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第三章 神戸1992
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鴨川のほとり。小料理屋がぼんやりとした柔らかいあかりを灯す。
曇天。しかし、雨は降り始めてはいない。
「ひさしぶりの道草やね」
私は小学校時代の自分の定位置に腰を下ろした。
「ほんと……。月子ちゃん少し痩せた?」
「ああ、そうかもしれん。ダイエットゆうわけやないけど、最近運動しとるからね」
ここ最近、声量を上げるためにランニングと発声練習を毎日していた。
その副産物として、すっかり細くなってしまったらしい。
「だよね! 細くなってるなーって思ったんだ。私は少しだけ太ったかも……」
「そんなことないやろ? 栞昔っから細いやんか」
それから栞は二の腕をつまんで「ね? ぷにぷにだよ?」と言った。
確かに以前に比べて彼女の顔は幾分、ぷっくらしたようだ。
元々細いのであまり気にはならないが……。
川沿いの小料理屋のあかりが少しずつ増えていく。
ひとつ、またひとつと灯る度に夜が降りてくる気配を感じた。
川のせせらぎは穏やかだ。音を聞いているだけで心地が良い。
「なぁ栞。この前はほんまごめんな。打ったりして幻滅したやろ?」
「へ?」
彼女は一瞬、何のことか分からないような返事を返す。
「あんな……。ウチはほんまにケンちゃんのこと好きやったから……。でももうええねん。栞やったら文句もない。ケンちゃんも栞のこと好きみたいやし、それでええ」
思っていたことを吐き出す。すると私の気持ちは幾分すっきりした。
普通に戻った気ではいた。それでも言葉でしっかり謝っておきたかったのだ。けじめのようなものだ。
栞はしばらく口を噤んでいた。ジップロックのようにしっかりとむすばれている。
数秒後、栞はゆっくりと話し始めた。
「謝るのは私の方だよ……。岸田君に告白OKされたときにどうしようか本当は迷ったんだ……。正直ね、月子ちゃんのことがあったから……。でも……。やっぱり私も彼氏が欲しかったんだよね。ほら、私のこと受け入れてくれる人なんているとは思わなかったから……」
そこまで話すと栞は軽く首を振った。
その仕草は何か良からぬ物を払うようにも見える。
「それで?」
「それでね! 私って優柔不断だからさ……。月子ちゃんに何て言おうって考えちゃったんだ。でも岸田君は私を好きだって言ってくれるし……。なんかごめんね。やっぱりうまく言葉に出来ないや」
栞は苦笑いを浮かべた。残念なくらい苦い笑顔。
彼女の思っていることは手に取るように分かった。
栞は人付き合いを狡猾に出来る娘ではないのだ。
だからこんなことになってしまったわけだし。仕方がない。
「あんな……。栞! 腹割って言わせて貰うけどな。ウチは栞もケンちゃんも大好きやで! そら、二人が付きおうたって聞いたときは驚いたし、正直ショックやったけど大事なんは変わらへんよ……」
そこまで話すと顔に水滴が当たった。どうやら雨が降り始めたらしい。
「雨宿りしよっか!」
「……せやな」
私たちは松原橋近くの民家の軒下に滑り込む。
雨は激しくなり、雨水は鴨川の流れに溶け込んでいく。
鴨川はザァーと音を立てていた。暗がりで良くは見えない。
「濡れちゃったねー」
「ほんまやな……。あーあ、ウチも傘持ってくれば良かった……」
軒下から見える鴨川の夕景は幻想的だった。暖かい光と暗がりを流れる川。
別世界に迷い込んだような感覚に襲われる。
降り始めには鼻を突いたアスファルトの匂いもすっかり消え失せていた。
雨の臭いがする。六月の陰鬱な雨の匂い。
「ねえ月子ちゃん……」
栞はそう言うと短く切りそろえられた前髪を手でとかした。
「なんや?」
「この前のことだけどさ……」
彼女は静かに語り始める。雨音にかき消されそうなほど静かに。
雨はハイテンポなのリズムを刻み、川を押し流していった――。
曇天。しかし、雨は降り始めてはいない。
「ひさしぶりの道草やね」
私は小学校時代の自分の定位置に腰を下ろした。
「ほんと……。月子ちゃん少し痩せた?」
「ああ、そうかもしれん。ダイエットゆうわけやないけど、最近運動しとるからね」
ここ最近、声量を上げるためにランニングと発声練習を毎日していた。
その副産物として、すっかり細くなってしまったらしい。
「だよね! 細くなってるなーって思ったんだ。私は少しだけ太ったかも……」
「そんなことないやろ? 栞昔っから細いやんか」
それから栞は二の腕をつまんで「ね? ぷにぷにだよ?」と言った。
確かに以前に比べて彼女の顔は幾分、ぷっくらしたようだ。
元々細いのであまり気にはならないが……。
川沿いの小料理屋のあかりが少しずつ増えていく。
ひとつ、またひとつと灯る度に夜が降りてくる気配を感じた。
川のせせらぎは穏やかだ。音を聞いているだけで心地が良い。
「なぁ栞。この前はほんまごめんな。打ったりして幻滅したやろ?」
「へ?」
彼女は一瞬、何のことか分からないような返事を返す。
「あんな……。ウチはほんまにケンちゃんのこと好きやったから……。でももうええねん。栞やったら文句もない。ケンちゃんも栞のこと好きみたいやし、それでええ」
思っていたことを吐き出す。すると私の気持ちは幾分すっきりした。
普通に戻った気ではいた。それでも言葉でしっかり謝っておきたかったのだ。けじめのようなものだ。
栞はしばらく口を噤んでいた。ジップロックのようにしっかりとむすばれている。
数秒後、栞はゆっくりと話し始めた。
「謝るのは私の方だよ……。岸田君に告白OKされたときにどうしようか本当は迷ったんだ……。正直ね、月子ちゃんのことがあったから……。でも……。やっぱり私も彼氏が欲しかったんだよね。ほら、私のこと受け入れてくれる人なんているとは思わなかったから……」
そこまで話すと栞は軽く首を振った。
その仕草は何か良からぬ物を払うようにも見える。
「それで?」
「それでね! 私って優柔不断だからさ……。月子ちゃんに何て言おうって考えちゃったんだ。でも岸田君は私を好きだって言ってくれるし……。なんかごめんね。やっぱりうまく言葉に出来ないや」
栞は苦笑いを浮かべた。残念なくらい苦い笑顔。
彼女の思っていることは手に取るように分かった。
栞は人付き合いを狡猾に出来る娘ではないのだ。
だからこんなことになってしまったわけだし。仕方がない。
「あんな……。栞! 腹割って言わせて貰うけどな。ウチは栞もケンちゃんも大好きやで! そら、二人が付きおうたって聞いたときは驚いたし、正直ショックやったけど大事なんは変わらへんよ……」
そこまで話すと顔に水滴が当たった。どうやら雨が降り始めたらしい。
「雨宿りしよっか!」
「……せやな」
私たちは松原橋近くの民家の軒下に滑り込む。
雨は激しくなり、雨水は鴨川の流れに溶け込んでいく。
鴨川はザァーと音を立てていた。暗がりで良くは見えない。
「濡れちゃったねー」
「ほんまやな……。あーあ、ウチも傘持ってくれば良かった……」
軒下から見える鴨川の夕景は幻想的だった。暖かい光と暗がりを流れる川。
別世界に迷い込んだような感覚に襲われる。
降り始めには鼻を突いたアスファルトの匂いもすっかり消え失せていた。
雨の臭いがする。六月の陰鬱な雨の匂い。
「ねえ月子ちゃん……」
栞はそう言うと短く切りそろえられた前髪を手でとかした。
「なんや?」
「この前のことだけどさ……」
彼女は静かに語り始める。雨音にかき消されそうなほど静かに。
雨はハイテンポなのリズムを刻み、川を押し流していった――。
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