誤召喚されたら生徒がアホ王子だった~歴女大学生、古今東西の人物史で教育する~

古木しお

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アホ王子への教育とこの異世界

第50講  『知と美とレオナルド・ダ・ヴィンチ ~“万能の天才”が世界を変えた時~』

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 王宮の画室に、奇妙な沈黙が落ちていた。
 机の上には、顔が三つある“なんかすごい王様っぽい何か”の絵。

「……これは、何を描いたつもりなんだ?」
 私が恐る恐る尋ねると、ケイ王子が胸を張った。

「“僕の肖像画”だ!」
「いやホラーじゃねぇか!」
「どこがだよ!? 三つの顔は“王の多面性”を表現してるんだぞ!」
「いやいや! どの面もやかましい表情してるから、三倍うるさいんだよ!」

 ケイ王子は頬を膨らませ、筆を投げ出した。
「ふん! どうせコヒロには芸術がわからないんだ!」
「……まぁ、これは理解の外だな」
「僕は天才なんだぞ! この絵は“芸術”だ!」

 あまりの言い張りっぷりに、私はつい笑ってしまった。
「ははは、天才ねぇ。……悪かった悪かった」
「笑ったな!?」
「だって、芸術家を自称するなら“ダ・ヴィンチ級”になってからにしな」
「だ・だ・ヴィンチ? 誰だそいつ」

 私は筆を置き、黒板を引き寄せた。
「前に話したろ? “日本のダ・ヴィンチ”――平賀源内の時に。
 その本家本元が、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
 人類史上、最も多才で最も好奇心の化け物だった男だ。」

「化け物て」
「だって、あいつは“全部”やったからな。
 画家、発明家、建築家、音楽家、軍事技師、解剖学者、数学者、物理学者、料理人、占星術師、そして哲学者。
 筆でモナ・リザを描きながら、裏では飛行機を設計してたんだぞ」

「……そいつ寝てんのか?」
「寝てなかった。むしろ“寝方を実験してた”」
「やべぇよ!」

 *

『レオナルド・ダ・ヴィンチ――神に挑んだ人間』
 黒板に書き込むと、王子が興味半分・警戒半分の顔になる。

「十五世紀のイタリア、ルネサンスの真っ只中。
 “知の目覚め”ってやつだな。
 芸術も科学も“神の支配から解き放たれる”時代。
 その真ん中にいたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ。」

「でも、画家なんだろ?」
「そう、画家でもあり――“世界の仕組みを描く学者”でもあった。
 人の体を解剖して、筋肉の一本までスケッチした。
 鳥を観察して、飛ぶための機械を設計した。
 水の流れを見て、流体力学を考えた。
 光を見つめて、レンズと眼の構造を図解した。」

 私はチョークを止め、振り向いた。

「彼にとって、世界は巨大な絵画だったんだ。
 “神が描いた線”を読み解くために、
 彼は“全てを観察”しようとした。」

「……なんか、ガリレオに似てんな」
「おっ、いいとこ気づいたな。
 ガリレオが“見たものを信じた”なら、
 ダ・ヴィンチは“見えないものまで描こうとした”んだ。」

「ふーん……でも、そんなの全部同時にやったら頭爆発するだろ」
「うん。実際、爆発寸前だったらしい」

 私はニヤリと笑い、声を落とした。
「――さて、そろそろ“降ろす”か」
「出た、憑依魔術!」

 私は息を吸い、声を変える。

 “――世界は観察の連続体である。
  見よ、筋肉は綱、骨は滑車。
  水は脈動し、風は呼吸する。
  すべては繋がっている。ゆえに、描かねばならぬ。”

 チョークが黒板を叩く。
 描かれるのは渦巻き、翼、人体、歯車、光線。

「彼は“描く”ことで考えた。
 “描けるものしか理解できない”と信じてた。
 だから絵画も科学も同じだったんだ。」

 私は元の声に戻る。
「……レオナルド・ダ・ヴィンチ。
 彼は“知ることは愛すること”だと言った。
 興味を持つことが、世界への最高の礼儀なんだ。」

 王子はしばらく黙っていた。
「……でも、さっきの三つ顔の絵も“興味”から描いたんだぞ?」
「うん。悪趣味な方にな」
「うるさい!」 



 数日後。
 私はリョーキューから恐ろしい報告を聞いた。

「殿下が“万能天才計画”を始められました!」
「なにそれ」
「絵画、音楽、天体観測、発明、料理、彫刻、ぜんぶ同時に!」

 嫌な予感しかしない。
 駆けつけると――

 絵の具まみれの王子が、パンを焦がしながら望遠鏡にのぞき、片手でリュートを弾いていた。

「どうだコヒロ! 僕はトラディア王国の……いやアストレアのダ・ヴィンチだ!」
「火が出てる! 料理の鍋から火が出てる!」
「芸術の炎だ!」
「物理の火災だよバカ!」

 机は倒れ、絵は焦げ、リュートは弦切れ、天球儀は床を転がっていた。

「……あのな王子。ダ・ヴィンチは確かに天才だったけど、
 “同時に十個やって成功した”わけじゃねぇぞ」
「えっ、違うの?」
「彼は“やりたいことが多すぎて途中で終わる天才”だ」
「なんだよ、それ……」

 私は苦笑して言った。

「マルチタスクはお前には無理だよ」
「うぐっ……」
「でもな――“全部やってみたい”って思える奴が、世界を面白くする。
 だから、その火は消すなよ。火事は消せ」
「……わかってるよ!」

 焦げた画室に、王子の笑い声が響いた。
 煙の向こうで、絵筆を握るその姿が少しだけ“本物の芸術家”に見えた気がした。 
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