月の女神と夜の女王

海獺屋ぼの

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下弦の月

月姫 アリスタルコス

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 朝起きると父さんがいなくなっていた。
 私が朝起きてダイニングテーブルに行くとそこには誰もいなかった。テーブルの上には小さなメモと私名義の預金通帳だけが残されていた。メモには「すまない」とだけ書いてあった。理由はわからないけど父さんはどこかにいってしまったようだ。
 私は状況を飲み込めなかった。何かの悪い冗談なんじゃないのかとも思ったけど、どこを探しても父さんはいなかった。携帯に電話を掛けたけど、既に解約してしまったのか電話番号につながる事はなかった。
 もしかしたらと思ってベリストアに向かう。店につくと本部のSVとパートさんが何やら揉めている。
「あ! ルナちゃん!? 店長どうしたの! 急に店に電話あって『もう店辞めるから』って言われたんだけど!? 店長なんかあったの!?」
 佐伯さんは私に詰め寄るようにそう言ってきた。すごい剣幕で今にも怒鳴り声になりそうな勢いだ。
「私にもわかりません……。朝起きたらメモだけ残されてて……」
「はー? どういうことよ!? 店長昨日まで普通に一緒に仕事してたんだよ! 急に辞めるとかありえないでしょ!?」
 佐伯さんはまるで私を責めるように強い口調でそう言った。
 どうやら父さんは仕事も放り出して蒸発してしまったようだ。私は不安でどうしようもなかったけど、追い打ちをかけるようにSVに文句を言われた。
「京極さんには困りますねー。だらしない方だとは思ってましたけど、まさか急にどっかいってしまうとは思いませんでした。ルナさん? お父さんの行き先に心当たりとかないんですか?」
「すいません。私も考えてみたんですけど心当たりがないんです……。携帯にかけても連絡つかないし、私も何も聞いてないんです」
「そうですか……。仕方ないですね。佐伯さんちょっと良いですか?」
 SVと佐伯さんはバックルームに行って何か話をしている。その間私は石井さんに慰められた。石井さんは「きっと何か事情があったんだよ」とか「そのうち帰ってくるから」とか月並みな言葉で私を慰めてくれた。
 私はその日SVに帰され「何かあったら連絡する」と事務的に言われそのまま自宅待機になった。
 自宅に戻った私は放心状態だった。いつもなら空いた時間に家事を進めたり、勉強したりするところだけどそんなことをする気にはとてもなれなかった。
 一日中ダイニングテーブルの前で過ごしてしまった。特に何もする事もなくただひたすら座ってボーッとして過ごした。食事さえその日はとらなかった。
 SVから電話がかかって来たのは翌日の事だった。SVの話では店舗の運営が困難なため、しばらく店を閉めて新任の店長を探すらしい。
「ルナさん? 一応お父さんから連絡来たり、帰ってきたら本部まで連絡してください。それとこれからアルバイトどうします? こんなことになってしまったし、続けるのは難しいですよね?」
「まだわかりません。私も今はどうしていいのかわからないです。でも、店を再開することになったら連絡ください」
「わかりました……。では大変だと思いますが頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます。父が迷惑おかけして申し訳ありません。よろしくお願いします」
 私は途方に暮れていた。いったい父さんはどこに行ってしまったんだろう? 本当に心当たりがなかった。私の知らないところで何かあったに違いない。でも私は父さんの変化に気がつく事ができなかった。
 私は店で働いているスタッフ全員に連絡して状況を説明した。パートさんもバイト生も表面的には私に同情して優しい言葉をかけてくれた。佐伯さんには少し棘のある言い方をされたけど、おおむねみんな優しかった。麗奈に電話をかけると酷く驚かれた。彼女は私にトンチンカンなことを言っていたけど、それでも心から心配してくれた。
 私は最後に茉奈美に連絡をした。
「はい! ルナ大丈夫なの!?」
 電話に出たとたん茉奈美は私に聞いてきた。
「麗奈から聞いたんだね? やっぱり話が伝わるの早いなー」
 私は茉奈美に簡単に事情を説明して、これからしばらくバイトが休みになる事を伝えた。
「わかったよ……。つーかルナあんたウチらに電話とかかけてる場合じゃないでしょ!? だってお父さんどっかいっちゃたんでしょ?」
「そうなんだけどさ……。なんか実感わかないんだよね。それに父さんの行き先に心当たりもないし」
「……。ルナ。今、家にいるの?」
「そうだよ」
「じゃあ今から行くよ! ルナこれから大変なんだから色々考えなきゃいけないじゃん?」
 茉奈美にそう言われて私はこれからどうしようか考えたけど、イマイチピンと来なかった。でも茉奈美が来てくれるなら心強い気がしたから彼女に来てもらう事にした。
 それから三〇分とかからずに茉奈美は私の家にやってきた。
「いらっしゃい。ありがとうね」
 私はそういうと茉奈美を自分の部屋に連れて行った。
「ルナさあ、本当にヤバいよ!? だってルナんちお父さんしかいないのにこれから一人ぼっちじゃん!?」
 茉奈美は普段そこまで取り乱さない。でも今日は違った。まるで自身のことのように私の身を案じてくれている。
「そうだね……。本当にどうしたらいいかわかんないよ。今は学校も休みだからまだいいけど来週から始まるし、どうしたいいのかさっぱりわかんない」
「ルナさぁ、しばらくウチんち泊まり来れば? うちのパパもママもきっとOKしてくれるからさ! 一人ぼっちじゃルナも不安でしょ?」
「ありがとう茉奈美。でも私はこの家から離れるわけにはいかないよ。もしかしたら父さん戻ってくるかもしれないし、戻ってきたときに家が空っぽじゃ可哀想だよ……」
「そっか……。そうだよね。でもルナを一人にはしておけないよ! じゃあ逆にさ、ウチがルナんち泊まりに来るってのはどう? それならルナも家にいられるし、なんかあった時も二人なら安心じゃん」
 茉奈美にそう言われて私は嬉しかった。人は困ると人のありがたみがわかると言うけれど本当にそうみたいだ。確かに一人だと寂しいし、茉奈美が泊まりに来てくれるなら嬉しい。
「わかった。ありがとう茉奈美! じゃあ泊まりに来てもらおうかな」
 茉奈美のお泊まりが決まると彼女は一旦自宅に帰って行った。私は彼女が帰っている間に部屋の掃除をした。
「ただいま」
 戻って来ると茉奈美は大きなスーツケースと紙袋を持って私の家の玄関からあがった。
「おかえり、ずいぶんと荷物持ってきたんだね」
「うん。もしかしたら何日もお泊まりするかもしれないからね! 念入りに持ってきたよ。あ、これはうちの親からだよ!」
 私は茉奈美から紙袋を受け取る。紙袋はずっしりと重く、中には野菜やカップラーメンが入っている。
「ありがとうね。でも茉奈美……。ここまでしてもらっちゃ申し訳ないよ」
「気にすんなって! ウチら姉妹みたいなもんじゃん? 困ったときはお互い様だよ!」
 私は茉奈美に優しくされて急に父さんがいなくなった実感が湧いてしまった。勝手に涙が零れた。最近はすっかり泣き虫になってしまった気がする。
「あーあー、泣くなよ! 何? 急にどうした?」
 茉奈美は私をぎゅっと抱きしめて背中をポンポンと叩いてくれた。まるで母親が子供をあやすようにされて私は大声で泣いてしまった。
「茉奈美ぃー。父さんが、父さんがぁ」
 もう私は涙を止める事ができなくなっていた。
「よしよし……。そりゃーショックだよねぇ。ウチだったら泣くどころじゃすまないだろうなー。ルナは普段から我慢し過ぎなんだよ。もっと自分だしゃあいいんだ。そういうところはウラの方が……」
 茉奈美はそこまで言って言葉を濁した。
「わがっでるよぉ。お姉のほうが、私なんかよりずっと素直で自分に正直だもん。あの人がうらやましい、私もあんな風になりだがっだぁ」
 もう涙で顔が酷い事になっていた。言葉もうまく話せていない気がする。
 茉奈美に抱かれたまま小一時間泣き続ける。茉奈美は母親が子供をあやすように私に寄り添ってくれた。茉奈美、麗奈、本当にありがとう。
 私が落ち着くと茉奈美は昼食の準備をしてくれた。彼女はあまり料理が得意じゃないからインスタントラーメンを鍋で煮ただけだけど、二人で食べるととても美味しかった。そういえば昨日から何も食べていなかったっけ?
「ねえ茉奈美? もし泊まるなら私の部屋で二人は狭いからお姉の部屋使えば? あの人もうしばらく使ってないけど、ちゃんと掃除はしてあるから普通に泊まれると思うよ」
 私はラーメンをすすりながら茉奈美に聞いてみる。
「いいけどさー。勝手に部屋使ったらウラに怒られそうな気がする……」
「そっか……。じゃあさ、私からお姉に聞いてみるよ! あの人がOKすれば茉奈美も気兼ねなく使えるでしょ?」
 私がそういうと茉奈美に意外そうな顔をされた。
「そうしてもらえると助かるけど。いいの? ウラとは口もききたくないんじゃなかった?」
「そうだね……。でもさ! 父さんのことも一応お姉に伝えといた方が良いと思うし、私もいつまでも意地はってるわけにはいかないよ。そろそろ大人にならなきゃね……」
 私は茉奈美にそう言うと久しぶりにへカテーに連絡してみる事にした。スマホのメモリーから彼女の電話番号を呼び出す。『裏月』というメモリーを表示させたのは本当に久し振りだった。
 私は胸の鼓動が速くなるのを感じながら、発信ボタンを押した。
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