ヘカテーダーク ~Diva in the dark~

海獺屋ぼの

文字の大きさ
11 / 28

10 笹の葉ドーナツ

しおりを挟む
 七月七日。
 僕は池袋駅東口にあるミスタードーナツでゼミの課題に取り組んでいた。
 このミスドは僕の大学の近くにあったため、他にも学生がチラホラいる。
「それしてもウラちゃん遅いっすねー」
「京極さんはあれでなかなか忙しい人だから仕方ないよ」
 七星くんは飽きてしまったのかブーブー言いながらドーナツに齧りついた。
 僕が『バービナ』に入ってから早くも一ヶ月が過ぎた。
 まぁ入ったと言っても、そこまで極端に僕の日常に変化が起こった訳ではない。
 変わった事といえば、七星くんとよく出かけるようになった事ぐらいだろうか?
「ちょっと連絡してみます?」
 七星くんはスマホを取り出した。
「しないでいいよ……。君が掛けたらまた『忙しいのに!』って怒られると思うよ?」
「そっすねー。あーあ、なんでウラちゃんあんなにうっさいんだろ? そう思いません?」
 七星くんはいつも京極さんに叱られていた。
 でも京極さんの気持ちも分かるような気がする。実際彼は面倒臭いタイプだ。
「でもさー。京極さんの気持ちもわかんなくないよ? だって七星くんてあの人の話あんまり真剣に聞いてないじゃん?」
「うっわーひでー。竹井さんまで俺にそんなこと言うんすか?」
 彼は不満をぶちまけるような言い方をするとやる気がないような目をして項垂れた。
「じゃあさー。一昨日京極さんになんて注意されたか覚えてる?」
「えっと……」
 やっぱりだ。
 この子は京極さんの話を適当に流しながら聞いている。
「『八月から予定びっしりだから体調管理と練習を欠かさない事』って言ってたんだよ。しかも最後にわざわざ『特に七星』って付けてたよ?」
「そ、それっす! 今言おうと思ったんすよ!」
「……。はぁ……。松田さんの苦労が目に見えるようだよ……。京極さんは優しいから本気で怒ったりしないだろうけどね……」
 僕は二郎系ラーメンくらいマシマシにした皮肉を七星くんに言った。
 彼は欠片も気にしたような素振りを見せないけれど……。
 七星くんとは、こんなやり取りを『バービナ』に入ってから毎週のようにしていた。
 まだ一ヶ月程度しか経っていないけれど、このバンドの癖の強さが身に染みて分かった気がする。
 あの穏やかそうな多賀木さんでさえかなり癖がある。
 多賀木さんは本心を言おうとはしないけれど、気に入らない事があるとすぐに居なくなってしまう。
 その居なくなる原因の九割以上は京極さんと七星くんの口論な訳だが……。
「ごめん! 待たせた!」
 息を切らせながら京極さんが僕たちの席へとやってきた。
 両手で持ったプレートの上には七夕限定のドーナツとコーヒーが載っている。
「お疲れさまです!」
「お疲れねー! 竹井くん急に呼び出してごめんねー。私の方もスケジュール調整キツくてさ……」
「大丈夫ですよ! じゃあミーティング始めましょうか?」
 僕はバッグからバンド用のスケジュール帳とボールペンを取り出した。
「流石だねー! 竹井くんはメモちゃんととってくれるんで助かるよー」
 京極さんは七星くんの方を向きながら嫌味っぽく言った。
「悪かったよー。次からちゃんとメモ帳用意するから……」
「あーね。あんたはやんなくて良いよ別に」
 京極さん……。さすがに七星くんが可哀想です……。僕は内心そう思った。
 口には出さない。
 彼女は八月のスケジュールについて詳しく教えてくれた。
 『バービナ』は九月上旬に二枚目のシングルリリースを控えていた。
 もう曲自体は出来上がって、その他の細かなプロモーション等の段取りは終わっている。京極さんは最後の詰めに追われているようだ。
「代理店さんが今回も上手くまとめてくれたんだよねー。『ニンヒア』とも業務提携スムーズにやってくれたみたいだし良かったよ」
「本当にスムーズですよね……。『西浦さん』もやりやすいって担当さんの事、褒めてましたよ」
 僕は『西浦さん』という名称に違和感を抱きながらそう口にした。
 でもさすがに大叔母とかおばちゃんとかこの場では言いたくない。
「ウラちゃんさー。高橋さん元気してたー? 俺もう何ヶ月も会ってないんだよね」
「んー? 元気……かは知らないけど生きてたよ」
 彼女の口ぶりから察するに広告代理店の担当者は激務に追われているようだ。
「……という訳で、二人とも来月は厳しいから準備よろしくね! ジュンにも夜、会うから伝えとくよ!」
 彼女はそう言うと最後に『特に七星』と付け加えた。
 そんな皮肉にもいい加減慣れたけれど……。
「あ! そうだ! 今日のサークル仲間と懇親会だったんだ!」
 七星くんはそう言うと持ってきたディバックに慌ただしく荷物を詰め込んで立ち上がった。
「したらお先失礼しますー」
 そう言うと彼は大急ぎでミスタードーナツから出て行ってしまった……。
「本当にあの子は……。マジでどうにかしてほしいよ……」
 京極さんは心底うんざりした様子で呟くと定評のある苦笑いをした。
「そうですねー。でも細かい事、気にしないのが彼の良いところでもあると思いますよ?」
「いやいや、ざっぱすぎるっしょ!!」
 やはり京極さんにとって一番のストレスは彼なのかもしれない……。
 僕は気を取り直して課題を再開した。
 京極さんは帰ろうとはせず、オカワリ自由のコーヒーを堪能している。
 少しして彼女は机に突っ伏して眠り始めたけれど、僕は気にする事なく課題を進めた。
 来月から忙しくなる以上、今サボっている暇はない。
 一時間ぐらい集中するとレポートはある程度完成した。
 あとは校正を掛けてエクセルに打ち込めば終了だ。
「はぁーあ、ごめん。すっかり寝てたよ……」
 京極さんは大きな欠伸をすると猫のように柔らかく背伸びをした。欠伸の声もどことなく猫っぽく聞こえる。
「お疲れなんですね……。ずっと休みないんですか?」
「そだねー。てかフリーランスみたいなもんだから休みとか基本ないよ? 毎日仕事&毎日休みみたいな感じかなー」
「大変ですねー」
 僕はレポートに目を通しながら彼女と会話していた。
 彼女も適当そうに返答する。
「好きでやってるから仕方ないさ……。でもこれから山手線で新宿とかマジたるいよ」
「良かったら僕送りますか? 課題も終わりましたしドライブがてら……」
 僕の提案に彼女はとても意外そうな顔をした。
「え? 竹井くん車持ってんの?」
「持ってます。元々僕の実家が国立の方なのでこっちに車持ってきてあるんですよ」
 京極さんは「はぁーん」と関心とも軽蔑とも取れるような妙な声を出した。
「ブルジョワじゃん! いーなー……。じゃあせっかくだし送ってもらおうかなー」
 京極さんはこんな風に突っかかるような言い方を時々した。
 でも不思議と嫌な感じはしなかった。
 これは彼女が持つ特有の空気感の成せる技なのだろう。
「じゃ! 竹井くんお願いねー!」
 やれやれだ。京極さんはいつも通り、現金な笑顔を浮かべている。
 どうやら僕もこの笑顔をすっかり見慣れてしまったようだ……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...