月の女神と夜の女王

海獺屋ぼの

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下弦の月

裏月 ロモノソフ・フレミング

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「おかーさぁーん! お本読んでー」
 ルナは母さんに抱きつきながらお願いしている。
「はいはい。ルーちゃんはほんと甘えん坊なんだから」
 母さんはそういうと本棚から一冊の絵本を持ってきて私たちの布団の真ん中で横になった。
「この絵本はね。お母さんがまだ小さい頃に買ってもらった絵本なの! とってもいいお話だから二人にも読んであげるね!」
 その絵本の表紙には二人の女の子と白と黒のうさぎがいた。二人の女の子は対照的で一人はキラキラ輝いたお姫様。もう一人は黒いドレスを着た大人っぽい女王様のようだった。
 母さんは絵本の表紙を捲ると私たちの真ん中で絵本を読んでくれた。
 絵本の内容を聞いて私は不思議に思った。どうやら登場人物の女の子の名前は私と妹の名前と一緒だ。月の女神ルナと夜の女王ヘカテー。この二人の物語のようだ。
「むかしむかし、お空の上のお月さま……」
 母さんは絵本を読み始めた。その声はどこまでも温かくて、私とルナは絵本の世界に引き込まれていった。
 絵本は月の女神と夜の女王が争って離ればなれになってしまうような話だった。優しい月の女神はうさぎたちをうまく従わせることができず、夜の女王を追いつめてしまう。追いつめられた夜の女王は月の裏側に逃げていった。
「えー! 女王様かわいそうだよ!」
 私は母さんに文句を言った。
「そうよねー! うさちゃんたちが勝手に喧嘩したのにねー。女神様も本当は喧嘩したくなかったのよねー」
「おかーさん、それからどうなったの?」
 ルナは続きが気になるようだった。
 母さんは続きを読み始めた。夜の女王がいなくなって月の女神はすっかりふさぎ込んでしまった。そこに一人の老人がやってきて彼女を慰めた。そして……。

《つきのめがみとよるのじょおう》

「かのじょとはすっかり会わなくなってしまいました。わたしはヘカテーとこんな風になりたくなかったのです。どうしてこうなってしまったのか……」
  
女神さまは大粒のなみだを流しました。
  
「泣くのはおやめルナ。どれ、わしがお前さんにいいことを教えてあげよう」
  
けんじゃさまはそういうと女神さまに月のうらがわのちずをてわたしました。
  
「けんじゃさま、このちずは?」
  
「ほっほ、これはな、わしのいるけんじゃの海のちずじゃ! この海のまん中にヘカテーはおるぞ。けんかしたのなら仲なおりすればよい。『ごめんなさい』といえばそれだけですべてもとどおりじゃ」
  
「でも、けんじゃさま。わたしのうさぎたちはきっとなっとくしないでしょう。このこたちは黒うさぎたちにいじめれられて、それで仕返ししただけなんです」
  
けんじゃさまは白いひげをいじりながら女神さまにいいました。
  
「うさぎたちはかんけいないぞい! お前さんがどうしたいかだ! それにうさぎたちだって仲よくできればそれにこしたことはない」
  
「わたしからへカテーにあやまるのはいいんです。うさぎたちが……」
  
「ではどうじゃろ? うさぎたちが仲よくできる何かを考えてみては? わしが思うに、うさぎたちは歌が好きなようじゃ! へカテーも歌が好きじゃからのー。いっしょに歌えばみんな仲よくできると思うがのー」
  
女神さまはけんじゃさまの話をきくと女王さまと仲なおりができる気がしました。
  
女神さまはけんじゃさまにお礼をいうと、白うさぎたちをつれて月のうらがわへと出かけて行きました。
  
「みんな! 今から女王さまに会いに行きましょう。前みたいにいじめられないようにわたしからおねがいするから」
  
白うさぎたちは女神さまが元気になったのを見てうれしい気持ちになりました。
  
女神さまと白うさぎたちはお城を出て月のうらがわに出かけて行きました。
  
女神さまがお城をはなれると月の光は少しずつ暗くなっていきました。
  
女神さまたちは月のうらがわのけんじゃの海にたどり着きました。
  
「ヘカテー! 会いにきました。ごめんなさい! わたし、あなたと仲なおりしたいの!」
  
女神さまが呼ぶと遠くから女王さまがやってきました。
  
「ルナ! わたしこそごめんなさい。あなたのうさぎたちの気持ちをもっと考えてあげればこんなことにはならなかったのにね」
  
二人はおたがいにあやまって笑顔であくしゅしました。
  
「来てくれてありがとう。でもね、ルナ。わたしたちはいっしょにいないほうがいいわ。きっとまたうさぎたちはけんかすると思うの。けんかしないくらいはなれていたほうがきっといいはずよ」
  
女神さまはそれを聞いて悲しい気持ちになりましたがしかたありません。
  
「わかったわ。でもいっしょにいられなくてもわたしたちはおともだちよね」
  
「もちろん」
  
それから女神さまと女王さまとうさぎたちはいっしょにお歌を歌いました。
  
それは楽しくて、悲しい歌でした。
  
それから月の女神さまは夜の女王さまにお別れをいいました。
  
「ヘカテーさようなら、また会いにくるわ。またみんなで楽しく歌いましょう」
  
「ルナ! また会いにきてね。わたしはいつもここで待ってるから」
  
こうして月の女神さまと夜の女王さまは仲なおりしました。
  
二人ははなればなれでしたが、おたがい幸せにくらしましたとさ。

おしまい。

 そこまで読むと母さんは絵本を閉じた。
「えー? 二人は一緒に暮らさなかったの?」
 私は思ったことをそのまま口に出した。
「そうなのよねー。一緒に暮らせばいいのにねー。でもきっと離れていても気持ちはつながってるってことなんじゃないかなー」
 母さんはそういって私の頭を撫でてくれた。
 ルナは絵本を読んでいる最中に眠ってしまったようだ。母さんは枕元のライトを消すと私とルナの額に優しくキスをした。
 もし夢がここで終わればただ、優しい母とのいい思い出で終わったのかもしれない。でもこの夢には続きがあった。
「恵理香! お前は本当にしょうがねー女だな!」
 父さんが居間で怒鳴っている声が聞こえた。けっこうな大声なのにルナはすっかり寝入っている。この子は眠るとまず起きない。
「ごめんなさい……。わたしが鈍くさいから大輔さんに迷惑かけて……」
「ったく! あれほど発注は午前中にやれって言っといたろ? 何回目だ? お前ガキかよ!?」
 父さんは母さんを怒鳴りつけていた。私は眠っているルナの横からそっと起きだして、父さんと母さんがいる居間に行った。父さんはひどい剣幕で母さんを責めたてている。母さんは俯いてひたすら耐えているようだった。
「身体に教えなきゃわかんねーのかお前は!?」
 そう言うと父さんは母さんの頬に平手打ちをした。陰で見ていた私も思わず顔を覆い隠す。父さんは母さんを罵った後、居間から出て行った。
「お母さん……」
 私は居間で泣いている母さんの元に歩み寄った。
「ヘカテー!? あなた寝たんじゃ!?」
 母さんは取り繕うように目元を拭うと私の方を向いた。
「お父さんにいじめられたの? だいじょうぶ?」
「大丈夫よ。お母さんドジだからお父さんに迷惑かけちゃって怒られたのよ」
 違う。そんなことじゃない。私は母さんが明らかに嘘をついているように見えた。
「お母さん! 大丈夫じゃないよ! それにお父さんひどい……」
「ヘカテー……。あなたは賢い子ね。でもお母さんは本当に大丈夫よ!」
 そう言って母さんは力強く笑った。とても悲しい笑顔……。

 朝、目が覚めると目映い光が私を包んだ。窓の外では雀達が嬉しそうに鳴いている。とても爽やかな朝のはずなのに私の目覚めは最悪だった。
 母さんが出て行った日のことを思い出す。母さんは大きなスーツケースを持って夜中に出て行った。ルナと私には何も言わずに出て行くつもりだったのだろうけど、私は母さんが出て行くところに鉢合わせしてしまった。出て行くとき母さんは私を抱きしめて、寝る前にするように額にキスをしてくれた。それが母さんとの別れで、それから母さんが帰ってくることはなかった。
 母さんが出て行って、父さんはしばらく不機嫌な顔をしていた気がする。ルナは何日も泣き続けたけど、しばらくすると母さんの話を一切しなくなった。それからのルナは父さんにべったりで、私は京極家でどこに居場所を求めれば良いのかわからなくなっていた。大好きな母さんを追い出した張本人と最愛の妹に挟まれ、最悪の居心地だった。
 それから私は自分の世界に閉じこもっていった。ルナにも父さんにも心を許さなかった。
「マジで最悪の目覚めだ……。クソ親父」
 私は独り言を呟くと朝ご飯の準備を始めた。ご飯ができたら菊丸さんと茜ちゃんを起こしてこよう。
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