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18 普通、特技に○○なんて言う奴がいるかよ

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 多賀木純の話。

 まだ俺たちがM市に居た頃の話だ。
 その当時、『バービナ』は俺と大志、そして京極さんの三人で活動していた。
 俺と大志は京極さんとバンド活動する都合上、東京に就職する事が決まっていた。
 俺は母親のところに身を寄せるだけだからそれほど大変ではなかったけれど大志は引っ越しや就職の準備に追われていた……。
 上京する一ヶ月くらい前の話だ。
 俺たちはいつも通り三人で合同練習をしていた。
「あーづがれだよー!!」
 京極さんは一頻りギターを練習した後、スタジオの床に寝そべった。
「お前はよー、ほんとーにだらしねーよな!」
「いーじゃん別に! お金払ってスタジオ借りてんだからさー」
「ったく!」
 京極さんと大志はだいたいいつもこんな感じだ。
 俺は自分のペースで練習するだけでその輪に参加しなかった。
 見ているだけで微笑ましくは思ったけれど……。
「よーし、今日はこれで終わりにして焼き肉いこー。食べ放題いきたい!」
「お前本当に良く食うな……」
「ええ、たくさん食べますよ? なんせ育ち盛りの一〇代ですからね!」
「……。いいけどよ……。ジュン? 焼き肉でいいか?」
 今でもあまり変わらない気もするけれど、当時の京極さんは食欲旺盛だった。
 外食するといつも俺や大志よりガッツリ食べていたと思う。
「いーよー。じゃあ焼き肉にしようか?」
「イエーイ! じゃあ早く行こうぜー」
 俺は素直に喜んでいる京極さんを見るのが好きだった。
 きっと大志も文句を言いながらも、そんな彼女の近くに居る事が好きだったのだろうと思う。
 楽器を片付けると俺たちは京極さんご所望の焼き肉チェーン店に向かった。
 タッチパネルで時間内に好きなだけ注文出来るシステムの焼き肉屋で、店内には家族連れや高校生がたくさん居た。
「したらねー。まずカルビ一〇人前いこうよ! で、野菜と御飯もね!」
「いきなり一〇人前かよ……」
「え!? 何言ってんの大志くん? 一人一〇人前くらいは当然のノルマっしょ?」
 京極さんはそう言うと有無を言わさず一〇人前分のカルビと御飯(大盛り)、野菜を注文した。
「本当に京極さん育ち盛りだねー!」
「でしょー! 二人とももっと食わねーと大きくなれないよ?」
 京極さんはそう言いながらもまだタッチパネルを握っている。
 追加する気満々のようだ。
「おめーマジ太るぞ?」
「大丈夫だよー! なんか知んねーけど、どんだけ食っても太れない体質みたいなんだー」
 それは事実だ。
 京極さんの体型は普通の女子と比べても痩せていると思う。
 注文して間もなく、大量のカルビが運ばれてきた。
「よーし、食うぞー!」
 それからは本当に圧巻だった。
 凄まじいペースで焼かれた肉たちが京極さんの胃袋に一気に吸い込まれていく。
 文字通り肉食系女子だろう。
「はぁー食った食った! じゃあデザートを……」
「俺はもう食えねーよ……」
 大志は満身創痍のようだ。
 俺もだけれど……。
 京極さんだけデザートを注文するらしい……。
 デザートの杏仁豆腐を美味しそうに頬張る京極さんは本当に幸せそうだった。
 今でも食事中の彼女は嬉しそうにしているけれど、当時の彼女は欲望のままに食べたいものを食べていた。
「ふぅーまんぞくまんぞく! だよ!」
「はぁーそれは何よりだ……。おめー本当によく食うよなー」
 京極さんの腹回りを見ると少し膨らんでいた。
 胸がない分、余計そう見えたのかもしれない。失礼、蛇足だ。
「あーあ、もう一ヶ月もしたらこの街ともオサラバだねー」
「そうだね! もう『アフロディーテ』とは色々話したの?」
「してるよー。月子さんめっちゃ気さくな人でさー。色々相談にも乗ってくれるんだー」
 その当時の鴨川月子は猫を被っていたのだろう。
 京極さんに対してかなり柔軟に接していたようだ。
 猫かぶりの吸血鬼。
「そういえばウラよー。友達とかに会わなくていいのか? しばらく会えなくなんだぞ?」
「あー会うよ! ってか送別会してくれるってさー! 妹も含めて企画してくれてるらしいよ!」
 京極さんは感慨深そうにそう言って、小さなため息を吐いた。
「ジュンとはこれから業界も近い感じだから仕事上でも関わるかもねー」
「そうだね……。まぁマリさんあんまりバラエティとか音楽関係に関わらない人だから少ないとは思うけどね」
 とんでもないくらい満腹で俺たちはしばらく席を立たずにまったりしていた。
 自然とM市での思い出話になる。
「本当に色々あったよねー。本当に大志にもジュンにも迷惑かけっぱなしで申し訳ないっす」
「それな。おめーは自由人すぎっからなー。まぁ上京したらもう少し真面目にやれよな?」
「……。正直出来る自信ねーけどねぇ」
 京極さんはその当時バンドの運営や広報にあまり力を入れていなかった。
 そういう細かい事はほとんど大志がやっていたのだ。(ちなみに俺も大志に丸投げしていたから人の事は言えない)
「おいおい……。知らねーけど、バンドの付き人ってやる事多いんだろ? 大丈夫かよ?」
「そうなんだけどさ……。ほら、私って演奏したり作詞したり以外はできねーじゃん? 昔コンビニのバイトした時なんかレジ打ち下手すぎてめっちゃ怒られたしさぁ。とにかく不器用なんだよねー」
 京極さんはそう言って苦笑いを浮かべた。
「でも京極さん普通にバイトこなしてバンドもやってるじゃん?」
「んー……。少しはマシになったから多少はね……。でも基本的に私って不器用で馬鹿なんだよねー。勉強とかまったく出来ないし、楽譜は読めるけど方程式とか関数とか解けない。英語に関しては一〇点以上とった試しがないしさ……」
 自虐的だ。
「ちったー勉強したらよくね? 勉強してて損はねーと思うけど?」
「そうだよね……。でもさー、嫌いなもんは嫌いなんだよー。普通の人は嫌いでも折り合いつけてやってくんだろうけど、私は嫌いな事はできない質なんだ」
 京極さんはまたため息を吐いた。
 今度はかなり大きめの。
「お前なんか得意な事とかねーのかよ?」
「ギターは得意だよ!」
「馬鹿! それ以外でだ!」
 コントのような掛け合いだ。
「ギター以外だと……。料理はある程度できるかな……。あと洗濯はわりと好きだよ……」
「いやいや……。家事以外でだよ……」
 京極さんは頭から煙が出るくらい考えていた。
 心なしか顔も赤い……。
「セックスかな? あれは得意だよ!」
「もういい……」
 大志はすっかり呆れたようだった。
 確かに自己アピールに『ギター演奏の他は、料理、洗濯、セックスが得意です!』と言われたら引くかもしれない。
「なんだよー!? 聞いといてそれは酷くない!? 私だって色々頑張ってんだよ?」
「普通、特技にセックスなんて言う奴がいるかよ!?」
「あー!! もういいよ! わかったわかった! 私はでくの坊です! ギター弾く以外なんも特技なんかありませんよーだ!」
 その日はそんな他愛のない話で終わった。
 でも、上京した後で京極さんから真剣に相談を受ける事になる……。
 どうやら笑い話だと思った事が笑い事ではなかったらしい——。
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