蠱毒の贄は夢を見る

庭坂なお

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9話

「おはよう、武蔵さん」
「あ、おはよう……あの、その……大丈夫……?」
「……うん、大丈夫。心配かけてごめんね」
「ううん、そんな、全然……」

重い沈黙がのしかかる。大丈夫なわけではない。今だって泣き叫びたいし、小玖哉に会ったら殺してやりたいとさえ思う。ただ、これ以上心配をかけたくなかった。それを察しているからか、武蔵の言葉ひとつひとつが感情の乗った重いものとなる。武蔵は朝食の並んだちゃぶ台の傍らに座ったまま、左京は襖の前で立ったまま、口を噤む。

「おい、突っ立ってんな」

声に左京が振り返れば、三木が欠伸ひとつしていた。左京が居間に入って入口を譲ると、三木はちゃぶ台のいつもの場所に腰掛けて、予め用意してあった新聞紙を手に取った。

「おはようございます、三木さん」
「おう、おはよう」
「心配をおかけしました」
「気にすんな。身体の方は大丈夫か」
「あ、はい。身体の方は何ともなく……」
「ならいい」

無愛想な言葉遣いだが、あえて精神面に触れない優しさがあった。左京はその優しさと、友人を失くした悲しさで涙が出そうになりつつ、それを必死に抑えた。ここで涙を流しては、また心配をかけてしまう。
左京は三木の隣に腰掛けると、並んだ朝食を見る。サラダ、パン、コーンスープにスクランブルエッグ。ウインナーも焼いてある。個別のおかずがそれぞれ7つ。七緒と鈴雪もここに泊まったのだろう。

「おはよー!」
「おはよぉ……ふわぁ……」

小百合が元気よく、柚子彦は欠伸混じりに挨拶する。左京達も「おはよう」と返すと、2人が笑った。小百合と柚子彦は左京の背中や肩に飛びついてのしかかりながら口をとがらせた。

「さきょーくん、なんで先に行っちゃったの?」
「そーだよ。寂しいよぅ」
「ごめんね。2人ともぐっすり寝てたから、起こすのは忍びなくて」
「怖い夢見なかった?」
「さきょーくん、大丈夫?」
「……うん、大丈夫。2人が一緒に寝ててくれたからかな」
「よかったぁ!」
「今日も一緒に寝るね!」
「うん、ありがとう」
「京、無理すんな」
「いえ、大丈夫ですよ」
「……そうか。武蔵、七緒はまだ起きてこないのか?」
「起こしてくるね」
「頼んだ」

武蔵が部屋を出ると、再び沈黙が訪れた。しかしそれは先程のような重いものではなく、日常的な温かさがあった。小百合と柚子彦はどこから取り出したのか、あやとりを始めていた。ぺら、ぺら、と新聞を捲る音がゆっくりと流れていく。ここだけ時間の流れに置いていかれたかのように、ゆっくりとした空気があった。温かでゆっくりで……この空間は、左京の悲しみの傷に優しく寄り添ってくれているような気がした。

やがて七緒と鈴雪が武蔵に連れられて居間に現れた。七緒の寝癖はクセが強く、左京は思わず吹き出してしまった。

「そんなにおかしいかなぁ」
「おかしいですよ……ふふっ」
「いつもよりはマシなんだけど」
「えっ、これより酷いんですか、いつも」

皆が腰を落ち着けると、小百合と柚子彦もあやとりをやめて手を合わせた。「いただきます」の声の後、箸がそれぞれに動く。左京は和風ドレッシングをかけたサラダを摘む。レタスのシャキシャキとした歯ごたえが心地よい。次いで食べたトマトも甘みがあって美味しい。

「今日は大学あるのか?」
「今日は講義がひとつと図書館を利用する予定です」
「そうか。今日は俺が護衛する」
「えっ、三木さんがですか?」
「嫌か?」
「いえ、そういうわけじゃなくて……ほら、前に護衛したって意味無い、みたいなこと言ってたじゃないですか。『見えない聞こえない祓い屋より、見えて聞こえる素人』とかなんとか……」
「小玖哉って奴を俺でも見えたし聞こえたからな、俺が出払っても対処出来そうだ。それに日中なら妖も霊も積極的には動かない。まあ、武蔵がいれば安心だろうが、武蔵をここから離すわけにもいかない」
「そうだよね、私がここにいないと、お客さん来たとき困るもんね」
「それなら三木さん、よろしくお願いします」
「おう」

三木が緑茶を啜る。倣って左京もオレンジジュースを飲んだ。甘酸っぱい爽やかな味わい。あの、夢の中とは違う───

「……ぅ」
「左京君?」
「……ごめ……ん、大丈夫、だと、思った……けど……っ」

涙が溢れてきて止まらなかった。思い出さないようにしていたのに。翔太郎のことを忘れたくないけど、必死で脳の片隅に追いやろうとしていたのに。けれど涙も感情も止まることを知らず、ぼろぼろと溢れては零れていく。

「ごべんなざい……っ、こんな、こんな……っ」
「泣いてていい。思う存分泣け。今のお前の涙を止めようとする奴なんざいないさ」
「う……うぅ、あぁぁ……っ」

左京は袖で何度も目を擦る。拭ったそばからまた溢れ出る涙。その涙は正しいのだろう。大切な親友を亡くし、目の前でその親友が食われていく様を目の当たりにし、それを悲しまずに怒らずにどうしていられようか。左京の涙を止めようとする者は誰一人としていなかった。










───────



「すみませんでした……」
「気にしないで。泣かない方が無理だよ」

台所へ向かう廊下で、それぞれ食器を盆に乗せた武蔵と左京が並んで歩いていた。あれからしばらくしてようやく落ち着き、食事が終わった。自分のせいで哀しい食卓となってしまったことを悔いていたが、三木も七緒も「気にするな」という旨のことを言ってくれた。食器の片付けを手伝うと言ったのは、左京の善意が全てではなく、いたたまれなさもあったからだった。
台所へ着くと、シンクの中に食器を入れたり、使わなかった食器を片付けたりした。あとは洗っておくという武蔵の言葉に甘えて、左京は洗面所へ向かう。

「おや、少年。洗面所かい?」
「あ……七緒さん。はい、そうです」
「これ、三木から預かっててね。ほら、歯ブラシ無いだろう?あと、歯磨き粉は好きなの使っていいから」
「ありがとうございます」

パッケージに入った歯ブラシを受け取り、2人並んで洗面所へ向かう。ギ、ギ、と廊下の床板が軋む音だけがついてくる。何か話した方がいいか、などと考えているうちに洗面所へ着いた。2人並んで歯を磨く。磨き終えて顔を洗い、顔を上げると、ひどい顔をした自分がいて、左京は思わず笑ってしまった。

「ひどい顔」
「そうかい?少年の顔は整ってると思うけどなぁ」
「そうですか?ありがとうございます。じゃなくて。泣き顔っていうんですかね、目が腫れてて……」
「泣き顔にひどいも何もないよ。泣き顔は素直に感情を吐き出せてるいい顔だ」
「泣き顔がいい顔だなんて、七緒さんもしかして結構いい性格してます?」
「あはは、どうだろうねぇ」

七緒は朗らかに笑うと、寝癖を直して、すたすたと洗面所を出て行ってしまった。もう一度、鏡を見る。ひどい顔だ。これがいい顔とは到底思えない。しかし、それでも、『泣き顔は素直に感情を吐き出せてるいい顔』という言葉に安心している自分もいた。泣いてもいい、と言われているようで、許された気がした。

居間に戻ると、三木が札を数えていた。七緒と鈴雪、小百合、柚子彦は折り紙を楽しんでいる。三木の持つ札は白紙に墨字で草書体のような流れで書かれている。手のひらサイズの縦長の和紙札が、合計で10枚ほどだ。札を懐にしまい、何冊かの本をメンズのショルダーバッグにしまうと、三木が顔を上げた。

「着替え終わったか?」
「はい。その札って……」
「流石に俺の札を何枚も使うわけにもいかないからな。俺のは2枚だけで、他のは武蔵の札だ」
「色々とすみません」
「気にすんな。そろそろ行くか?」
「はい。お願いします」
「七緒、鈴雪、あと……小百合と柚子彦もいるか?留守番と武蔵を頼むぞ」
「はいよ。ミキちゃんのことよろしくね、少年」
「逆です、七緒さん。俺が三木さんによろしくお願いするんです」
「気をつけて行ってきてね!」
「いってらっしゃーい!」

「うん、行ってきます」











───────



大学に着くと、視線が集まるのを感じた。
特に女性の視線が、主に三木に向かうのを。
三木が周囲の目を引くのは、背が高いというのがあるのだろう。左京が178cmなのだが、それよりもっと大きい。190cm近くあるのではなかろうか。体格は着物に隠れていて、見た目には逞しさはない。加えて顔立ちが精悍で整っているから、モデルのように見えるのかもしれない。確かに、三木は同性の左京から見てもかっこいいと思う。背も高くて筋肉質ではあるが細身で、強い。かっこいいと思わないはずがない。三木は無愛想であるが、それも含めて女性から見たら『寡黙で男らしくて素敵』になるのかもしれない。

講義室に入ると最後列の席に腰掛け、ルーズリーフを広げた。隣では三木がショルダーバッグから文庫本サイズの厚い本を取り出すと、それを読み始めていた。

「何読んでるんですか?」
「妖に関する本」
「難しそうですね」
「んなこたねぇよ。あぁ、余裕あったら、今日見た夢のこと紙に書いて見せてくれ」
「はい」

やがて講義が始まる。講師の話を傾聴しながら、板書も怠らない。講師の癖のある字を話から推理しながら書き写していく。黒板の、所々解読不能な文字が、ルーズリーフでは綺麗な字で整然と並んでいく。しばらくすると講師の話が実体験による項目説明をし始めた。この講師はこうなると長い。左京はまだ何も書いていないまっさらなルーズリーフに、今日見た夢のことを箇条書きしていく。
どんな料理を食べたか。
量はどれくらいか。
他に誰かいたか。
小玖哉はどんなことを話していたか。
エトセトラ、エトセトラ……
覚えている限りで仔細に書き連ねていく。ルーズリーフの3分の2が埋まったところで書くことに詰まったので、そのルーズリーフをボールペンとともに三木の方へ押しやる。三木は本に栞を挟んで、それを手に取った。
講師の話はまだ脱線している。何か書くことはあるかと少し気をつけて聞いてみる。
三木が何かを書いているのが、視界の端に映った。ルーズリーフがこちらへ押しやられ、左京はそれを手に取った。左京が書いた箇条の横に、綺麗な字で質問がいくつか書かれていた。それに思い出せる限りで答えて再びルーズリーフを押しやった。三木はそれを読むと、持ってきた本を再び開いた。何かを調べてくれているのだろうか。
講師の話が授業内容に戻る。左京は黒と赤、青のペンを使い分けながら、板書を再開した。











───────



図書館を利用した理由である調べ物が終わった。あとは資料を片付けるだけだ。視界には入っていないが、三木は近くにいてくれるようだし、今日は何事もなく浄楽庵に戻れそうだ。左京が気を張らぬよう、視界に入らないことを意識して行動してくれているのだと思うと、本当に感謝しかない。
資料を片付けていると、近くでバサッと何かが広がる音がした。そちらの方へ首を覗かせると、右目に眼帯を付けた青年が紙を落としていた。デジャヴを感じる。記憶の糸を手繰り寄せてみる。

「あ、あのときの……?」

七緒に護衛してもらったとき、資料を拾ったお礼に勾玉をくれた青年だ。また紙を落として散らかしているところを見ると、彼にとっては日常茶飯事なのかもしれない。左京は駆け寄って散らばった紙を拾う。

「あ……っ、すみません、すみませんっ」
「大丈夫ですよ。気にしないでください」

以前と同じように拾いながら向きを揃えてまとめていく。ふと視界を少し上げて、違和感を感じた。なんだろう、と手を止めてまじまじと彼を見つめる。俯き気味で顔に影が差している。違和感の正体を探っていると、顔を上げた青年とバチッと視線がかち合った。どことなく、以前と違う顔をしている気がした。そのはずなのに、どこか安心感を生む顔かたちだ。

「あの、何か……?」
「い、いや、なんでもないです……あ、これ、どうぞ。とりあえず向きだけは揃えました」
「あっ、ありがとうございます」

青年は立ち上がると、ぺこぺこと何度も頭を下げて礼を言い、去っていった。後ろ姿もどこか頼りなくて、また紙を散らばしてしまうのではないかとヒヤヒヤする。やがて彼が視界からいなくなると、左京は資料の片付けを再開した。ほとんどの片付け場所が近い棚にまとまっていたおかげで、片付けは早く済んだ。キョロキョロと周りを見回して三木を探す。近くの棚の角や後ろを探しても見当たらない。心配になって「三木さん……?」と呟いてみると、探したのとは別方向の棚の影から三木が現れた。

「どうした?」
「あ、そろそろ帰ろうと思って……三木さん隠れるの上手いですね」
「図体デカいのに隠れるのが上手いもなにもないだろ」
「でも見つかりませんでした」
「それはお前が見つけられなかっただけだろ」

三木の言葉に「そうですね」と応えながら、2人並んで図書館の出入口へと向かう。奥の方の棚を利用していたので、出入口まで遠い。その道のりの中でも霊を何度か目撃する。特に何かをしてくるわけでもないので、三木には報告せず、黙って歩く。霊の視線は感じるが何もしてこないのは、日中だからか、はたまた三木がいるからか……どちらにしろ有難かった。

「そういえば、さっきの、一緒に紙拾ってた奴だが」
「あぁ、彼が守護石をくれた人です」
「そうだったのか。親戚か何かか?」
「親戚?いえ、違いますよ。どうしてですか?」
「いや、どことなくお前に似てた気がしたから……俺の気のせいか」
「俺に、似てた……?」

眼帯に目を惹かれて気づかなかったが、そう言われてみれば目元は似ていた気がする。妙な安心感も、自分と似た顔立ちだからと言われれば説明がつく。しかし、自分と瓜二つというわけでもないので、他人の空似というやつだろう。

「あっ、京君!」
「……?あぁ、佐藤さん」

呼び止められて振り向くと、同じ教育学部の佐藤春子が駆け寄ってきた。手には何やら紙を持っている。春子は肩で息をしながら紙を差し出してきた。受け取ってみると、サークルの案内状だった。オカルト研究サークルのようだ。

「なにこれ?」
「京君にそのサークルに入ってほしくて……サークルの人数少なくて解散の危機なの」
「なんで俺?」
「サークルのメンバーが、京君なら助けてくれるだろうって言ってて……この前だって迷子の子供の面倒見てたし、荷物を持ったおばあさんを手伝って遅刻してきたときあったでしょ?そんな京君なら、私達のサークルの危機も救ってくれるんじゃないかなって……」
「京、行くぞ」
「えっ、あ、三木さん、待ってください!……佐藤さん、ごめん、応えられないや」
「そっかぁ……残念だけど仕方ないね。ごめんね、ありがとう」

残念そうに顔を曇らせる春子に胸が痛みながらも、慌てて三木を追う。追いつくと、左京がなにか言おうとする前に三木が口を開いた。

「俺がいなかったら断らなかっただろ」
「え……あぁ、そう、ですね……だって解散の危機ですし……」
「お前のお人好しな性格を利用されてんの気づけ、馬鹿。なんでもかんでも『はい』か『イエス』で答えてると、後々自分の首絞めかねないだろ」
「うぅ……仰る通りです……気をつけます……」
「迷子の子供に荷物持った婆さんって……お前どんだけ典型的な善人なんだよ。他にも助けてそうだな」
「泣いてる見知らぬ女性を慰めたこともありますね、あはは……」
「漫画か何かの登場人物みたいだな」

三木が苦笑する。善人と言われることに疑問はないが、改めてそう言われるとこそばゆいものを感じる。思い返してみれば、確かに他人の人生に優しさを以て干渉することは多かったかもしれない。イエスマンになってしまうのも考えれば困りものでもあるし、これからの身の振り方を考えなければいけない気がした。

「このバスが明来神社行きか?」
「はい。あ、三木さんのバス代も払わせてください。いつも世話になりっぱなしなので」
「じゃあその言葉に甘える」
「はい」

既にロータリーに停まっていたバスに乗り込む。やがてドアが閉まり徐ろに発進する。不規則な揺れに身を委ねながら、オカルト研究サークルを思い出す。あのサークルは無くなってしまうのだろうか。自分には関係ないし、今日初めて知ったサークルだったが、無くなってしまうのは寂しいと感じた。





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