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算用と現状
その一
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北海道では九月に入ると一気に秋めいてくる。そんな中小野坂の妻夢子は臨月を迎え、出産に向け空気がにわかに慌ただしくなってきた。間もなく産まれる初孫見たさに、彼女の実母美乃と姑江里子が仲良く箱館にやって来てサポート役を買って出た。
「別に来なくていいのに、お義母さままで巻き込んで」
実母相手に毒吐きながらも母二人の手助けはありがたくもあり、実家の空気感に多少近付く安心感に甘えている。ただ夫は変わらず仕事に出向けている状態なので、二人きりの生活を夢見ていた彼女の思惑とは外れていた。
妊娠を肥満と勘違いして必死にダイエットを試みていたことで、分かった時点で既に妊娠五カ月を過ぎていた。そのため準備も急ピッチで進めざるを得なくなったが、経過は至って順調で身体的には安定している。しかし子供を宿した喜びよりも、体型の崩れや子供中心の生活を強いられることへの不安の方が大きかった。
これまでダイエットなどほとんど気にすることなくスレンダーボディを保てており、比較的器量も良いので男性にちやほやされるタイプであった。それもあってか誰かに愛されている状況が当たり前となっており、十代の頃から当時恋人であった小野坂に内緒で複数の男友達を常にストックしていた。彼と都合がつかない時はその中の誰かと会い、時には肉体関係も持っていた。
その後実父の借金返済のため水商売の世界に身を投じたが、案外性に合っていてそれなりの人気キャバ嬢になっていた。セックスしたら金が入ると枕営業も積極的にこなし、一日で二人以上の男性と関係を持つこともザラにあった。
一度は企業経営者小宮山に見初められて結婚もし、金に困らない優雅な生活を送っていた。元夫に愛情を向けられていた時期も平然と不倫を重ね、既婚者となったところでシモのだらしなさを改めることは無かった。
そのくせ離れていた十年間小野坂への未練はずっと抱えたままで、実父の借金さえ片が付けばさっさと小宮山を捨てる用意は常にしていた。表向きは元夫の不倫が離婚原因となっているが、夢子の不倫癖に成す術を失った小宮山が現妻の優しさと深い愛情に支えられた結果に過ぎなかった。
そのタイミングを伺った彼女は箱館に飛んで小野坂と再会し、思惑が合致して二人はよりを戻した。小宮山の不倫をかさに離婚を切り出し、自身のふしだらが明るみに出る前に全てを捨てる形で愛に走った。
ところがいざそれが現実となるとこれまでと全くかけ離れた質素な生活を余儀なくされ、夫は毎日のように仕事で家を空けている。実業家夫人のような生活ができないことは分かっていたが、金銭的余裕の無い現状に不満が無いとは言い切れなかった。
もう二度と愛する小野坂を裏切るようなことはしない……そう誓って人生をやり直すつもりだったが、裸一貫でやって来た北海道は予想以上に過酷に感じられた。彼女が移住した十月で既に真冬のような寒さとなり、写真やテレビで観た観光地的優雅さは微塵も感じられなかった。
転居してからも東京とは勝手が違ってあたふたする場面が何度もあった。最初の頃は物珍しさと小野坂の助けで慌てる事態もどうにか乗り越えられたが、仕事が決まって働くようになってから人間関係の構築に苦心して歯車が狂い始めた。
同じ『DAIGO』に籍を置いている川瀬とはこの時期から徐々に親しくなっていた。彼のとりなしで野上とのパイプができ、昼営業のスタッフとは対話もできるようになっていった。
ところが『DAIGO』のスタッフ間では川瀬の評判が芳しくない。一年後輩とはいえチーフスタッフである野上への高圧的な態度、頻繁に行われる後輩スタッフいじめなどといった悪評ばかりが耳に入る状態であった。
『私は川瀬さんの優しいところしか存じ上げませんわ』
夢子は彼の優しさを信じ、噂話に過ぎないと聞き流していた。しかしそれが災いして彼女たちは夢子と距離を取り始め、移民である彼女にとって想像以上の打撃となった。仕事上は協力的で嫌がらせ等はしてこないが、川瀬との仲を疑うスタッフも現れ始めて白い目を向けられることが増えている。
産休直前、盆踊り大会の密会を目撃されたという理由で野上から川瀬との仲を注意されてしまった。社内恋愛法度である以上チーフとしては当然の注意なのだが、現時点で疾しいことが無いためうがった視線に苛々させられる。
『大会放っぽらさって何してんだか』
『夕方まで最下位したからね、プライドが許さんで逃げらさったんでないかい?』
『他人に厳しく自分に甘いとか最低だよね』
『こんことご主人ご存知なんだべか?』
『知らない可能性あんべ。したってさ、当日会場におらさったんだからさ』
『わちご主人が一人でポモドーロ作らさってるん見たべ』
『ひょっとして不倫?』
『やめてけれ、あったら性悪とかい?』
『けどささ、あん男調布さんにだけは気持ち悪いくらいに優しくしてるべ』
『調布さんどう思ってるか分からんしたってさ、あん男は確実に惚れてんべ』
『きっも~』
しばらくはこの視線に晒されなくていいのだが、その気持ちを持ち込んだまま出産へのカウントダウンを迎えていた。
「別に来なくていいのに、お義母さままで巻き込んで」
実母相手に毒吐きながらも母二人の手助けはありがたくもあり、実家の空気感に多少近付く安心感に甘えている。ただ夫は変わらず仕事に出向けている状態なので、二人きりの生活を夢見ていた彼女の思惑とは外れていた。
妊娠を肥満と勘違いして必死にダイエットを試みていたことで、分かった時点で既に妊娠五カ月を過ぎていた。そのため準備も急ピッチで進めざるを得なくなったが、経過は至って順調で身体的には安定している。しかし子供を宿した喜びよりも、体型の崩れや子供中心の生活を強いられることへの不安の方が大きかった。
これまでダイエットなどほとんど気にすることなくスレンダーボディを保てており、比較的器量も良いので男性にちやほやされるタイプであった。それもあってか誰かに愛されている状況が当たり前となっており、十代の頃から当時恋人であった小野坂に内緒で複数の男友達を常にストックしていた。彼と都合がつかない時はその中の誰かと会い、時には肉体関係も持っていた。
その後実父の借金返済のため水商売の世界に身を投じたが、案外性に合っていてそれなりの人気キャバ嬢になっていた。セックスしたら金が入ると枕営業も積極的にこなし、一日で二人以上の男性と関係を持つこともザラにあった。
一度は企業経営者小宮山に見初められて結婚もし、金に困らない優雅な生活を送っていた。元夫に愛情を向けられていた時期も平然と不倫を重ね、既婚者となったところでシモのだらしなさを改めることは無かった。
そのくせ離れていた十年間小野坂への未練はずっと抱えたままで、実父の借金さえ片が付けばさっさと小宮山を捨てる用意は常にしていた。表向きは元夫の不倫が離婚原因となっているが、夢子の不倫癖に成す術を失った小宮山が現妻の優しさと深い愛情に支えられた結果に過ぎなかった。
そのタイミングを伺った彼女は箱館に飛んで小野坂と再会し、思惑が合致して二人はよりを戻した。小宮山の不倫をかさに離婚を切り出し、自身のふしだらが明るみに出る前に全てを捨てる形で愛に走った。
ところがいざそれが現実となるとこれまでと全くかけ離れた質素な生活を余儀なくされ、夫は毎日のように仕事で家を空けている。実業家夫人のような生活ができないことは分かっていたが、金銭的余裕の無い現状に不満が無いとは言い切れなかった。
もう二度と愛する小野坂を裏切るようなことはしない……そう誓って人生をやり直すつもりだったが、裸一貫でやって来た北海道は予想以上に過酷に感じられた。彼女が移住した十月で既に真冬のような寒さとなり、写真やテレビで観た観光地的優雅さは微塵も感じられなかった。
転居してからも東京とは勝手が違ってあたふたする場面が何度もあった。最初の頃は物珍しさと小野坂の助けで慌てる事態もどうにか乗り越えられたが、仕事が決まって働くようになってから人間関係の構築に苦心して歯車が狂い始めた。
同じ『DAIGO』に籍を置いている川瀬とはこの時期から徐々に親しくなっていた。彼のとりなしで野上とのパイプができ、昼営業のスタッフとは対話もできるようになっていった。
ところが『DAIGO』のスタッフ間では川瀬の評判が芳しくない。一年後輩とはいえチーフスタッフである野上への高圧的な態度、頻繁に行われる後輩スタッフいじめなどといった悪評ばかりが耳に入る状態であった。
『私は川瀬さんの優しいところしか存じ上げませんわ』
夢子は彼の優しさを信じ、噂話に過ぎないと聞き流していた。しかしそれが災いして彼女たちは夢子と距離を取り始め、移民である彼女にとって想像以上の打撃となった。仕事上は協力的で嫌がらせ等はしてこないが、川瀬との仲を疑うスタッフも現れ始めて白い目を向けられることが増えている。
産休直前、盆踊り大会の密会を目撃されたという理由で野上から川瀬との仲を注意されてしまった。社内恋愛法度である以上チーフとしては当然の注意なのだが、現時点で疾しいことが無いためうがった視線に苛々させられる。
『大会放っぽらさって何してんだか』
『夕方まで最下位したからね、プライドが許さんで逃げらさったんでないかい?』
『他人に厳しく自分に甘いとか最低だよね』
『こんことご主人ご存知なんだべか?』
『知らない可能性あんべ。したってさ、当日会場におらさったんだからさ』
『わちご主人が一人でポモドーロ作らさってるん見たべ』
『ひょっとして不倫?』
『やめてけれ、あったら性悪とかい?』
『けどささ、あん男調布さんにだけは気持ち悪いくらいに優しくしてるべ』
『調布さんどう思ってるか分からんしたってさ、あん男は確実に惚れてんべ』
『きっも~』
しばらくはこの視線に晒されなくていいのだが、その気持ちを持ち込んだまま出産へのカウントダウンを迎えていた。
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