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勇者一行が星の彼方へ吹き飛ばされてから、数日が経った。
魔王城には、以前と変わらない静寂と平穏が戻っていた。
夜。
天蓋付きの巨大なベッドで、僕はいつものようにガレオスに抱きすくめられていた。
窓の外には、魔界特有の紫色の月が浮かび、幻想的な光を投げかけている。
「…………」
いつもなら、僕の匂いを嗅いですぐに寝息を立てるガレオスが、今夜は起きていた。
僕の背中に回された腕に、痛いほど力が込められている。
彼の赤い瞳が、月光の中で揺れていた。
「……ガレオス様? 眠れないのですか?」
僕が身体を捻って向き合うと、ガレオスは悲痛な面持ちで僕を見つめ返した。
その表情は、世界を統べる魔王のものではなく、迷子になった子供のように頼りない。
「……あの時」
低い声が、静寂に溶ける。
「勇者が言っていたな。『城へ連れ帰る』と。……お前を、元の世界に帰すために」
「あ……」
そういえば、勇者はそんなことを叫んでいた気がする。
ガレオスは僕の頬に冷たい手を添え、親指で愛おしそうになぞった。
「ミナト。お前は……帰りたいか?」
「え?」
「元の世界に。……家族や、友人のいる場所に」
ガレオスの声が僅かに震えた。
僕は息を呑んだ。
元の世界。
平和で、安全で、コンビニもスマホもある日本。
ここに来てから、一度も考えなかったわけじゃない。突然理不尽に喚び出され、日常を奪われたのだ。帰れるものなら帰りたいと、最初は思った。
僕が沈黙していると、ガレオスは自嘲気味に笑った。
「やはり、そうか。……ここは魔界だ。太陽も昇らぬ常闇の地。人間のお前が暮らすには、あまりに過酷で退屈だろう」
「ガレオス様……」
「……帰すことは、できる」
ガレオスが、信じられないことを口にした。
「私の全魔力を使えば、次元の裂け目を一時的にこじ開けることは可能だ。お前一人くらいなら、元の世界へ送り返してやれる」
「……っ!」
「お前が望むなら、そうしよう。……私は、お前を縛り付けたくはない」
嘘だ。
彼の腕は、言葉とは裏腹に、僕の腰を万力のように締め付けている。
瞳の奥には、「行くな」「捨てないでくれ」という絶叫ごとき懇願が渦巻いていた。
もし僕がいなくなれば、彼はどうなる?
また数百年の不眠地獄へ逆戻りだ。
いや、一度「安らぎ」を知ってしまった今、それを失う苦しみは以前の比ではないだろう。
彼は狂い、世界を滅ぼすかもしれない。あるいは、自ら命を絶つかもしれない。
彼はそれを分かった上で、僕の幸せのために「帰してやる」と言っているのだ。
(……ああ、なんて)
僕の胸の奥が、熱く締め付けられた。
この人は、不器用で、乱暴で、自分勝手に見えて……誰よりも深く、僕を愛してくれている。
僕は日本のことを思い出した。
両親は共働きで忙しく、家にはいつも誰もいなかった。
学校にも友人はいたけれど、心の底から分かり合える相手はいなかった。
僕はいつだって「大勢の中の一人」で、いてもいなくても変わらない「オマケ」のような存在だった。
でも、ここでは違う。
この腕の中では、僕は「世界でただ一人」の存在になれる。
「……ガレオス様」
僕はそっと、彼の手を握り返した。
「僕は、帰りません」
「……なに?」
「向こうの世界に帰っても、僕はただの平凡な高校生です。でも、ここには僕を必要としてくれる人がいる。……僕がいなきゃ眠れない、手のかかる魔王様がいますから」
僕が微笑むと、ガレオスは信じられないものを見るように目を見開いた。
「本気か……? 二度と、帰れなくなるぞ? 一生、この薄暗い城で、私という呪いのような存在に付き纏われることになるんだぞ?」
「望むところです。……それに、ガレオス様の『抱き枕』の待遇、すごくいいですしね。衣食住保証付きで、絶対的な安全も約束されてる」
茶化すように言うと、ガレオスは一瞬呆気にとられ、次の瞬間、顔をくしゃりと歪めた。
魔王が、泣いていた。
血のような赤い瞳から、ポロポロと透明な雫がこぼれ落ちる。
「……馬鹿な奴だ。物好きな」
「ええ、知ってます」
「……もう、遅いぞ。撤回は許さん」
ガレオスが猛然と僕を抱き寄せた。
先ほどまでの遠慮が消え失せ、骨がきしむほどの強さで密着する。
「お前は私のモノだ。死んでも離さん。魂になっても、輪廻の果てまで追いかけて、私の枕元に縛り付けてやる」
「ふふ、ストーカーみたいですね」
「構わん。お前がそばにいるなら、私はどんな怪物にでも成り果てよう」
ガレオスは僕の首筋に顔を埋め、深く、長く息を吸い込んだ。
震えていた彼の身体から力が抜け、安堵の熱が伝わってくる。
「……愛している、ミナト。私の光、私の安らぎ」
「はい。僕もですよ、ガレオス様」
僕は彼の背中に腕を回し、銀色の髪を優しく撫でた。
窓の外では、冷たい風が吹いているかもしれない。
勇者たちは今頃、僕を連れ戻せなかったと言い訳を考えているかもしれない。
でも、そんなことはもうどうでもよかった。
ここにあるのは、温かい体温と、満ち足りた静寂だけ。
僕は目を閉じ、愛する魔王様の寝息に合わせて、ゆっくりと意識を手放した。
元の世界には戻れない。
けれど、後悔はない。
だってここが、僕の選んだ、世界で一番温かい「帰る場所」なのだから。
魔王城には、以前と変わらない静寂と平穏が戻っていた。
夜。
天蓋付きの巨大なベッドで、僕はいつものようにガレオスに抱きすくめられていた。
窓の外には、魔界特有の紫色の月が浮かび、幻想的な光を投げかけている。
「…………」
いつもなら、僕の匂いを嗅いですぐに寝息を立てるガレオスが、今夜は起きていた。
僕の背中に回された腕に、痛いほど力が込められている。
彼の赤い瞳が、月光の中で揺れていた。
「……ガレオス様? 眠れないのですか?」
僕が身体を捻って向き合うと、ガレオスは悲痛な面持ちで僕を見つめ返した。
その表情は、世界を統べる魔王のものではなく、迷子になった子供のように頼りない。
「……あの時」
低い声が、静寂に溶ける。
「勇者が言っていたな。『城へ連れ帰る』と。……お前を、元の世界に帰すために」
「あ……」
そういえば、勇者はそんなことを叫んでいた気がする。
ガレオスは僕の頬に冷たい手を添え、親指で愛おしそうになぞった。
「ミナト。お前は……帰りたいか?」
「え?」
「元の世界に。……家族や、友人のいる場所に」
ガレオスの声が僅かに震えた。
僕は息を呑んだ。
元の世界。
平和で、安全で、コンビニもスマホもある日本。
ここに来てから、一度も考えなかったわけじゃない。突然理不尽に喚び出され、日常を奪われたのだ。帰れるものなら帰りたいと、最初は思った。
僕が沈黙していると、ガレオスは自嘲気味に笑った。
「やはり、そうか。……ここは魔界だ。太陽も昇らぬ常闇の地。人間のお前が暮らすには、あまりに過酷で退屈だろう」
「ガレオス様……」
「……帰すことは、できる」
ガレオスが、信じられないことを口にした。
「私の全魔力を使えば、次元の裂け目を一時的にこじ開けることは可能だ。お前一人くらいなら、元の世界へ送り返してやれる」
「……っ!」
「お前が望むなら、そうしよう。……私は、お前を縛り付けたくはない」
嘘だ。
彼の腕は、言葉とは裏腹に、僕の腰を万力のように締め付けている。
瞳の奥には、「行くな」「捨てないでくれ」という絶叫ごとき懇願が渦巻いていた。
もし僕がいなくなれば、彼はどうなる?
また数百年の不眠地獄へ逆戻りだ。
いや、一度「安らぎ」を知ってしまった今、それを失う苦しみは以前の比ではないだろう。
彼は狂い、世界を滅ぼすかもしれない。あるいは、自ら命を絶つかもしれない。
彼はそれを分かった上で、僕の幸せのために「帰してやる」と言っているのだ。
(……ああ、なんて)
僕の胸の奥が、熱く締め付けられた。
この人は、不器用で、乱暴で、自分勝手に見えて……誰よりも深く、僕を愛してくれている。
僕は日本のことを思い出した。
両親は共働きで忙しく、家にはいつも誰もいなかった。
学校にも友人はいたけれど、心の底から分かり合える相手はいなかった。
僕はいつだって「大勢の中の一人」で、いてもいなくても変わらない「オマケ」のような存在だった。
でも、ここでは違う。
この腕の中では、僕は「世界でただ一人」の存在になれる。
「……ガレオス様」
僕はそっと、彼の手を握り返した。
「僕は、帰りません」
「……なに?」
「向こうの世界に帰っても、僕はただの平凡な高校生です。でも、ここには僕を必要としてくれる人がいる。……僕がいなきゃ眠れない、手のかかる魔王様がいますから」
僕が微笑むと、ガレオスは信じられないものを見るように目を見開いた。
「本気か……? 二度と、帰れなくなるぞ? 一生、この薄暗い城で、私という呪いのような存在に付き纏われることになるんだぞ?」
「望むところです。……それに、ガレオス様の『抱き枕』の待遇、すごくいいですしね。衣食住保証付きで、絶対的な安全も約束されてる」
茶化すように言うと、ガレオスは一瞬呆気にとられ、次の瞬間、顔をくしゃりと歪めた。
魔王が、泣いていた。
血のような赤い瞳から、ポロポロと透明な雫がこぼれ落ちる。
「……馬鹿な奴だ。物好きな」
「ええ、知ってます」
「……もう、遅いぞ。撤回は許さん」
ガレオスが猛然と僕を抱き寄せた。
先ほどまでの遠慮が消え失せ、骨がきしむほどの強さで密着する。
「お前は私のモノだ。死んでも離さん。魂になっても、輪廻の果てまで追いかけて、私の枕元に縛り付けてやる」
「ふふ、ストーカーみたいですね」
「構わん。お前がそばにいるなら、私はどんな怪物にでも成り果てよう」
ガレオスは僕の首筋に顔を埋め、深く、長く息を吸い込んだ。
震えていた彼の身体から力が抜け、安堵の熱が伝わってくる。
「……愛している、ミナト。私の光、私の安らぎ」
「はい。僕もですよ、ガレオス様」
僕は彼の背中に腕を回し、銀色の髪を優しく撫でた。
窓の外では、冷たい風が吹いているかもしれない。
勇者たちは今頃、僕を連れ戻せなかったと言い訳を考えているかもしれない。
でも、そんなことはもうどうでもよかった。
ここにあるのは、温かい体温と、満ち足りた静寂だけ。
僕は目を閉じ、愛する魔王様の寝息に合わせて、ゆっくりと意識を手放した。
元の世界には戻れない。
けれど、後悔はない。
だってここが、僕の選んだ、世界で一番温かい「帰る場所」なのだから。
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