深夜水溶液

海獺屋ぼの

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第二話 ワタリガラス

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「こんばんは」
 玄関の開けると二十歳くらいの男性が立っていた。
「こんばんは」
 私は彼の言葉をそのまま繰り返した。
「あの……。これ」
「あ! それ私の……」
 彼の手には私の学生証の入ったパスケースが握られていた。
「うん……。君、学祭来てくれた子だよね? 音楽室で見つけたからさ」
 どうやら私は定期と学生証を大学に置き忘れてきたようだ。言われるまで気がつかなかった。
「ありがとうございます……。ぜんぜん気がつかなかった……」
 私は彼に素直な感想を伝えた。そして少しの沈黙が流れる。
「……いやいや。ま、家にいてくれて良かったよ……。じゃあ……」
 彼はそう言うと踵を返した。
「あの! ちょっ……。待ってください」
 お礼を……。と思ったものの特に出来ることもない。でもさすがに手ぶらで帰すわけにもいかないだろう。
「ん? どうしたの?」
 彼は不思議そうな顔で首を傾げた。
「あの……。わざわざ届けて貰ったのでお礼だけさせてください……。せめてお茶だけでも」
 やれやれ。これじゃまるでナンパだ。
「うーん……。じゃあせっかくだから一杯だけ」
 彼は腕時計に目をやると苦笑いを浮かべた。おそらく終電の時間が気になるのだろう。
 彼をリビングに案内するとお茶の準備をした。本当に簡単な準備だ。インスタントコーヒーと戸棚から出したビスケット。それだけ。
「どうぞ……」
「ありがとう」
 お互いに他人行儀だ。いや、そもそも他人なので当然だけれど……。
 それから私たちは自己紹介した。私は国勢調査のように事務的に自身の属性を伝える。名前、年齢、高校。そんな感じ。
「西浦有栖です。まぁ……。学生証見れば分かるとは思うけど……」
「ハハハ、そうだね。僕は忍野展おしのあきら。この前見てもらった軽音サークルに入ってるんだ」
「そうなんですね……。あの、忍野さんは何の楽器をされるんですか?」
「僕はギターだよ。この前は控えだったから演奏してなかったけどね」
 忍野さんはそう言うと照れ笑いを浮かべた。笑った顔はまるで高校生のように幼く見える。
 話してみて分かったけれど、私は忍野さんのようなタイプの男は苦手だ。私の身の回りにはそれなりに男がいるけれど彼のようなタイプは一人もいない気がする。
 言葉にするとふわふわしているけれど、私の周りの男たちは皆『馬鹿』なのだ。これは別に軽笑して言っているわけでない。良い意味での『馬鹿』だ。社会性のために自身の役割を演じる。そんなタイプの男たちだ。彼らはそれを演じるために様々な『馬鹿』なことをしている気がする。
 彼らのようなタイプの男は非常に付き合いやすい……。と私は思う。彼らは非常に利己的だし、ある種の思いやりがあると感じる。まぁ、思いやりよりも利己の方がいつも勝るわけだけれど。
 言い換えれば『馬鹿』な男とは行動パターンが読める男のことなのだと思う。その全てがある種のルールに支配されている男。そんな感じだ。
 でも……。忍野さんにはそのルールとか習性だとか利己性だとかが当てはまらない気がした。そこには言葉では言い表せない気持ち悪さがあった。まるで蛇……。そんな風に感じる。
「すっかり遅くなっちゃったね……。ご馳走様でした」
「こちらこそありがとう」
 私は改めてお礼を伝えると一緒に立ち上がった。
 玄関から外に出る。出た瞬間、奥の烏小屋から羽ばたく音が聞こえた。
「鳥飼ってるの?」
「ええ。おっきなカラスだけど」
「カラス? 変わったの飼ってるね」
 そう言うと彼は烏小屋に歩み寄っていった。
「本当に大きいね」
「うん。普通のカラスじゃないみたいなんだよね。たしか……。ワタリガラスって種類だったかな……」
 鳥小屋の中でレイはバタバタ羽ばたいている。羽根が飛び散り、小屋の隙間から飛び出してきた。
「元気がいいね」
「そうだね。ま、もうおじいちゃんだからいつも寝てるみたいだけど……」
「そっか……」
 忍野さんはレイの目を興味深げに眺める。レイも同じように眺めていた――。

 レイが小屋の片隅で冷たくなっていたのは忍野さんが来た日の翌日のことだ。
 大きなカラスの骸はただただ横たわっているだけだった――。
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