月の女神と夜の女王

海獺屋ぼの

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下弦の月

菖蒲 エボニーブレード

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 ZZRを走らせながら自宅に戻ったウチは、大きめのリュックに着替えを詰め込んだ。すぐ帰るつもりだけど、もしかしたら菊丸の説得に何日かかかるかもしれない。ライダーズジャケットを着るとさすがに暑かった。一〇〇km以上バイクで移動するのは久し振りだから多少は準備しなければならない。
 準備が終わると自宅から社務所を抜けて咲冬神社の境内に出た。境内では義姉の華倶揶が柄杓で打ち水をしていた。
「義姉さん! ただいま」
 ウチは義姉さんに声をかけた。彼女は残暑厳しいというのに巫女姿で汗を流しながら境内の手入れをしているようだった。
「あら、あやちゃんおかえりなさーい。香取の叔父さんとこから戻ったのね!」
「うん、今帰ってきたとこだよー。すぐに出かけるけどね! 何日かまた戻らないからウチの社務よろしくねー」
 咲冬華倶揶(かぐや)。彼女はウチの実兄のお嫁さんだった人だ。兄は二年前に事故で亡くなってしまったけど、彼女は今でもこうして神社の巫女をしてくれていた。神主であるウチの父親は長男の嫁である彼女をとても可愛がっていた。義姉といいながらも彼女はウチより二歳年下だった。不思議なもので年下の義姉というわけだ。
「えー!? またー? 叔父さんに何か頼まれたのー?」
 彼女は茶目っ気のある言い方をした。なかなか可愛らしいお義姉さんだ。
「そうだよ。なんか叔父さんとこの子供が二人とも家出したんだってさ。ほら? 知ってるでしょ! 菊坊と茜には会ったことあるはずだよ」
「覚えてるよー。菊丸君は私と同い年だからねー! 何回か会って話したけどけっこうヤンチャそうな子だったよね? 妹ちゃんはたしか口がきけない子だったよね? ニコニコしててかわいい子だった気がするけど……」
「そっか……。義姉さんと菊坊は同い年か……」
「なぁに? 含むような言い方して」
「ウチもなんか歳取ったなーって思ってね。まぁ兄貴がただロリコンってだけなんだけど、義姉さんてウチより歳下だから感覚がおかしくなる……」
「ちょっとぉ! 別に私はロリじゃないよ? たまたま桜凌君が年下の私を選んでくれただけだよー」
「でもさー。兄貴生きてたらもう三十路だよ? その当時の義姉さんいくつよ?」
「うんとねー。当時もうすぐ二〇歳だって話をしてたから確か一九歳だった気がする!」
「ほら! やっぱ兄貴ロリコンだよ!」
 ウチと義姉さんは咲冬神社の境内で兄貴のことを思い出しながら時の流れの早さを実感していた。兄貴が死んでからもう二年になるのか……。
「わかったよぉ。ちゃんとお義父さんとお義母さんにも言って出かけてね! 叔父さんの頼みなら文句を言われないでしょ!」
 ウチは社務所を抜けて、神社の社殿の中に入った。社殿の中では両親が祝詞をあげている。祝詞をあげている最中に声をかけると怒られるからウチは社殿の隅に座って終わるのを待った。
「どうした? 藤乃からの用事はなんだった?」
 祝詞が終わると父に聞かれた。母は黙って厳しい表情をしている。
「ただいま、叔父さんからおつかい頼まれたからちょっと茨城までいってくるよ」
 ウチは両親に菊丸と茜を迎えに行くと伝えた。父は「そうか」と言っただけだ。
「菖蒲、出かけるのはいいけど無茶をしちゃ駄目よ? あなたは出かけるといつも無茶するんだから……」
 母は心配するようにウチに声をかけてくれた。父と違って母は心配性なのだ。
 ウチは大人しく両親の話を聞いていた。彼らは叔父や他の親戚たちと違ってカタギなのだ。ヤクザの本家だというのにそういうところは変わっている気がする。
「じゃあウチは出かけるよ! 何かあったらまた連絡するね」
 ウチはそのまま出発しようとしたけど、父に止められた。
「待て菖蒲! 《口縄様》にご挨拶してから出かけなさい」
 《口縄様》は咲冬神社が祀っている神様だ。大きな白蛇の神様で、時折人の姿で現れるらしい。らしいというか、ウチは幼い時分に《口縄様》と会ったことがある。彼(もしくは彼女)は白装束に白い長髪姿でウチの前に現れた。幼かったウチは《口縄様》が怖くて仕方なかった気がする。その時に『契り』と言えば良いのかな? ウチは《口縄様》に首元を噛み付かれた。その時の噛み傷は今でも首元に残っている。
「《口縄様》今から出かけて参ります。無事に帰って来れますよう、何とぞよろしくお願いいたします。菊丸と茜も無事にお帰しください」
 ウチはがらにもなく真面目に《口縄様》に祈りを捧げた。
「よしよし、それじゃ気をつけて行ってきなさい! それと……。藤乃からもらったものは置いて行きなさい」
 父はウチの前に手を差し出して現金を置いて行くように促した。
「えー? 藤乃叔父さんから連絡あったのー?」
「連絡がなくてもわかる。あいつはそういう奴だ! どうせ一〇〇万くらいはもらっているんだろう?」
 大当たり、金額まで当てられた。
 ウチは渋々現金の入った封筒を父に手渡した。父は封筒から万券を取り出すと一〇万だけウチに返してきた。
「あとは神社の修繕費に回すよ。藤乃には私から礼を言っておく」
 父は厳格そうに見えて意外と現金な性格なのだ。
 ウチは一〇分の一になってしまった旅費と大荷物をもってZZRに股がった。すると義姉さんが布にくるんだ棒状のものを持ってやってきた。
「あやちゃーん。待って! これ持って行って!」
 私はその棒状のものを受け取る。
「これか……」
 布の中には二本の木刀が入っていた。
「桜凌君が使ってた木刀だよ! きっとあやちゃんの身を守ってくれるからね!」
「義姉さん、気持ちはすごく嬉しいんだけどこれリュックに入るかなー?」
 ウチは二本の木刀を衣類のスキマに入れる。どうやら落ちることなく収まりそうだ。
「大丈夫みたいね! じゃあ、あやちゃん気をつけて行ってきてねー」
 ウチは義姉さんから受け取った木刀をリュックから飛び出させつつ、茨城への旅路に出た。確かに邪魔だけど、兄貴が愛用していた本黒檀の木刀があると思うと妙な安心感がある気がした。
 早ければ夕方にはあちらに着くだろう。
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