愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話

rifa

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 マルクは暗い部屋の中で目を覚ました。
 はじめは呆けていたが、やがて日中の出来事を思い出し、重い身体をゆっくりと起き上がらせた。
「マルク様、お目覚めですか?」
 部屋の扉がノックされたので、マルクが掠れた声を返す。
「はい、起きました。ご迷惑をおかけしました」
 まだうまく声が出ず、けほけほと咳込むと、「失礼します」という声と共にメイドが二人入ってきた。
「お水をお持ちしました。食欲はありますか?」
「ありがとうございます。食欲はあまりなくて……」
「では、粥とリンゴのすりおろしをお持ちしますね」
 渡されたコップの水を飲みながらメイドの一人とやりとりをしていると、部屋に灯りがともされた。
 窓の外を見ると、すっかり夜の帳が下りきっていた。
「あ……」
 こんな時間まで眠ってしまったのかと、自分でも驚いた。
「オリヴァー様が、本日はこちらでお休みくださいと申しております。侯爵家への連絡も済んでおりますゆえ」
「え、もうオリヴァーが帰ってきたのかい?」
「はい……」
 やや言葉を濁すようなメイドの返事で、マルクはあることを察した。
「……今、オリヴァーとミレーはどこに?」
「食堂で、食事をしております……」
「ボクも食堂へ行きます」
 マルクの言葉に、メイドたちは安堵の表情を見せた。
「では案内をします。お足元にお気をつけください」
 ふらふらと、熱に浮かされておぼつかない足取りながら、マルクは急いでメイドの後ろを追った。
 食堂へ着くと、案の定、腕組みをして不機嫌そうなオリヴァーと、向かいの席で頼りなげな表情で身を縮こませているミレーの姿があった。
「……マルク!」
 ミレーが、食堂に入ってきたマルクに気づいて顔をあげた。
「……もう体調は大丈夫なのかよ」
 オリヴァーはマルクの方を向かずに、不機嫌そうな声で体調を訊ねてくる。
「あぁ、ゆっくり休ませてもらったよ。……それで、今はどこまで話が進んだんだい?」
 なんとなく、オリヴァーにミレーが状況を話したのだろうと察して、そう問いかけた。
「……その、オリヴァーがエドワード様と殴り合ったって聞いて、理由を聞いたけれど、全然話してくれなくて……」
 つまり、ミレーがエドワードに好意があるのではないかとオリヴァーに疑わせたまま、状況はなにも変わっていない様子だ、とマルクは判断した。
「オリヴァー……。エドワード様と喧嘩をしないって、ミレーに約束しなかったかい?」
「…………」
 不貞腐れているオリヴァーに呆れて、マルクが溜息を吐く。
「あぁ、いいよ、言わなくても。大体想像はつく……。どうせ、ミレーが恋心を向けているかもしれないエディにうざ絡みして、エディに殴られて、やり返して、そのまま喧嘩に発展したんだろう?」
「ちげーし!」
「いや、合っているだろう?」
「全然、合ってねーし!」
「誤魔かそうとするときの顔になっているんだよ、お前」
 指摘されたオリヴァーは、「ぐっ」と声を漏らして顔をしかめる。
「……オリヴァー、私はエドワード様に恋心なんて、砂一粒の感情も抱いていないわ」
 ミレーがそう言っても、オリヴァーは胡乱な目を向けるだけだ。
「ミレーの気持ちを疑うのか?」
 病人が立ちっぱなしは良くないだろうと、メイドが持ってきてくれた椅子に座りながら、オリヴァーを睨んだ。
「……疑って、ねえけど……」
 睨まれたオリヴァーは、親に叱られた子どものような幼い仕草で不貞腐れた。
「……ごめんなさい、オリヴァー。私は、あなたの身を案じていただけなの……」
「身を案じる……?」
 ミレーの言葉に、オリヴァーが眉をひそめた。
「えぇ。エドワード様が、あなたを狙っているから、私はあなたを守りたかっただけなの」
「……エディがオレを? どういうことだ」
「……気を悪くしないで聞いてほしいの。エドワード様は……」
「…………」
「……エドワード様は、あなたと……仲良くなろうとしているの……」
「……ん? おう?」
「ち、違うの! その、あなたが思っているような友好的な関係じゃなくて、もっとこう……こう……」
 ミレーが身振り手振りで、わたわたと忙しなく手を振り回している光景を、オリヴァーが難解なものをみるような目で見つめている。
「……オリヴァー。オリヴァーは私ともっと親密な関係になりたいと思ったら、なにをする?」
「え? そ、そりゃ、もっと話をして……食事をして……えっと、うん……まぁ、そんな感じ?」
 突然の質問に激しく動揺したオリヴァーは、結局濁しに濁して、表面的な欲求を伝えた。
「そうよね……。でもね、オリヴァー。この世の中の男性は、あなたやマルクのように綺麗な人間ばかりじゃないの!」
 マルクとオリヴァーを綺麗な人間だと思っているミレーに、また紅茶を吹き出しそうになった。この会話をしている時は何も口に含まないほうがよさそうだと、マルクはカップを置いた。
「綺麗な人間ってなんだよ……?」
 オリヴァーが不可解そうな声で問うと、ミレーは神妙な顔つきで頭を振る。
「世の中の男性はね、ケダモノなの!!」
 マルクは、飲み物を口に含んでいなくてよかったと心の底から安堵した。
「…………ん?」
 オリヴァーは真顔で首をひねる。
「オリヴァー、今はあなたの純潔は保たれているかもしれないけれど、エドワード様はあなたの純潔を奪おうと、虎視眈々とその機会を狙っているのよ!」
「…………んん?」
「こんなことをいきなり伝えられても、困惑すると思っていたわ。今まで大切なご友人だと思っていた相手から、そんな性的な目を向けられているなんて、思いたくないと思って……。だから私は、ひっそり陰からあなたの純潔を守ろうとしたけれど、そのせいであなたに無用な心配をかけてしまって……!」
「ちょっと待って、ちょっと待て!」
 熱弁するミレーの言っていることがどんどん分からなくなってきて、オリヴァーがミレーの肩を掴んで静止を呼びかけた。
「……ミレー。エディ……エドワードは男だぞ?」
「知っているわ」
「そして、オレも男だ」
「もちろん知っているわ」
「……オレの純潔ってなに? 性的な目って、なに?」
 オリヴァーの顔色が、風邪を引いているマルクより悪そうに見えるのは気のせいだろうか。
 ミレーは、肩を掴んでいたオリヴァーの手を優しく握った。
「やっぱり知らないわよね……。あのね、世の中には、男の人が男の人を愛するっていう、そういう愛の形もあるらしいの」
「……」
「エドワード様はオリヴァーに、男の人が女の人を愛するように情熱的な視線をいつも向けているのよ。あなたはそれを、友愛だと思っているかもしれないけれど」
「……」
「あ、でもね、男の人が女の人を愛するって言うのは、あなたが私を思ってくれるような優しいものじゃなくて……こう、無理やり服を脱がせて、こ、こう、淫らなことをするの。多分、私が暴漢に襲われそうになった時、そういうことをされそうになったんだと思う。……そんなことを、愛があろうと無理やりオリヴァーにしようとするなんて、エドワード様は酷いわ!」
「ちょっと待ってほし……はあぁぁぁぁ」
 ミレーの暴走を止めるため再度制止を呼びかけようとしたが、それに勝る疲労感に襲われ、オリヴァーは長い溜息を吐いた。
 オリヴァーは額に手を当てながら、数秒沈黙した。
 ようやく開いた口からは、重々しい声が出てきた。
「とりあえず、ミレーはエドワードのことが好きなわけじゃないんだな?」
「ええ、むしろオリヴァーを奪おうとする敵と認識しているわ」
「……あ、そう」
 白けたような表情をしてしまったオリヴァーに、マルクも同情の念を禁じ得ない。
「な、ならよかった。じゃあもうこの話はやめよう」
 そう言って逃げようとしたが、ミレーが諦めない。
「ダメ! このまま何も対策をしなかったら、オリヴァーの貞操が危ないの!」
「……エドワードはマルクのこともそういう目で見ていると思うのか?」
 突然自分に話を振られ、マルクは蚊帳の外から中へ引きずり込まれた。
 だがミレーがきっぱりと否定をする。
「全然。エドワード様はそういう目でマルクのコトは見ていないわ」
 あっという間に解放され、マルクはすぐに話から離脱することが出来た。
 だがまだ話の中心から逃げられないオリヴァーが、疲れ果てた顔をしている。心なしかこの数分でかなり痩せこけたような錯覚さえした。
「……オレだけがそんな目で見られているっていう根拠は?」
「エドワード様は、ずっとあなたを情熱的な目で見つめていたわ。それは根拠にならない?」
「ならない。それは単に、オレが気に入らなくて睨んでいただけだろう。あいつとは昔からずっといがみ合う仲だったんだ。何度喧嘩を売られたか分からないし、初めて謁見した時はもっと最悪だった。つまり犬猿の仲ってやつだ。犬と猿が恋人同士になれると思うか?」
「種族を越えた恋愛もあると思うわ」
「諦めない心!」
 なかなかまとまらない話し合いに、マルクは自身の熱が上がってきたのもあり、仕方なしに手を貸すことにした。
「ミレー、ボクも断言するよ。エドワード様はそういうことをオリヴァーにする人間じゃない。保証して言うよ」
 きっぱりミレーの考えを否定すると、彼女は困ったように眉尻を下げた。
 そしてその表情がだんだん歪んでいき、青の瞳から大粒の涙がとめどなく溢れ出した。
「いや……このままじゃオリヴァーが、オリヴァーの貞操がエドワード様に奪われてしまうわ! そんなのヤダァ!」
 ミレーは自分の意見に自信があるようで、その意見を譲ろうとしない。
 マルクとオリヴァーは、泣きじゃくるミレーをなだめながらどうすべきか悩んだ。
 やがて、オリヴァーが諦めたような提案を出す。
「エドワードが『そんなことはない』って、オレへの感情を否定すれば、ミレーは納得するのか?」
「……するわ」
「……わかった。じゃあ明後日の謁見には、ミレーも連れていくから、そこで聞いてくれ」
「! ありがとう、オリヴァー!」
 ミレーがようやく表情を綻ばせた。
 その表情を見て、マルクとオリヴァーもようやく安堵した。
「マルクも、もし明後日までに風邪が治っていたら、一緒についてきてほしい。多分オレとミレーとエディの三人だと、全員暴走して収集つかなくなる可能性が高い」
「それは良いけど、明後日とは。しかも喧嘩した後によくまた顔を合わせようとしたものだ」
「今日決着がつかなかったから、明後日こそ決着をつけようって」
「喧嘩しにいくのかよ」
「……いや、今回はオレが悪かったから、ちゃんと謝るよ。朝ミレーに言われたことでモヤモヤしていたから、あいつに当たっちまった」
「なるほど。……オリヴァーも大人になったなぁ」
 しみじみとした気持ちでマルクが喜ぶと、顔を真っ赤にしたオリヴァーに頭を叩かれた。
「バカにすんな」
 その日はそれ以上問題が起こることはなく、マルクはようやく心身ともに休むことが出来た。
 そのおかげか、翌々日の謁見には、マルクも参加することが出来た。
 だが、エドワードが指定した場所は、彼の領地ではなく、王宮であった。
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