愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話

rifa

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 その少し前。
「……ミレーちゃん、行っちゃったね」
 クラウドもミレーを寂しそうに見送りながら、横目でオリヴァーを見る。
 最近オリヴァーは、クラウドがミレーを『ちゃん付け』で呼んでも怒らなくなった。
 それだけではなく、時々やさしさを垣間見せてくれるようになった。
「ぼ、ボクたちも馬車に乗ろうか~」
 いつものようにものすごく嫌な顔をされるのだろうと思ったが、なぜか今日は顔をしかめることも、苦言を漏らすこともしない。
「も、もしかしてお腹痛いとか? どこか具合が悪いとか?」
「なんでそうなるんですか。……行きますよ、父上」
 そう答えるオリヴァーはいつもの態度だが、どこか柔らかいものを感じる。
 ミレーが来てから、息子のクラウドへの態度がぎこちないながらも、変わってきているのは感じていた。
 なにより、自分の前で『グラン』の面を見せてくれるのは驚いていた。
 8歳になったばかりのオリヴァーに、クラウドが言ったことだ。
『あの下町であったことはすべて忘れなさい! お前はグランじゃない、オリヴァーなんだ! これから自身をグランと名乗ることは許さない。お前は、もうオリヴァーに戻ったのだ!』
 そして戸惑う息子に続けて言ったのだ。
『お前はグランじゃない、オリヴァーだ!』
 その言葉を息子は、この邸の人間は、自分から下町の記憶も、自分の名前も、存在意義すらも奪おうとしているのだと受け止め、クラウドと心の距離が離れていき、たびたび邸から脱走するようになった。
 そんな息子を都度連れ戻してくれたのが、ディザクライン侯爵家の息子であるマルクで。そんな彼に説得をされ、息子は『オリヴァー』として生きようと努めてくれた。
 だが、クラウドとの間に出来た溝が埋まることはなかった。
 よそよそしく、氷柱のように冷たく鋭い言葉を使い、クラウドを近づけまいとしているように思えた。
 クラウドも頑張って息子に歩み寄ろうとしたが、10年以上二人の溝が埋まることはなかった。
 息子の時間が、あの火災の日で止まってしまっているようだった。
 前を向いて歩こうとするクラウドと距離が開けてしまうのは、当然だというように。
 クラウド自身も、あの火災の時から時を進めているかと聞かれれば、迷いなく頷くことはできない。
 最愛の妻が亡くなったのだ。
 前日に、オリヴァーの双子の兄も亡くしている。
 その二重苦が、今もなおクラウドの心を苦しめている。
 そしてそうなった原因は、すべて自分にあるという自責の念が絶えない。
 だがミレーが来て、どことなくオリヴァーを取り巻く空気が、わずかに和らいだ気がしたのだ。
 だからオリヴァーの心がこのまま癒えるのならばと、クラウドも快く二人の結婚を承諾した。
(そう思っていたのに……)
 一週間ほど前のことだ。
 レッスンを終え、湯あみを終えて食堂へ向かうミレーと偶然鉢合わせた。
 彼女は目をまわしているようで、カミラに支えられながらなんとか歩いているといった様子だった。
「大丈夫です……」
 そう答える彼女は、カミラに支えられているからか、腹話術の人形のように見えてしまった。
 カミラ一人では大変だろうと、クラウドもミレーを支えて食堂へ向かった。
 途中で、クラウドはミレーに礼を伝えた。
「きみが来てくれて、オリヴァーの心も癒えてきたようだ。本当にありがとう」
 だがミレーはわずかの沈黙の後、クラウドをじっと見据えて、抑揚のない声で告げた。
「オリヴァーの心の傷は、癒えていないし、きっとこれからも癒えないんじゃないでしょうか」
 なんて酷いことを言う少女なのだろうと、クラウドはショックを隠せなかった。
 そんなクラウドの内心を知ってか知らずか、ミレーは続けた。
「過去は変えられないんです。どんなにつらいことがあっても変えられないし、楽しいことがあっても同じように楽しむことが出来ない。……でも、現在と未来をともに生きることは出来ます。私は、オリヴァーが前に向かって歩こうと言うのなら、その速度に合わせて、隣で一緒に歩いていきたいって思っています。彼が癒えない傷が痛むと言うのなら、一緒に屈みこんで、また歩けるようになるまで一緒にお喋りでもし合いたい。私は、彼のそういう存在になりたいと思っています」
 驚いた。
 自分よりずっと若い子の言葉に、正直驚いたのだ。
 あまりに驚きすぎて、ついミレーを支える手を離してしまった。
 片方の支えを失ったミレーの身体はクラウドのほうへ傾き、転倒した。
「あああぁぁぁ! み、ミレーちゃん!」
「なにやってんだ、くそ親父!」
 物音に反応したのか、食堂にいたと思われるオリヴァーが駆け走ってきた。
 そしてクラウドを威嚇しながらミレーを抱き起こした時には、彼女の声は抑揚を取り戻していた。
「ミレーちゃん、さっきはありがとうね」
 クラウドはそう告げると、オリヴァーたちを残して先に食堂へ向かった。
 その場は笑ってごまかしたが、一人になりたかったのだ。
 嬉しかった。
 オリヴァーが好きになった子が、あの子で良かったと思ったのだ。
「……ロザリー、アルバート」
 そして、この数年口にするのを躊躇っていた愛おしい妻と我が子の名前を、ようやく呼ぶことができた。
 皆が来る前の、誰もいない広々とした食堂の片隅で。
 もうこの世にいない者たちの名前が響いた。

 そしてその時、ようやくクラウドの時の針も、ぎこちない動きでゆっくりと動き出した。
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