(休載中)下町のグランと公爵家のオリヴァー

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番外編

オリヴァーに襲い掛かる試練

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 オリヴァーは忙しなく、厨房と自室を行ったり来たりしては、行き来するたび担ぐものを変えていた。
「オリヴァー……ごめんね」
「ミレー、起きたのか。まだ顔が赤いな。寒くはないか?」
「……あったかい……」
「そうか。頭の濡れタオルぬるくなっているから替えるぞ。最初ひんやりすると思うから、冷たかったら言えよ?」
「……ん」
 オリヴァーは絞った濡れタオルを、ゆっくりとミレーの額に置いた。

 ミレーが発熱してから、二日目の朝を迎えた。
 未だ熱が引かず、オリヴァーは下町に行くはずだった用事を取りやめた。
 下町での煙突掃除を手伝うはずだったのだ。だが、ミレーが発熱したことで、付きっ切りで看病することにして、今に至る。
 ミレーも一緒に下町を訪れるはずだったので、とても残念そうであった。
 それとは別に、オリヴァーに約束を破らせてしまったことが申し訳なかったのだろう。
「ミレー」
 しかし、また謝ったことに苦言を申せば、彼女は困ったように眉尻を下げた。
 こういう時どう云えば良いのか、わからなかったようだ。
「今度お詫びにグランのお仕事を手伝うね、とか、起きたらめいっぱいキスしたいから早く治すね、とかで良いんじゃね?」
 適当なことを言うと、彼女はそれを真に受け、ただでさえ赤らんだ顔をさらに赤らめた。
「……お、起きたらめいっぱい、き……き、すを……うぅぅ」
 彼女は恥ずかしそうに、掛け布団を頭の方まで引き上げて顔を隠してしまった。
 時々ミレーの恥ずかしがる基準がわからない。
 キスを喜んで受け入れる日もあれば、恥ずかしがって受け入れてくれない日もある。
 風呂場で裸を見られたことをとんでもなく動揺したと思えば、「おしりに薬塗ってくれないの?」と言われたりする。
(女心って難しいな)
 ぼんやりそんなことを考えていると、背後から声をかけられた。
「そういうのをセクハラって言うんじゃないのか? オリヴァー」
「マルク」
 振り返った先には、いつものようにきちんと公務用の制服を着こなしたマルクが立っていた。
 この男がグランのようなラフな格好をしているところを見たことがない。
「おまえ、その恰好で下町に行ったのか?」
「君からの言伝を預かって行ってきたのに、なんだ、その言い草は!」
「いや、だって公務休みだと思ったから頼んだんだよ。悪かったな」
「今日は休日だ」
「……お前、休みの日までそんな堅苦しい恰好してんの?」
 相変わらず気を緩めるということを知らない男だと、オリヴァーは呆れた
「……今から下町に行けば? ボクが代わりに看病しておくけど」
「冗談じゃない」
「じゃあ、いちいち嫌味を言うのはやめろ」
「感心していたんだよ。真面目な友人を持ってオレは幸せだなぁ、って」
「心にもないことを言うのはやめろ」
「本心だよ。お前がいてくれて本当によかった」
 真面目にそう返せば、マルクはやや照れたように「うん、まぁ、うん……」と何やら一人でぶつぶつ言い始めた。
「せっかく来たんだ。茶でも用意するから、ティールームでくつろいで行ってくれ」
「……あぁ、お言葉に甘えるよ。あ、そうだ、今日お前がいけなかった理由を話したら、これをミレーに、って」
 マルクは肩から下げていたカバンを漁り、オレンジの色をした瓶を差し出した。
「柑橘系の果物を炒めて作ったんだって。喉の痛みが楽になるらしいよ」
「おぉ、ありがたい。今度礼をしないと。何が良いかな」
「いつも手伝ってくれるから、日頃のお礼だって言っていたよ」
「いやいや、それはそれ、これはこれ」
「言うと思った」
 マルクが肩をすくめながら笑った。
「じゃあ、今度家の掃除のお手伝いをする……」
 先ほどまで頭まで布団をかぶっていたミレーが、頭を出してこちらを見ていた。
「ミレー。起こしちゃったかな? ごめんね」
 マルクが謝ると、ミレーはせき込みながら、力なく頭を振った。
「ほら、ミレー。タオルが落ちているぞ」
 先ほど頭まで布団をかぶったときにズレたらしい。枕の横に落ちたタオルを、厨房から汲んできた冷水の入ったタライに浸けて水分を含ませた。
「ミレー、眠りを邪魔してごめんね。帰るから」
「マルク、ありがとう……またね」
 ミレーは息苦しそうに、しかし頑張って笑顔でマルクへ礼を伝えた。
 マルクは優しく笑んで会釈をし、何も言わずにオリヴァーの部屋を出て行った。

「……オリヴァー」
「なんだ? ミレー」
 マルクが帰ったあと、ミレーがオリヴァーの名前を呼ぶ。
 オリヴァーは優しくミレーと視線を合わせてベッドの横で屈んだ。
「……身体、汗で気持ち悪い……拭いてもらっても、良い?」
「…………良いぞ」
 しばらく理性と煩悩が戦っていたが、理性が煩悩に暴走しすぎないことと条件を出すことで承諾の言葉が口から出た。
 今ミレーはいつもの背中の紐で調節して着るパジャマドレスではなく、着脱しやすいようにと、前がボタンで留められているパジャマドレスを着ていた。
 オリヴァーは理性を総動員しながら、ボタンを一つずつ外して行く。
 熱を出しているミレーは、いつも以上に色っぽく見えた。赤らんだ表情と熱で蕩けた表情、だらしない口元。何もかもがオリヴァーを誘っている錯覚をしてしまう。
 しかし相手は病人。そう念頭に置くことで、なんとか堅実に看病をすることが出来ていた。
 理性の糸が切れかかったタイミングで様子を見に来てくれるカミラの功績も大きい。
 だが今は来ない。
 あるいは、理性の糸が切れてミレーを襲い掛かりそうになったら来るのかもしれないが、それだと本当にカミラがどんなセンサーを働かせて来ているのかわからず、ちょっとした恐怖を覚えた。
 前をはだけださせる。
 邸へ来たばかりの頃は傷だらけであったミレーの身体は、すっかり傷が完治し、白い肌がいつか見た白浜の砂のように煌めいて見えた。
「……すぅ、はぁ」
 必死に深呼吸をして、頭を冷やしていたタオルとは別のタオルで汗ばむミレーの身体を拭った。
「んっ……」
「…………」
 オリヴァーは、自分の中から生じそうになった煩悩を一つ殺した。
「っふ」
 ミレーの艶めいた声がたびたび零れるので、オリヴァーは昨日一昨日と、食べた食事を思い出して気を紛らわせていた。
「オリヴァー、背中も……」
 そう言われ、オリヴァーは黙ってミレーの後ろへ移動し服を脱がせ、パンツ以外何も身に着けていないミレーの背中を黙々と拭いた。
「……オリヴァー、怒っているの?」
「……怒っていない」
「……だって」
「……大丈夫だから」
 無心で、ただそう答えるだけの機械のようになった。
 ようやく背中を拭き終え、服を着せようとミレーの正面に戻り、オリヴァーは驚いた。
 ミレーが涙を零していたからだ。
「ど、どうした? どこか痛いのか?」
「……だって、オリヴァーに背中拭いてって言ったから、怒らせちゃって……」
「怒ってないって。そんなことで怒らないって。あれは……考え事をしていて」
「……本当?」
「あぁ」
 無心になろうとして、結局二週間前の朝食までさかのぼって思い出していた。
「……オリヴァーにもお礼をしなくちゃ」
「あぁ。熱が下がって元気になったら、下町の用……」
 用事を手伝ってくれ、と言おうとして固まった。
 ミレーがオリヴァーの頬に軽い口づけをしたのだ。
「……今は風邪がうつったらいけないから、これで。治ったら、いっぱいキスするね」
 先ほどまで恥じらっていたのに、今度は積極的になるミレー。
(女心って本当にわからねえ……)
 そう考えてから、今ミレーを襲わないように、また無心になるためオリヴァーは、今度は一週間後までの献立を何にしようか画策することとなった。
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