にも分かっていた。
 信じてくれない人には、どんなに必死に呼びかけても届かない。
 非公開にしている自分のアカウントにも何人かが『ねぇねぇ、いまどんな気持ち?』『再起したいのに炎上したらダンマリかよ。何とか言ったら?』と絡んでいた。
 今は何を言われても唇を噛み締め、ただ黙って耐えるしかない。

「……」

 莉莉亞は黙ったまま自分のアカウントを削除した。数少ない自分の発信手段だが、そうするしかない。せめて、ほとぼりが冷めた頃に再開すればいいと思うしかなかった。
 アツシも泣く泣くファンサイトを一旦閉鎖した。りり推しのメンバーでメールアドレスが分かっている者には後で事情と閉鎖のお知らせを送るしかない。

『莉莉亞、逃亡!』
『ファンサイトも消えてる、オレたちの勝利だ!』
『また勝ってしまったか。敗北を知りたい』

 勝利に沸く彼らの快哉をアツシは悔しそうに見るしかなかった。

「どうして……」

 アツシの痛憤がまるで聞こえていたかのように、聖騎士アーロンが彼等の気持ちを代弁するように、つぶやいた。

『苦しい思いして人気を高めたオレらの努力をドブに捨てやがって。そればかりか必死に働いて作った金を恋人とイチャつくのに使われて……そんなオレらの口惜しさが貴様に分かるか!』

 共感する人々がたちまちそれへ「イイネ!」を付与してゆく。十、百、千……と桁数がみるみるうちに増えていった。さらに「恥を知れ」「同感、さっさと首を吊れ」というコメントが付け加えられてゆく。

『分からねえから復活希望なんて今さら恥知らずなことが言えるんだろ』
『ライブやイベント参加のチケット代、会場への交通費、遠征先の宿泊費、会場でのパンフやタオルのグッズ費、ファンクラブの年会費、握手券付きのCD代……さんざん金を搾り取っておきながらファンを裏切った癖に』
『一生許さねえからな、死ね!』

 スマホを持った莉莉亞は、なおも続く誹謗中傷を前に立ち尽くし、うなだれた。
 言葉がない。

(私は……)
(私は、そんなに許されないことをしたの?)
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