愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話

rifa

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「おはようございます」
「おはよう……カミラ」
 グランディア公爵家に来てから、3か月ほどの月日が経った。
 ミレーがこの邸に迎え入れられた翌朝から、目の前でカーテンを開けてくれている、桃色のお団子ヘアをした若い女性がミレーの専属メイドとなり、毎日世話をしてくれている。
 他にも何名かメイドはいるが、彼女たちはこの専属メイド・カミラの指示に従って動く。主な指示はカミラが出していた。
 カミラの声は鈴の音のように涼やかで、つい聞き惚れてしまう。
(イリーさんも鈴の音のような声だったけど、違う音のように聞こえる)
 カミラはイリーの姉だと言う。
 それ以上のことをカミラは話そうとしないし、ミレーもしつこく聞かなかった。
 カミラはカーテンを開いて、入ってきた朝の陽ざしを部屋の中に充満させると、ミレーの顔を洗う手伝いをしてくれた。
 それから今日身につけるドレスの着付けを手伝ってくれ、髪を梳かして軽く化粧をしてくれた。
 はじめの頃のミレーは、メイドにペコペコ頭を下げるし、敬語を使ってしまうし、それを注意されれば謝ってしまい、オリヴァーにもたしなめられていた。
 だがそこは、オリヴァーがたしなめるより、カミラがたしなめるほうが効果はあった。
「メイドに敬語を使うたび、名前を『さん』付けするたび、そうされたメイドから給料を一パーセントずつ減らしていくよう当主へ申告させていただきます」
「私じゃなくて、カミラさんたちから!?」
「はい。今『さん』付けされたので、私の給料から一パーセント引かれました」
 それが申し訳なさすぎて、ミレーから血の気が引いた。だからミレーは、敬語も、『さん』付けもしないよう全力で頑張った。
 その甲斐あって、最初の一回以降は、誰の給料も引かれていないという。
「カミラには頭があがらないだろう?」
 オリヴァーはミレーの話を聞くと、そう言って楽しそうに笑った。
「笑い事じゃないよ……本当に気がどうかしてしまうかと思った……」
「オレの時はわりと早くに慣れてくれたじゃねえか」
「それは……なんか、わりとしっくり馴染んで……。でも、私実家ではメイドより下の立場だったから……」
「習慣って、慣れると息を吸うように難が無いのに、それを改善しようとするとすごく苦労するよな……」
「オリヴァーもそうだったの?」
「……オレがこの邸に来た時に世話係をしたのがカミラでな、オレも言葉遣いからマナー、生活態度まで全部うるさく直されたものだ」
 オリヴァーが昔を思い出しながら、顔をしかめてつらつらと語っていた。
「え、オリヴァーが小さい頃から世話係を? ……カミラって若く見えるけど、一体今いくつ……」
 そこまで言ってから、ミレーは口をつぐんだ。
 女性の年齢に触れるなど、タブーであったからだ。
 それはオリヴァーも同じようで、二人して黙って食事を続けた。
 傍では二人の様子を眺めて、カミラがにっこりと笑みを浮かべていた。

「それにしても、ミレーはすっかりここでの生活に馴染んできたよな」
 オリヴァーにそう言われ、ミレーは少し困った。
 朝食を取り終え、今はオリヴァーと二人で庭園に来ていた。
 気候も穏やかになり、庭園では春の花が咲き誇っている。
 ダファディルという黄色い水仙の前で、ミレーは屈んでその花を眺めながら声を漏らした。
「……どう、かな」
「どうした?」
 ミレーの曖昧な返しに、オリヴァーも一緒に屈み込み、ミレーを背中から抱きしめるように寄りかかった。
「どうした?」
 そしてもう一度同じ言葉をかけられ、ミレーはオリヴァーに甘えるように胸に頭を預けながら言った。
「……ここの人たちには、とても良くしてもらっているけれど、私は今まで体験したことのない生活にまだ慣れていないから。全然実感ないや」
 オリヴァーとの婚約を前提に、この邸で淑女教育や貴族として身に付けておくべきマナー、基礎的な科目の勉強などを学ばせてもらっている。
 ありがたいことだが、今まで自分と縁がなさ過ぎて、自分が恥じ入るばかりなのだ。
 知らなかったことが多すぎる、出来ないことが多すぎる、そういったことが積み重なって、ミレーは自分がますますみじめになっていくのだ。
 自己の評価など底辺にあるものだと思っていたが、まだ底があるとは思わなかった。
 そう花を見つめながら告げると、オリヴァーはミレーのつむじ辺りに、自身の顎をぐりぐりと押し付けた。
「ちょ、ちょっと……」
「あのなぁ、ミレー。お前は今までこういう生活に馴染みが無かったんだろう? だったら最初は出来なくて当たり前だろう。それなのに、三ヶ月でここまで出来るようになっているのが凄いってオレは言っているんだよ」
「……三ヶ月もかかってこれしか出来ていないのよ」
 ますます自分がみじめになる。
 そう思っていると、オリヴァーが軽く握った拳を、今まで顎で抑えていたつむじへグリグリと押し当ててきた。
「何するのよ!」
「ミレーが酷いことを言うからだろう?」
「酷いコトって何よ!」
「『三ヶ月もかかってこれしか』って、嫌味かよ」
「何が嫌味なの!」
「オレは8歳の時にこの邸へ来て、次期グランディア公爵家の当主となるべく、色々なことを学ばされた。それまで下町で庶民として暮らしていた生活とはまるで違う世界に、オレは馴染むまで2年かかったし、今も馴染んでいるとは言いきれない」
「え……?」
 オリヴァーは完全にこの邸に馴染んでいるよ、と驚いて振り向いて見ると、彼は寂しそうな表情で微笑んでいた。
「まぁ、それはオレが『貴族になんかなるものか』って反抗していたのもあるかもしれないが、オレは貴族に向いていないんだろうって満足もしていた。でも、『ミレーと会うまでで良いから、オリヴァーという貴族を演じてみてはどうだ』って父上に言われたから、そう見せられるように取り繕っているだけだ。少し皮を剝げば、あっという間にオリヴァーという人間は瓦解して消える。……それは今も変わらない」
「……ハリボテってこと?」
「そうだな。ミレーに会うまでだけの、ハリボテ。でも、公爵家で暮らすようになって、下町で暮らしていた頃よりも元気になっていくミレーを見ていたら……あぁ、ミレーはやっぱり貴族なんだな、って、思って……」
「……オリヴァー?」
「オレとはやっぱり、棲む世界が違うんじゃないかって……」
「オリヴァー!」
 ミレーの呼びかけにも応じず、ぶつぶつと卑屈なことを呟き始めたオリヴァーに強く呼びかければ、彼はようやく我に返った。
「……あ」
「なんでそんなことを言うの? 私とあなたの住む世界が違うなんて、そんな悲しいこと、どうして言うの? 私なんかと結婚するのが、やっぱり嫌になったの?」
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