28 / 63
第三章 神戸1992
15
しおりを挟む
「日曜に逢子とそっちいくよ」
佐藤くんは電話口でそういった。公衆電話からなのか雑音が多い。
「そうなんや」
「うん。良かったら鴨川さんたちにも会いたくてね。予定どうかな?」
「ウチはええけど、ケンちゃんが難しいかも……。あの人、週末部活なんよ」
夏場の健次は忙しい。バスケ部に後輩も入って指導に追われている。
「そうなんだ……。せっかくだから岸田くんとギター練習しようかと思ったんだ。じゃあ鴨川さんだけでもどう? 逢子も会いたがってたしさ」
「かまへんよ。ウチも三坂さんに会いたいし」
「じゃあ、日曜ね! 午前中には二条城近くに行くからよろしくね」
佐藤くんは心なしか機嫌が良かった。
おそらくいいことがあったのだろう――。
翌週の朝。
私は下着姿で姿見の前に立っていた。鏡に全身が映し出されている。
鏡には私の顔をした女が映っていた。当然、自分自身だ。
しかし、その女が自分だと思えなかった。思いたくなかった。
発声練習やトレーニングで身体のライン・顔の輪郭は細く引き締まった。
肌の色も健康的で血色もいい。
細くなっても胸の膨らみはあまり変わらなかった。
我ながら良い形をした乳房だと思う。
しかし、そんな風に整った造形が私は気に入らなかった。
「はぁ……」
思わずため息が零れる。痩せた私は母そっくりだ。本当に嫌になる。
近所のおばさんたちは「お母さんに似て綺麗になった」と悪びれる様子もなく私を褒めた。
悪びれる様子もなく。悪意の欠片もなく。全面的な善意で。
善意とは忖度ある悪意よりタチが悪い。思いやりは時として人を傷つける。
辛うじて髪型だけは母のそれとは違った。それだけが救いだった。
私はシャワーを浴びるために風呂場へと向かう。
私の家の風呂は一般的な家庭の風呂とは違うらしい。
これは健次の家で初めて知ったことだけれど。
浴槽は檜風呂で、洗い場にはシャワーが三つ備え付けられていた。
祖母から聞いた話だと、昔は反物を仕入れに来た客人をもてなしていたらしい。
その名残で今現在も旅館のような風呂があるのだとか。
控え目に言ってどうかしている思う。普通は檜風呂のある家庭なんてない。
シャワーで汗を流す。寝汗をかいていたので気持ちが良い。
身体中隈無く洗う。陰部は特に丁寧に。他意はない。ちなみに私の陰部は未使用品だ。
まだとってある。誰に最初に使わせるかは分からないけれど。
風呂場を出るとバスタオルで水滴を拭って、新しい下着を身につけた。
脱衣所を出るとようやく、この世に生まれたような気分になった。
やっと現実に戻ったような気分だ。
再び自室の姿見の前に立ち、身支度を整えた。
「したら、行くか……」
私は独り言を呟くと、そのまま待ち合わせ場所へ向かった――。
待ち合わせ場所は前回のライブハウスだ。
佐藤くんの話だと次のライブの打ち合わせがあるらしい。
その日は久しぶりの晴天で、太陽は元気に地上を照らしていた。
照らすというより焼いている。かなり暑い。
今頃健次はどうしているだろう?
汗まみれになりながらボールを追っているだろうか?
私は健次がバスケットボールしている姿が好きだった。
もし、栞が健次と付き合っていなければ応援に行ったかもしれない。
仮に私が応援に行ったとしても健次は文句一つ言わないだろう。
むしろ歓迎してくるはずだ。
でも私はどうしても応援に行く気はしなかった。
仕方がない。
健次の彼女は栞で、私はただの腐れ縁。その事実は揺るがない。
健次と栞の関係を認めた今でも少しだけ感傷はあった。
その感傷は私を傷つけるほどではなかったけれど、酷く寂しい気持ちにさせた。
たぶん、私は自分の『ハジメテ』を健次に貰って欲しかったのだ。
そのための未使用品。そのための『ハジメテ』だった。ついこの間までは……。
我ながら自分が馬鹿で純粋で、同時に不純に思えた。
気が付くと私は二条城近くのライブハウスの前に辿り着いていた。
六月にしては早すぎる蝉の声が耳に痛かった――。
佐藤くんは電話口でそういった。公衆電話からなのか雑音が多い。
「そうなんや」
「うん。良かったら鴨川さんたちにも会いたくてね。予定どうかな?」
「ウチはええけど、ケンちゃんが難しいかも……。あの人、週末部活なんよ」
夏場の健次は忙しい。バスケ部に後輩も入って指導に追われている。
「そうなんだ……。せっかくだから岸田くんとギター練習しようかと思ったんだ。じゃあ鴨川さんだけでもどう? 逢子も会いたがってたしさ」
「かまへんよ。ウチも三坂さんに会いたいし」
「じゃあ、日曜ね! 午前中には二条城近くに行くからよろしくね」
佐藤くんは心なしか機嫌が良かった。
おそらくいいことがあったのだろう――。
翌週の朝。
私は下着姿で姿見の前に立っていた。鏡に全身が映し出されている。
鏡には私の顔をした女が映っていた。当然、自分自身だ。
しかし、その女が自分だと思えなかった。思いたくなかった。
発声練習やトレーニングで身体のライン・顔の輪郭は細く引き締まった。
肌の色も健康的で血色もいい。
細くなっても胸の膨らみはあまり変わらなかった。
我ながら良い形をした乳房だと思う。
しかし、そんな風に整った造形が私は気に入らなかった。
「はぁ……」
思わずため息が零れる。痩せた私は母そっくりだ。本当に嫌になる。
近所のおばさんたちは「お母さんに似て綺麗になった」と悪びれる様子もなく私を褒めた。
悪びれる様子もなく。悪意の欠片もなく。全面的な善意で。
善意とは忖度ある悪意よりタチが悪い。思いやりは時として人を傷つける。
辛うじて髪型だけは母のそれとは違った。それだけが救いだった。
私はシャワーを浴びるために風呂場へと向かう。
私の家の風呂は一般的な家庭の風呂とは違うらしい。
これは健次の家で初めて知ったことだけれど。
浴槽は檜風呂で、洗い場にはシャワーが三つ備え付けられていた。
祖母から聞いた話だと、昔は反物を仕入れに来た客人をもてなしていたらしい。
その名残で今現在も旅館のような風呂があるのだとか。
控え目に言ってどうかしている思う。普通は檜風呂のある家庭なんてない。
シャワーで汗を流す。寝汗をかいていたので気持ちが良い。
身体中隈無く洗う。陰部は特に丁寧に。他意はない。ちなみに私の陰部は未使用品だ。
まだとってある。誰に最初に使わせるかは分からないけれど。
風呂場を出るとバスタオルで水滴を拭って、新しい下着を身につけた。
脱衣所を出るとようやく、この世に生まれたような気分になった。
やっと現実に戻ったような気分だ。
再び自室の姿見の前に立ち、身支度を整えた。
「したら、行くか……」
私は独り言を呟くと、そのまま待ち合わせ場所へ向かった――。
待ち合わせ場所は前回のライブハウスだ。
佐藤くんの話だと次のライブの打ち合わせがあるらしい。
その日は久しぶりの晴天で、太陽は元気に地上を照らしていた。
照らすというより焼いている。かなり暑い。
今頃健次はどうしているだろう?
汗まみれになりながらボールを追っているだろうか?
私は健次がバスケットボールしている姿が好きだった。
もし、栞が健次と付き合っていなければ応援に行ったかもしれない。
仮に私が応援に行ったとしても健次は文句一つ言わないだろう。
むしろ歓迎してくるはずだ。
でも私はどうしても応援に行く気はしなかった。
仕方がない。
健次の彼女は栞で、私はただの腐れ縁。その事実は揺るがない。
健次と栞の関係を認めた今でも少しだけ感傷はあった。
その感傷は私を傷つけるほどではなかったけれど、酷く寂しい気持ちにさせた。
たぶん、私は自分の『ハジメテ』を健次に貰って欲しかったのだ。
そのための未使用品。そのための『ハジメテ』だった。ついこの間までは……。
我ながら自分が馬鹿で純粋で、同時に不純に思えた。
気が付くと私は二条城近くのライブハウスの前に辿り着いていた。
六月にしては早すぎる蝉の声が耳に痛かった――。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる