ガラスのくつ ~アイドル残酷物語~

ニセ梶原康弘

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第14話 一筋の光

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 莉莉亞が独りで活動を再開した動画サイト「莉莉亞 再起動」だったが、ネットユーザーの誹謗をたちまち再燃させてしまった。

 再起を目指しています……と自己紹介したものの、どの芸能プロダクションもそんな莉莉亞を冷ややかに無視して声など掛けない。マスコミも記事にすらしてくれなかった。下手に関われば「屠殺人」と呼ばれるラ・クロワのプロデューサーから会社ごと潰されかねないので避けたのだ。
 僅かな人だけが「天使の歌声はラ・クロワの頃と変わっていない」「ごめんなさいって莉莉亞の気持ち、伝わりました!」と動画に評価を付けてくれた。
 チクサも一般人を装ったアカウントを作り、「切なくて綺麗な歌ですね。いつかステージの上でまた歌って下さい。応援しています」と、こっそりコメントで励ました。
 しかし、それにすら心ない連中から「本人の成りすまし」「サクラ乙」と悪意に満ちたレスが付けられた。
 中でもアンチファンのインフルエンサー『青騎士アーロン』は辛辣だった。幾度もコメント欄で一年前の莉莉亞の醜聞を紹介し、SNSで「こんな奴を二度と歌わせてはいけない!」と熱心に布教して回っている。
 莉莉亞は悔しくてならなかった。
 過去のスキャンダルばかり悪評となって広まり、ほとんどすべての人が自分の気持ちを知ろうともしてくれない。

(だったら……)

 莉莉亞にとって悪評と戦う術は、歌しかない。

(ラ・クロワの歌を歌おう)
(私を知らない人もラ・クロワならきっと知ってる。そこから私の歌を聴いてもらえれば……)

 そう思った莉莉亞はレンタルスタジオを借り、そこでラ・クロワのヒットナンバー「Brand New Days」を歌った。

(お願い)
(悪く言う前に、どうか私の歌を聴いてください)

 そんな気持ちで懸命に編集し動画サイトにアップする。しかし、それは悪手になってしまった。
 数日後、サイトにアクセスした莉莉亞が見たものは……

『この動画はオラトリオ・アソシエイツ・プロダクションから著作権侵害の申し立てがあったため、削除されました』

 愕然として冷酷な通知を見た莉莉亞は、しばらくしてがっくりと肩を落とした。
 確かに不注意だった。正直焦っていたというのもある。でも、だからって……
 やり切れない思いの莉莉亞へ追い打ちのように数日後、「償い」への誹謗中傷が酷いことを理由に『莉莉亞、再起動』のアカウントも削除されてしまった。

「……」

 もう、言葉も出ない。
 動画サイトをぼんやりと見る。ラ・クロワや人気アイドルグループのプロモーション動画が今も何千、何万と再生され、聴かれていた。
 莉莉亞の後輩達「スプラッシュウェイブ・エンジェルズ」も人気を博し、動画のオンラインライブでは数千を超すユーザーがコメントでエールを贈っていた。
 自分の動画は、もう跡形もなくなってしまったのに……
 莉莉亞の瞳に涙が滲んだ。
 悔しさに、思わずコブシでテーブルを打ち付ける。

「どうしてよ! どうして私ばかり……」

 お前なんぞが歌うな消え失せろとばかりにどこまでも叩かれ、一方でそんなことも知らぬ気にかつての仲間や後輩達は手の届かない場所で華やかに歌い、賛美されている。

「もう、許して……歌わせてよ……」

 両手で顔を覆って泣き出したその時、テーブルに置いたスマホがピコンとメールの受信音を鳴らした。

「……」

 削除される前の動画アカウントに莉莉亞はメールアドレスを載せていた。自分を拾ってくれるプロダクションがいて連絡を送れるように。もっとも、来るのは誹謗中傷とスパムばかりだったが。

(アカウントも削除されたのに今さら誰が……)

 何気なく覗いた莉莉亞の目が次の瞬間、大きく見開かれた。


**  **  **  **  **  **


「アツシくん? この間はゴメンね!」
「り、莉莉亞?」

 いきなり掛かってきた電話を慌てふためいて取ると、電話の主はそれ以上に慌てた様子で話し掛けてきた。
 だがその声は興奮と、そして嬉しさを隠し切れずにいた。

「気にしてないけど、それより落ち着いてよ莉莉亞。突然どうしたの?」
「わ、わたし再デビュー出来そうなの!」
「ほ、本当!?」

 落ち着けと言ったはずのアツシが今度は飛び上がった。興奮して「どういうこと? 教えてよ!」と、喰いつき始める。

「メールが来たの。芸能人の代わりにプロダクションと交渉してくれるエージェントの会社から。私が必ずラ・クロワに復帰出来るよう交渉してくれるって!」
「本当かい? やったね!」
「本当よ! ああもう夢みたい……」

 莉莉亞の話によると、なんでも芸能界にコネクションを持ち仕事のオファーや推薦、契約の交渉などを代行する会社なのだという。交渉の成立が見込めるような相手にしか声を掛けないが、莉莉亞の場合は高名な歌姫なので事前調査した結果、交渉次第で可能性があると思われたため連絡した、という話であった。

「歌える。またみんなと……チクサ、ナツメ、るぅな、ナツメグ……」

 電話の向こうで莉莉亞が泣き出したので、アツシは「まだ泣いちゃ駄目だよ。泣くのは皆と一緒にまた歌う時だ」と叱った。

「そうだよね、ゴメンなさい。とにかく、アツシくんには最初に伝えなきゃって思って」
「……」

 自分をそんな風に思ってくれたのか……アツシは胸が熱くなった。

「それでね、さっき電話したの。四日後にそこの会社へ打ち合わせに行ってくるわ。ファンのみんなにはその後でお知らせようと思うの」

 アツシは「そうだね。ある程度話がまとまってからの方が……」と同意したが、その後に莉莉亞が続けた「その時はアツシくんからファンのコミュニティサイトでお知らせしてくれない?」に「え?」と硬直した。

「実はね、サイトのURLが分かんなくなっちゃったの。ログインする為のパスワードも忘れちゃって……ごめんなさい」
「……」

 アツシは思わず言葉を失う。
 喜びに水を掛けられたようだった。
 暫く前に、彼女は薮内のクリニックでSNSで炎上したことや自分のファンサイトが削除されたことを薮内の前で泣きながら話したばかりなのだ。

 その莉莉亞が、それをまるで話している。

 アツシは咄嗟に「分かった、そこは任せて」と話を合わせた。ファンサイトは大急ぎでもう一度作り直せばいい。
 だけど……

「ありがとう。お願いね……」

 感謝の言葉と共に莉莉亞からの電話が終わるとアツシは唇を噛んだ。
 莉莉亞の症状は間違いなく悪化している。それも、薮内が告げた通りに。

「……」

 それでもとアツシは思った。もう一度光差す場所で歌いたいと泣いていた彼女を諦めさせることなんか出来ない。
 予感がした。
 記憶が抜け落ちてゆく推しのこの先には、きっと悲劇が待っている。
 それでもいい。どこまでも望まれるまま、彼女を推そう。
 そう思った彼はふと、薮内に言われた言葉を思い出し、つぶやくように言い直した。

「支えるんだ。最後まで……」

 静かにコブシを握りしめ、彼は自分自身に誓った。

 一方。
 何も知らず電話を終えると莉莉亞は何度も深呼吸した。高鳴る心臓は一向におさまらない。
 四日後が待ち遠しい。こんなに心が浮き立つのはどれほど振りだろう……
 莉莉亞は、半ば夢が叶ったような気持ちだった。

 その日。
 緊張しながらも莉莉亞は指定された場所へ赴いた。
 都市郊外のレンタルオフィスルームの小綺麗なビルに、その「キャスティングボード・エージェンシー」事務所はあった。
 中に通され、お茶を出されてしばらく待つと、メガネを掛けたスーツ姿の中年男性と神経質そうな顔つきの女性が「お待たせしました」と入ってきた。

「初めまして、姫咲莉莉亞と申します」
「松尾です」
「伊田野です」

 立ち上がって丁寧に頭を下げて挨拶すると、二人からそれぞれ名刺を渡され、座るよう促された。
 簡単に会社案内をされ、交渉に関する法律上の制約等を説明される。莉莉亞には難しい話でよく分からなかった。莉莉亞からは既にデモ用の音声ファイルが入ったフラッシュメモリ、経歴書を郵便で提出していた。
 
「いま、ちょっと歌えますか?」
「はい」

 聞かれた莉莉亞は立ち上がってワンフレーズを歌い、二人を驚かせた。
 歌声には自負があった。
 ダンスとボイストレーニングはずっと欠かしていない。むしろ、ラ・クロワを追い出された後は牙を研ぐように厳しさを増した練習を己に課してきたのだ。
 他に幾つか質問され、出来る限り詳細に答えた。
 ただ、自分の記憶が欠落する疾患については黙った。これだけは絶対に隠し通さなければならない。露見すれば自分の芸能人としての命脈は間違いなく絶たれる。

「姫咲さん、よろしいでしょうか」

 しばらくヒソヒソ話で打ち合わせていた二人のうち、伊田野と名乗った女性がおもむろに話し始めた。

「ラ・クロワに復帰したい、オラトリオ・アソシエイツに戻りたいというご意向は確かに伺いました。それを実現できる歌唱力があることも」
「はい」
「ご意向を叶えることは、おそらく出来ると思います」
「本当ですか!」
「ですが……」

 思わず腰を浮かせた莉莉亞に対して口ごもった伊田野に代わり、男性の松尾が続ける。

「相当厳しい交渉になります。何しろ相手は芸能界でも最大手のプロダクション。業界では冷酷な手腕で屠殺人とまでいわれたプロデューサー、藤元公氏です。一筋縄ではゆかないでしょう」
「……」
「交渉には武器が要ります。ハッキリ言いましょう、お金です。人脈や政治的な影響力を駆使して交渉して相手をうんと言わせるしかありません。その為にお金が必要となります」
「……幾ら」

 莉莉亞は震える声を振り絞って尋ねた。

「幾ら必要ですか?」
「概算ですが、ざっと二八〇万になります」
「……そんなに!」

 莉莉亞は言葉を失った。自分が今所有しているお金をすべてはたいても到底足りない。

「……もう少し安く抑えることは出来ませんか?」
「お金を惜しめば、交渉は失敗するでしょう」
「……」
「私共から無理強いは出来ません。金額も金額ですし。ただ、ラ・クロワでは新しいメンバーをオーディションで行う催しを始めています。決まったら、交渉する余地はないでしょう。猶予はあまりありません」

 莉莉亞は俯いた。おそらくこれがラ・クロワへ戻れる唯一、そして最後の機会だろう。どこからか、お金を作れないだろうか……莉莉亞は必死に頭を巡らせた。貸してくれる人の当ても何もない。

(無職の今の私に貸してくれる人なんて……)

 そこまで考えたとき、彼女は思い至った。
 あった。
 借りることが出来るかもしれない、そんな当てがひとつだけ……
 膝の上で揃えた手にぎゅっと力を込めると、莉莉亞は顔を上げた。

「わかりました。少し時間を下さい」


**  **  **  **  **  **


『りり推しの皆さん。みんなの協力で莉莉亞のラ・クロワ再デビューの目途がついに立ちました!』

 再び立ち上がったファンサイトの掲示板に莉莉亞の復活を報告するメッセージが掲載されたのは、それから一ヶ月後のことだった。

『クラウドファンディングでご協力をいただき、目標額の二八〇万を達成してから半月……オラトリオ・アソシエイツからラ・クロワへの莉莉亞再加入が決まったとの報告が内々であったそうです! このことはくれぐれもご内密に願います』

 莉莉亞を推すファンはもう十人程しか残っていなかった。そんな彼等がアツシの呼びかけに応じてお金を出し合ったのだ。
 それでも全然足りなかった。既に莉莉亞は所持金のほとんどをはたいている。「必ず返します、力を貸してください!」と必死に呼びかける莉莉亞を見かねてアツシが不足分をすべて負担したのだった。
 おそらく一番お金を出したのは彼だったに違いない。申し訳ない思いでいっぱいの莉莉亞は何度も謝ったが、アツシは「大丈夫だから」と笑って流した。
 ともあれ、指定された口座に入金出来たことで契約が成立し、莉莉亞の許にエージェント会社の伊田野から「オラトリオ・アソシエイツとの交渉を開始しました」と連絡が入った。
 経過はどうなっているのか、結果はどうなるのか……莉莉亞もアツシも残ったファン達も皆が固唾を吞んで待った。
 そして十日ほど経った後でもたらされたのが、この吉報であった。
 莉莉亞は号泣し、アツシは絶叫した。ファン達も飛び上がって歓喜の声を上げた。

『莉莉亞のラ・クロワ再加入の発表はサプライズ効果を狙って十日後に行います。それまでは如何なる情報公開も行いませんので、くれぐれも再デビューの件は漏らさないで下さい』

 声を上げて世界中に叫びたいほどの気持ちはあったが、誰もがそれを抑えた。うっかり口を滑らせては何もかもご破算になるかもしれない。
 伊田野からは再加入のプレスリリースと同時に、オラトリオ・アソシエイツから連絡があると聞かされ、それまでは絶対に話さないようにと念を押された。
 その日まで……莉莉亞は指折り数えてその日を待った。

(またみんなと歌える……もう一度ラ・クロワの歌姫になってステージの上に立てる!)
(まずはみんなに謝ろう。もう一度初心に帰って歌うからって頭を下げよう……)
(みんな、許してくれるだろうか。許してくれるまで何度だって謝ろう、頭を下げよう)

 言いたいこと、やりたいことは山のようにあった。喜びで心は逸るばかり。一日一日がゆっくりと経ってゆくようで、もどかしかった。

 その日。

 莉莉亞は早起きした。ラ・クロワのオフィシャルサイトにアクセスする。今日、ホームページで自分の復帰が発表されると聞かされていたのだ。
 お昼の一二時で定期更新されるのを今か今かと待つ。数分前から何度も何度もリロードしてしまった。

(私の新しいスタート……)
(待っててくれたみんな、莉莉亞だよ! 莉莉亞が帰ってきたよ!)

 まるでアンコールステージで飛び出したような高揚感と共に、莉莉亞は更新されたサイトを見た。

 そして……
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