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3話
あぁ、夢だ。
これも悪い夢だ。
目の前にスープがある。
見たところポトフのようなものだ。
「今日も腕を振るいましたよ」
長い食卓の向こうの人物は、やはり顔を見せずに楽しそうに言ってみせた。やはり声は近くのように聞こえる。
目の前のこの美味しそうな料理も、妖を使った料理なのだろう。
ジャガイモとニンジン、ウィンナー、タマネギ、スープが多めのポトフのようだが、野菜スープと呼ぶには具材が大きく、具がメインのように見えた。
「……今日は何を食べさせようっていうんだ?」
「今日はポトフ風スープです。あの餓者髑髏から出汁を少し取りまして、それから───」
「なんで……なんでこんなことするんだよ!?」
「何度も伝えている通りです。同一存在になりたくて……」
「やめてくれ!俺はそんなこと望んでない!そもそもお前の名前だって知らない!」
「あぁ、名乗ってませんでしたね。僕は小玖哉と言います」
「サクヤ……?」
「小さいで“小”、王へんに久しいで“玖”、善哉の“哉”で、小玖哉です」
「で、それでっ、なんで同一存在になりたいんだよ!?俺は望んでないんだって!」
「望んでない?そんなわけないじゃないですか!」
数mのテーブル越しに、小玖哉は驚いたように声を上げた。それからまた(見えないが)吐息のような笑みを零した。
「あぁ、そうか、照れてるんですね」
「……は?」
「貴方は僕を何度も何度も助けてくださった。それは、僕が好きだからですよね?大切だからですよね?だから、同一存在になりましょう。僕も貴方も両想いですからね」
意味が分からないし、話が通じない。左京は首を振った。
「何を言ってるんだ?俺はお前のこと知らない!名乗るだけじゃなくて、ちゃんと顔も見せろよ!」
「顔はダメです。完成するまでは───嗚呼、時間がなくなっちゃいますね、早く食べてもらわないと!あ、そのウィンナー、前の鬼で作ったもので、お気に召したのなら焼いたり茹でたりして、また持ってきますから」
「俺は食べないからなっ」
「でも食べないと……起きられませんよ?」
「え……?」
「そうすると、遅刻しちゃいます」
「なに、を……」
衝撃の事実に頭がくらくらする。
───食べないと起きられない?
頭で言葉を理解しても、受け入れ難いものだった。嘘を言っている可能性もなくはないが、一貫して敬意を払うあの態度からは、その可能性をサラサラと砂にしていった。
「次の料理作ってきますからね、食べてくださいね。あ、手伝いは必要ですか?」
「いらない……」
「手伝いは要らないですか、それなら───」
「料理もいらない!俺は食べる気なんてない!早く目を覚まさせてくれよ!」
「照れなくてもいいんです。両想いなのはハッキリしてますからね。それでもまだごねるのなら……やっぱり手伝いは必要ですかね」
テーブルから、畳から、あの黒い手が現れる。ニョロニョロと海草のように揺らめきながら、フォークやスプーンを持ち始めた。
あの鬼の丸焼きの夢を思い出して、その光景にゾッとした。背筋に氷をつぅーっと滑らせたような感覚に、左京は大きく首を振った。
「じっ、自分で食べるからっ」
「それならどうぞ、ごゆっくり……今から食べ始めれば講義とやらに余裕を持って間に合いますよ」
講義の時間さえ把握されているのか。
左京は恐る恐るフォークでジャガイモを刺した。1番怪異から遠そうなものを選んだつもりだったが、このスープの出汁はあの餓者髑髏でとったらしいし、どれも結局は変わらなく思えた。一口だけ、齧ってみた。
美味だ。
あのときの感覚が思い起こされる。
数日間何もしていないような飢えと渇き。
何よりも美味と思えるその味、食感。
気づけばガツガツと貪っていた。ジャガイモのホクホクとした滑らかな舌触りを楽しみながら、玉ねぎを取る。玉ねぎのとろける甘さに思わず笑みが零れた。
これを食べてはいけないと分かっている。
それでも何故か、求めてしまう。
鬼のウィンナーはパリッとして肉汁が溢れて美味しい。ニンジンの甘みはスイーツのようだ。
すっかり全て食べ終えると、左京は次の料理を心待ちにしていた───
───────
目を覚ます。
嫌な夢だった。
嘔吐感は酷くはないが、それでも不快感は喉奥、腹部にじわじわと残っている。一度吐いてしまった方が良さそうだ。
左京はトイレへ行って、指を喉へと突っ込んだ。瞬間、嘔吐感が増幅し、胃液が吐き出された。あんなに大量に食べたのに、胃は空っぽらしい。おぇぇ、と吐きながら、吐き気がある程度まで治まるのを待つ。しばらく吐き続けて、治まったタイミングで洗面所で口をゆすぐ。口の中の不快感がようやく落ち着いたところで時計を見る。8時少し前だ。それから、壁に掛けられたコルク製ボードに目を向ける。そのうちのひとつ、ピンで留められたバスの時刻表。昨日の餓者髑髏の一件で自転車は粉々になった為、しばらくはバス通学となる。時間を確認すると、ここら辺なら少し余裕がある。忘れ物のないよう、しっかりと準備せねば。
朝食を、と考えてみたものの、あの夢の後だ。あまり食べたくはないが、空腹ではある。あの夢で出されたのとはまるで違うものを食べようと、シリアルと牛乳を引っ張り出してきた。食感も味も全く違う。そこに安心感が生まれた。前日の夜に翌日の準備をしておく左京の几帳面さのおかげで、朝支度にはさほど時間はかからなかった。
部屋の鍵をしっかり掛けて、階段を降りていく。バス停はすぐ近くでたぶん今行っても数分は待つことになるだろう。バス停に先客がいた。えんじ色の着流しの男性と、紺と白のワンピースの…………
「な、七緒さんと鈴雪さん!?」
「おぉ、少年。おはよう」
「なんでここに!?」
「昨日あんなことがあったし、夜には老廊会に連れてくから、1日護衛でもしようかと思ってねぇ。親戚のおじさんとでも説明してくれれば大丈夫かなぁ、とね。母親が『心配だから見に行ってっ』って言ってたから~って」
「あ……ありがとうございます。上吉大は普通に図書館を一般開放してたりとオープンなので、たぶん講義に出席したとしても問題ないかと……」
「あ、そうなの?じゃあ、堂々と一緒に登校しようかな。懐かしいな、登校なんて。何十年ぶりだろ?」
「中卒でそのまま祓い屋になって、今年41なんだから……26年ぶりじゃない?」
「あぁ、そうだっけ?」
鈴雪は左京に一瞥もくれずに、七緒にべったりだ。やがてバスが来ると、3人はバスに乗り込んで腰を落ち着けた。2人座席に七緒と鈴雪が、通路を挟んで1人座席に左京が座った。大学バスということもあり、若者がまばらにいるだけだったが、視線は一気に七緒に集中した。それはそうだろう。若者の多いこのバスの利用者の中に、突然四十路のおじ様が乗ってきたのだから。しかし本人は気にする様子もなく、鈴雪とにこやかに話していた。
───────
午前の講義では多少の視線を集めながらも無事終了した。あとは5限だけなのだが……
「どうしますか?5限は16時半からですけど……」
「少年はいつも何やってるの?」
「2限終わったら食堂行って昼食べて……その後は図書館とかで時間潰してますね。今日は友人が6、7限なので1人ですし」
「じゃあ、おじさんもそうしようかな。鈴雪も着いてくるでしょ?」
「ええ、七緒が行くのなら何処へでも」
「じゃあ食堂行きましょうか」
2人を連れて食堂へ向かう。講義室からは少し歩く距離にある。左京と七緒が並び、七緒の後ろに鈴雪がついて行く隊列で歩いていると、ふと、七緒が朗らかに笑ってみせた。
「いやはや、はは、ここは賑やかだねぇ」
「そうですね……?」
賑やかと呼ぶには周囲の声は騒がしくなく、落ち着いた雰囲気だ。首を傾げながら賛同すると、七緒はあぁ、ため息のような声を零した。
「そうか、少年も慣れちゃったのか」
「えっと……何に?」
「怪異……いや、ここでは霊、かな。地縛霊、背後霊、怨み霊のオンパレードだよ」
「あぁ、それですか……慣れたというか、見ないふりしてるだけなんです、怖いから」
「まあねぇ、こんなにいりゃあ、ねぇ」
「えっと……鈴雪さんは妖だから、普通の人にも見えるんでしたっけ?」
「そうそう。霊力を全く持ってない人なんてミキちゃんみたいな特殊な場合くらいしかないからねぇ。だからちゃんと別嬪さんに見えてるよ」
「やぁね、七緒ったら。褒めても氷しか出ないわよ?」
「あはは、凍らせるのは勘弁してほしいよ」
食堂に着くと、各々発券機で券を購入して係の人に手渡して行った。それからそれぞれが受け取ると、1番端の陰りのあるような場所を選んで腰を落ち着けた。
「さて……食事中に申し訳ないけど……例の夢、また見たりした?」
「……はい」
左京のカレーに差したスプーンが止まった。七緒は箸で掬ったかけうどんの麺に吐息を吹きかけながら「詳しく」と続けた。
「昨日の餓者髑髏の出汁を使ったポトフ?と、他にも色々……あ、でも名前分かりました!小玖哉っていうそうです!後で漢字書いてお見せしますね」
「ありがと。他にはなんて?」
「俺とそいつが両想いだとか……顔は完成してから見せるとか……あ、あと、食べ終わらなきゃ夢から覚められないとかって!」
「なるほどね……自分から食べたの?」
「無理矢理食べさせられそうになったので、一口食べたら、なんか、もう空腹で食べたくて仕方ないって感じになって……」
「そっかぁ」
七緒がずるずるとうどんを啜った。続けて左京もカレーを掬って食べた。鈴雪は話などお構い無しにかき氷単品を食べている。しばらく無言の食事が続いたとき、ふと思ったことを左京は問うてみた。
「七緒さんって苗字なんですよね、十家っていう集まりのひとつの」
「そうそう」
「七緒さん以外の七緒家の人って、なんて名乗るんですか?あ、その、名前を教えてほしいんじゃなくて、どう呼ばれるのかなってきになっただけで……」
「ミキちゃんがどうして怪異が見聞き出来ないかの経緯は知ってるかい?」
「はい」
「んじゃ、話しても大丈夫だね。苗字を名乗れるのはその家の当主だけ。それ以外は武蔵ちゃんみたいに偽名を名乗るんだよ」
「じゃあ、三木さんも当主?まだ29なのに、当主ってすごいですね」
「三木のところはね……三木以外全滅したから結果的に三木が当主やってんの」
「……え?」
カチャ、とスプーンを動かす手が止まる。七緒も鈴雪も動かす手は止めない。
「三木の家全滅させた鬼が、三木の名前を奪ったんだよ」
「そんな……」
初めて聞いた事実だ。
彼は、三木は、左京が思っていた以上に苦しんでいたのだろうか。やるせなさと悔恨で胸が張り裂けそうになっていたのだろうか。
俯く左京に、七緒はへらりと笑った。
「三木は気ぃ遣われたり慰められたりってのが嫌みたいでねぇ。昔は何でもかんでも『七緒お兄ちゃん』って頼ってきたのになぁ。おじさん、悲しいよ」
よよよ、と言いながら袖で目元を隠して泣き真似をしてから、舌をペロ、と出してまだ笑った。
「だから変に気ぃ遣わんでやってくれ。慰めなくていい。そんなことなかったように接してやってくれな」
タレ目気味の目尻がさらに緩む。嗚呼、この人は優しい人なんだなぁ、と左京は思う。きっと三木が七緒に対してつっけんどんでいるのは、その気遣い、優しさを察しているから気恥ずかしいのだろう。この人の優しさは人工的でない、自然な温かさがある。だから、昔の三木も彼を慕ったのだろう。
「はい、分かりました」
「よし、いい返事だ。こんなに素直な子なら奢りたかったのにな」
「だから大丈夫ですって。俺だってどうにか自立してるんですから」
「そうかい。若いっていいねぇ」
「若いのがお好みなら、妖人体になりましょうか、七緒さん?」
「い、いやいやいや、それだけぁ、勘弁、頼むよ、これ以上職質されたら手配書書かれそうだよ」
「えっ、職質って……!?鈴雪さんの妖人体ってどんな姿なんですか?」
鈴雪はくすくすと口元を手で隠しながら「内緒よ」と笑ってみせた。どうやら鈴雪は七緒を好いているようだが、同時に振り回してみたい気質があるのだろう。七緒もそれが日常だからか流し方も手慣れた…………ように見える。
「それより、少年。食べ終わったらどこか用事あるかい?」
「あ……いえ、特には……図書館なら七緒さんも鈴雪さんも楽しめるものはあるかと思いますが、どうしますか?」
「気遣いが出来るね、少年。そうだね、図書館にしようか。妖関連の書物はうちの方が濃ゆく蔵書してるだろうからそれ以外だと……」
「図書館は町の図書館に比べると蔵書量は負けてないですよ。まあ、分野によっては町の方を使うこともありますが」
「なるほどねぇ。絵本……は流石にないかなぁ」
「絵本……?あると思いますよ。一般開放されてるので、近所の子供達も来てるときもありますし……絵本読むんですか?」
「そ。意外かい?」
「正直、はい、意外です」
「おじさんがちぃこい頃はね、いつも修行だ鍛錬だでね、遊ぶ暇なんてひと針分の隙もなかったんだよ。だから今更になって幼児退行っての?ああいう子供のものに目がいっちゃうんだよねぇ」
「そうだったんですか……絵本コーナー、案内しますよ。あと、俺が知ってる絵本いくつかオススメしますね」
「ありがとう、少年。さて、あとは鈴雪だが……」
「妖人体になれって言うんでしょう?」
「なってくれるかい?」
「もっとからかい甲斐のあるときがいいのだけれど……仕方ないわね。食べ終わったし御手洗に行ってくるわね。食器片付けておいて。集合場所は……そうね、食堂の入口で」
そう言うと、足早に去って行ってしまう鈴雪。左京は食器を重ねながら七緒に視線を向けた。するとへらりと笑って七緒が応えた。
「ここでぽん、と化け狸化け狐よろしく変化出来んからね。職質とかの件は……まあ、姿見れば分かるさね」
返却口にトレーを押し込むと、何やら食堂入口がザワついているのを聞いた。あぁ、とため息のように声を漏らす七緒を見て、左京はあれが鈴雪関連だと直感した。
足早に入口へ向かうと、主に女子学生がきゃあきゃあと声を上げて歓喜している様子が目に見えた。さらに近づくと、紺と白のワンピースを着た小さな小学生低学年くらいの女の子がいるのに気づいた。ちょうどその子もこちらに気づき、パッと顔を輝かせた。
「おじちゃんっ」
女の子はそう言って七緒の足元に抱きついた。「まさか」と左京が瞠目すると、「そのまさか」と七緒が目を細めて吐息を漏らした。
「え、京君の知り合い?この子可愛いね、親戚の子?」
「左京君って、京君のことだったのね。そちらの方は……親戚?」
女子の質問攻めに、左京は慌てた。会話が苦手なわけでも、女性が苦手なわけでもないが、こうして詰め寄られると話すにも困ってしまうというものだ。設定をどうしようかとぐるぐる思考回路を回転させていると、慣れたかのように七緒が口を開いた。
「悪いね、騒がして。左京は俺の遠い親戚でね、こっち遊びに来たついでに、様子見にこうして大学までついて来ちゃってね。こっちの子はうちの身内の鈴雪。血の繋がりはないんだけど……まあ、養子みたいなもんで」
すらすらと出てくる嘘に、左京はようやく合点した。おそらく妖人体の鈴雪は悪戯好き……というよりからかい好きだから、わざと職質されるように振る舞うのだろう。それで、七緒の『勘弁』の意味がようやく分かった気がした。
「おじちゃん、左京君、早く図書館行こ。おじちゃん、絵本読んで読んで!」
「ほぅら、じゃあおじちゃんが抱っこで連れてってやるからな」
「わーい!」
鈴雪の内面を知ってる左京としては恐ろしい光景なのだが、これに何か言ってしまえば七緒に変な呪いを掛けられるか、鈴雪に凍らされるかのどちらかになりそうだ。「図書館はこっちです」と必死に平然を装って食堂を後にした。
───────
図書館にはやはり子供もいた。その多くは幼稚園児、保育園児など未就学児で、保護者と絵本や幼児向け知育玩具を楽しんでいた。
「鈴雪~、どれ読みたい?」
「恋愛ミステリーものかしら」
「急に大人びたなぁ~」
「あっ、その、これとこれ、俺が小さい頃読んだのです。この青虫のとかも……」
「じゃあ、鈴雪、各々で読もうかおじちゃんはこっちを読むから、鈴雪はそっちを───」
「音読してくれるんでしょ?」
「え」
「おじちゃん、私、おじちゃんが音読してくれなきゃ泣いちゃうよぅ」
「よ~しよし、おじちゃんが何冊でも音読してやろうなぁ」
「お、俺は次の科目に必要な資料読んできてますね」
「時間になったら、早めに来てくれ、早めに」
「はい……ご武運を」
左京は後ろ髪を引かれる思いで資料のある場所へ向かう。どうかご無事で……そう思いながらも無事では済まないのだろうなぁ、と思う。非情である。
資料のある棚を見つけたとき、バサバサと紙が落ちて広がる音と、情けない声が聞こえた。見ると、黒髪で右目に医療用の白い眼帯を付けた青年が大量のルーズリーフを散らばしていた。彼が落としてしまったということは推察するまでもない。左京は近寄ってルーズリーフを一緒に拾う。周囲は特に手伝うでもなく、自分の資料を探したり書籍を手にしたりしている。こういうときは手助けするべきではないのだろうか、と左京は少し憤慨した。それを抑えてルーズリーフを1枚1枚丁寧に拾い上げてまとめていく。順番は違うかも知れないが、向きが揃ってるだけでも後で整理しやすいだろう。
「ご、ごめんなさい、僕……」
「大丈夫ですよ、向きは揃えたけど、順番はバラバラになってるかもしれませんけど……」
「いっ、いえっ、良いんですっ」
全て拾い終えると、青年は猫背気味に立ち上がって何度もお礼を言って去って行った。何とも頼りなさげな足取りだが、どこかで躓いてまた書類を散乱させないだろうか。見守っていると、彼は何もないところで躓いてまた資料をばらまいた。左京は再び駆け寄ってルーズリーフを拾うのを手伝った。
「すみませんっ、すみませんっ」
「大丈夫ですって。一緒に持っていきましょうか?」
「大丈夫ですっ、もう躓かないようにそーっと歩くのでっ」
「そうですか?それならいいんですけど……」
「あの、お、お礼……」
細く頼りない手が差し出され、その中には白い勾玉が入っていた。それをお礼として渡したいらしい。
「いえいえ、お礼なんて。困ったときはお互い様ですよ」
「お願いです、もらってくださいっ」
あまりにも必死な姿に、左京は「ありがとうございます、そういうことならいただきますね」とそれを受け取った。なんだか温かいような冷たいような、不思議な感触のする勾玉だ。顔を上げると既に彼はいなくなっていた。勾玉をポケットに突っ込んで、本来の目的の資料探しに歩みを向けた。
───────
「少年……もっと、早く来てほしかった……」
「ごめんなさい」
「分かるか、中身が成人女性の女児に何度も何度も読み聞かせるいたたまれなさが……」
「ごめんなさい、これでも早めに来た方なんです、ごめんなさい」
「おじちゃん、もっと読んで~」
「勘弁してくれ、鈴雪」
「す、鈴雪……さん、そろそろ行きましょう」
「じゃあ御手洗行ってくるね」
鈴雪が子供らしからぬ、ゆったりとした気品漂う歩みでトイレへと向かっていく。その後ろ姿を見て、とても満足そうだというのが見て取れた。そして同時に七緒の苦労も……七緒に視線を向けず、というか向けられず、「ごめんなさい」と謝ることしか出来なかった。
やがて成人女性の姿の鈴雪が満足そうに笑みを浮かべながら戻ってくる。ほくほくと嬉しそうに七緒の隣に戻ってくると、腕を絡ませて「おじちゃん、ありがと♡」とからかった。
「しょ、少年!早く講義を!講義に行こう!」
「は、はいっ」
左京は目も当てられない2人の関係に目を逸らし、講義室へと歩いて行った。途中、七緒は気づいたように左京に声を掛けた。
「少年、何か守護石持ってないか?気配がする」
「守護石……ですか?」
「妖気や霊力を込めたまじないの石だ。魔よけのような……まぁ、そんなもんなんだけど」
「守護石……石……?あ!さっき手助けした男子学生にもらった勾玉ならありますけど」
ポケットから取り出して七緒に見せると、彼はそれを摘んで多角的に眺めた。それを左京の右手に返すと、ふむ、と顎に手を当てた。
「結構な上物だな。なんでもらった?」
「書類拾う手伝いを2回しただけで……」
「それでこの上物をか?本人がこれの価値も分からずどっかの流れで手に入れたってことかもなぁ……ま、大事に持っとけ」
「はい」
講義室近くまで来ると、目立つからと鈴雪は七緒の腕から自らの腕を解いた。講義室1番後ろの端で講義を受けている間、まっさらなルーズリーフに“小玖哉”の字を書いて七緒に手渡した。様子を見るに心当たりはなさそうだ。あとは講義に集中するだけだ。板書だけでなく、講師の一言一句落とさぬように注意深く傾聴する。視界の端で七緒が困っているのは…………気のせいではないのだろう。
───────
講義を終えてトートバッグに必要なものを詰め込んで、さあ帰るかと思った左京だったが、老廊会のことを思い出した。“小玖哉”と書いた紙は説明用に七緒が懐に入れていた。
「ろ、老廊会ってどこにあるんですか?」
「明来神社の鳥居から行くんだよ。あそこの神主、元が老廊会OBだからねぇ」
「え、あの人そんなすごい人だったんですか!?」
キャンパスを出てバス停で待つ。数分後滑るようにバス停に現れたバスに乗って、“明来神社前”に着くのを待つ。ここからはそうかからない。
「明来神社って、祓い屋界での何かしらのきっかけになってるんですね」
「そうそう。あそこの御神体がすごいからねぇ」
「そうなんですか、そんな尊い神社が近所にあったなんて知らなかったです」
しばらくして『明来神社前』のアナウンスに、左京が降車ボタンを押した。ポーンという音の少し後、すーっとバスが停まった。料金を電子マネーカードで3人分払う。バスが後ろを通過していくのを感じながら、階段上の鳥居を見上げる。遠いのに巨大に見える。段をひとつひとつ上がりながら老廊会について最終確認する。
「老廊会って何人ですか?」
「6人。第何位とかの位はあるけど、おじさん達からしたら皆平等に偉い。名前はその場で説明するし、ミキちゃんや武蔵ちゃんもいるから平気、平気」
「き、緊張します……」
「フォロー入れるから大丈夫。少年、真面目だから失態を犯しそうにないしね」
「これ、危険だから殺しとこうとかにならないですかね!?」
「そういうことはしないと思うよ~……たぶん」
「たぶんって言った!」
「断言しづらいなぁ」
「七緒さんっ」
「そこはまあ……ごめんね、少年」
「そんなぁっ」
やがて鳥居に立つと、「目を瞑って」と七緒は左京を促した。促されるままに目を瞑った左京には状況は分からないが、鈴の音が鳴ったのは分かった。
「許し給え、赦し給え。ここにいる人間と妖、計3名、赦し給え」
七緒の声が緊張したように凛と張る。
それに応える声が続いた。
『許そう、赦そう』
リン、リン、リン、と鈴の音が3回。
「目を開けて」と促されて左京が目を開けると、橙の暖かな灯りを灯す夜道が続いていた。18時にしては暗すぎる。これも浄楽庵のような異空間なのだろう。石灯籠に火が灯り、暖かな光で道を導いてくれている。空には満月。月明かりと石灯籠の火で充分視野に困らなかった。
「着いてきて」
締まった声に導かれて、左京は歩く。足元は石畳。でも砂が擦れるようなジャリ、という音すらない。足音だけの静かな空間。
やがて見えてきた木造の門と壁が見えてきた。門の左右には、屈強そうな男性が2人立っている。二の腕は丸太を思わせる。
そんな男性の1人、右側に立っている方へと七緒が声を掛けた。
「八尾軒派十家、七緒、証人と共に今ここに参った。今宵の議のことは聞いてるだろう?」
「然り。門を開く」
ギィィと重い擦れる音とともに、観音開きに門が動き出す。ドスン、と重い音がして門の動きが止まる。七緒が「行こう」と促して、門へと入っていく。中は日本家屋といった、屋敷の如く平屋建ての荘厳な佇まい。既に玄関に三木と武蔵が立っていた。見知った顔が増えてほっと吐息が零れた。
「既に全員がお待ちだ」
「左京君、リラックスして大丈夫だからね」
「は、はい、ありがとうございます」
玄関を開けると、長い廊下が続いていた。そこを皆が黙して歩く。100m以上続くように見えるそこを抜けると、意匠を凝らした格子扉が重々しく佇んでいた。
七緒はそこの前に立ち、声を上げた。
「七緒、三木、武蔵、証人、以下4名参上致しました入室の許可をいただきたく。お許しいただけますか」
『許可しよう。入れ』
中からのくぐもった声に、七緒は一礼し、引き戸の格子扉をゆっくりと開けた。中を見て、左京は生唾を飲み込んだ。
そこはまるで法廷だった。
扇形よりもやや広い円を描いたテーブルに、それぞれ椅子が置かれ、6人の男女が座っている。円の真ん中がくり抜かれ、円の続きがあるべきところにまるで裁判の証言台のような立ち台が設置されている。
たぶんあの場所に立たされるのだと思うと背筋に鉄筋が入ったようにピンと伸びる。意外にも若い人がいたりと視線をあちこちと向けるのは、定めるべき視点が分からないからである。
「老廊会の皆様にご周知の通り、稀有な例により妖力を得た一般人を連れて参りました。既に三木と私七緒からご説明しておりますが、不明な点などは証人にお聞き下さいますようよろしくお願い致します」
七緒が上から糸で吊るされたようにピンと張った背筋で語ると、小声で「あの立ち台に」と言った。左京は言われたままに証言台に立った。
「京左京、深く息を吸って吐け。祓い屋ではない貴殿にとっては某達はただの老いぼれよ。気を抜くがいい」
厳格さを顔に貼り付けたような老人がそう告げる。それでも肩を上げて硬直する左京を見て、口元の髭から覗く枯れた唇が緩んだ。
「某は第一位、名を宗像。気負いせず、答えよ。その後、夢について分かったことはあるか?こちらには【妖の食事】【妖を再現した料理】【夢での出来事】などしか聞いていない。それ以上何か知っているのなら答えよ」
「あ……あの、そ、その……」
「まあまあ、宗像様、貴方の口調は自然と人を緊張させるものですのよ?」
割って入ったのは黒髪を結い上げた女性だった。年齢は40代後半くらいに見える。彼女のたおやかな口調と言葉選びに、高鳴っていた心臓の音が落ち着いていく。彼女は続けて微笑んだ。
「わたくしは第六位、名前は和泉。どうか聞かせてくださいな。貴方の身に起きたことを。わたくし達がどうにか出来るかもしれません」
彼女の言葉に、左京は深呼吸した。ひとつ、ふたつ、そしてまっすぐ前を見た。正面には第一位……一番偉いという宗像と、老年の女性。
「昨夜も夢を見ました。そのときも妖怪料理を食べました。食べねば目を覚ますことはないと言われ、現実の時間とリンクしているようなことを示唆されました」
「それで……何故お食べになったのかしら?」
「あの料理は、一口でも食べると、食への欲求を著しく高める効果があるようなんです。食べてはいけないと分かっていても、酷い飢えと渇きがその身を襲うんです」
そのときのことを思い出して、拳を握りしめた。あの飢えと渇きに勝てればこんなことにはなっていなかった……いや、結局食べなければ目を覚ますことが出来ないのだから、結局は食べるしかなかったのだろう。
「彼は“小玖哉”と名乗り、俺のことを知っているようでした。ただ、俺自身、彼に心当たりがなくて……でも、何か勘違いしているのか、俺と小玖哉は両想いだから同一存在になる、だとか……そんなことを言ってました」
「両想い?おいおい衆道かよ?」
「不知火、そういうことを言うもんじゃないぞ。あぁ、失敬、儂は加賀美。位は三位。今暴言を吐いたのが第五位の不知火じゃ」
加賀美と名乗った好々爺は、三木と同い年くらいの若い男性を制するように言って頭を下げた。一度荒れかけた場を収めるように、七緒が静かに口を開いた。
「小玖哉の字については後々紙に書いてお配りします。この件に関しては……橘様、どのようにお考えでしょうか」
橘、と呼ばれた男性の方へと左京も視線を向ける。七緒と同い年くらいだが、七緒と違って髭を綺麗に剃っており、黒髪をオールバックにして眼鏡を掛けていた。
「ふむ……興味深いとは思っていたが……ふふ……ふひひひ、中々研究し甲斐がありそうじゃないか。ひとまずどんな祓術が効くか、今宵はうちの研究所で泊まり込みで実験を……ひひひ」
「橘様、彼は大学生、一般人の身。どうか彼の身も案じていただきたく存じます。少年、こちらの方が第四位の橘様だ」
七緒がやんわりと止めているが、左京はワンテンポ遅れてことの次第を理解した。
あの橘という人物は、左京に何かしらの実験を施そうとしたいらしいのだ。それを七緒が止めてくれているのだ。七緒の存在が何より支えとなり、フォローもありがたい。
「実際、証人が知るのはここまでのことでございます。彼に関しては、三木か私七緒が八尾軒様へご報告し、そこから老廊会に情報を伝播していただくこととしたいのですが、よろしいでしょうか?」
まばらだが全員から可決をもらい、左京はほっと息を吐いた。これ以上緊張の糸が張り続ければ切れて、ぶっ倒れてしまいそうだったからだ。七緒に視線を向けると、七緒はウインクしてみせた。しかし、彼はすぐに視線を老廊会のいる方へ向けてしっかりと口にした。
「皆様、それではこれにて今回は失礼させていただきます」
三木と武蔵、七緒に連れられて法廷もとい老廊会会場から出て行く。腰が抜けそうだ。いくら自分にとって偉くはなくとも、ある界隈で偉い人と知れば緊張するものである。
「七緒、三木、武蔵」
後ろからピンと張ったような女性の声。振り返ると、唯一発言も紹介もなかった老年の女性が立っていた。着物の柄は古風であり伝統を感じるものだった。
「八尾軒様」
「八尾軒さん」
「八尾軒のばあさま」
三木、武蔵、七緒の順にそう呼ばれ、八尾軒と呼ばれた女性は、ムッと顔を顰めて七緒の頭を閉じた扇子でピシリと叩いた。
「あいたっ」
「七緒、“様”か“さん”を付けろと言ったろうに」
「いや、でもばあさま───」
ピシッとまた痛そうな音。痛っ、と声が漏れていた。それから扇子を帯に差して、八尾軒が左京に向かい合った。
「京左京……でしたね」
「は、はいっ」
「第二位、八尾軒といいます。大変でしょうけど、どうか無理はせずに。三木も七緒も優秀な祓い屋ですし、武蔵もまだ未熟なところもありますが出来る子です。何かあれば助けてくれるはずです。どうか貴方の行く先に灯りがありますよう」
八尾軒はにこりと微笑んでお辞儀すると、三木と七緒を連れて、彼女は去って行ってしまった。身内に厳しいようだが、優しい人柄が隠しきれていない善人のようだ。最後に緊張の糸を緩ませて温めてくれたようだった。
───────
浄楽庵に戻って、そこの居間で左京は(行儀が悪いと分かっていたが)五体投地で転がっていた。仕方がない、と自分に良いように心の裡で言い訳する。先ほどまでよく分からぬ重鎮達を前に弁じ立てていたのだから、と。
「はい、お茶淹れたよ。左京君、お疲れ様」
武蔵がやって来て緑茶の入った湯のみをちゃぶ台に置く。左京はそこでようやく起き上がって「すみません」と頭を下げた。
三木と七緒はあの法廷のような荘厳な場所に残って八尾軒と話しているらしく、帰りは遅いとのことだ。先に戻った左京と武蔵が、こうしてほっと息をついたところなのである。
武蔵もあの場は慣れないらしく、「疲れたね」と少し疲労を見せる笑みを零した。
「私も老廊会に行くの全然慣れてなくて……左京君は初めての分、余計疲れたよね」
「確かにどっと疲れましたけど、七緒さんがほとんど助けてくれたから……俺は何にも……」
「はは、謙遜しすぎ。あとさ、敬語」
「え?」
「私より歳上なんだし、タメ口でいいよ。私の方が敬語にするべきなんだろうけど、なんか堅苦しいの苦手で」
「今いくつ?」
「19。大学生って言ってたし、私より歳上でしょ?」
「確かに俺20歳だけど……そうだね、歳も近いしタメ口の方が気楽かな」
そのきっかけのおかげか、話が弾んだ。三木との生活の愚痴、三木に憧れて尊敬していること、三木にも実は苦手なものがあるなど……三木の話題ばかり。左京は聞き手にまわりながら、微笑ましく思った。話題が三木のことばかりだ。それだけ彼女にとって三木という存在は大きいのだろう。聞いていて飽きないし、何より楽しそうな彼女を見ていて嬉しかった。
「あらま、お若い2人で楽しそうで。おじさん達はお邪魔かな?」
「あ、おかえりなさい、三木、七緒さん……あれ?鈴雪さんは?」
「疲れたって帰ったよ。おじさんの場合、使役屋と言ってもそればかりに頼ってるわけじゃないからねぇ。疲れたのに帰さないなんて、そんな無粋なことはしないさ」
「そうだったんですか。あ、じゃあ2人の分のお茶も用意しますね」
「ぬるめでね~」
「はーい」
おや、と左京は三木の顔を見た。三木ならば「七緒は帰れ」とでも言って追っ払いそうなものだが。やがて視線に気づいた三木が大きなため息を零した。
「八尾軒様の命令なんだよ。『今日は京左京君を浄楽庵に泊めて、寝ている間は七緒が寝ずに見守れ』ってな」
「えっ、七緒さん、一睡もせずにですか!?」
「そうそう。あのばあさま、人遣い荒くて。使役屋になれるんじゃないの、ありゃあ」
「黙れ、おっさん」
「でも、申し訳ないです……俺が寝てるのに、七緒さんは……」
「むしろ一晩中観察することを謝りたいくらいだよ。観察して、おかしな様子なら祓術だとかで対応して、とにかく実験みたいなことしてるわけだし……」
「それはもう全然!気にしてないので、もし何かあったら、平手打ちしてでも起こしてください!」
「じゃあ、そうさせてもらうね」
2つの湯呑みの乗った盆を持って武蔵が現れた。立ったままだった三木と七緒も腰を下ろし、湯呑みに触れた。既に自分の前に置かれていた湯呑みを持つと、左京は温度を確かめながらおそるおそる口をつけた。唇に触れた温度が思ったよりもぬるく、そのまま一口二口と飲んだ。やはり武蔵の淹れる緑茶は店で出されるような一級品だ。胸がじんわりと温かくなるのは、この緑茶の効果だけではないだろう。
「あ~!おかえりなさ~い!」
「おかえりなさ~い!お土産ある?」
小百合と柚子彦が襖からひょこっと顔を出した。どうやらここ浄楽庵で帰りを待っていてくれたらしい。どこで待っていたのかは知らないが、2人とも顔に煤が付いていた。
「ごめんね、お土産はないの。それにしてもどうしたの、2人とも顔真っ黒にして」
「宝探ししてたの!」
「でもなかったよ!」
「そっか。お風呂入ってきたら?」
「私、ムサシちゃんと入る~!」
「僕はミキちゃんとナオちゃんとさきょーくんと入る~!」
「おぅ、ミキちゃん、柚子彦からご指名だ。ミキちゃんと少年とおじさんと風呂入りたいってさ」
「なんでおっさんと……」
「ま、まあまあ、三木さん、柚子彦君のお願いですし……」
「そうそう。可愛い柚子彦のお願いなら、おじさん、望月屋でお菓子たくさん買ってやるぞ~」
「やったぁ!大福と、苺の大福と、それからそれから……」
「ははは、懐事情も鑑みてくれよぉ」
皆が茶を飲み干す頃、腰を上げ始め、続々と入浴の準備を始めた。三木は左京の着替えを用意し、七緒は七緒部屋と呼ばれる部屋から着替えを取ってきた。武蔵も準備すると、皆で風呂場へと向かった。大家族になった気分で左京は頬を綻ばせた。風呂場は遠いというのに、楽しい時間というのはあっという間で、すぐに到着してしまった。
「じゃ、女子2人は終わったら居間に戻ってるから、男子も待たずに居間にね」
「あいよ。ほら、柚子彦、どこにいるか分かんねぇが行くぞ」
「はーい!」
赤暖簾、青暖簾をそれぞれくぐって脱衣場に入っていく。
赤暖簾をくぐった女子は、並んで衣服を脱ぐ。その最中、小さく「……のね」「……と」と聞こえて武蔵が視線を落とすと、脱衣途中のままの小百合が顔を真っ赤にしながら、口をパクパクとさせていた。
「どうしたの、小百合?」
「あ……あの、ね、えっとね、さきょーくんって……その、あのね、お付き合いしてる人いるのかなぁ……?」
「聞いたことはないなぁ」
「じゃっ、じゃあっ、好きな人は……?」
その質問にピンときた武蔵。ブラジャーとパンツの姿のまま屈みこんで、小百合に視線を合わせた。
「聞いてみないと分からないなぁ。ね、小百合。左京君のこと好き?」
「えっ、えっ、えっ」
慌てた小百合から着物がずれ落ちる。300年以上保ち続けている幼い柔い肌が露わになる。ばっと前を着物の裾で隠して、小百合は小さく頷いた。
「で、でもっ、私、妖だし、こんなちんちくりんで、ムサシちゃんみたいにお胸大きくないし、大人じゃないし……」
「大丈夫!左京君は優しいし、そういう差別はしない人だよ、きっと。もし、その小百合の気持ちが伝わっても断られても、ちゃんと小百合を大切にしてくれるよ」
「……ほんと?」
「ほんと、ほんと!小百合が惚れた人だもん、悪い人じゃないでしょ?」
「うんっ」
小百合がニコッと笑顔を咲かせた。
2人脱衣を終えて風呂場に入っていく。応援しがいがある恋だな、と武蔵は微笑んだ。
一方青暖簾をくぐった一行は既に風呂場で並んで湯を被っていた。
左京に頭を洗ってもらいながら、柚子彦はぽつりと呟いた。
「最近、小百合の様子が変なんだよ……」
「変?どんな風に?」
「今日はさきょーくんの後2人で追いかけて、図書館に行ったし、本屋の雑誌コーナーで大人の女の子が読むようなの読んでた。全部小百合の提案だったんだよ」
「えっ、あのときいたの!?」
「うん。妖人体で」
「何の話してんだ?」
「小百合ちゃんと柚子彦君が俺追いかけて図書館に来てたり、小百合ちゃんが女性雑誌読んでたりしたみたいです。2人とも妖人体で。でもどうしてだろう……?」
「ふっふっふっ、少年分からないのかい?これは恋だよ!」
「何言ってんだおっさん」
「だってそうじゃないか!可愛らしいなぁ、若いなぁ……青春……おじさんにはなかったものだ」
「俺にもなかったよ、んなもん」
「つまり、小百合は少年に恋してるってわけだ」
「考えすぎですよ……あ、柚子彦君、顔、上にしてね」
「はーい」
手際良くリンスを流してやると、後はそれぞれ自分の身体を洗い始めた。その後も湯船に浸かった後も七緒の浮かれた口調で語るのを止めなかった。
左京はそれをそれとなく聞き流しながら想像してみる。
もしその推測が本当だとしたら……断るだろう。見た目が年の離れた妹のような子に、今は恋愛感情を抱いていないし、何より種族が違う。種族が違うという嫌悪というよりは、寿命の差の哀しさを思わずにはいられない。今は彼女に良い印象を持ってはいるが、恋愛感情はない、それに限ってしまうのである。
それに、左京自身、気になっている人がいないわけでもない。
もしも七緒の推測が正しかったとしたら嬉しい分、悲しくもあるな、と湯けむりの中にほぅ、と息を吐いた。
───────
寝床につく。
そもそもここは七緒が浄楽庵に来たときに使う部屋らしい。七緒が座布団にあぐらをかき、その足元で布団を広げてそこに左京が横になる。ブランケットを被って寝る準備をすると、少し声を震わせた。
「あ、あの……よろしくお願いします……」
「緊張しないでいいさね。もし眠っているときに様子がおかしければすぐに対応するから安心しな」
「は、はい……」
「大丈夫。ほら、おやすみ」
優しい声に、左京は「おやすみなさい」と目を瞑る。夢を見ることに、そもそも寝ることに躊躇いや恐怖があったが、それでも今回で終わるかもしれないと思うと心做しか胸がじん、と温かくなる。
灯りが落とされ、左京は静かに深呼吸した。
これも悪い夢だ。
目の前にスープがある。
見たところポトフのようなものだ。
「今日も腕を振るいましたよ」
長い食卓の向こうの人物は、やはり顔を見せずに楽しそうに言ってみせた。やはり声は近くのように聞こえる。
目の前のこの美味しそうな料理も、妖を使った料理なのだろう。
ジャガイモとニンジン、ウィンナー、タマネギ、スープが多めのポトフのようだが、野菜スープと呼ぶには具材が大きく、具がメインのように見えた。
「……今日は何を食べさせようっていうんだ?」
「今日はポトフ風スープです。あの餓者髑髏から出汁を少し取りまして、それから───」
「なんで……なんでこんなことするんだよ!?」
「何度も伝えている通りです。同一存在になりたくて……」
「やめてくれ!俺はそんなこと望んでない!そもそもお前の名前だって知らない!」
「あぁ、名乗ってませんでしたね。僕は小玖哉と言います」
「サクヤ……?」
「小さいで“小”、王へんに久しいで“玖”、善哉の“哉”で、小玖哉です」
「で、それでっ、なんで同一存在になりたいんだよ!?俺は望んでないんだって!」
「望んでない?そんなわけないじゃないですか!」
数mのテーブル越しに、小玖哉は驚いたように声を上げた。それからまた(見えないが)吐息のような笑みを零した。
「あぁ、そうか、照れてるんですね」
「……は?」
「貴方は僕を何度も何度も助けてくださった。それは、僕が好きだからですよね?大切だからですよね?だから、同一存在になりましょう。僕も貴方も両想いですからね」
意味が分からないし、話が通じない。左京は首を振った。
「何を言ってるんだ?俺はお前のこと知らない!名乗るだけじゃなくて、ちゃんと顔も見せろよ!」
「顔はダメです。完成するまでは───嗚呼、時間がなくなっちゃいますね、早く食べてもらわないと!あ、そのウィンナー、前の鬼で作ったもので、お気に召したのなら焼いたり茹でたりして、また持ってきますから」
「俺は食べないからなっ」
「でも食べないと……起きられませんよ?」
「え……?」
「そうすると、遅刻しちゃいます」
「なに、を……」
衝撃の事実に頭がくらくらする。
───食べないと起きられない?
頭で言葉を理解しても、受け入れ難いものだった。嘘を言っている可能性もなくはないが、一貫して敬意を払うあの態度からは、その可能性をサラサラと砂にしていった。
「次の料理作ってきますからね、食べてくださいね。あ、手伝いは必要ですか?」
「いらない……」
「手伝いは要らないですか、それなら───」
「料理もいらない!俺は食べる気なんてない!早く目を覚まさせてくれよ!」
「照れなくてもいいんです。両想いなのはハッキリしてますからね。それでもまだごねるのなら……やっぱり手伝いは必要ですかね」
テーブルから、畳から、あの黒い手が現れる。ニョロニョロと海草のように揺らめきながら、フォークやスプーンを持ち始めた。
あの鬼の丸焼きの夢を思い出して、その光景にゾッとした。背筋に氷をつぅーっと滑らせたような感覚に、左京は大きく首を振った。
「じっ、自分で食べるからっ」
「それならどうぞ、ごゆっくり……今から食べ始めれば講義とやらに余裕を持って間に合いますよ」
講義の時間さえ把握されているのか。
左京は恐る恐るフォークでジャガイモを刺した。1番怪異から遠そうなものを選んだつもりだったが、このスープの出汁はあの餓者髑髏でとったらしいし、どれも結局は変わらなく思えた。一口だけ、齧ってみた。
美味だ。
あのときの感覚が思い起こされる。
数日間何もしていないような飢えと渇き。
何よりも美味と思えるその味、食感。
気づけばガツガツと貪っていた。ジャガイモのホクホクとした滑らかな舌触りを楽しみながら、玉ねぎを取る。玉ねぎのとろける甘さに思わず笑みが零れた。
これを食べてはいけないと分かっている。
それでも何故か、求めてしまう。
鬼のウィンナーはパリッとして肉汁が溢れて美味しい。ニンジンの甘みはスイーツのようだ。
すっかり全て食べ終えると、左京は次の料理を心待ちにしていた───
───────
目を覚ます。
嫌な夢だった。
嘔吐感は酷くはないが、それでも不快感は喉奥、腹部にじわじわと残っている。一度吐いてしまった方が良さそうだ。
左京はトイレへ行って、指を喉へと突っ込んだ。瞬間、嘔吐感が増幅し、胃液が吐き出された。あんなに大量に食べたのに、胃は空っぽらしい。おぇぇ、と吐きながら、吐き気がある程度まで治まるのを待つ。しばらく吐き続けて、治まったタイミングで洗面所で口をゆすぐ。口の中の不快感がようやく落ち着いたところで時計を見る。8時少し前だ。それから、壁に掛けられたコルク製ボードに目を向ける。そのうちのひとつ、ピンで留められたバスの時刻表。昨日の餓者髑髏の一件で自転車は粉々になった為、しばらくはバス通学となる。時間を確認すると、ここら辺なら少し余裕がある。忘れ物のないよう、しっかりと準備せねば。
朝食を、と考えてみたものの、あの夢の後だ。あまり食べたくはないが、空腹ではある。あの夢で出されたのとはまるで違うものを食べようと、シリアルと牛乳を引っ張り出してきた。食感も味も全く違う。そこに安心感が生まれた。前日の夜に翌日の準備をしておく左京の几帳面さのおかげで、朝支度にはさほど時間はかからなかった。
部屋の鍵をしっかり掛けて、階段を降りていく。バス停はすぐ近くでたぶん今行っても数分は待つことになるだろう。バス停に先客がいた。えんじ色の着流しの男性と、紺と白のワンピースの…………
「な、七緒さんと鈴雪さん!?」
「おぉ、少年。おはよう」
「なんでここに!?」
「昨日あんなことがあったし、夜には老廊会に連れてくから、1日護衛でもしようかと思ってねぇ。親戚のおじさんとでも説明してくれれば大丈夫かなぁ、とね。母親が『心配だから見に行ってっ』って言ってたから~って」
「あ……ありがとうございます。上吉大は普通に図書館を一般開放してたりとオープンなので、たぶん講義に出席したとしても問題ないかと……」
「あ、そうなの?じゃあ、堂々と一緒に登校しようかな。懐かしいな、登校なんて。何十年ぶりだろ?」
「中卒でそのまま祓い屋になって、今年41なんだから……26年ぶりじゃない?」
「あぁ、そうだっけ?」
鈴雪は左京に一瞥もくれずに、七緒にべったりだ。やがてバスが来ると、3人はバスに乗り込んで腰を落ち着けた。2人座席に七緒と鈴雪が、通路を挟んで1人座席に左京が座った。大学バスということもあり、若者がまばらにいるだけだったが、視線は一気に七緒に集中した。それはそうだろう。若者の多いこのバスの利用者の中に、突然四十路のおじ様が乗ってきたのだから。しかし本人は気にする様子もなく、鈴雪とにこやかに話していた。
───────
午前の講義では多少の視線を集めながらも無事終了した。あとは5限だけなのだが……
「どうしますか?5限は16時半からですけど……」
「少年はいつも何やってるの?」
「2限終わったら食堂行って昼食べて……その後は図書館とかで時間潰してますね。今日は友人が6、7限なので1人ですし」
「じゃあ、おじさんもそうしようかな。鈴雪も着いてくるでしょ?」
「ええ、七緒が行くのなら何処へでも」
「じゃあ食堂行きましょうか」
2人を連れて食堂へ向かう。講義室からは少し歩く距離にある。左京と七緒が並び、七緒の後ろに鈴雪がついて行く隊列で歩いていると、ふと、七緒が朗らかに笑ってみせた。
「いやはや、はは、ここは賑やかだねぇ」
「そうですね……?」
賑やかと呼ぶには周囲の声は騒がしくなく、落ち着いた雰囲気だ。首を傾げながら賛同すると、七緒はあぁ、ため息のような声を零した。
「そうか、少年も慣れちゃったのか」
「えっと……何に?」
「怪異……いや、ここでは霊、かな。地縛霊、背後霊、怨み霊のオンパレードだよ」
「あぁ、それですか……慣れたというか、見ないふりしてるだけなんです、怖いから」
「まあねぇ、こんなにいりゃあ、ねぇ」
「えっと……鈴雪さんは妖だから、普通の人にも見えるんでしたっけ?」
「そうそう。霊力を全く持ってない人なんてミキちゃんみたいな特殊な場合くらいしかないからねぇ。だからちゃんと別嬪さんに見えてるよ」
「やぁね、七緒ったら。褒めても氷しか出ないわよ?」
「あはは、凍らせるのは勘弁してほしいよ」
食堂に着くと、各々発券機で券を購入して係の人に手渡して行った。それからそれぞれが受け取ると、1番端の陰りのあるような場所を選んで腰を落ち着けた。
「さて……食事中に申し訳ないけど……例の夢、また見たりした?」
「……はい」
左京のカレーに差したスプーンが止まった。七緒は箸で掬ったかけうどんの麺に吐息を吹きかけながら「詳しく」と続けた。
「昨日の餓者髑髏の出汁を使ったポトフ?と、他にも色々……あ、でも名前分かりました!小玖哉っていうそうです!後で漢字書いてお見せしますね」
「ありがと。他にはなんて?」
「俺とそいつが両想いだとか……顔は完成してから見せるとか……あ、あと、食べ終わらなきゃ夢から覚められないとかって!」
「なるほどね……自分から食べたの?」
「無理矢理食べさせられそうになったので、一口食べたら、なんか、もう空腹で食べたくて仕方ないって感じになって……」
「そっかぁ」
七緒がずるずるとうどんを啜った。続けて左京もカレーを掬って食べた。鈴雪は話などお構い無しにかき氷単品を食べている。しばらく無言の食事が続いたとき、ふと思ったことを左京は問うてみた。
「七緒さんって苗字なんですよね、十家っていう集まりのひとつの」
「そうそう」
「七緒さん以外の七緒家の人って、なんて名乗るんですか?あ、その、名前を教えてほしいんじゃなくて、どう呼ばれるのかなってきになっただけで……」
「ミキちゃんがどうして怪異が見聞き出来ないかの経緯は知ってるかい?」
「はい」
「んじゃ、話しても大丈夫だね。苗字を名乗れるのはその家の当主だけ。それ以外は武蔵ちゃんみたいに偽名を名乗るんだよ」
「じゃあ、三木さんも当主?まだ29なのに、当主ってすごいですね」
「三木のところはね……三木以外全滅したから結果的に三木が当主やってんの」
「……え?」
カチャ、とスプーンを動かす手が止まる。七緒も鈴雪も動かす手は止めない。
「三木の家全滅させた鬼が、三木の名前を奪ったんだよ」
「そんな……」
初めて聞いた事実だ。
彼は、三木は、左京が思っていた以上に苦しんでいたのだろうか。やるせなさと悔恨で胸が張り裂けそうになっていたのだろうか。
俯く左京に、七緒はへらりと笑った。
「三木は気ぃ遣われたり慰められたりってのが嫌みたいでねぇ。昔は何でもかんでも『七緒お兄ちゃん』って頼ってきたのになぁ。おじさん、悲しいよ」
よよよ、と言いながら袖で目元を隠して泣き真似をしてから、舌をペロ、と出してまだ笑った。
「だから変に気ぃ遣わんでやってくれ。慰めなくていい。そんなことなかったように接してやってくれな」
タレ目気味の目尻がさらに緩む。嗚呼、この人は優しい人なんだなぁ、と左京は思う。きっと三木が七緒に対してつっけんどんでいるのは、その気遣い、優しさを察しているから気恥ずかしいのだろう。この人の優しさは人工的でない、自然な温かさがある。だから、昔の三木も彼を慕ったのだろう。
「はい、分かりました」
「よし、いい返事だ。こんなに素直な子なら奢りたかったのにな」
「だから大丈夫ですって。俺だってどうにか自立してるんですから」
「そうかい。若いっていいねぇ」
「若いのがお好みなら、妖人体になりましょうか、七緒さん?」
「い、いやいやいや、それだけぁ、勘弁、頼むよ、これ以上職質されたら手配書書かれそうだよ」
「えっ、職質って……!?鈴雪さんの妖人体ってどんな姿なんですか?」
鈴雪はくすくすと口元を手で隠しながら「内緒よ」と笑ってみせた。どうやら鈴雪は七緒を好いているようだが、同時に振り回してみたい気質があるのだろう。七緒もそれが日常だからか流し方も手慣れた…………ように見える。
「それより、少年。食べ終わったらどこか用事あるかい?」
「あ……いえ、特には……図書館なら七緒さんも鈴雪さんも楽しめるものはあるかと思いますが、どうしますか?」
「気遣いが出来るね、少年。そうだね、図書館にしようか。妖関連の書物はうちの方が濃ゆく蔵書してるだろうからそれ以外だと……」
「図書館は町の図書館に比べると蔵書量は負けてないですよ。まあ、分野によっては町の方を使うこともありますが」
「なるほどねぇ。絵本……は流石にないかなぁ」
「絵本……?あると思いますよ。一般開放されてるので、近所の子供達も来てるときもありますし……絵本読むんですか?」
「そ。意外かい?」
「正直、はい、意外です」
「おじさんがちぃこい頃はね、いつも修行だ鍛錬だでね、遊ぶ暇なんてひと針分の隙もなかったんだよ。だから今更になって幼児退行っての?ああいう子供のものに目がいっちゃうんだよねぇ」
「そうだったんですか……絵本コーナー、案内しますよ。あと、俺が知ってる絵本いくつかオススメしますね」
「ありがとう、少年。さて、あとは鈴雪だが……」
「妖人体になれって言うんでしょう?」
「なってくれるかい?」
「もっとからかい甲斐のあるときがいいのだけれど……仕方ないわね。食べ終わったし御手洗に行ってくるわね。食器片付けておいて。集合場所は……そうね、食堂の入口で」
そう言うと、足早に去って行ってしまう鈴雪。左京は食器を重ねながら七緒に視線を向けた。するとへらりと笑って七緒が応えた。
「ここでぽん、と化け狸化け狐よろしく変化出来んからね。職質とかの件は……まあ、姿見れば分かるさね」
返却口にトレーを押し込むと、何やら食堂入口がザワついているのを聞いた。あぁ、とため息のように声を漏らす七緒を見て、左京はあれが鈴雪関連だと直感した。
足早に入口へ向かうと、主に女子学生がきゃあきゃあと声を上げて歓喜している様子が目に見えた。さらに近づくと、紺と白のワンピースを着た小さな小学生低学年くらいの女の子がいるのに気づいた。ちょうどその子もこちらに気づき、パッと顔を輝かせた。
「おじちゃんっ」
女の子はそう言って七緒の足元に抱きついた。「まさか」と左京が瞠目すると、「そのまさか」と七緒が目を細めて吐息を漏らした。
「え、京君の知り合い?この子可愛いね、親戚の子?」
「左京君って、京君のことだったのね。そちらの方は……親戚?」
女子の質問攻めに、左京は慌てた。会話が苦手なわけでも、女性が苦手なわけでもないが、こうして詰め寄られると話すにも困ってしまうというものだ。設定をどうしようかとぐるぐる思考回路を回転させていると、慣れたかのように七緒が口を開いた。
「悪いね、騒がして。左京は俺の遠い親戚でね、こっち遊びに来たついでに、様子見にこうして大学までついて来ちゃってね。こっちの子はうちの身内の鈴雪。血の繋がりはないんだけど……まあ、養子みたいなもんで」
すらすらと出てくる嘘に、左京はようやく合点した。おそらく妖人体の鈴雪は悪戯好き……というよりからかい好きだから、わざと職質されるように振る舞うのだろう。それで、七緒の『勘弁』の意味がようやく分かった気がした。
「おじちゃん、左京君、早く図書館行こ。おじちゃん、絵本読んで読んで!」
「ほぅら、じゃあおじちゃんが抱っこで連れてってやるからな」
「わーい!」
鈴雪の内面を知ってる左京としては恐ろしい光景なのだが、これに何か言ってしまえば七緒に変な呪いを掛けられるか、鈴雪に凍らされるかのどちらかになりそうだ。「図書館はこっちです」と必死に平然を装って食堂を後にした。
───────
図書館にはやはり子供もいた。その多くは幼稚園児、保育園児など未就学児で、保護者と絵本や幼児向け知育玩具を楽しんでいた。
「鈴雪~、どれ読みたい?」
「恋愛ミステリーものかしら」
「急に大人びたなぁ~」
「あっ、その、これとこれ、俺が小さい頃読んだのです。この青虫のとかも……」
「じゃあ、鈴雪、各々で読もうかおじちゃんはこっちを読むから、鈴雪はそっちを───」
「音読してくれるんでしょ?」
「え」
「おじちゃん、私、おじちゃんが音読してくれなきゃ泣いちゃうよぅ」
「よ~しよし、おじちゃんが何冊でも音読してやろうなぁ」
「お、俺は次の科目に必要な資料読んできてますね」
「時間になったら、早めに来てくれ、早めに」
「はい……ご武運を」
左京は後ろ髪を引かれる思いで資料のある場所へ向かう。どうかご無事で……そう思いながらも無事では済まないのだろうなぁ、と思う。非情である。
資料のある棚を見つけたとき、バサバサと紙が落ちて広がる音と、情けない声が聞こえた。見ると、黒髪で右目に医療用の白い眼帯を付けた青年が大量のルーズリーフを散らばしていた。彼が落としてしまったということは推察するまでもない。左京は近寄ってルーズリーフを一緒に拾う。周囲は特に手伝うでもなく、自分の資料を探したり書籍を手にしたりしている。こういうときは手助けするべきではないのだろうか、と左京は少し憤慨した。それを抑えてルーズリーフを1枚1枚丁寧に拾い上げてまとめていく。順番は違うかも知れないが、向きが揃ってるだけでも後で整理しやすいだろう。
「ご、ごめんなさい、僕……」
「大丈夫ですよ、向きは揃えたけど、順番はバラバラになってるかもしれませんけど……」
「いっ、いえっ、良いんですっ」
全て拾い終えると、青年は猫背気味に立ち上がって何度もお礼を言って去って行った。何とも頼りなさげな足取りだが、どこかで躓いてまた書類を散乱させないだろうか。見守っていると、彼は何もないところで躓いてまた資料をばらまいた。左京は再び駆け寄ってルーズリーフを拾うのを手伝った。
「すみませんっ、すみませんっ」
「大丈夫ですって。一緒に持っていきましょうか?」
「大丈夫ですっ、もう躓かないようにそーっと歩くのでっ」
「そうですか?それならいいんですけど……」
「あの、お、お礼……」
細く頼りない手が差し出され、その中には白い勾玉が入っていた。それをお礼として渡したいらしい。
「いえいえ、お礼なんて。困ったときはお互い様ですよ」
「お願いです、もらってくださいっ」
あまりにも必死な姿に、左京は「ありがとうございます、そういうことならいただきますね」とそれを受け取った。なんだか温かいような冷たいような、不思議な感触のする勾玉だ。顔を上げると既に彼はいなくなっていた。勾玉をポケットに突っ込んで、本来の目的の資料探しに歩みを向けた。
───────
「少年……もっと、早く来てほしかった……」
「ごめんなさい」
「分かるか、中身が成人女性の女児に何度も何度も読み聞かせるいたたまれなさが……」
「ごめんなさい、これでも早めに来た方なんです、ごめんなさい」
「おじちゃん、もっと読んで~」
「勘弁してくれ、鈴雪」
「す、鈴雪……さん、そろそろ行きましょう」
「じゃあ御手洗行ってくるね」
鈴雪が子供らしからぬ、ゆったりとした気品漂う歩みでトイレへと向かっていく。その後ろ姿を見て、とても満足そうだというのが見て取れた。そして同時に七緒の苦労も……七緒に視線を向けず、というか向けられず、「ごめんなさい」と謝ることしか出来なかった。
やがて成人女性の姿の鈴雪が満足そうに笑みを浮かべながら戻ってくる。ほくほくと嬉しそうに七緒の隣に戻ってくると、腕を絡ませて「おじちゃん、ありがと♡」とからかった。
「しょ、少年!早く講義を!講義に行こう!」
「は、はいっ」
左京は目も当てられない2人の関係に目を逸らし、講義室へと歩いて行った。途中、七緒は気づいたように左京に声を掛けた。
「少年、何か守護石持ってないか?気配がする」
「守護石……ですか?」
「妖気や霊力を込めたまじないの石だ。魔よけのような……まぁ、そんなもんなんだけど」
「守護石……石……?あ!さっき手助けした男子学生にもらった勾玉ならありますけど」
ポケットから取り出して七緒に見せると、彼はそれを摘んで多角的に眺めた。それを左京の右手に返すと、ふむ、と顎に手を当てた。
「結構な上物だな。なんでもらった?」
「書類拾う手伝いを2回しただけで……」
「それでこの上物をか?本人がこれの価値も分からずどっかの流れで手に入れたってことかもなぁ……ま、大事に持っとけ」
「はい」
講義室近くまで来ると、目立つからと鈴雪は七緒の腕から自らの腕を解いた。講義室1番後ろの端で講義を受けている間、まっさらなルーズリーフに“小玖哉”の字を書いて七緒に手渡した。様子を見るに心当たりはなさそうだ。あとは講義に集中するだけだ。板書だけでなく、講師の一言一句落とさぬように注意深く傾聴する。視界の端で七緒が困っているのは…………気のせいではないのだろう。
───────
講義を終えてトートバッグに必要なものを詰め込んで、さあ帰るかと思った左京だったが、老廊会のことを思い出した。“小玖哉”と書いた紙は説明用に七緒が懐に入れていた。
「ろ、老廊会ってどこにあるんですか?」
「明来神社の鳥居から行くんだよ。あそこの神主、元が老廊会OBだからねぇ」
「え、あの人そんなすごい人だったんですか!?」
キャンパスを出てバス停で待つ。数分後滑るようにバス停に現れたバスに乗って、“明来神社前”に着くのを待つ。ここからはそうかからない。
「明来神社って、祓い屋界での何かしらのきっかけになってるんですね」
「そうそう。あそこの御神体がすごいからねぇ」
「そうなんですか、そんな尊い神社が近所にあったなんて知らなかったです」
しばらくして『明来神社前』のアナウンスに、左京が降車ボタンを押した。ポーンという音の少し後、すーっとバスが停まった。料金を電子マネーカードで3人分払う。バスが後ろを通過していくのを感じながら、階段上の鳥居を見上げる。遠いのに巨大に見える。段をひとつひとつ上がりながら老廊会について最終確認する。
「老廊会って何人ですか?」
「6人。第何位とかの位はあるけど、おじさん達からしたら皆平等に偉い。名前はその場で説明するし、ミキちゃんや武蔵ちゃんもいるから平気、平気」
「き、緊張します……」
「フォロー入れるから大丈夫。少年、真面目だから失態を犯しそうにないしね」
「これ、危険だから殺しとこうとかにならないですかね!?」
「そういうことはしないと思うよ~……たぶん」
「たぶんって言った!」
「断言しづらいなぁ」
「七緒さんっ」
「そこはまあ……ごめんね、少年」
「そんなぁっ」
やがて鳥居に立つと、「目を瞑って」と七緒は左京を促した。促されるままに目を瞑った左京には状況は分からないが、鈴の音が鳴ったのは分かった。
「許し給え、赦し給え。ここにいる人間と妖、計3名、赦し給え」
七緒の声が緊張したように凛と張る。
それに応える声が続いた。
『許そう、赦そう』
リン、リン、リン、と鈴の音が3回。
「目を開けて」と促されて左京が目を開けると、橙の暖かな灯りを灯す夜道が続いていた。18時にしては暗すぎる。これも浄楽庵のような異空間なのだろう。石灯籠に火が灯り、暖かな光で道を導いてくれている。空には満月。月明かりと石灯籠の火で充分視野に困らなかった。
「着いてきて」
締まった声に導かれて、左京は歩く。足元は石畳。でも砂が擦れるようなジャリ、という音すらない。足音だけの静かな空間。
やがて見えてきた木造の門と壁が見えてきた。門の左右には、屈強そうな男性が2人立っている。二の腕は丸太を思わせる。
そんな男性の1人、右側に立っている方へと七緒が声を掛けた。
「八尾軒派十家、七緒、証人と共に今ここに参った。今宵の議のことは聞いてるだろう?」
「然り。門を開く」
ギィィと重い擦れる音とともに、観音開きに門が動き出す。ドスン、と重い音がして門の動きが止まる。七緒が「行こう」と促して、門へと入っていく。中は日本家屋といった、屋敷の如く平屋建ての荘厳な佇まい。既に玄関に三木と武蔵が立っていた。見知った顔が増えてほっと吐息が零れた。
「既に全員がお待ちだ」
「左京君、リラックスして大丈夫だからね」
「は、はい、ありがとうございます」
玄関を開けると、長い廊下が続いていた。そこを皆が黙して歩く。100m以上続くように見えるそこを抜けると、意匠を凝らした格子扉が重々しく佇んでいた。
七緒はそこの前に立ち、声を上げた。
「七緒、三木、武蔵、証人、以下4名参上致しました入室の許可をいただきたく。お許しいただけますか」
『許可しよう。入れ』
中からのくぐもった声に、七緒は一礼し、引き戸の格子扉をゆっくりと開けた。中を見て、左京は生唾を飲み込んだ。
そこはまるで法廷だった。
扇形よりもやや広い円を描いたテーブルに、それぞれ椅子が置かれ、6人の男女が座っている。円の真ん中がくり抜かれ、円の続きがあるべきところにまるで裁判の証言台のような立ち台が設置されている。
たぶんあの場所に立たされるのだと思うと背筋に鉄筋が入ったようにピンと伸びる。意外にも若い人がいたりと視線をあちこちと向けるのは、定めるべき視点が分からないからである。
「老廊会の皆様にご周知の通り、稀有な例により妖力を得た一般人を連れて参りました。既に三木と私七緒からご説明しておりますが、不明な点などは証人にお聞き下さいますようよろしくお願い致します」
七緒が上から糸で吊るされたようにピンと張った背筋で語ると、小声で「あの立ち台に」と言った。左京は言われたままに証言台に立った。
「京左京、深く息を吸って吐け。祓い屋ではない貴殿にとっては某達はただの老いぼれよ。気を抜くがいい」
厳格さを顔に貼り付けたような老人がそう告げる。それでも肩を上げて硬直する左京を見て、口元の髭から覗く枯れた唇が緩んだ。
「某は第一位、名を宗像。気負いせず、答えよ。その後、夢について分かったことはあるか?こちらには【妖の食事】【妖を再現した料理】【夢での出来事】などしか聞いていない。それ以上何か知っているのなら答えよ」
「あ……あの、そ、その……」
「まあまあ、宗像様、貴方の口調は自然と人を緊張させるものですのよ?」
割って入ったのは黒髪を結い上げた女性だった。年齢は40代後半くらいに見える。彼女のたおやかな口調と言葉選びに、高鳴っていた心臓の音が落ち着いていく。彼女は続けて微笑んだ。
「わたくしは第六位、名前は和泉。どうか聞かせてくださいな。貴方の身に起きたことを。わたくし達がどうにか出来るかもしれません」
彼女の言葉に、左京は深呼吸した。ひとつ、ふたつ、そしてまっすぐ前を見た。正面には第一位……一番偉いという宗像と、老年の女性。
「昨夜も夢を見ました。そのときも妖怪料理を食べました。食べねば目を覚ますことはないと言われ、現実の時間とリンクしているようなことを示唆されました」
「それで……何故お食べになったのかしら?」
「あの料理は、一口でも食べると、食への欲求を著しく高める効果があるようなんです。食べてはいけないと分かっていても、酷い飢えと渇きがその身を襲うんです」
そのときのことを思い出して、拳を握りしめた。あの飢えと渇きに勝てればこんなことにはなっていなかった……いや、結局食べなければ目を覚ますことが出来ないのだから、結局は食べるしかなかったのだろう。
「彼は“小玖哉”と名乗り、俺のことを知っているようでした。ただ、俺自身、彼に心当たりがなくて……でも、何か勘違いしているのか、俺と小玖哉は両想いだから同一存在になる、だとか……そんなことを言ってました」
「両想い?おいおい衆道かよ?」
「不知火、そういうことを言うもんじゃないぞ。あぁ、失敬、儂は加賀美。位は三位。今暴言を吐いたのが第五位の不知火じゃ」
加賀美と名乗った好々爺は、三木と同い年くらいの若い男性を制するように言って頭を下げた。一度荒れかけた場を収めるように、七緒が静かに口を開いた。
「小玖哉の字については後々紙に書いてお配りします。この件に関しては……橘様、どのようにお考えでしょうか」
橘、と呼ばれた男性の方へと左京も視線を向ける。七緒と同い年くらいだが、七緒と違って髭を綺麗に剃っており、黒髪をオールバックにして眼鏡を掛けていた。
「ふむ……興味深いとは思っていたが……ふふ……ふひひひ、中々研究し甲斐がありそうじゃないか。ひとまずどんな祓術が効くか、今宵はうちの研究所で泊まり込みで実験を……ひひひ」
「橘様、彼は大学生、一般人の身。どうか彼の身も案じていただきたく存じます。少年、こちらの方が第四位の橘様だ」
七緒がやんわりと止めているが、左京はワンテンポ遅れてことの次第を理解した。
あの橘という人物は、左京に何かしらの実験を施そうとしたいらしいのだ。それを七緒が止めてくれているのだ。七緒の存在が何より支えとなり、フォローもありがたい。
「実際、証人が知るのはここまでのことでございます。彼に関しては、三木か私七緒が八尾軒様へご報告し、そこから老廊会に情報を伝播していただくこととしたいのですが、よろしいでしょうか?」
まばらだが全員から可決をもらい、左京はほっと息を吐いた。これ以上緊張の糸が張り続ければ切れて、ぶっ倒れてしまいそうだったからだ。七緒に視線を向けると、七緒はウインクしてみせた。しかし、彼はすぐに視線を老廊会のいる方へ向けてしっかりと口にした。
「皆様、それではこれにて今回は失礼させていただきます」
三木と武蔵、七緒に連れられて法廷もとい老廊会会場から出て行く。腰が抜けそうだ。いくら自分にとって偉くはなくとも、ある界隈で偉い人と知れば緊張するものである。
「七緒、三木、武蔵」
後ろからピンと張ったような女性の声。振り返ると、唯一発言も紹介もなかった老年の女性が立っていた。着物の柄は古風であり伝統を感じるものだった。
「八尾軒様」
「八尾軒さん」
「八尾軒のばあさま」
三木、武蔵、七緒の順にそう呼ばれ、八尾軒と呼ばれた女性は、ムッと顔を顰めて七緒の頭を閉じた扇子でピシリと叩いた。
「あいたっ」
「七緒、“様”か“さん”を付けろと言ったろうに」
「いや、でもばあさま───」
ピシッとまた痛そうな音。痛っ、と声が漏れていた。それから扇子を帯に差して、八尾軒が左京に向かい合った。
「京左京……でしたね」
「は、はいっ」
「第二位、八尾軒といいます。大変でしょうけど、どうか無理はせずに。三木も七緒も優秀な祓い屋ですし、武蔵もまだ未熟なところもありますが出来る子です。何かあれば助けてくれるはずです。どうか貴方の行く先に灯りがありますよう」
八尾軒はにこりと微笑んでお辞儀すると、三木と七緒を連れて、彼女は去って行ってしまった。身内に厳しいようだが、優しい人柄が隠しきれていない善人のようだ。最後に緊張の糸を緩ませて温めてくれたようだった。
───────
浄楽庵に戻って、そこの居間で左京は(行儀が悪いと分かっていたが)五体投地で転がっていた。仕方がない、と自分に良いように心の裡で言い訳する。先ほどまでよく分からぬ重鎮達を前に弁じ立てていたのだから、と。
「はい、お茶淹れたよ。左京君、お疲れ様」
武蔵がやって来て緑茶の入った湯のみをちゃぶ台に置く。左京はそこでようやく起き上がって「すみません」と頭を下げた。
三木と七緒はあの法廷のような荘厳な場所に残って八尾軒と話しているらしく、帰りは遅いとのことだ。先に戻った左京と武蔵が、こうしてほっと息をついたところなのである。
武蔵もあの場は慣れないらしく、「疲れたね」と少し疲労を見せる笑みを零した。
「私も老廊会に行くの全然慣れてなくて……左京君は初めての分、余計疲れたよね」
「確かにどっと疲れましたけど、七緒さんがほとんど助けてくれたから……俺は何にも……」
「はは、謙遜しすぎ。あとさ、敬語」
「え?」
「私より歳上なんだし、タメ口でいいよ。私の方が敬語にするべきなんだろうけど、なんか堅苦しいの苦手で」
「今いくつ?」
「19。大学生って言ってたし、私より歳上でしょ?」
「確かに俺20歳だけど……そうだね、歳も近いしタメ口の方が気楽かな」
そのきっかけのおかげか、話が弾んだ。三木との生活の愚痴、三木に憧れて尊敬していること、三木にも実は苦手なものがあるなど……三木の話題ばかり。左京は聞き手にまわりながら、微笑ましく思った。話題が三木のことばかりだ。それだけ彼女にとって三木という存在は大きいのだろう。聞いていて飽きないし、何より楽しそうな彼女を見ていて嬉しかった。
「あらま、お若い2人で楽しそうで。おじさん達はお邪魔かな?」
「あ、おかえりなさい、三木、七緒さん……あれ?鈴雪さんは?」
「疲れたって帰ったよ。おじさんの場合、使役屋と言ってもそればかりに頼ってるわけじゃないからねぇ。疲れたのに帰さないなんて、そんな無粋なことはしないさ」
「そうだったんですか。あ、じゃあ2人の分のお茶も用意しますね」
「ぬるめでね~」
「はーい」
おや、と左京は三木の顔を見た。三木ならば「七緒は帰れ」とでも言って追っ払いそうなものだが。やがて視線に気づいた三木が大きなため息を零した。
「八尾軒様の命令なんだよ。『今日は京左京君を浄楽庵に泊めて、寝ている間は七緒が寝ずに見守れ』ってな」
「えっ、七緒さん、一睡もせずにですか!?」
「そうそう。あのばあさま、人遣い荒くて。使役屋になれるんじゃないの、ありゃあ」
「黙れ、おっさん」
「でも、申し訳ないです……俺が寝てるのに、七緒さんは……」
「むしろ一晩中観察することを謝りたいくらいだよ。観察して、おかしな様子なら祓術だとかで対応して、とにかく実験みたいなことしてるわけだし……」
「それはもう全然!気にしてないので、もし何かあったら、平手打ちしてでも起こしてください!」
「じゃあ、そうさせてもらうね」
2つの湯呑みの乗った盆を持って武蔵が現れた。立ったままだった三木と七緒も腰を下ろし、湯呑みに触れた。既に自分の前に置かれていた湯呑みを持つと、左京は温度を確かめながらおそるおそる口をつけた。唇に触れた温度が思ったよりもぬるく、そのまま一口二口と飲んだ。やはり武蔵の淹れる緑茶は店で出されるような一級品だ。胸がじんわりと温かくなるのは、この緑茶の効果だけではないだろう。
「あ~!おかえりなさ~い!」
「おかえりなさ~い!お土産ある?」
小百合と柚子彦が襖からひょこっと顔を出した。どうやらここ浄楽庵で帰りを待っていてくれたらしい。どこで待っていたのかは知らないが、2人とも顔に煤が付いていた。
「ごめんね、お土産はないの。それにしてもどうしたの、2人とも顔真っ黒にして」
「宝探ししてたの!」
「でもなかったよ!」
「そっか。お風呂入ってきたら?」
「私、ムサシちゃんと入る~!」
「僕はミキちゃんとナオちゃんとさきょーくんと入る~!」
「おぅ、ミキちゃん、柚子彦からご指名だ。ミキちゃんと少年とおじさんと風呂入りたいってさ」
「なんでおっさんと……」
「ま、まあまあ、三木さん、柚子彦君のお願いですし……」
「そうそう。可愛い柚子彦のお願いなら、おじさん、望月屋でお菓子たくさん買ってやるぞ~」
「やったぁ!大福と、苺の大福と、それからそれから……」
「ははは、懐事情も鑑みてくれよぉ」
皆が茶を飲み干す頃、腰を上げ始め、続々と入浴の準備を始めた。三木は左京の着替えを用意し、七緒は七緒部屋と呼ばれる部屋から着替えを取ってきた。武蔵も準備すると、皆で風呂場へと向かった。大家族になった気分で左京は頬を綻ばせた。風呂場は遠いというのに、楽しい時間というのはあっという間で、すぐに到着してしまった。
「じゃ、女子2人は終わったら居間に戻ってるから、男子も待たずに居間にね」
「あいよ。ほら、柚子彦、どこにいるか分かんねぇが行くぞ」
「はーい!」
赤暖簾、青暖簾をそれぞれくぐって脱衣場に入っていく。
赤暖簾をくぐった女子は、並んで衣服を脱ぐ。その最中、小さく「……のね」「……と」と聞こえて武蔵が視線を落とすと、脱衣途中のままの小百合が顔を真っ赤にしながら、口をパクパクとさせていた。
「どうしたの、小百合?」
「あ……あの、ね、えっとね、さきょーくんって……その、あのね、お付き合いしてる人いるのかなぁ……?」
「聞いたことはないなぁ」
「じゃっ、じゃあっ、好きな人は……?」
その質問にピンときた武蔵。ブラジャーとパンツの姿のまま屈みこんで、小百合に視線を合わせた。
「聞いてみないと分からないなぁ。ね、小百合。左京君のこと好き?」
「えっ、えっ、えっ」
慌てた小百合から着物がずれ落ちる。300年以上保ち続けている幼い柔い肌が露わになる。ばっと前を着物の裾で隠して、小百合は小さく頷いた。
「で、でもっ、私、妖だし、こんなちんちくりんで、ムサシちゃんみたいにお胸大きくないし、大人じゃないし……」
「大丈夫!左京君は優しいし、そういう差別はしない人だよ、きっと。もし、その小百合の気持ちが伝わっても断られても、ちゃんと小百合を大切にしてくれるよ」
「……ほんと?」
「ほんと、ほんと!小百合が惚れた人だもん、悪い人じゃないでしょ?」
「うんっ」
小百合がニコッと笑顔を咲かせた。
2人脱衣を終えて風呂場に入っていく。応援しがいがある恋だな、と武蔵は微笑んだ。
一方青暖簾をくぐった一行は既に風呂場で並んで湯を被っていた。
左京に頭を洗ってもらいながら、柚子彦はぽつりと呟いた。
「最近、小百合の様子が変なんだよ……」
「変?どんな風に?」
「今日はさきょーくんの後2人で追いかけて、図書館に行ったし、本屋の雑誌コーナーで大人の女の子が読むようなの読んでた。全部小百合の提案だったんだよ」
「えっ、あのときいたの!?」
「うん。妖人体で」
「何の話してんだ?」
「小百合ちゃんと柚子彦君が俺追いかけて図書館に来てたり、小百合ちゃんが女性雑誌読んでたりしたみたいです。2人とも妖人体で。でもどうしてだろう……?」
「ふっふっふっ、少年分からないのかい?これは恋だよ!」
「何言ってんだおっさん」
「だってそうじゃないか!可愛らしいなぁ、若いなぁ……青春……おじさんにはなかったものだ」
「俺にもなかったよ、んなもん」
「つまり、小百合は少年に恋してるってわけだ」
「考えすぎですよ……あ、柚子彦君、顔、上にしてね」
「はーい」
手際良くリンスを流してやると、後はそれぞれ自分の身体を洗い始めた。その後も湯船に浸かった後も七緒の浮かれた口調で語るのを止めなかった。
左京はそれをそれとなく聞き流しながら想像してみる。
もしその推測が本当だとしたら……断るだろう。見た目が年の離れた妹のような子に、今は恋愛感情を抱いていないし、何より種族が違う。種族が違うという嫌悪というよりは、寿命の差の哀しさを思わずにはいられない。今は彼女に良い印象を持ってはいるが、恋愛感情はない、それに限ってしまうのである。
それに、左京自身、気になっている人がいないわけでもない。
もしも七緒の推測が正しかったとしたら嬉しい分、悲しくもあるな、と湯けむりの中にほぅ、と息を吐いた。
───────
寝床につく。
そもそもここは七緒が浄楽庵に来たときに使う部屋らしい。七緒が座布団にあぐらをかき、その足元で布団を広げてそこに左京が横になる。ブランケットを被って寝る準備をすると、少し声を震わせた。
「あ、あの……よろしくお願いします……」
「緊張しないでいいさね。もし眠っているときに様子がおかしければすぐに対応するから安心しな」
「は、はい……」
「大丈夫。ほら、おやすみ」
優しい声に、左京は「おやすみなさい」と目を瞑る。夢を見ることに、そもそも寝ることに躊躇いや恐怖があったが、それでも今回で終わるかもしれないと思うと心做しか胸がじん、と温かくなる。
灯りが落とされ、左京は静かに深呼吸した。
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