ツキヒメエホン ~Four deaths, four stories~ 第一部

海獺屋ぼの

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ウサギとカメのデットヒート

月姫 ウサギとカメのデットヒート⑥

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 山下公園を出た私たちは私鉄に乗って、美術館へと向かう事にした。
 普段、車移動の多い私には電車での移動は辛く感じる。
 乗車中、つり革を持ってウトウトしてしまった。
 その様子は里奈さんにも通じたようで彼女は優しく気遣ってくれた。
「ルナちゃん大丈夫ー? 疲れたよね?」
「え? あ、すいません。久しぶりの遠出だったので少しウトウトしちゃいました」
「疲れちゃうよねー。お父さんも亡くなって間もないし、仕事も忙しいんでしょー」
 里奈さんは心配そうに首を傾げながら私の瞳を覗き込んできた。
 姉が言うとおりかなり可愛らしい人だ。
 都市部の電車だけあって車内は混み合っていた。
 私の地元のローカル路線とは大違いだ。
 やはり私は地元のような田舎の方が性に合っていると思う。
 二○分ほど電車に揺られると美術館の最寄り駅に到着した。
 目的地は駅の目の前だ。
 美術館の庭は西洋風の庭園になっていた。
 天使やギリシャ神話の神々の白い石像が芝生の上に並んでいる。
「えーと……。あ、見てみてルナちゃん! あの石像!」
「なんとなく予想は出来てます。変わった女神像ですよねー。名前は……」
 その石像は三人の女神が合体したような像だった。
 手には松明のような物を持っている。
 石像の台座には『Hecate』と彫られていた。
「私も初めて見たよー! これがギリシャ神話のヘカテーなんだねー」
 里奈さんは興奮気味にそう言うと目を輝かせて私の肩を揺すった。
 本当にいちいち仕草が可愛らしい。
「ネットで画像見た事はあったんですよ。でも実物見るのは初めてです。なんかすごい女神ですよねー」
 それから私たちは姉の名前の元ネタの女神像を横目に美術館の館内へと向かった。
 さよなら夜の女王様……。
 館内に入ると叔父に貰ったチケットを係員に渡して展示場へと向かう。
「ふぅー……。やっと人が少ないところに来れましたね……」
「うん! ちょっと休憩しようか?」
 私たちは展示場内のベンチに座ると荷物を下ろした。
 美術館の真っ白な漆喰の壁には絵本の原画が額縁に入って展示してある。
 全体的にパステルカラーの可愛らしいイラストが多いようだ。
「可愛い絵が多いねー。私もちっちゃい頃はよく絵本読んで貰ってたんだけど、大人になって見るのも悪くないね!」
「私も絵本大好きなんです! 小さい頃は描くのも好きでよく描いてました」
「え!? ルナちゃん絵とか描けるの?」
 私の何気ない一言に里奈さんは予想外な反応を示した。
 そんなに意外だろうか?
「描けるってほどじゃないですけど描く事は好きです。実は中学時代美術部だったんですよ。高校に進学してからは忙しくて描かなくなっちゃいましたけどね……。今でもデッサンは好きですよ」
「すごーい!! 私は絵なんて全く描けないから尊敬しちゃうよー」
「いえいえ……。あくまで趣味レベルです。でも久しぶりに描いてみるのも楽しいかもしれませんねー」
 日常に追われてすっかり忘れていたけれど、私は絵を描くのが昔から好きだった。
 幼少期にはいつもスケッチブックとクレヨンを持ってお姫様や動物の絵を飽きる事なく描いていたのだ。
 思い返せばそんな創作欲求は中学時代まで続いていた。
 おそらく、高校受験がなければ今でも描いていたと思う……。
 私たちは一休みを終えると館内に展示してある原画を鑑賞して回った。
 国内外の作家の作品があり、中には不気味な絵本も沢山あった。
「あー! すごいよー! これ飛び出す絵本だね!」
 里奈さんが指差す先には、不思議の国のアリスの飛び出す絵本が展示してあった。
 絵本からトランプが虹のように飛び出し、白ウサギが驚いた顔をしている。
「いいですよねー! アリス好きなんですよー! ルイス・キャロルの作品って見ていてすごくワクワクします! 好き過ぎて何冊も持ってるくらいなんですよ!」
 私もすっかり絵本の世界の虜になっていた。
 展示してある作品すべて宝物のように見える。
 やっぱり私はこの絵本の世界観が好きなのだ。
 叔父さんありがとう……。心の中で呟いた。
 順路に進むと何やら行列が出来ている。
「なんだろーねー?」
 里奈さんは行列の先を背伸びして確認する。背が足りないらしい。
「なんかサイン会っぽいよ! たぶん絵本作家さんじゃないかなー?」
 よく見ると行列に並ぶ人たちの手には絵本が握られていた。
 どうやら物販で買った絵本にサインをして貰っているようだ。
「里奈さん? サイン貰ってきてもいいですか?」
「いーよー! 私も貰いたーい」
 私たちは物販コーナーに行って絵本を選ぶ事にした。
「わー! みんな可愛いねー! どれにしよーかなー」
 里奈さんは子供のようにはしゃぎながら絵本を選び始めた。
「迷っちゃいますよねー……」
 そうやって絵本を探していると見覚えのある表紙が目に飛び込んできた。
 タイトルは『月の女神と夜の女王』。
 私はその絵本を手に取って中身を確認する。
 間違いない。母の形見の絵本だ……。
「じゃあ私はこれにするねー! ルナちゃんは決まったー?」
「え? あ、はい?」
 里奈さんに声を掛けられて思わず絵本を落としそうになる。
「おっととと、大丈夫ルナちゃん?」
「だ、だいじょうぶです! この絵本ウチにもあるやつだったんでビックリしちゃいました……」
「え! やったじゃん! 知ってる作家さんの絵本だなんてラッキーだよ!」
 これだけは私にとって本当に特別な絵本なのだ。
 数少ない母との思い出であり、母と私を繋ぐ唯一のモノだった。
 残念な事に巻末が破けていて結末を読む事は出来なかったけれど……。
 結局、私は絵本を二冊買う事にした。
 一冊は『月の女神と夜の女王』、もう一冊は『ウサギとカメのデットヒート』という絵本だ。
 『月の女神と夜の女王』は前々から買い直そうと思っていた。
 この本は絶版で書店でもネットでも取り扱いがなかったので丁度良かった。
 『ウサギとカメのデットヒート』は単純に絵柄が好みだったので選んだ。
 どうやら童謡のオマージュのような物語で、やんちゃそうなウサギとカメが描かれていた。
 私たちは本を買うとサイン会の列に並んだ。
 里奈さんは大事そうに絵本を抱えている。
 彼女は子供のように嬉しそうにしていた。
 列は進んで行き、私たちがサインを貰う番がやってきた。
 絵本の作家は七○前後の女性だった。
 彼女は真っ白なセミロングヘアーを上で束ねるような髪型をしている。
 彼女の横にはアシスタントなのか、気弱そうで華奢な男性がスーツ姿で立っていた。
「あの! サインお願いします!」
 本を手渡すと彼女は私を見上げるように視線を上げた。
 その瞬間――。
 時間が止まったように彼女は静止した。
 覗き込んだ彼女の瞳に吸い込まれそうになる。
 彼女は何か得体の知れない物を見るように私の事を静かに凝視していた。
「先生? 大丈夫ですか?」
 横に居る男性が心配そうに彼女に声を掛ける。
「……。なんでもないわ白石君……。ごめんなさいね……。ちょっと知り合いに似ていたから驚いただけよ」
 彼女はアシスタントの男性と私に謝ると気を取り直してサインを書いてくれた。
「二冊も買ってくれてありがとうございます。宛名どうしますか?」
「……。せっかくなのでお願いします。名前は京都の『京』に南極の『極』、夜空の月の『月』にお姫様の『姫』です」
 我ながら自分の名前の説明にはいつも悩まされる。
 一発で説明が上手く出来た試しがない。
 私が自分の名前を説明すると彼女は酷く驚いた顔をした。
「失礼だけど、あなたの名前の読み方って『ルナ』じゃないかしら?」
 今度は私が驚いた。
 一発で私の名前の読み方が分かる人間に出会うのなんて初めてだ。
「そうです! すごいですね! 私の名前を間違えないで読める人に会ったの初めてです!」
 私がそう答えると彼女は何かに納得したように肯いた――。
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