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第一章 アンダーグラウンド幕張

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 二〇二二年の夏の終わり。私はアルバイトのお使いでオフィス・トライメライというエキストラ専門の芸能事務所まで来ていた。
「悪いわね。わざわざ来させちゃって」
 社長室に入ると社長の出雲さんがそう言って私を出迎えてくれた。彼女は私のアルバイト先の店長(店長は私の叔父だ)の大学時代の先輩でとても気さくな女性だ。そして同時に私の親友の叔母さんでもある。要は昔からの知り合いというわけだ。
「いえいえ。こちらこそご注文いただきありがとうございます」
 私はそう答えると自分ができる最高の笑顔を作った。彼女には自然と愛想良く接したくなるのだ。まぁ当然そこにはビジネスライクな意味合いも含まれるのだけれど。
「フッ。あなたもすっかり商売人になったわね。昔からしっかり者だとは思ってたけど」
 彼女はそう言うと机の上から一冊のクリアファイルを手に取った。そしてそれを私に差し出す。
「それが今回お願いしたい仕事よ。来期分と直近で使うのとがあるから確認して」
「……拝見します」
 それから私はクリアファイルの中の発注書に目を通した。そして見終わると頭で納期に間に合うか算段した。結構な数だけれど……。ギリギリ間に合うと思う。
「どう? できそう?」
「もちろんできます。ただ……。こんな大きなお仕事ウチで貰ってもいいんでしょうか?」
「フフッ。ま、あなたはそう感じるかもね」
 彼女はそう笑うとソファーにスッと腰を下ろした。そして「香澄ちゃんも座って」と私にも座るように促した。私は言われるがまま「失礼します」と彼女の正面に腰を下ろす。
「大丈夫よ。今回は前もって蔵田店長にも話してあるから。それに……。これはあなた以外には任せたくない仕事なのよ」
 出雲社長はそう言うと穏やかな目を私に向けた。そして「あの子のお願いでもあるからね」と続けた――。
 
 それから私はトライメライの真下……。つまり地下にある私のアルバイト先に戻った。アンダーグラウンド幕張名店街という地下テナント。その一角に私の職場はあるのだ。店名はコスチュームショップUG……。この商店街と同じ名前だ。
「ただいま戻りました」
「おかえり。出雲社長なんだって?」
 店に戻ると叔父がカウンター帳簿と睨めっこしていた。今月は小売りの来客が少ないので心なしか渋い顔をしているように感じる。
「えーと……。来期分のエキストラ全員の衣装のご注文いただきました。あとは直近に使う俳優さんの分を三着ですね」
「ヒュー。相変わらず景気いいな。で……。直近の〆はいつ? もう発注書貰ったんだろ?」
 叔父は帳簿を閉じると右手を差し出した。私は「これです」と言って発注書を叔父に差し出す。
「んー。どれどれ……。エキストラが一二〇着に特注が三着か」
「ええ、エキストラ分の〆は年度末までで良いそうです。特注品だけは一〇月末ですね」
「そうか。んじゃ急ぎは特注だけだなぁ。……お前一人でできそうか?」
 叔父はそう言うと確認するように首をしゃくり上げた。そして「無理なら俺もやるけど」と続ける。
「問題ないです。小売りの特注が一〇件ほど溜まってますけど……。今月中には仕上げる予定なので」
「フッ。流石だな。んじゃこの特注は全部香澄に任せるよ。で……。エキストラの半分はプロパーの衣装だからお互いのノルマは三〇着ってことにしよう」
 叔父はざっくりと計算すると発注書の上に『蔵田30 鹿島30 プロパー発注60』と書き込んだ。叔父は例年こうやってアバウトに互いのノルマを決めるのだ。まぁ……。年々私のノルマ割合が増えてはいるのだけれど。
 それから私たちは今後の衣装製作について細かい話をした。UGは毎秋こうなのだ。この時期には来年の冬衣装まではある程度決めておかなければならないしやることは盛りだくさんだと思う。
「今年の店売りは紫のロリータ服が強かったですね」
「だな。ま、定番っちゃ定番だけど今年は『葬儀屋のアリア』ってアニメが流行ったせいで余計に売れた気がするよ」
「ですよねー。やっぱり今期は『葬アリ』関係の売り上げがダントツでしたからね」
「うーん。でも流石に売り上げの三割も一つのアニメに左右されてるのちょっと危なっかしいな……。このまま『葬アリ』人気が続くとも限らないし」
 叔父はそう言うと今期の商品別売上表をペン先でタンタンと叩いた。そして「残り七割は本当にばらけたよ」とため息を吐いた。それは実際その通りで、私の体感的にも今年の売れ行き動向は読みづらいと思う。
「うーん。ま、考えて仕方ないわな。とりあえず今は来年の注文分熟すこと優先でやろう」
 叔父はそう言うと間抜けな大あくびをした。こんなでもアパレル業界では名の通ったデザイナーなのだから困ったものだ――。
 
 一九時半。私はアルバイトを終えると叔母のやっている鹿の蔵という小料理屋へ向かった。こうしてアルバイト後に鹿の蔵に寄るのが私の日課なのだ。
「いらっしゃい。お疲れ様」
 店に入ると叔母がそう言って私を出迎えてくれた。彼女は和装に割烹着といういかにも小料理屋の女将といった格好をしていた。叔母は和装が好きなのだ。前に見せてもらった着物コレクションを見る限りかなり着物に入れ込んでいるのだと思う。
「お疲れ様です。叔父さん遅くなるって言ってました」
「またぁ? ったくあの人は」
 叔母は呆れたように言うと首を横に振った。叔父の帰りが遅いのは毎度のことなのだ。まぁ……。今日に限っては仕事上の付き合いらしいけれど。
「流し入りますね」
「助かるわ。じゃあ……。徳利と小鉢が足りないから先に洗って貰える?」
 それから私は白いエプロンを着けて洗い場に立った。そして叔母に言われたとおり食器洗いをした。この時間はお酒がよく出るので徳利とおつまみの皿が足りなくなるのだ。もしかしたらUGより儲かってるかも……。そう感じるほど小料理屋としては繁盛していると思う。
 私がそうやって洗い物をしているとカウンターのお客さんに「若女将も頑張るね」と声を掛けられた。私はそれに「ありがとうございますー」と営業スマイルで答える。
「この子にはいつも助けられてるんですよ。ウチの旦那なんかこの子がいなかったら仕事できないくらいで」
「へー。そんなにかい。丈治さんもいい姪っ子持ったね」
 カウンターのお客さんはそんな風に私をべた褒めすると徳利のお酒を左手で振った。そして「気分良いからもう一本貰おうか」と言った。どうやら間接的に私の営業スマイルが売り上げに貢献したらしい。
 そうこうしている間に叔母が次々と食器を下げてきた。私はそれを機械のように延々と洗い続けた――。
 
 二一時半。鹿の蔵の暖簾が中に込まれた。本日の営業は終了。もうそんな時間だ。
「今日も助かったよ香澄」
 叔母は割烹着を脱ぎながら言うとカウンターに腰を下ろした。そして「忙しかったぁ」と深いため息を吐く。
「お疲れ様です。UGは……。今日は空いてたね。平日だから仕方ないけど」
「そっか。じゃああの人も暇だったでしょ?」
 叔母はそう言うとスッと立ち上がった。そして冷蔵庫からタッパーに入った料理を取りだして紙袋に入れる。
「暇は暇だったかな? でも今日はトライメライの注文のことで色々話してたからね。叔父さんサボってなかったよ」
「あらそう。珍しい」
 叔母はさして珍しくもないみたいな口調で言うとさっき紙袋に入れた料理をカウンターの上に置いた。そして「これ晩ご飯ね」と続ける。
 こうして鹿の蔵の手伝いをすると毎回まかないを貰えるのだ。まぁ……。正直に言えばそれが目当てでこの店を手伝っているというのもあるのだけれど。
「ありがとー。助かるよ」
「これくらいのこと気にしないでいいよ。……そういえば今日はお姉ちゃんたち京都だっけ?」
「うん。今週は帰らないってさ。京都と蒲郡行くって言ってたから」
「ふーん。相変わらず忙しいのね」
 叔母はどこか不服そうに言うと左目を擦った。そして「ほんと仕事人間だよね」と皮肉っぽく言った――。
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