余命一週間の社畜は、死神の甘やかな管理下に堕ちる

八百屋 成美

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 世界中が祝福に包まれる聖夜。
 空からは、汚れたアスファルトを隠すように白い雪が降りしきっていた。
 深夜零時。終電を逃した駅のホームには、僕以外に誰もいない。
 蛍光灯の寒々しい光が、雪に反射して揺れている。

「……疲れたな」

 口から漏れたのは、独り言ともつかない白い吐息だった。
 僕、月島つきしまれんは、二十六歳の社畜だ。
 ブラック企業に勤めて四年。連日のパワハラ、サービス残業、人格否定の罵倒。心も体もとっくに限界を超えていた。今日はクリスマスだというのに、たった今ようやく解放されたところだ。
 線路を見下ろす。
 雪化粧をしたレールが、鈍い光を放ってどこまでも続いている。
 ここから一歩踏み出せば、明日のプレゼンも、上司の怒鳴り声も、終わらない納期も、全部関係なくなる。
 泥のように眠れる。永遠に。

(ああ……いいな、それ)

 ふらり、と身体が傾いた。
 死ぬことへの恐怖よりも、明日が来ることへの恐怖の方が勝っていた。
 革靴のつま先が、黄色い線の外側へ出る。
 遠くから近づく電車の光を予期して、僕は目を閉じた。
 ――ガシッ!!
 強い力で、腕を掴まれた。
 痛いほどに強く、乱暴に。

「――馬鹿な真似はよせ」

 耳元で響いたのは、雪の冷たさよりも冷たく、そして鐘の音のように美しい声だった。
 驚いて目を開けると、身体ごとホームの内側へ引き戻される。
 尻餅をついた僕を見下ろしていたのは、一人の男だった。
 喪服のような漆黒のスーツ。
 この世の生物とは思えないほど整った、蒼白な美貌。
 奇妙なことに、雪が降りしきっているというのに、彼の周囲だけ雪片が避けているかのように濡れていなかった。

「……誰、ですか」
「通りすがりの管理屋だ」

 男は氷のような瞳で僕を射抜いた。そこには、慈悲も同情もない。ただ、事務的な冷徹さだけがあった。

「月島蓮。二十六歳。……貴様の寿命は、ここでは終わらない」
「は……?」
「貴様の命日は、ちょうど一週間後。今年の大晦日だ」

 男は懐から黒い手帳を取り出し、淡々と告げた。
 頭がおかしい人だろうか。それとも新手の宗教勧誘か。
 でも、彼の瞳を見ていると、それが嘘や冗談ではないと、本能が理解してしまった。
 背筋が凍るような、死の気配。

「し、死神……?」
「そう呼ぶ人間もいる。私は『管理官』ナンバー404。貴様の魂を回収する担当者だ」

 死神、404。
 彼は手帳を閉じると、再び僕を見下ろした。

「貴様の寿命はあと一週間残っている。予定外の自殺は書類処理が面倒だ。……だから、死ぬな」

 あまりに身勝手な言い分だった。
 あと一週間? この地獄を、あと七日も続けろと言うのか。

「ふざけるな……」

 僕の中で、何かが切れた。

「知ったことかよ! あと一週間も生きるなんて無理だ! 僕は今すぐ楽になりたいんだ! 放っておいてくれ!」

 僕は叫び、再び線路へ向かおうとした。
 だが、死神は瞬きする間に僕の目の前に立ち塞がり、両肩を鷲掴みにした。

「駄目だ」
「離せ!」
「駄目だと言っている!」

 死神の形相が変わった。
 冷徹だった仮面が剥がれ、そこに見えたのは――焦燥?
 彼は僕の肩に爪が食い込むほど強く指を立て、顔を近づけてきた。

「死なせない。絶対にだ。……貴様は、あと七日、生きなければならないんだ」

 その声は、命令というより、悲痛な祈りのように聞こえた。
 至近距離にある瞳。冷たいはずの死神の瞳が、なぜか熱っぽく揺れている。

「……っ」

 急激な目眩がした。
 連日の過労と栄養失調、そして今の興奮。
 限界を迎えた僕の意識は、プツリと途切れた。
 倒れ込む身体が、冷たいコンクリートではなく、誰かの腕の中に受け止められた感覚だけが残った。


 目が覚めると、温かい部屋の中にいた。
 見慣れた天井。ここは、僕のボロアパートだ。暖房がついているのか、外の寒さが嘘のように暖かい。
 身体を起こそうとして、異変に気づいた。
 身体が、動かない。
 金縛りではない。誰かが、僕の上に跨っているのだ。

「……気づいたか」

 漆黒の髪。陶器のような肌。
 あの死神、シエルだった。
 彼はベッドに横たわる僕の上に馬乗りになり、僕のワイシャツのボタンをすべて外して、胸元を大きくはだけさせていた。

「な、何をして……」
「検分だ。貴様の魂の状態を確認している」

 シエルは表情一つ変えず、僕の素肌に直接触れてきた。
 ひやり、とした冷たい指先が、鎖骨をなぞり、肋骨の浮いた胸を這う。

「……痩せすぎだ。魂を入れる器として、脆すぎる」

 指先が、あばら骨の隙間を確かめるように押し込まれる。
 くすぐったさと、異物感。抵抗しようにも、彼の放つ圧倒的な威圧感に身体が竦んで動かない。
 シエルの手は、まるで壊れ物を扱うように慎重でありながら、同時に所有権を主張するかのように執拗だった。

「ひっ……!」

 冷たい指が、不意に左胸の心臓の上で止まった。
 心拍を確かめるように、掌がぺたりと押し当てられる。

「脈が乱れている。体温も低い。……やはり、貴様一人にしてはおけん」

 シエルは僕の瞳を覗き込み、宣言した。

「今日から最後の日まで、私が貴様を管理する」
「か、管理……?」
「そうだ。食事、睡眠、そして精神状態。すべてを私がコントロールし、一週間後の大晦日まで、完璧な状態で生かし続ける」

 それは、死刑囚に最後の晩餐を与えるような慈悲なのか、それとも。

「逃げられると思うなよ、レン」

 彼が僕の名を呼んだ瞬間、首筋に何かが噛み付いたような鋭い痛みが走った。
 見えない鎖が、繋がれた気がした。

「貴様の命は、あと一週間、私のものだ」

 聖なる夜。
 僕は死神に捕まったのだった。
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