愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話

rifa

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 頭が沸騰しているのではないかという錯覚に襲われた一か月だった。
「ミレー、大丈夫? 頭から煙出ているんじゃない?」
「あ……やっぱり、頭から出て、ます? 煙……」
 グランディア公爵家の前で止まった馬車から下りてきたマルクは、ミレーの姿を見るなり驚いた顔をした。
 相手がマルクであるというのが認識できても、敬語を使うべき相手か使うべきではない相手かの判断が、今のミレーには出来ずにいた。
 こんな状態でペナルティをかけるのは、逆にミレーを追い込んでしまうとして、この数日は間違ってメイドの名前を『さん』付けしてしまっても、敬語を使ってしまっても許されることとなった。
「どうしてこんなに疲れているの?」
「……や、やること、覚えることが、多すぎて……」
「あー……」
 マルクが何かを察したように、憐みの目でミレーを見た。
 へとへとの状態でマルクの下へ向かう。それでも、足取りはしっかりとしていた。この一か月の猛レッスンは今のところ無駄になっていない。
 身体に覚え込まされた動きは、今では息を吸うように無意識に行えるようになった。
 それでも、マルクの前までは、オリヴァーにエスコートしてもらっている。これも練習である。
「でも、頑張ったんだね。その頑張りがちゃんと出て、どこからどう見ても貴族の令嬢だ」
 マルクの褒め言葉が、疲れた身に染みわたっていく。
「やさしいぃ……」
 思わず涙ぐみそうになるのを、オリヴァーの不機嫌そうな声が遮る。
「オレだってミレーに優しい声をかけてきたと思うんだけど?!」
「もちろん、オリヴァーの声もとっても嬉しいわ! いつもありがとう!」
 振り返って素直にお礼を言ったのに、彼はなぜか不満そうだ。
「さ、ミレー、行くよ。オリヴァー、また後で」
 マルクに促され、ミレーはディザクライン侯爵家御用達の馬車に乗りこむ。
「あれ? おとう様とおかあ様は?」
 四人掛けの馬車の中には、誰も乗っていなかった。
「あぁ、別れて移動するんだ。いつもは父上と母上とボクの三人で使っていたけれど、あまり面識のない関係だと、移動中息が詰まるんじゃないかと思って、二台使って、父上と母上、ボクとミレーに分かれて移動しようってことになったんだ」
「気を……」
「気を遣うのは当然だろう? 大切な家族なんだから、不便や苦痛がないように配慮したいんだよ。本当は父上も母上も、ミレーと色々話したそうではあったけど、それはまたの機会にお願いしてもいいかい?」
「も、もちろん!」
 マルクの父も母もとても優しくて、まだ数回しか会っていないけれど、侯爵家へ『帰る』たび、あたたかく迎え入れてもらっていた。
「じゃあね、オリヴァー!」
「……ミレー」
 馬車の窓から顔を出すと、オリヴァーは捨てられた子犬のような瞳でミレーをじっと見ていた。
「……じゃあね、オリヴァー! また後で!」
 その視線に良心が咎められるようで、ミレーはぱたんと窓を閉じて、マルクと向き合うことで窓から目を逸らせた。
「良い判断だよ」
 彼を甘やかさないほうがいい、というようなマルクのきっぱりとした態度に、ミレーは苦笑いをした。
「父上と母上の乗った馬車もそろそろ来るから、合流して同じ速度で移動しよう。来城時間を分けてあるとはいえ、混雑は避けられない。あちらで合流出来なかったら困るからね」
「じゃあ、あっちでオリヴァーと会えるかしら……」
「それは大丈夫。合流場所はいつも決まっているんだ」
「そうなのね。よかった。……オリヴァーと公爵閣下は喧嘩にならないかしら」
 不安から窓の外を見そうになったが、オリヴァーと目が合ってまた先ほどのような表情をされてしまったら、今度こそ馬車を飛び降りてオリヴァーに抱き着いてしまいそうなのだ。
 己を律していると、マルクは横目で窓の外を見ながら「大丈夫だよ」とつぶやく。
「え?」
 つい釣られて外を見てしまうが、もうすでにオリヴァーとクラウドの姿はなかった。
「なんでもない。それより、クラウドお義父様から、公爵閣下という呼び方に戻したんだね?」
「だって、結婚しているわけじゃないのに、それはまだ早いかと思って……」
「ふふっ。公爵が泣いてミレーに縋る光景が目に浮かぶようだ」
「当たり! すごく泣かれてとても困った。でもなんとか了承してもらって……」
「オリヴァーが何か余計なこと言ったでしょう?」
「なんでなんでも分かるの? マルクすごい! そうなの、泣き続ける公爵閣下に、オリヴァーったら『父って呼ばれたいなら、一刻もはやくオレたちが結婚できるようにするしかないんじゃないか?』って煽るから、公爵閣下が王城へ乗り込もうとして、止めるのに苦労したのよ」
「まったく、あいつは」
 しかし、そう苦言を漏らすマルクの表情は穏やかだった。
「……ミレーと再会してから、あいつは変わったよ」
「そうなの?」
「うん。……今まで無理やり笑っていたのが、今では心の底から笑っている」
「無理やり笑っていた……。あの、ずっと聞きにくくて触れなかったんだけど、オリヴァー……グランが8歳の時に、彼のお母さまが亡くなったって……もしかしてそのことが?」
「…………」
 マルクはしばし黙った後、無言でうなずいた。
 そして少ししてから、また話し出した。
「あの火災で、グランは『自分は何もかも失った』って言っていた。自我を喪失して、抜け殻のようになっていた。火災の報告を受けたグランディア公爵は、急いで下町へ駆けつけてくれて、火災もなんとか鎮火することが出来たけど、グランの母上のロザリーさんはもう、手遅れだった。ロザリーさんはかろうじてグランを守り切ったけれど、それが彼の心の傷を深めていた」
「……お母さまに守られたことで、母が自分の代わりに死んだって、思ったのね」
 ミレーがぽつりと漏らした言葉に、マルクが目を見開いた。
「よく、わかったね……」
「……なんとなく」
「そう。ロザリーさんは気を失っているグランを地下の貯蔵庫に押し込んで、そこを守るような形で亡くなっていたらしい。そして、その後でグランは母親の焼死体を見てしまった」
「…………」
「今までロザリーさんとの生活を支えるために働くのが生きがいだったグランは、生きる意味を失った。そんな彼を、復興で忙しくなった下町のみんなが支える余裕はない。だから下町のみんなは、息子を引き取りたいっていう公爵にグランを預けることになったんだ」
「それで、グランはオリヴァーとして生きることに?」
「最初は凄く嫌がっていた。どういう経緯でそう思ったのか、『あいつらは、オレからグランというオレ自身まで奪おうとしている!』ってボクに訴えかけ続けていた。なんのことかわからなくて公爵にその旨を尋ねてみたけれど、答えはもらえなかった」
 マルクは一旦そこで言葉を止めた。
「あ、馬車が動くよ」
 ここからではわからないが、どうやら養父と養母の乗る馬車と合流したらしい。
 ガタンガタンとわずかに車体が揺れた。
「……マルクはさっき、私と会って、グランは心の底から笑えるようになったって言ったよね?」
 移り行く景色に目もくれず、ミレーはじっとマルクの目を見据えた。
「うん、きみのおかげだ」
「本当に?」
「え?」
「……心の傷って、そう簡単には消えないんじゃないかな。だって、目に見えないもの。誰にもわかるわけがない」
「ミレー?」
「多分彼は今も、頑張って笑っているの。そしてそれは、これから私と一緒にいても続くと思う。そして、私も……」
「ミレー!」
「ッ……マルク?」
 急に叫ばれたと思ったが、目の前にいるのはマルクだけだった。
「?」
 何故かいつの間にか馬車が走り出している。
「どうしたの?」
 マルクが心配そうにミレーを覗き込む。
「どうしたって、なにが?」
「え? あ、ううん。とりあえず、君のおかげだよ。本当にありがとう」
「……?」
 なにがなんだかわからないのにお礼を言われ、正直困惑したが、とりあえず淑女の笑みを浮かべる練習をしてみた。
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